200 先住民
あの年に生きた人々へ。
200 先住民
大都会の端っこ。それも駅前ではなく、表通りから一本離れた筋にある小さな喫茶店。
店名は「都礼院」とあるが、そのたたずまいは暗く、開店しているかどうかも一見わからない。
安作りのくせに重く開きづらいドアを通り抜けると、間接照明の店内は真っ暗に見える。目が慣れると調度がくっきりと目に入るが、これまた安っぽい雰囲気で「ゆっくりしよう」と真逆の心境が一気に開花する。
店名にちなんでか壁に沿って電車模型がゆっくりと動いている。ジオラマはそれなりに手が入っているが、動いている列車は古く、なぜか陰鬱が漂い、美女と一緒に銀河を巡るどころか地獄への直行列車のような妄想がよぎる。
壁に掛かった幾枚かの油絵はどれもこれも重苦しい色調の物ばかり。タイトルを考えれば「暗」や「陰」あるいは「死」といった単語が連想される。とくに気になるのは一番奥の席の目の前の絵だ。
ギュッとねじる、あるいは絞られた雑巾のような長細い台の上に花籠が乗っている絵。
幾種類もの花々一つ一つは緻密に描かれているのだが、離れてみると花籠自体が人の顔に見えなくもない。
何か大きな生き物に全身を絞め殺された人間。頭部だけが無事に残ったことが幸いではなく陰惨さを強調する一場面。
そんなイメージ映像がどこからともなく沸いてきて固着する、そんな絵…見る者の時間を奪うのが名画の定義であるならば、この作品は名画と呼ばなくてはならない。
その絵を傍らに、何ひとつ心を動かしていない人物が一人。
就活する大学生のような上下黒のスーツ姿であるが、その落ち着きは二〇代で醸せるものではない。長い、おそらく腰まであるストレートの黒髪も一般企業では見られないだろう。容姿も人並み外れている…はずであるが、小さな顔の半分ほども覆っている真っ黒のサングラスで不明瞭。だが垣間見えるパーツからは美女と推定するのは十分以上。
その美女らしき人物をまったく意識せず、マスターはグラスを磨いている。性別が男性である以外は年齢不詳。平凡あるいはフツーとしか表せない顔の造作は目を離して3分もたたないうちに忘れるタイプだ。体つきも中肉中背、服装もありきたり。罪を犯して警察に追われる羽目になっても易々と包囲網をくぐり抜けそうな特長のない人物。それが最大の特徴の人間がカウンターの向こうに一人。客席に一人。
ドアが開いた。貫禄のある和服の高齢の男性が入店してくる。彼はゆっくりと左右を見渡し、カウンター席に座った。上から下まで完璧な純和風の身なりであるが、西洋人の血が濃厚に混じっているように高い鷲鼻が印象に残る。懐からゆっくりと取り出した煙管を扱う所作は優雅で
品があり、相当の人物と一目でわかる。
老人がくゆらせた紫煙が結構な高さのある天井に届いたとき、再度ドアが開いた。上下最新のスポーツウェアで身を包んだ学生が入店してきたのだ。中学生ではない。が、高校生か大学生かの判別が付けにくい童顔。美少年あるいは美青年には分類されない。しかし誰からも好かれる雰囲気を一気に放出する笑顔。彼が入ってきただけで店内の装飾物全てが太陽の下にさらされたよう。真夏の熱気を吹き飛ばす一陣の風、あるいはそれに揺れる向日葵のような爽快感の凝固した人格は黒ずくめの女性の隣に腰掛けた。
1,2、3と店内の客の顔を確認したマスターが顔を傾けて奥に向けて声を放つ。
「オーナー。全員お集まりになりました。」
声すら個性がなく、無味無臭の精製水のように何一つ印象に残すことなく全員の耳を素通りする。
その声を受けて、オーナーとやらが奥のドアを開けて入ってくる。
ゴスロリ、というのだろうか。これまた黒ずくめの衣装であるがサングラスの女性とは真逆に位置する装飾過多。フリルは全てメタリックピンクで少ない光量の間接照明でさえ乱反射している。よけいな差し色がない全身黒とピンクの二色であるため下品ではないが、目と心を刺激することにかけてはピエロの服装と遜色ない過激さ。
狭い店内は共通する箇所がかけらもない5人で満たされた。最後の一人以外はごくごく普通の身なりであるのに、全員が揃うと違和感で満ちた。あるいは不協和音を視覚化したかのように誰一人として「合わせる」配慮が感じられない。
和服の老人がしわがれた声を発する。
「“水”の者が“地”をオーナーと呼ぶのはいかがなものか。」
オーナーと呼ばれた少女…?いや、けっこうな年齢? 服装に反して地味でとらえどころのない顔つき。のっぺりと凹凸に乏しいその顔はとらえどころがない。それなのにマスターと異なり、強い印象を見た者に残す。美醜という熟語の後ろ側。の女性は鷲鼻の老人をちらと見る。
ほんの一瞬みつめただけであるのに、ベロリとなめ回されたような不快感。一般人であればそれだけで立ち上がり、店から出て行く一撃。
しかし老人は意に介さない。その泰然自若な姿にオーナーはキンキン声で返した。
「山と海に挟まれたこの土地だからイイジャナーイ。 うっせーんだよ、くそジジイ。」
育ちが悪い。全員がそう思ったとき、上下ジャージの青年がクククと声を立てた。
「これがドキュンってやつかぁ。まぁ、千年前も鼻つまみの存在だったから相変わらずと言ったところかな。」
好青年に向けるゴスロリ少女?のネットリとした視線には怨嗟が込められていた。
「腰の据わらないガキがいきがるんじゃないよ!」
「ほう。焼き払ってやろうか?」
好青年と見えたが、その口調には挑発以上の本気が感じられた。ザワッと店内の空気が変わる。
コトっ。マスターがグラスを置き、客席側に向き直った。冷たく青年を一瞥する。そのとたん、ギリっと歯ぎしり音。青年の両眼からは炎が立ち上る。唇から漏れ出た言葉はゆっくりとだが重々しかった。
「そうだ、一番気にくわないのはアンタだ。ナゼあんたは動かない?前も……ん…。」
自分で紡いだ言葉に疑問を感じたのか、青年は口を閉じた。
マスターは無言で珈琲を4つ注ぎ始める。老人がじろりと周囲をねめつけて腕を組んで嘆息する。
「みな落ち着け。ここしばらく続く“兆候”について話し合うために集まったのであろうが。」
全員の前に珈琲が置かれていく。マスターと青年は全く目を合わせようとせず、フンというつぶやきが微かに聞こえた。
ゴスロリ女性が再び青年に声を投げる。
「“火”、アンタのとこのアレ、やりすぎじゃないの?」
ゴスロリの言葉に老人も言葉を重ねる。
「“人”に構いすぎるのはそなたたちの悪い癖だ。そのせいで“長”が久しく不在だったこと、よもや忘れてはいまいな。」
椅子に斜めに座った青年は長い足を挑発するように組み直す。
「“人”に構い過ぎだぁ?それならこの“這うもの”こそ干渉どころか“人”と同化寸前じゃねーか。この国の名字に“藤”が付くヤツどれほどいると思っているんだぁ。・・・なによりもこの場にいないヤツだ。あいつはどうした?」
入店してから一言も言葉を発せず、ずっと彫像のように身動き一つしなかったサングラスの女性がその一言に反応した。
「私も問いたい。今日の“会”は“みずち”に一言申すために寄らせてもらった。それなのに当人が不在では…時間の浪費。」
サングラスの女性…いや、ゆっくりとそのサングラスを外していく。遮光眼鏡は本来は太陽光から目を守るためにあるが、彼女のそれは用途が異なっていた。両の眼を外界から隔絶するための道具であったのだ。
「“目”そなたの憤りはわかる。あの行いは我々“妖精”の不文律を破るものであった。藤氏よ、“みずち”は、いかがした?この“会”を軽んずるならば、我らにも考えがあるぞ。」
“目”と呼ばれた女性、いや両眼の部分には目蓋も眼球も存在していない。人ならば眉毛のあたりから頬の上部付近までは吸い込まれるような漆黒であり、その中央部は宇宙の星々のような光の欠片が点在し蠢いている。ただ塗りつぶされた真っ黒よりもなお深い闇を顔の中央に備えた存在が人であろうはずがない。その“目”の暗闇が“怒り”という感情を“藤氏”に放射している。
いや、“目”と老人だけではない。青年もマスターさえもゴスロリに対して殺意に近い感情を込めて睨みつけている。
「“目”が監視しているアヤツは“盤外の駒”の可能性がある。それゆえに慎重に事を運んでいる。“土の者”はこの件には不干渉と宣言したはずだ。前言を撤回するならばその理由を全氏族にきちんと述べよ。」
老人の威圧感は青年が「ほう」と呟き、マスターも眠たそうな目を見開くほどであった。しかし、ゴスロリ女性…いや、徐々に何かが剥がれていって、今や“人がましい”存在となった藤氏は軽く顎を上げ、老人を見下して口を開く。
「たかが司会役に過ぎない“天狗”風情が大口を叩くモノダネエ。アンタ気づいているの?“風の民”が“長”を失った意味を。つまらない“人”ごときと情を交わした鳥の姫がどうなったか知らないとは言わせないよ。精神生命体でも二度と再生できない『常世の闇』で羽根女は永遠に身体を蝕まれ続けているのよ。“天狗”アンタやあんたの眷属の後ろ盾はもうイネエンダヨ!」
のっぺりとした顔つきに「狂」という彩色を施したゴスロリ姿の“何か”は床に唾を吐くや青年の方に向き直った。
「“火”の小僧、テメエもだ。“風の民”は“長”を失って混乱が続いている。“風”なくて“火”が成り立つかよっ。お前たち「空」はもう役立たずなんだよ、そんなことも理解出来ネエ、ぼんくら頭は胴体から斬り飛ばしてしまいナっ!」
「ぎぎぎぎぎっ」
「この・・・・」
老人と青年の怒りをものともせず、ゴスロリは返す刀でマスターも切り払う。
「“水”アンタは陸の動向には“我関せず”を貫いてイリャアイイノサ。“みずち”様は同じナガモノのあんたを悪いようにはしないサ。」
その言葉を聞いても無表情のマスター。いや、こちらも“人”としての対面をつくろうことはとうに取りやめている。
“天狗”はそれでも己の感情を押して、ゴスロリに言語で意思を伝えようとする。
「“人”は愚かなつまらない存在であるが、ヤツらは…カノモノたちの末裔である可能性がある。それゆえ静観しアレの出現まで時を稼ぐのが我らの方策であったはず。なにゆえに“這う者”と“みずち”に組する者は考えをタガエタノジャ。」
「“人”を愚かと遇するには異論あれど、我らが“火の民”は元々そなたたちと相容れてはおらぬ。一戦交えるを望むならば、我らは“古き者”との戦の前に・・」
青年がそこまで語ったとき、“目”がすっと片腕を青年の前に突きだした。
「“目”そなたも中立を外れるか?」
「チガウ。ソノ名ヲ呼ブナ。ヤツラはスグ近クデ耳をソバダテテイル…耳ガアルカドウカ知ラナイが…」
その場にいる全ての者が口をつぐんだ。
精神生命体の世界での会話は“古き者”に察知される可能性があるため、“人”が蠢く大都市で人間に化して“会”を開くことにしたのだ。 それが感情に流されて、“人”の姿をかなぐり捨てれば、容易に“古き者”にその所在を知られよう。
“目”がサングラスをかけるのとほぼ同時に、全員が元通りの“人”の雰囲気を取り戻した。
店内…天井から床板までゆっくりと見渡したマスターがポツリとつぶやいた。
「離れたようだな。」
この場にいる“長”代理たちの中でも“水”の者の力は群を抜いている。役割として上に立っている“天狗”であっても、“古き者”と一戦交えられるかと言えば単騎では難しいであろう。“水の民”ならばわからない。
まだ二人は憤怒の情から抜け切っていないと見たのか、“目”が藤氏の正面で相対しようと前に進み出た。
「藤氏よ、あの男自身と彼の手の者の処遇は私に一任されたハズ。“みずち”自身がそれを覆すと表明したのであろうか?」
“目”の一言に唇をピクピクと動かすゴスロリ女。
「私の見たところ、私に成り代わったあの不埒者からはナガモノの臭いはなかった。ケモノやツノの臭いもしなかった。“地の民”最大勢力の“這う者”の一人と私は判断した。それゆえあの事件の処遇は“会”扱いとセズ、“みずち”の連絡ですませたのだが…。そなた、みずちに処断されたのであろう?先程からの激情、あるいは挑発は意趣返しでも企んでおるのかな?」
「キキキキキいいいいいいいい――――――」
感情で抑えきれなくなり、“人”としての形を保つことすら難しくなったのか、ゴスロリのスカートの下に、ワサぁ~と数え切れない足が噴出した。蔓草が絡み合うような・・・チガウ、数え切れない程の長い長い“蚯蚓”の群れがゴスロリの足を形成していたのだ。
その一匹一匹が「キューキュー」と小さな声を発して、戦闘姿勢を形作っている。この地球の大地に不可欠な生き物。その食欲は一匹で広大な面積の大地を肥沃な土地へと生まれ変わらせる。その力が敵になると…。
「待ちナ、娘たち今は下がっていなさい。」
ゴスロリの顔はさっきまでと打って変わって冷静である。
「ふん。“みずち”様のおっしゃる通りだね。“目”が役立たずなのを証明して、その場合は役割を“地の民”が引き継ぐ予定だったのサ。」
「…みずちの考えそうなことですね。」
マスターは興味なさげであるが、“火”と“天狗”は驚きを隠せない。
(ミズチハ“人”ヲ道具カ玩具トシカ考エテイナカッタノデハナカッタカ)
(“地の民”に、もしや…の民が力添えすることになれば…)
「“みずち”様は“目”が有能ならばあの男の監視を続けてもらいたいと仰ったわ。アンタは小癪にも最初から見通していたみたいネ。」
「“目”ですから。見通すのはお役目です。」
ふん、とひとつ鼻を鳴らして、ゴスロリは複雑な笑みを返す。
その顔がグシャリと崩れていく。
いや、顔だけではない。手足が、胴体が、ゴスロリの服装さえも、ドロドロと…いや液体化しているのではない。全てが細かな数え切れないミミズの寄せ集め=本来の姿に還っていく。
「うっ、」
口を押さえる“火”
「全く面妖な一族じゃ。」
“天狗”はどこからは羽団扇を取り出して、周囲に立ちこめた悪臭を吹き払う。
「さすが“目”だな。ここまで見極めていたのか?」
マスターが“目”の方を見ずにつぶやいた。
黒ずくめだった“目”も姿を変化させ始めている。
『ワタシはアノ者のコト嫌イデハアリマセン。蚯蚓ノ力ハ地ノ下デハ私ヨリモ遠クヲ見テイルハズデス。』
銀色に発光する“目”に対して“天狗”が最後の尋ねを投げかける。
「“目”、いや“銀髪”よ、そなたの見込みではアノ者…いや“人”が戦っている“敵”の正体は“古き者”なのか?」
手のひらほどのサイズに変化した“銀髪”はその身を空中に浮かばせていたが、クルリと老人の方に向き直った。
『“敵”ト“古き者”ハ同一デアルカ異質デアルノカ。ソレ以上ノ謎ヲあの男ハ掴ンデイル可能性ガゴザイマス。ワカッテイルコトハ、あの男トソノ影響ヲ受ケタ存在ハ全テ要監視対象デアルトイウコトデス。』
火と水であるマスターと青年が視線を交わす。
老人は消え去っていった“銀髪”の居た空間を凝視し続け、独り言をつぶやいた。
「千年紀…1999年とはいったい何だったのか。世紀末のあの年、一体何が起こったのか。」
その疑問に答える者はいなかった。
マスターも青年もついっと魔界へと帰還していたからである。
そして老人が消え去った後、喫茶店は影も形もなくなった。
あとには「渡霊印」という名の小さな社が佇んでいるだけである。
日本は太古の昔から宇宙人に侵略されていました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
「ああ、あれか」と思われた方、「こいつら何」と思われた方、どちらの方々にもこの後も読み進めていただけるよう頑張ります。
先週、虫の大群が部屋に発生し、数日天手古舞いでした。小さな羽虫が次々に網戸を通り抜けて…慌てて購入した最新の虫除けアイテム全て役立たず。勝利のカギは「蚊取り線香」でございました。
小説に生かせるのか、↑の事件??




