kiss me No.1
皆さんは、キスする場所ごとに意味があることをご存知ですか?
本シリーズ【kiss me】は、それぞれの場所へのキスとその意味をテーマにしています。
第一作目の今回は掌にキス 。意味は「懇願」。
彼の願いと彼女の願いのおはなしです。
「…あの人と、喧嘩、した…」
「………またですか…」
ぽつりと背後から響いた声に、僕は振り返った。
目の前には一人の少女。その顔は悲しみに歪み、声もあげず只はらはらと涙を流していた。ドアノブにかけた手が小刻みに震えているのが見える。
―――嗚呼、またなのか。
彼女は―――僕の友人とつきあっている。もう4ヶ月になるだろうか。校内でも美男美女カップルとして有名だった。
最初のほうは、それはもう目も当てられない程のバカップルっぷりだった。というより、彼が一方的に彼女にベッタリ引っ付いていただけだが。それでも彼も彼女も、二人とも本当に幸せそうだった。――――幸せそうだった、のに。
二人の関係がおかしくなりだしたのは、丁度1ヶ月前くらいだ。一言で言えば、原因は彼の嫉妬だった。それも、周囲から見れば異常な程の。始めは軽い【独占欲】であったそれには、彼女も苦笑するだけで特になにも言わなかった。彼女自身もそういった自分への執着が嬉しかったのかもしれない。しかし段々とエスカレートしていく感情は、彼のなかで醜悪なものへ変わっていった。
彼は、彼女を束縛し始めた。他の男と会話するな、等と言う強要から始まり、彼女の姿が隣になければすぐに呼び出し、彼女が彼の行動を嫌がる素振りでも見せれば口汚く罵る。あげくのはてには少し連絡が取れないだけで浮気を疑った。
これを狂気と言わずして何と言うのか。
ついに彼の重い愛に耐えられなくなった彼女は、僕のところに泣きに来るようになった。彼の友人の僕なら何とかできると思ったらしい。
しかし、それは逆効果だった。彼の嫉妬は僕にも及ぶ。彼女が僕のところに泣きに来るたび、彼が黒い感情を爆発させ、そのせいでまた彼女が僕のところに泣きに来て…という悪循環に陥ってしまっていた。
がんじがらめで誰も動けないような状況のなか、どうしたら良いのか分からないままで、毎回彼女が来る度に僕は話を聞いているのだった。
「今回はどうしたんですか」
「………ぅう…っ」
「黙っていては、なにも分からないのですが」
声をかけても彼女は俯くばかりだ。……どうやら、今回はかなり酷い喧嘩をしたらしい。無論、全面的に悪いのは彼で、彼女に非は少しもないのだが。どうしたものか――。
少しの沈黙のあと、僕はおもむろに口を開いた。
「……ほら、『おいで』?」
「っ!!」
普段よりも優しい声音を意識して呼んでやれば、彼女は弾かれたように飛び付いてきた。あいかわらず声は出さないまま彼女は泣いていた。そっと腕を回して、震える背中を、肩を、頭を、ゆっくりと撫でてやる。華奢なその肢体は驚くほどに冷たい。僕の熱を分け与えるように、ぎゅっと抱きしめた。
「っ…うぅ………ふっ…ぐすっ…」
時おり洩れる彼女の嗚咽だけが部屋に響く。
ジクジクと疼くような沈黙のなか、先に口を開いたのは彼女だった。
「………もう、だめ、なの……?あ、あんなに、……しあわせ、だったのに…わたし、しあわせ、だったのに……!!」
「………」
「やだよ…もう、ぜんぶ、やだよお………」
駄々をこねるこどものような、疲れきった大人のような、そんな弱々しい声音での呟きは、どうしようもなく僕の心をゆさぶる。
彼女が今現在頼っているのが、世界中でただ一人、「僕」だけであるというのは、臓腑にまで沁みるような歓喜をもたらした。その歓喜は身体中をゆっくりと巡り、毒となって心を麻痺させていくかのようだった。
麻痺した心は恐ろしい。
……彼女は悲しんでいるのに。
……嫌だと言っているのに。
僕は今、
―――確かに【嬉しい】のだ。
彼女が別れそうで【嬉しい】
彼女が僕を頼ってくれて【嬉しい】
彼女が話してくれて【嬉しい】
【嬉しい】【嬉しい】【嬉しい】【嬉しい】【嬉しい】【嬉しい】【嬉しい】【嬉しい】【嬉しい】【嬉しい】【嬉しい】【嬉しい】【嬉しい】【嬉しい】【嬉しい】【嬉しい】
暗い愉悦と罪悪感で僕の心はもうぐちゃぐちゃだ。
――――嗚呼、どうか。
僕の心が、君への思いで壊れてしまう前に。
君の心が、あいつの狂気で壊れてしまう前に。
「………ねぇ、」
「……?」
彼女の手をとって、
――――そっと、掌にくちづけた。
(僕を選んでよ)
14*05*23
掌(懇願)
どうでしたか?
本作はシリーズ【kiss me】の第一作目です。
他の作品もぜひ読んでみてください。
ここまで読んでくださったあなたに最上級の感謝を。
ありがとうございました。
侑子