4:親切と迷惑
三人称で書いたつもりが…。勉強不足で、さらには不完全な三人称で申し訳ないです。
「…大丈夫?どこか、怪我をしてるんじゃないか?」
しばしの沈黙の後、先に口を開いたのはルビウスの方だった。起き上がった少女に、そっと手を仮そうとするが、あっさり拒否された。しかし、さして気にした様子も無く、少女の近くに寄って行く。
「………。」
顔を背けて口を開かない少女を見つめて、少し何やら考えていたルビウスは、また激しく降り出した雨に呆れ、空を見上げると何かを決めたように少女に手を伸ばした。
「ちょっと失礼。」
「えっ?ちょっ、ちょっと。何するのよ!離してっ。」
一言断りを入れてから、身軽な少女の膝裏に腕を滑り込ませ、背を支えて持ち上げた。戸惑う少女は、暴れて拒否しようとする。
「暴れると落ちてしまうから、じっとしておいで。雨がまた激しくなってきたから、少し移動するだけだから。」
穏やかに言うルビウスに負け、しばらくして少女は仕方なさそうに大人しく身を預けた。
「よいしょ。ここなら少しはマシかな。」
雨降る中、辿り着いたのは寂れた酒屋の前で、空の樽の上に少女をそっと座らせた。
「…医者とか、警察は呼ばなくて良いから。」
雨が本降りとなった外を伺いながら、眉を寄せて考えるルビウスをちらりと見やって、少女は素っ気なく言った。
「本当に、たいした怪我はしてないんだね?…それならいいのだけれど。あぁ、なんて呼べばいいかな。」
「お好きにどうぞ。」
どうやら医者を呼ぼうかと考えていたようで、険しい顔を幾分穏やかにさせてから、そう訪ねた。少女はこれまた素っ気なく言うと、先程から手元に握りしめていた巾着に目を落とした。
「名前を言う気はないか…。えーっと、君は」
「…きみ?」
「じゃあ、お嬢さん?」
「…お嬢さん?はっ、たいした身分だとことで。」
「………。」
「………。」
気まずい沈黙の後に、ルビウスは溜め息を小さく零して、そっと少女の顔に手を伸ばした。
「口、切れてるね。…これを当てておいて。」
びくりと怯えた少女の口元から、赤い血が滲んでいて懐から布を手渡した。首を振って拒否する少女に半ば無理やり押し付けて手渡すと、しっかりと握られた巾着を指差して口を開いた。
「…貸してごらん。」
手を差し出すルビウスを睨むと、渡さないとばかりに体に引き寄せる。
「とったりなんかしないよ。」
そんな少女に苦笑して、優しく巾着を取り上げた。小汚い巾着は、随分と使い込まれているようで、布地は擦り切れ穴を繕って硬貨が放り込んである。
「…貧相な中身だな。こんな金額で殴るなんて。」
巾着の中を覗いたルビウスは、その少ない金額に呆れて言った。それもそのはず。銅貨が六枚、銀貨が一枚、破れた貨幣が一枚あるだけなのだ。硬貨はどれも錆びれており南国の通貨だ。破れた貨幣は使い物にならないほどである。
「…盗むなら、もっとマシな人の財布にするんだよ。」
「少なくても、無いよりマシだもの。みんなのパンが買えればそれでいいから。」
「みんな?」
顔を上げた少女は、赤い瞳でルビウスを見てから、まだ降り続く外を見ながら言った。
「こんな姿だから、すぐにわかるでしょう?わたしがいる孤児院は、貧乏なの。温かいスープが出れば、まだ良い方だから。」
王政が取り締まる王都から遠く離れた町では、仕事が無く義務教育を受けられず、さらには日頃の食べ物さえも危うく、こうした子供達が盗みを働くのはごく日常的だ。ここの灰色町でも、そんなことが毎日のように繰り替えさせられる。
言葉を切った少女を静かに見つめていたルビウスは、巾着の中身に再び視線を戻した。
あるのは、僅かに小さなパンが二個でも買えれば良いぐらいの金額。
それを睨みつけてから、膝をつくと少女の口元にそっと触れた。
「いっ。なに、」
「怪我を治すから、しばらくじっとしていて。」
腫れて熱を持った口元は、やはり触られれば痛みを伴うようで、顔をしかめて逃げようとする少女を反対の手で押し止めた。
短い呪文を口にすると、触れている指先から温かい金色の光が漏れ、痣や擦り傷、怪我という怪我に触れて治した。そうして治し終わったルビウスは、満足気に微笑んだ。
「これでよし。」
「…あんた、魔法使い?」
「まぁ、そんなところ。」
立ち上がったルビウスを唖然と見上げる少女に片目を瞑ってみると、巾着を振って見せた。
「今度はこっち。」
ルビウスが振る度に、硬貨が擦れる音が段々と大きくなり、やがて巾着は膨らんで膨張した。
「はい。」
すっかり重くなった巾着を両手で受け取った少女は、恐る恐る中身を伺って先程とは比べほどにならない金額の硬貨に目を見開いて、驚いた声を上げた。
「えっ!なんで?」
「僕のお金を移動させただけだよ。元々あったのは綺麗にしたけどね。」
貴金属や通貨の増量・密造は、魔法条約という記述の第二項に記されおり、どんな理由であってもしてはならない、とある。
死者を蘇らせる(死生術)、時空渡りなどと並ぶ魔法師の禁忌の一つだ。
魔法で新しく金を作り出すのは、世の中の経済の仕組みが歪んでしまうためだ。そのため、手元にある通貨を移動させることに留めたのだろう。
「でも、さっき男達に渡してたじゃない。」
「うん?さっきの財布の中身は本当は空だよ。魔法をちょっとだけ足したけど。だけど、あの財布はジョルジオに貰ったんだよね、帰ったら怒られそうだ。」
あぁーあ、と少女の隣に移動してそう言うと、若い魔法師は灰色の煉瓦造りの壁に凭れて、両手をポケットに突っ込んで佇んだ。
「…変なの。このお金くれるっていんでしょ?だけど、返しやしないわよ。」
「構わないさ。そんなもの僕には必要ないから。だけど、君には必要だろう?」
僅かに瞳を揺るがした深紅の瞳に微笑んで、彼らはまだ降り続く雨を二人で眺めた。
「雨が止んだら、君を院まで送ろう。」
しばし規則正しい雨音に耳を澄ましていたルビウスは、少女にそう切り出した。
「いい。一人で帰れるから。」
けれど、先程手渡した布地を押し返されて言われた言葉に、思わず首を傾げて聞いた。
「なぜ?」
「自分の脚で歩いて帰るから。だから、いい。」
真っ直ぐ、前だけを見つめて言う彼女は、その小さな身体から到底想像も出来ないほど大人びて見えて。
「…そう、わかった。」
そんな少女に、ルビウスは言葉少なげにそう言うだけに留めた。
「ひっくしゅん!」
「あぁ、このままじゃ風邪をしまうね。」
ルビウスが少女の横顔にしばし見とれていた時、不意に彼女がくしゃみをして我に返った。
今の今まで、お互いがずぶ濡れだった事に気がついたのだ。
そのことに小さく苦笑を漏らしながら、口から穏やかな息を吐いた。それは、季節はずれの温かい風になって二人に纏わりつき、衣服と外套を巻き上げた。
穏やかな風が去ると同時に、乾いた銀色の髪がふわりと肩に落ち、黒い外套も静かに重力に従った。
「寒くはない?あぁ、お腹すいただろう、これをお食べ。」
瞬時に乾いたことに呆然している少女を覗き込んで、先程風が舞っている間に取り出したサンドイッチを手渡す。
「なんで?」
「うん?」
突如言われた問いかけに、柔らかな笑みを称えたままのルビウスはもう一度聞き返した。
「なんで、魔法まで使ってそんなに親切にしてくれるの?」
少し怒ったような顔を向けられ、受け取らないサンドイッチを少女の脇に置いてから、ルビウスは思案するように腕を組んで答えた。
「なんでだろうね?僕にもわからない。けれど、同情なんかではないことは確かだね。まぁ、親切心からだとでも思ったらいいよ。」
気にした様子もないルビウスは、先を促すように隣に座る少女を見つめた。
「あんたは親切心から。かもしれないけど、人によっちゃ捉え方は違う思う。」
「うん、まぁそうだね。それじゃあ、君にとっては僕のしていることは迷惑?」
「…まぁ。助けたのは迷惑だったわ。」
「はっきり言うね。」
ははっと笑うルビウスに、「性格なんだから、仕方ないでしょう。」と少女は恨みがましく見やった。
「これからは相手に迷惑がられないよう、気をつけるよ。」
「そうした方がいいと思うわ。ほんと、いい迷惑だから。」
そんなやり取りをしながら、二人は束の間のお喋りを楽しんだのだった―。