プロローグ
煌びやかなドレスを纏った女性の軽く握った右手が、紋章の付いた豪華な扉をノックした。
「お父様、宜しいかしら」
まだ少女のような声が扉に吸い込まれると、少しして厳かな声が戻って来る。
「おお、娘よ。どうかしたか?」
娘と呼ばれた女性は手で髪を揃えながら、
「近日中に行われる婚礼儀式の件で参りました。入って宜しいでしょうか」
と答えて扉は暫く沈黙を続けたが、
「おお、そうかそうか。良いぞ。入りなさい」
と先程よりも優しげになった声が返ってきた。
「それでは失礼します」
娘が扉を開け中へと進むと、豪勢な造りの部屋が現れ、隅の机には王冠を乗せたガッチリとした男の書物をしている姿があった。娘は静かに扉を閉め、目をパチクリさせながら彼にそっと頬笑み、
「ごほん。どうかしら、このドレス」
と言って、その場でくるりと回って見せた。筆を止めた王冠の男は出す声を失ったのか、口を半開きにし、ただ驚いて見入っていた。その驚愕ぶりが意外に思ったようで娘も少しの間ポカンと口を開け続け、やがて、
「今まで私を何不自由なく育てて頂き、ありがとうございます。お嫁に行きましても、いつまでも、お父様をお慕い申しております」
とニッコリ笑って深く会釈をして見せた。すると、さっきから固まっていた王冠の男は感極まったのか、ホロリと涙を零すのだった。
ここ数年で人間を好んで食らう魔物が所構わず巣食う様になり、安穏だったこの世界は激変し、人々は毎日を怯えて暮らすようになっていた。その対策として城や街の住人達は周りを囲む高い塀を造り、中を衛兵で守り、さらに余裕のある所は外へ討伐兵を派遣して魔物からの脅威を防いでいた。
ここパルダ―ク国も例外ではなかったようだ。ただ弱小国であるが上に強国に頼らなければならず、隣国であり圧倒的な国力を有するマキュール国からの援助を受ける為に、姫を差し出さなければならなかったのだ。
パルダーク国王は数年前、お妃を病気で亡くしている。そして数週間後には一人娘の政略結婚が控えており、寂しさと娘への不憫に思う気持ちで、涙を零さずにはいられなかったのだろう。
「娘よ、すまぬな。わしが甲斐性ないばかりに……」
「いいえ、お父様のせいではありません」
娘は父の思いを汲んだのか、駈け寄り抱きついて、そっと涙を零した。父も娘の頭を撫でながら、ついに声を上げ泣いてしまった。
だが父と娘の感涙に浸った時間は、そう長くは続かなかった。ドアを叩く音に続く若い男の声が無情にも割り込んで来たからだ。
「王様、お取り込み中の所、申し訳ございません。伝言がございます。……錬金術師長殿が、しばし外出をするとの事です」
ふと我に返った王は涙声を押し殺し咳払いをすると、何事も無かった様な表情を繕い、
「わかった」
とだけ返事をしてみせた。
その頃、錬金術師長は自室で黒衣の男と面会をしていた。
「サガと申したな。お主いったい何者だ」
錬金術師長は、ここでは言えぬ大事な用がある、と切り出したサガという男を不審に思っていた。
「私ですか。しがない旅商人です。ただ、錬金術師長様に是非見て頂きたい物があり、こうして面会に伺ったのです」
「うむ、そうか」
と言ったものの錬金術師長は素性の分からぬ黒衣の男が気になるようで、舐めまわす様に見入っている。老人風の声だったサガはというと背筋がピンとしているため年齢がよく分からない上、ローブのフードが目の所までスッポリ被っており、表情も掴みづらかった。
少しして扉を叩く音がし、
「王様に事付けをしておきました」
と続く男の声がした。錬金術師長は、
「では行くか」
とサガを顎で促しスタスタと歩き出すと、サガは影のようにその後に従った。
城を出た二人はメインストリートから商店街の方へ折れ、細かい道の奥深くまで入って行く。そしてたどり着いた先は人気がなく建っているのがやっとなボロ屋だった。
「錬金術師長様、こちらです。どうぞ」
と言うとサガは先に、そのボロ屋の中へと入って行く。錬金術師長も勧められるままに歩き、壊れかかった椅子に腰を下ろした。
「それでは、お話しましょう、錬金術師長様」
「ちょっと待ってくれ。その錬金術師長という呼び方は好かん。ワーグルで良い」
「わかりました。ワーグル様」
サガは懐から丸めたボロ布を取り出しテーブルの上に広げた。ワーグルは広げられた布切れに書かれた事柄に興味を示し、繁々と見入り出した。
「これは秘伝書でございます。ある魔物を召喚するための……」
突然の事でワーグルは耳を疑ったようだ。
「なぜ、そのような物を私に見せる? なぜお主が、そのような物を持っている?」
サガは直ぐには答えず、少し間を置き、不吉な笑みをこぼしながら語り始めた。
「短刀直入に申しましょう。私はワーグル様こそ、この国の王に相応しい方、と思っております。現国王は、その器ではございませぬ」
「ちょ、ちょっと待て。滅多な事を言うものでは……」
「いいえ、最後までお聞きください。聞いた話によりますと、近日中にマキュール国との政略結婚があるらしいではないですか。それは国を援助してもらう第一弾の要求とか。もうすでに第二弾では、貴国の貴族たちの降格も了解済みと聞きました。惨めなものですな。そうやって次から次へと、マキュール国の言いなりになって、やがては国全てを飲みこまれてしまうのではないか、と私は心配しております。決して現国王が無能である、と申しているのではありませぬ。民の安全を考えてなさっている事。国力が乏しいが上のご決断なのでしょう。しかしです。現国王には野望とういものがありませぬ」
ワーグルは眉を顰め、口を挟んだ。
「何故、お主はそう思うのだ?」
サガは身動きせずに一呼吸置いてから再び語り出した。
「ここからお話する事は王様にも進言した事です。……この秘伝書は偽物ではありませぬ。これは代々私の先祖から伝わるもの。こんな言い伝えがあります。それは遥か昔、人間が魔物に支配されていた時の事です。というよりも家畜同様にされていた、と言った方が正しいのでしょう。まさしく食糧の為だけに生かされていました。そんなある日こと、一人の若者が生を受けます。その若者は生まれながらにして魔法を使う才能がありました。今の世でも魔法使いは、世界中で二人といるかいないかの特別な存在。この世でも同じでした。人々の間で神扱いされ、魔物から隠すように大事に育てられたのです。年月が経ち、その若者は魔法で魔物を操る事が出来る様になりました。そこで若者はある事に気が付きます。もしこの世で一番強い魔物を操る事が出来たら、その力で魔物を一掃出来るのではないかと。すぐに若者は、その考えを実行に移します。最強と思える魔物を次から次へと操り、自分以外の魔物を殺すように仕向けたのです。作戦は成功しました。本当に最強の魔物一匹だけが残りました。若者はこうも思いました。そうだ、この魔物を使って人間社会を復興させようと。そして、いつしか彼は、この世界全てを治める王になっていたのです。……どうです? 私の言わんとしている事、分かりますかな」
ワーグルの口を開く隙を与えず、サガは更に話を続けた。
「しかしです。現国王はこの話を聞いて嘲笑いました。余に魔物を持ってこの世を制しろと申すか、たわけめ、失せろと。私はこの時、悟りました。ああ、この方は王の器ではないと」
サガはここでまた一息つくと共にフードの中から怪しい目を輝かせた。どうやらワーグルの反応を確かめている様だった。そしてそれに誘導されるようにワーグルは口を開いた。
「一歩譲って、これが本物の秘伝書だとしよう。だがしかし何故この秘伝書を、お主の先祖が持っている? お主の先祖がその魔法使いだと申すのか?」
サガは、この質問を予感していたのだろうか、そら来たと言わんばかりに再び語り出した。
「おっしゃりたい事は、ごもっともです。しかし私の先祖は先程の話に出てくる魔法使いではありませぬ。この話には、まだ先がありましてな。続きを話しましょう。……唯一なる魔法使いは、その力と最強の魔物をもって世界をも思うままに操ったのです。人は権力を手にすると変わります。自分の気に入らないものは排除し、好む物は存分に愛したのです。その結果、魔法使いの独裁となり悪政が始まるのでした。さて、魔法使いには一人の弟子がいました。彼は魔法こそ使えないものの、錬金術には長けておりました。また彼は師匠の独裁には我慢ならぬ思いがありました。そこで考えたのです。あの魔物さえどうにか出来れば、師匠の行いを止める事が出来るのではないかと。ただ万が一、また世界が荒れる事になったら抑えきれぬ。この魔物はその時の切り札に取って置かねばならぬ。そうだ、魔物は殺さずに封印しよう。いずれまた復活出来る様にと。そうして、その錬金術師は勇者を集め、その者達と協力し魔物を封印するのですが、残念ながら私には、その部分の話は分かりませぬ。ただ言えるのは、この秘伝書に、その魔物を復活させる為の方法と召喚に必要の物が記してある、という事なのです。それとまた私の先祖はその勇者の一人で、秘伝書を託された者ではないか、と言う事も付け加えておきますぞ」
ワーグルは事の真意を確かめたるため、話を聞きながらサガの隠された表情を観察し続けていた。どうもこの話は信じられぬと。またこの男は何を望んでいるのかと。ワーグル自信も大きな野心が芽生え、サガがどんな企みを抱いているか、もうしばらく聞く必要があると思ったようだ。
「分かった、で、私は何をすれば良い?」
サガはククククと笑う。
「これは失礼しました。話は最初に戻ります。ワーグル様にこの魔物を復活させていただき、この国を統治していただきたいのです。魔物は召喚した者に従います。その力をもってすれば、この国を支配する事は造作もない事。また外界からの魔物も容易く防げましょう。さて召喚させるには五つのパーツが必要です。それは、この国の各迷宮に散りばめられていて、またそれを守っている怪物がいると伝えられています。勇者たる者がやらなければ、まず一つたりとも集める事は不可能でしょう」
「……」
「そこで提案です。魔物を召喚するためという理由では、真の勇者は手を貸さないでしょう。ですが王の命令による姫のため、と言う事ならどうでしょうか」
ワーグルは手を挙げ、しばし話を制した。
「ちょっと待て。真の勇者とは誰の事を言っている? ……あ、まさかあの女の事か?」
サガは間一髪いれずに、
「はい、その近衛隊長様です。お噂はかねがね」
だがワーグルは渋い顔をして見せる。
「あいつは好かん。あの無粋な態度、礼儀もわきまえんような……よい、話を続けよ」
サガは軽く頷き、言われた通り話を続けた。
「五つのパーツを集めるのは姫のためと偽るのです。なーにそれは簡単な事です。姫に毒を飲ませ病に見せかけるのです。そしてその病に効く方法はワーグル様が知っている、と言う。秘伝書に書かれた五つのパーツを煎じた薬。それを飲ませば治る事でしょうと言う。王の信頼の厚いワーグル様なら、必ずや信じて頂けるでしょう。そして、こうも付け加えるのです。その五つのパーツを揃えるには、勇者でなければ務まらないと。王もすぐに気付くと思われます。勇者といえば、あの女近衛隊長の事を」
話の全てを知ったワーグルは、この時こう思っていたに違いない。このサガという男は何を考えているのだろうか。どんな目的があって私を焚きつけるのだろうか。だが、この秘伝書に興味がある。とりあえず預かって置くだけにしようと。
「だいたい話は飲み込めた。この秘伝書、しばらく預かっても構わないか?」
「どうぞ、どうぞ。その為にお見せしたものですから」
サガは秘伝書をまるめ、ワーグルに渡すと、ククククと笑い出していた。
長編ストーリーをと考えています。好評だったら続けていこうかなぁと。