5:近づく別れの時
ルビウス視点です。
「魔法を使えるなら、雨も止められるでしょう?」
世間話をし始めてしばらく経った頃、少し弱まった雨を見上げていた少女は言った。
彼女には、自分が魔法師だとは言っていない。
少しばかり使えるだけ。
そう言って、ごまかした。
なぜ言わなかったのかは分からない。多分、漆黒の魔法師だと知って、彼女の態度が変わるのが嫌だったからだと思う。だから、今も覆いはとっていない。
「止められない事はないけど、雨は生きる物にとっては太陽と同じように大事だからね。自然に任せるのが一番なんだよ。」
本当の事だ。雨は、生きる者に恵みをもたらしてくれる。魔法によって少し天候を変えたとしても、後できちんと自然に戻さなければいけない。
雨を降らせれば、次の日には太陽の光を。雨雲を吹き飛ばしてしまえば、日遅れた雨を。
そうやって、自然の秩序を守らなければ、この世は壊れていってしまう。
今でも秩序を守らない輩が、世の中を崩しているらしいが。
だけど、本当は…。
もう少し、もう少しだけこのまま、彼女と一緒にいたいから。
「でも雨が降り続いて、洪水になったりしたら?」
そんなことを考えていたら、くるりと振り向いてこちらを向いた彼女は、首を傾げて尋ねた。
「その場合は、また違うよ。魔法師達が街や人を自然の脅威から守るから。もっと力のある者は、洪水なんかを弱めることをするけれど、めったに自然には手を出してはいけないんだ。本当はね。」
「ふーん。」
そんなもんなのか、魔法というのは。
そう零した少女は、しばし黙り込んで軒下から空を見上げて呟いた。
「…雨、もうすぐ上がりそうだね。」
「そうだね。」
目の前に佇んむ少女の隣に歩み寄って、そう答えた。
雨が上がれば、彼女ともサヨナラだ。
魔法を使ってしまったからには、祖父や弟、魔法省の者達がすぐにここの居場所を見つけ出すだろう。
はぁと自然と出そうになった溜め息を打ち消すように、隣にいる少女が明るい声で聞いてきた。
「…あ、そうだ。名前、聞いてなかった。」
「うん?誰の?」
「あんたの。」
「…僕の?なぜ、そんなことを聞くのさ。」
少し笑いながら問い返すと、彼女は不機嫌そうに顔を逸らした。
「仮を借りたままとか、嫌なの。…さっきは、お金を返さないでおこうと思った。だけど、それは違うかなって。あんた、偉い位の人でしょう?」
「まぁね。まだ、爵位は継いでないけど。」
「ほら。だったら、尚更返さないと。」
「いいよ、必要ないから。」
「あんたが良くても、私が気分が悪いのよ。」
頬を膨らませて睨む彼女を笑って、仕方がないと答えた。
「公爵の位だよ。無事に継いだらね。」
「え?」
「継ぎたくないんだ。実を言えばね。」
「どうして?…わかった、ぐれてるんでしょ。」
からかいを含んだ少女の声に、笑って言葉を続けた。
「本当は、父が継ぐはずだったから。だけど、死んだ。僕はただ、その身代わりなだけなんだ。」
家では、父の代わりとして。魔法省では、兄弟子だったセドウィグの代わりとして。どこに行ったって、自分自身を認めて求めてくれる人はいない。
公爵の爵位を継いで、自分によいことなどないから。けれど、使命だとは思っていた。時たま父の名と自分の名を間違えることも、父と良く似ていると言われることも、兄弟子と比べられることさえもずっと我慢してきた。
その人の代わりにはなれないのに、周りはそれ以上を求める。
自分という人はどこにいるのだろうか。いつの間にか、自分を見失って虚しくなった。
「だけど、あなたはあなたでしょう?公爵の家系か知らないけど、そこに生まれて爵位を継ぐ。それは逃げられないことだもの。けど、継いでからは違う。その人の人生、生き方がある。だから、あなたなりの生き方をしてみたら?お父さんとは違うんだって、周りに知らしめたらいのよ!それに、あなたが公爵を継ぐなら、きっと優しい素敵な公爵様になると思うわ。」
まるで、小さな薔薇のように笑うその笑顔に、泣きそうになった。
「…ありがとう。」
小さくそう言った言葉は、少女には聞こえなかったようだった。
「だから、名前。」
「……ルシウス。ルシウス・ロウだよ。」
日が上り初めて、明るくなった空を見ながらそう言った。
この世に生を受けたとき、両親がつけてくれた、今では呼ぶ者さえいないその名を。