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6:虹掛かる空の上

このお話で完結です。ありがとうございました。

「ルシウス?わかった、忘れないようにする。」


にっと笑った少女は、軒下から身体を乗り出すと手を差し出して呟いた。


「あ。雨、上がったみたい。」


「そうみたいだね。」


町の建物の間から訪れた眩しい太陽を二人でしばらく眺めていたら、不意に少女はルビウスを振り向いて言った。


「…私、そろそろ行くね。ありがとう、優しい公爵様。」


それじゃあと巾着を腕に抱いて手を振った少女は、ルビウスに背を向けて走り出した。


「あっ、名前!教えてくれないか?」


慌てて後を追うように足を踏み出して叫んだルビウスの声に、少女は進めた足を止めてびっくりしたように振り返った。そして――。


「リリ。…リリアンヌよ!」


過ぎた春がまた来たように、年相応の笑顔を見せてそう言った。

元気よく手を振って駆け出した少女を、今度は呼び止めずに見送った。


「…リリアンヌ。」


呆然と立ち尽くすルビウスの呟きと共に、静かな向かい風がやってきて、彼の黒い外套をなびかせた。そのまま清々しい程明るい空を見上げると、覆いがスルリと頭から落ちて、黒髪とまだあどけない顔付きに不似合いな漆黒の瞳が、太陽の光に輝いた。

その漆黒の瞳が瞼に伏せられると、今度は背後から起こった突風に全身を包む外套も、少し癖付いた黒髪も激しく巻き上げられた。


「…ルビウスよ。」


突風が収まって、再び辺りに静寂が舞い戻って来た頃、顔を下げていたルビウスは、不意に聞こえた声にうっすら笑みを称えて振り向いた。


「お久しぶりです、叔父上。」


振り向いた先、先程ルビウス達がいた酒屋の軒下には、一人佇むの男性の姿があった。ルビウスと同じように少し癖付いた髪であるが、黄金色の髪と鳶色の瞳は似ても似つかない。


「あまり周りを心配させるな。」


背が低い小柄な男性は、外套をなびかせて不機嫌そうにルビウスに近づくと、無表情にそう言った。


「申し訳ありません。叔父上にご迷惑を掛けるつもりは無かったのですが。しかし、随分と時間が掛かりましたね。」


僅かに頭を下げてから、皮肉を込めて言うルビウスに、叔父はその無表情の顔にほんの僅かな苦笑を交えて言った。



「お前が、分身の術や姿消し、術替えしなどを使って混乱させるからだ。魔法省の輩も随分と慌てふためいておったぞ。いつの間にあんな術を身に付けた?」


「暇つぶしを兼ねて、独学で勉強しただけです。爺様はちっとも教えてはくれませんでしたから。」


首をすくめて言ったルビウスを見ながら、末恐ろしいものだと呟いた。


「爺様達は?」


そんな呟きを無視して尋ねたルビウスは、辺りを見渡してそう言った。


「お前の姉の家に寄っている。ローリング公爵の家に行っているのではないかと、検討をつけたようだ。もうこちらに来る頃だろう。」


そんな事を言っている内に、辺りで風を切るような音が聞こえ、さらにはあちこちにある水溜まりに着地する足音が増えた。


「ルビウス!」


「兄上!」


ばたばたと駆け寄る足音に振り向けば、血相を抱えた祖父と弟の姿があった。


「あぁ、爺様にアレックス。」


「お前というやつはっ。何があぁだ!心配したんだぞ?」


黒髪も、身に包む黒服さえも全身ずぶ濡れの祖父は、ルビウスの姿を見るや否や、紫色の瞳に涙を溜めて孫を抱きしめた。


「…すいません、もうしません。」


「当たり前だ!」


素直に謝ったものの、ぴしゃりと言われてルビウスは拗ねたように顔を逸らした。祖父の肩越しに、心配そうに見つめる弟のアレックスの姿がある。自分と同じその漆黒の瞳に大丈夫だと言うように微笑んで見せて、いつまでも抱きしめている祖父の肩を叩いて言った。


「爺様、そろそろ離して下さい。苦しいです。」


「…こんなに周りを心配させて。少しは反省するんだ、大馬鹿者!これはその罰だ。」


「…うぇ。」


「じ、祖父様っ!兄上が死んでしまいます。」


さらに力を込めた祖父に、必死に肩を叩いて限界を伝えたが、アレックスが間に入って止めるまで祖父はルビウスを離しはしなかった。


「げほっ、ごほごほ。死ぬかと思った…。」


身体をくの字に折り曲げて咳をするルビウスの頭に、不意に大きな手の平が乗せられて、目を瞬いた。


「…すまなかったな、ルビウス。お前の気持ちも少しは考えてやるべきだった。さっき、ルクシアに怒鳴られてしまったよ……。」


かすれるその言葉に、ふっと笑みを零すとゆっくりと身体を起こし、しっかりと祖父を見つめた。


「大丈夫です。僕がまだ子供だっただけだったんです。有り難く、爵位を譲り受けます。」


目の前にある柴眼は、微かに動揺したように揺れて言葉を濁した。


「…しかし、もう少し後でも大丈夫なんだぞ?」


「おや?やっぱり、若造には大切な爵位は譲れませんか?」


年の割には生意気な笑みをその顔に浮かべて首を傾げる彼は、もうあどけない少年などではなく、立派な公爵という名に相応しい顔付きの青年だった。


「…いいや、いいや。そうか、継いでくれるか。良かった良かった。では、由緒正しきカインド家を頼んだぞ?」


「はい、お任せ下さい。」


「よし。王都に帰ったら、早速手続きをしょう!」


途端にきうきと上機嫌になった祖父に、ルビウスは苦笑しながら頷いた。


「兄上、祖父様。義兄上がいらしてます。」


そんな和やかな雰囲気の中、新たに沢山の魔法師達を伴って路地の角から現れたのは、義兄マイケルである。

祖父が連れてきていた魔法師達に、何やら指示していた叔父と少しだけ言葉を交わしてから、足早にこちらにやってきた。

そんな義兄を見つめながら、ルビウスは静かに隣にいる祖父に口を開いた。


「爺様、頼みがあるのですが。」


「うん?何かな。」


いつもの楽観的な口調に戻った祖父は、同じようにマイケルを見ながら答えた。


「僕が将来、妻を娶るときは王家の連中や周りの者に口を出さないよう、手配していただきたい。」


「兄上!?」


びっくりしたようなアレックスの声にも気にせず、祖父は面白そうに柴眼を細めた。


「ほぉ、良い人に出会えたか。どこのお嬢さんかな?」


「生憎、誰にも教える気はありません。約束してくださいますね?口を挟まないと。」


挑戦的な笑顔の奥に、有無を言わさない程の気迫があるのを祖父は僅かに悟って、同じように微笑んだ。


「勿論だ。」


「ありがとうございます。」


そう笑顔を深めて、こちらに向かってくるマイケルに歩み寄ろうと、ルビウスは自ら足を踏み出した。



「ありゃー、恋する男の顔だな。」


「はっ?」


颯爽と歩く孫の背中を見ながら呟いた言葉は、不思議そうに兄を見つけていたアレックスが顔を戻して聞き返してきた。


「女嫌いのアレンには、まだまだ早い話だ。」


「女嫌いってなんですか。」


「本当のことだろう?」


「そうですけど…。」


「アレックス!姉上が心配してらっしゃるらしいから、ローリング公爵の邸に顔を出す。お前も一緒に来るんだ。」


渋い顔をぶつぶつと呟いているアレックスに、義兄と話をしていたルビウスが声を上げて掛けてきた。


「はいっ、直ぐに行きます!」


「ほらほら、早く行かないと置いて行かれるぞ。」


慌てて振り向いたアレックスの背中を豪快な笑い声を上げながら、力強く叩いて送り出した。


「大きくなったもんだ。」


背中をさすりながら、首を傾げて兄の元に走るアレックスと彼を笑いながら待つルビウス。対照的な二人の孫を見つめながら、あまり年寄りには見えないその顔付きを歪めた。


「シリウス殿、何を感傷的になっている?」


そこに現れたのは、ルビウスとアレックスの叔父にあたるアーサー。


「あれ?アーサー、君はローリング公爵の邸に寄らないのか?久しぶりに、別荘から出てきたのだからさ。ルクシアだって喜ぶと思うがね。」


「何故、あの気のキツい姪子にわざわざ会わねばならない?野暮用が済んだのだから、さっさと帰りたいのだ。」


公爵でありながら、街から離れた土地に立つ別荘に引きこもっている彼、アーサーはめったな事がない限り、別荘から出てこない。そのため、引っ張り出されたことで、大層機嫌がよろしくないようだ。


その様子に苦笑を零したシリウスは、そうかいと答えて空を見上げた。

「おっ、アーサー。虹が出ているよ、見てごらん。」


「そんなものに興味はない。」


「………可愛くないなぁ。これじゃ、先が不安だよ。」


「何か言ったか?」


義理の娘の弟にあたる彼は、本当に可愛くない。

そんなことを本人は気にしないのだから、尚更面白くない。ちらりと見やって呟いた言葉も、さらりとながされたようだ。


「何でもないよ。まだまだ、孫達の幸せな顔を見るまでは死ねないと思っただけさ。これから益々面白くなりそうだろう?」


もう一度繰り返すような無粋なことはせず、話を変えてそう言えば、帰り支度をするアーサーの冷たい視線を受けた。


「…何か言いたそうだね。」


「お先に失礼する。」


「ちょっと待ちなさい!せっかくこっちまで来たんだ、一杯付き合ってくれたっていいだろう?男同士でたまには語り合おうではないか。綺麗な虹を見ながら!」


足元に書いた魔法陣は、すっかり準備を終えており、アーサーが発動させようとするさいに慌てて引き留め、空に掛かる虹を見上げ、両手で広げて言った。

そんなお誘いを受けたアーサーは、シリウスに冷たい一瞥をくれ、その隙に魔法陣を発動させて消えた。


「あー―!アーサー、酷いじゃないか。勝手に帰るなどと!こら、アーサー。聞いてるのか!!」


霧のような雲がアーサーを包んで消える瞬間、シリウスははっと気づいて叫んだ。

ひゅんと小さな煙が、最後の仕上げに蜷局を巻いて消えると、いつの間にかその場にはシリウス一人。

そんな彼は、酷い酷いと一人嘆いている。


「あぁ、とっても綺麗じゃないか。」


ふと、見上げた空。

明るくなった秋空の中、寂れた町を跨ぐように大きくて綺麗な虹が一つ、朝日を浴びて輝いている。


「…そうか、皆が祝福してくれているのか。」


まるで、新しい門出を祝うかのように輝く虹を眩しそうに見つめて微笑むと、彼は手を小さく振って姿を消した。

恐らく行き先は、可哀想なことにアーサーの別荘であろうが。



人々が去った灰色の町。


いつもは鮮やかな色さえない。

寂れた雪に覆われている灰色の町だが、この日はそんな町並みの頭上に、珍しくも美しい虹が彩っている。

孤児院に足早に帰る銀色の髪をした一人の少女が、煉瓦が連なるどこかの路地で、いつか消えてしまう虹を不思議そうに見上げてから駆け出した。

…その場所から少し離れた所、賑やかな姉弟に挟まれて静かに笑うルビウスの姿があった。

邸に戻る途中、ふと足を止めて頭上に掛かる虹を見上げた彼は、その漆黒の瞳を細めて穏やかな笑顔を見せて、口だけをゆっくりと動かすと辺りにある空気を震わせた。


「ルビウス―?なにしてるの、早くこちらにいらっしゃいな。」


「…今行きます。」


母そっくりな姉に呼ばれ、にこやかに振り向いて返事をしたルビウスは、もう一度虹を見上げ、その生意気な顔つきに意味ありげな笑顔を浮かべて、外套を翻して邸へと向かった。


ルビウスの呟いた言葉を運悪く小耳に挟んだある神様は、白花色の瞳を見開いて驚き呟いた。


《面白いものよの。》


《朧さま、いかがなされた?》


銀色の扇子を開くと同時にそばにやってきたのは、神隠しの神・風蘭である。猩々緋色の衣が、跳ねるように歩く彼の動作に合わせて揺れるのが、なんとも愛らしい。


《おや、風蘭。ちょうど良いところに。漆黒の魔法師という、あの者の名は、ルビウスと言うたかの。》


長い指と月色の長い爪で指し示したのは、雲の遥か下にいる黒髪の少年。


その少年を見るや否や、風蘭は不愉快そうに顔をしかめて頷いた。


《ルビウスでございます。ルノの友人であったかと。》


《ルノの…、さようか。なんじゃあ、風蘭。あやつが嫌いか?》


銀色の扇子で口元を隠した朧という美しい青年は、藤色の長い髪を揺らして笑った。


《…朧さまもお人が悪うございますぞ。私めが、ルビウスと馬が合わぬのは、良くご存じのはず。》


お団子頭の灰色の髪と揃いの瞳を朧に向け、彼は言った。


《ほほっ、そうであったかの。人間の名前を覚えるのはどうも…。おぉ、風蘭に睨まれてしまったわい、恐ろしいことだ。》


そんな事をいいながら、愉快に笑い声を上げる朧は、再び視線だけを階下に戻した。

先ほどまで殺風景な街を彩っていた虹は、既に消えかかっている。


《朧さま、虹を出されたのですか?》


片膝を立てていた朧は、その片膝に腕を乗せ、銀色の扇子で口元を抑えて目の前に膝を突いて雲の上から、階下を覗き込んでいる風蘭を見て言った。


《ふむ。どうやらカインドの次期当主も決まったようだしの。ちと祝を贈ってやったのだよ。それに、毎日毎日、人間の変わらぬ日常を見るだけなどつまらんではないか。たまには、わしも楽しみたいのだ。》


《だからといって、あの様に雨を大量に降らせては、レイガルが参ってしまいまする。》


呆れたように言う風蘭から目を逸らした朧は、欠伸を噛み締めながら呑気に言い返す。


《良いではないか。…たまには。》


《…たまにはではないから言っているのです。》


メイア様も怒っておられました。


そう続けた風蘭の言葉に、ギクリと体を震わせた。


《風蘭よ、おぬしもこのことを母君に言うのかの?しかし、そんなことをしている暇はないのではないか?これから急がしゅうなるだろうに。》


一気にまくし立てた朧に、ややあっけに取られていた風蘭は、益々眉間の皺を深めて聞いた。


《また何かされたので?》


《いいんや?何もしてはおらん。》


うっかり口を滑らしてしまったと顔に出ているのに、口調は全く変わりはない。


《その顔は…、前にされた火炎のエンと風神(鈴姫)の能力を交換したり、面白い半分で人間の人生を変えたりなどというものではありませぬな。はっ、まさか!》


ぶつぶつと独り言を呟いていた風蘭は、真っ青になって飛び起きた。


《今度は、ルビウスを玩具にしようと!?いけません、朧さま。いけませんぞ!》


こうしちゃおれないと、あたふたと走り出した風蘭を見送って、朧は一人小さくため息をついた。


《だから、何もしてはおらんと言うておるに。》


騒がしいのぉと笑って、瑠璃色の袖口に手を突っ込むと小さな虹のシャボン玉を一粒取り出した。

風蘭の身につける衣は上下が別れており動きやすいが、朧の着物と呼ばれる衣は上から下まで一つなぎのために身動きがしずらい。そのため随分と着崩しているものの、動くのが面倒くさい彼は、何でも袖口に溜め込んでいる。

先ほど風蘭が来る前にしまい込んだシャボン玉の中身は、ぐるぐると渦を巻いている。それをしばらく太陽の光にかざしてから、朧はその綺麗な人差し指と親指で、ひと思いに潰した。


パチンと弾けたシャボン玉。

その中からは、優しい青年の声が飛び出てきた。


その言葉に耳を澄ましていた朧は、やがて彼と同じような意味ありげな笑顔を浮かべた。


《漆黒の魔法師、ルビウス・カインドよ。言葉通り、おぬしがカインドの当主として名をあげた時には…。》


―――僕が、立派な公爵になった時にまた会おう、リリアンヌ。その時は…、ときの帝王・朧。力になってきれるかい?


彼が言ったその言葉に、うっすら笑みをたたえて微笑んだ。


《お前たちの人生に付き合ってやろうぞ?まぁ、銀の魔女にまた会えれば。の話しだがの。》


神様の視線の先には、院から顔を出す一人の小さなお嬢さんの姿があった―――。


一人の退屈な神様が仕掛けたほんの些細な悪戯は、後に仕掛けた本人も驚く程の運命を辿ることになる。

そんなことはつゆ知らない、小さなお嬢さんとまだまだ半人前の公爵様。どんな運命を辿るのか、それはまた別の物語で。



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