表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

「パンツ(総レース)を返してください」と土下座した深窓の令嬢は、ドS王太子に条件を出される

作者: 木風
掲載日:2026/01/31

「どうか!パンツを返してください!!」


何を言っているんだと思われるだろう。

私だって自分の人生でこんなパワーワードを吐くことがあるなんて思わなかった。


しかも、王太子であるチャールズ殿下の前で土下座しながら。


しかも、ノーパンで。


時は遡ること三時間前。


学園の温室。

昼食を取った後の、日課にしている花たちへの水やり当番。

ホースを踏んでいるのを気が付かず、うっかり下半身びしょ濡れ。

幸いにも次はお昼休み。

このまま温室でスカートと下着を乾かせば午後の授業には間に合うはず。


間に合うはずだったのに、ランチで満たされたお腹に温室の暖かい空気。

下半身を隠すようにかけたブランケットの手触り。

睡魔を我慢するなという方が無理に決まっている。


予冷の鐘で慌てて起きた。ここまではまだ良かった。

下着を身に着ける時間がなく、ポケットに入れたまま教室に向かう途中の角で、王太子とぶつかってしまったのだ。


食パンを食べてるわけでもないのに、ポケットからするりと落ちる私のパンツ(総レース)。

慌てて立ち上がり、落ちたパンツを拾い上げ、足早に立ち去る。


ここまで来たら、もう予想はつくだろう。


いざ、女子トイレで履こうとポケットから出てきたのは、純白のパンツではなくハンカチ。


「まさか、『深窓の微笑令嬢』と言われる、アンジェラ公爵令嬢がこのようなものを身に着けてるとは。目を疑ったよ」


うるさい。そのあだ名も口にするな。

ムーンな本を読んでいて、ニヤけるのを我慢していたら、いつの間にかついていただけだ。

下着に関しては、えっ……ちな下着の方が可愛くて、私の好みだっただけ。

まさかこんな展開になるなんて、誰が予想できるというのか。


「……どうしても返していただけないですか?」

「そうだなぁ」


眉目秀麗で品行方正と噂される王太子なら、あっさりと返してくれると思っていたのに。

さすがの私も、心許ない下半身にモジモジしてしまう。


「週末の僕とデートしてもらおうかな」

「え?返してくれないんですか?」

「今日は返さないよ」


いや、返せよ。

良からぬことに使われたらたまったもんじゃない。

けれど、私のパンツ(総レース)は彼の手の内。


「デート……します……」




「殿下。今日は返していただけるんですよね」


私の視線は、彼の手にある小箱一点に釘付けだ。

あの、私の——いや、私の尊厳(総レース)が入っているはずの小箱。


「もちろん。今日こそ返す」

「今日こそって言いました?」


チャールズ殿下は、爽やかな笑顔で頷いた。

この顔が信用できないことを、私はすでに学んでいる。


「代わりに、頼みがある」

「嫌です」

「まだ言ってない」

「言わなくても嫌な予感しかしません」


庭園のベンチ。薔薇の香り。晴れた空。

背景だけは完璧なのに、私の心臓だけがやたら落ち着かない。

殿下がベンチの背にもたれて、指先で私の膝を軽く叩く。


「膝、貸して」

「……はい?」

「五分だけ。膝枕」


——膝枕。

それは、ムーンでよく見るやつだ。しかも『男が強引に』の定番だ。


「殿下、そういうのは……」

「君は嫌?」

「嫌というか、意味がわからないというか」

「意味はある。君が困る顔が見たい」


最低だ。

でも、その最低が、品行方正の仮面を外すときの目だけは、妙に真剣でずるい。


「……五分だけですよ」

「よし」


私はぎこちなく膝を差し出すと、殿下が躊躇なく頭を乗せた。


「……重いです」

「失礼だな。軽い方だ」

「軽いなら、なおさら下ろしてください」

「だめ」

「中身の話ですか?」

「辛辣だな」


だめ、って何。

言葉が短いほど、脳がバグる。

殿下は目を閉じたまま、気まぐれに言う。


「君の膝、あったかい」

「それ、感想なんですか」

「事実」


私の膝の上で、王太子があまりに無防備で。

腹立つはずなのに、心臓が落ち着かない。


「……殿下」

「うん」

「返して」

「今じゃない」

「今じゃない!?」


殿下は片目だけ開けて、笑った。


「五分が終わったら」

「今、何分ですか」

「一分」


長い。

世界一長い五分が始まってしまった。


——五分後。


殿下が起き上がり、小箱を手に取る。


「ほら」

「……やっと」


私は両手を伸ばした。

その瞬間、殿下は小箱を私の手の届かない位置にすっと引く。


「次は、耳元で名前を呼んで」

「は?」

「『殿下』じゃなくて。僕の名前」


ずるい。

返すと言いながら、次の条件が増えている。


「……チャールズ」

「もう一回」

「何で」

「可愛かったから」


くっ……!


「……チャールズ」

「よし」


やっと小箱が返ってくる——と思ったのに。


「返却は、次のデートで」

「返してないじゃないですか!!」

「約束は守ってる。返す『つもり』だ」


殿下は涼しい顔で言った。

最悪。

でも、腹が立つのに、頬が熱いのはもっと最悪だった。




「今日は返す。今度こそ」

「前回も『今度こそ』でした」

「学習が早いね」


また小箱。

また爽やかな笑顔。

また信用できない。

殿下は屋敷の応接間で、私の向かいに座ると、一本の菓子を差し出した。


「ポッキーゲーム」

「……何の話ですか」

「一本ずつ咥えて、先に噛んだ方が負け」


用意周到すぎる。いつから計画してたんだ。

そして、誰がこんな遊びを考えたんだ。

いや知ってる。ムーンだ。何度も読んだ。


「殿下、体面というものが」

「ここには僕と君しかいない」

「だから危険なんです」


殿下は当然のように、片側を口にくわえた。

真面目な顔で。王太子の顔で。

この人は何をしても様になるのが余計に腹立つ。


「深窓の微笑令嬢アンジェラ」

「……その名で呼ばないでください」

「条件は簡単だ。負けた方が、次のデートを断れない」

「勝ったら?」

「小箱を君に渡す」


勝てばいい。勝てば。

私は深呼吸して、反対側を咥えた。


——近い。

呼吸がぶつかる距離は、ムーンでしか見たことないのに、現実だと破壊力が違う。

殿下がじり、と前に詰める。

私は耐える。耐える。耐える。


……パキッ。


噛んだのは——殿下の方だった。

私は思わず口を離してしまい、顔を上げる。


「殿下!?」

「負けた」


堂々と言うな。


「じゃあ、私が勝ちですね。返して」

「いや。僕が負けたから、僕が『断れない』」


は?

殿下は笑って、私の耳元へ顔を寄せる。


「次のデート、僕は断れないからね。必ず来て」

「それ、ルールのねじ曲げです」

「王太子の特権」


ずるい。

しかし、ずるいと言い返すより先に、私は別のことに気づいてしまった。

——殿下、耳が赤い。


「……殿下、わざと負けました?」

「さあ」

「顔が勝利者の顔じゃないです」

「君が近いと、負けてしまうだけだよ」


その言い方が、反則だ。


「……返して」

「今日は渡す」


やっと、小箱が私の手に——


「だけだ」

「ほら来た」

「返すのは、次のデートの後」


私はその場で崩れ落ちそうになった。


「どうしてですか!」

「次の約束がないと、君が逃げるだろう?」


逃げる。

その言葉に、私は一瞬だけ詰まった。

……逃げたい。

でも、逃げきれない気もしている。




約束の当日。

殿下からの使者が来た。


『殿下、体調不良につき本日は中止』


私は手紙を読み、思わず息を止めた。

腹が立つ相手なのに、心配が先に来るのが悔しい。

——そして私は、気づけば王太子の私室の前にいた。


「……アンジェラ?」

「中止なら中止で、ちゃんと生きてるか確認くらいします」

「優しいね」


弱々しい声。

頬は少し赤い。

いつもの余裕がない。


……可哀想。いや、可哀想と思った私が負けだ。


「お医者様は?」

「来た。薬も飲んだ。あとは退屈で死ぬだけ」

「死なないでください」


私がベッド脇の椅子に腰掛けると、殿下がぼそっと言った。


「……あー」

「何ですか」

「ナースのアンジェラに看病してもらえたらなー」


その瞬間、私の中の『優しい心』が、音を立てて引っ込みかけた。


「病人が何言ってるんですか」

「熱で幻聴が聞こえる」

「あなたが喋ってます」

「熱で判断力がない」

「判断力がないのに要求だけ鮮明なの、すごいですね」


殿下は布団から手を出し、私の袖をつまむ。


「……お願い」

「その言い方、ずるい」

「知ってる」


この人、弱っててもドSなのか。

いや、弱ってるからこそ、甘え方が雑なのか。


「ナースは無理です。そんなもの持ってません」

「あるよ」

「……はい?」


殿下が枕元を指差す。

そこに置かれた小さな紙袋。


「用意しておいた」

「用意しておいた!?」


計画性のある病人、怖い。

私は紙袋を睨み、殿下を睨み、また紙袋を睨んだ。


「……殿下」

「うん」

「あなた、元気じゃないですか」

「元気じゃない。だからこそ必要なんだ」

「何が必要なんですか」

「ナース」


なんだ、ナースは世界を救うとでもいうのか?

私は深く、深く息を吸った。


「深窓の微笑令嬢アンジェラ……」

「……五分だけです。そして、その名で呼ばないでください」

「やった」


やった、じゃない。


——数分後。


私は紙袋から出てきたそれを見て、言葉を失った。

水色のワンピース。白いエプロン。帽子。リボン。

良かった。こっちのデザインか。白い方じゃなかった。

それなのに、なぜこんなに妙に『それっぽい』のか。


「……何に使う予定だったんですか」

「君が来る予定に使う」

「最低」

「最高の褒め言葉」


私は渋々、エプロンだけをつけた。

帽子は拒否した。そこは譲れない。

殿下が、ふっと目を細める。


「可愛い」

「今言うと、腹が立つのに効くのでやめてください」

「効くんだ」

「殿下……!」


殿下は咳き込み、少し苦しそうに眉を寄せた。

私は反射で背中をさする。

すると殿下が、私の手首をそっと掴んだ。


「あのさ」

「……何ですか」

「今日は、返すつもりだった」


え。

その声が、いつもより静かで、嘘っぽくなくて。


「……つもり、はいいです」

「でも、君が来たから」

「……来たから?」

「返したくなくなった」


私の胸が、嫌な音を立てる。

嫌じゃない音だ。もっと嫌だ。


「……殿下」

「うん」

「その言い方、ムーンっぽいです」

「君が好きなやつ?」

「そういう意味ではなくて」


殿下は少し笑って、目を閉じる。


「君、次は逃げる?」

「……わかりません」

「僕は、逃がしたくない」


病人が言う台詞じゃない。

きっと熱のせいに違いない。

なのに、私は言い返せない。

そのとき、殿下が箱を枕元から取り出した。


「……ほら」

「……本当に?」

「今日は、渡す」


私は手を伸ばす。

殿下は一瞬だけ、躊躇って——それでも小箱を私の手のひらに置いた。


「……返してくれるんですね」

「うん」


熱のせいか、殿下の声が少しだけ震えて聞こえた。


「でも、鍵は渡せない」

「鍵!?」


箱を確認すると、金色の錠前がキラリと輝く。

私は小箱をぎゅっと握りしめたまま、言った。


「じゃあ……私はもう、こんなふしだらな関係は終わりにします」

「……え?」

「あなた、私をからかってるだけでしょう」

「からかってない」

「脅してるだけです」


殿下の顔から血の気が引く。

あの余裕が、初めて崩れた。


「アンジェラ、待って」




温室は、昼休みの陽だまりを抱えていた。

ガラス越しの光と、湿った土の匂い。

私はホースの蛇口を締め、いつも通りに当番を終えようとして——背後の気配に、肩が跳ねた。


「深窓の微笑令嬢アンジェラ」


聞き慣れた声。

聞き慣れた、腹立たしいほど落ち着いた呼び方。


振り返ると、チャールズ殿下が立っていた。

制服姿の王太子は、病室で見た弱々しさの痕跡を、上手に消している。


……消している、はずなのに。


目だけが、焦っている。


「体調は、もう大丈夫なんですか」

「君が『あれ』を持って帰ってから、死ぬほど元気になった」


言い方。

私は表情を変えずに、じょうろを棚へ戻した。


「用件は何ですか」

「——返して」


鍵はちゃっかり持っておいて、何を言っているのか。

私が返してほしいのは、鍵だけじゃない。もっと別のものだ。

けれど、殿下が言う『返して』は、たぶん私が持っている小箱の話。


「返してほしいのは、私の方です」

「もう返しただろう」

「鍵は返してもらっていません。そして、『関係』も返してもらっていません」


殿下の眉がわずかに動く。


「昨日、言った。終わりにするって」

「言いました」

「本気?」

「本気です」


私は自分でも驚くほど、淡々としていた。

病室では胸がうるさかったのに、今は静かだ。冷たいくらいに。


「……ふしだら、なんて言葉、君の口から聞きたくない」

「では、私の口に言わせないでください」


殿下が一歩詰める。

温室の狭さが、距離を誤魔化してくれない。


「僕は、噂にする気はない」

「噂にしないなら、返してください。全部。私の時間も、私の平穏も」

「……君の『可愛い下着』も?」


そこで、私の中の最後の糸が、ぷつんと切れた。

私は笑ってしまう。

温室の明るさが、皮肉みたいに綺麗だった。


「殿下」

「なに」

「それ、脅しのつもりですか」


殿下が、言葉に詰まる。


「脅しじゃない。……ただ」

「ただ、何ですか」

「君が離れるのが嫌だった」


その本音が、昨日よりずっと生々しくて。

だからこそ、私は首を振った。


「それは、私の望む形じゃないです」

「望む形って?」

「ちゃんと、誘ってください。ちゃんと断らせてください。——そういう『普通』が、私には必要です」


殿下の唇が開く。閉じる。

一度、飲み込む。


「……普通に誘ったら、来てくれるのか」

「いいえ」


即答できた自分に、少しだけ救われる。

私はまだ、流されきっていない。

殿下の目が揺れる。


「アンジェラ。君、本当に終わりにするの?」

「はい」


二人の間に、沈黙が流れる。


「……じゃあ」


殿下は、少しだけ声を低くした。


「いいの? あの下着のこと、バラしても」


——来た。最後の手札。

私は息を吸って、吐き、そして笑ったまま、言う。


「どうぞお好きに」


殿下の顔が、凍る。


「……え?」

「私、ずっと考えてました。噂になったら確かに恥ずかしい。……でも、死にはしません」

「死には……」

「むしろ、困るのは殿下の方ですよね」


殿下の喉が動く。


「品行方正とされる王太子が、公爵令嬢の下着を保管して、条件をつけて——って。事実の方が、スキャンダルです」

「……っ」


殿下の手が、何かを掴もうとして空を切る。

余裕の仮面が、ついに剥がれ落ちる。


「待って。待って、アンジェラ」

「何をですか」

「……僕、そんなつもりじゃ」

「そんなつもりじゃないなら、最初から返してください」


冷たい言葉のはずなのに、私は不思議と泣きそうにならなかった。

泣くのは、もう少し後でいい。

殿下が、苦しそうに眉を寄せる。


「……返したら、君が消えると思った」

「消えません。学園にいます」

「そうじゃない」


殿下は一歩、下がった。

下がることでしか、息ができないみたいに。


「僕の前から、君が『僕にだけ向ける顔』をやめると思った」


——告白だ。

でも、まだ足りない。

私は小箱を取り出し、軽く持ち上げた。


「殿下」

「……」

「告白を受けるのは、パンツ(総レース)を返してもらってからです」


殿下が、目を見開く。

その次に、信じられないものを見る顔をして——最後に、笑った。


「……君、ほんとに」

「ほんとに、何ですか」

「強いね」

「強いんじゃなくて。普通を守りたいだけです」


私は小箱を胸に抱えたまま、踵を返す。

背中に、殿下の声が追いすがった。


「アンジェラ! 僕は——」


振り返らない。

振り返ったら、終わらせられなくなる気がしたから。


「続きは」


私は一度だけ立ち止まって、言う。


「ちゃんと返してから、聞きます」




翌日。


朝のホームルームが終わる直前、教室の扉が二回ノックされた。

入ってきたのは、王太子付きの侍従——昨日の『使者』だ。


「アンジェラ・ド・ヴァルモン公爵令嬢。殿下より」


机の上に、封蝋のされた小さな封筒が置かれた。

王家の紋章。見慣れないはずなのに、視界の中心を奪う圧だけは見慣れている。


開けるべきじゃない。

開けたら、また流される。

……と思いながら、私は指で封を割った。


『本日放課後、温室へ。

君に返すものがある。

——チャールズ』


たったそれだけ。

脅しも、条件も、甘ったるい言い訳もない。

……普通だ。

昨日、私が欲しいと言ったやつだ。


「……」


私は便箋を折り直し、胸ポケットにしまった。

放課後の温室。


昨日と同じ匂い。

昨日と同じ光。

違うのは、私の心臓の速度だけだ。


ガラス戸を押すと、奥のベンチの前にチャールズ殿下が立っていた。

制服姿。手袋なし。

そして——金色の鍵を持っている。


逃げない。逃がさない。

昨日みたいな追いかけっこはしない。

そういう顔を、殿下はしていた。


「来てくれて、ありがとう」


最初の言葉が、いつもと違う。

からかうための声じゃない。


「……用件は」

「返す」


殿下は鍵を、すっと差し出した。

昨日までみたいに引っ込めたりしない。

本当に、渡してきた。

私は受け取らないまま、言った。


「確認していいですか」

「もちろん」

「途中で『次のデートで』とか言いませんか」

「言わない」


言い切った。

妙に真面目に。

私はようやく鍵を受け取って、手に持つ箱を開けた。


——純白の総レース。


見慣れた私の尊厳(総レース)が、そこにあった。

息が抜ける。

同時に、肩の力も抜けてしまう。


「……よかった」

「よかった?」


殿下が、少しだけ困ったように眉を寄せる。


「僕、そこまで信用なかった?」

「はい」

「……だよね」


反省してる声色が、逆に新鮮で腹が立つ。

私は蓋を閉めて、小箱を胸に抱えた。


「これで、終わりです」

「うん」


……あれ?


「……あっさりですね」

「君が望む『普通』は、まず君の選択を尊重することだろう?」

「……昨日、ちゃんと反省したんですか」

「昨日の君が怖かった」


怖かった、って。

私、王太子を怖がらせるようなこと言ったっけ。

至極まっとうなことしか言っていなかったと思うけど。

殿下は一拍置いて、息を吸った。


「もう一通、渡したいものがある」


殿下が懐から、もう一つ封筒を出した。

今度は、紋章なし。普通の紙。普通の封。


「これは『王太子』じゃなくて、『チャールズ』から」


私は、受け取った。

昨日言った通り、『普通に誘う』なら、受け取るって決めていたから。


封を切る。


『アンジェラ。

君をからかっていたわけじゃない。

最初は、君の困る顔が見たかった。

でも途中から、君が笑うのも怒るのも、僕に向ける全部が欲しくなった。

——君と、正式に付き合いたい。

放課後、温室の外。

嫌なら、来なくていい』


読み終えた瞬間、私は紙を握りつぶしそうになった。

卑怯だ。ちゃんと『断れる』形にしてくるのが、卑怯。


顔を上げると、殿下が私を見ていた。

昨日の余裕の笑みじゃない。

逃げ道を作ったのに、逃げてほしくない顔。


「……君が昨日言ったこと、全部正しい」


殿下は言った。


「僕は、君の普通を踏み越えた」


私は小箱を抱え直して、ひとつだけ確認する。


「脅しは、もうしませんか」

「しない」

「ムーンの真似事も?」

「君が許した時だけ」


するんかい。

でも……ちゃんと言えるじゃないか。

最初からそうしろ。


「じゃあ」


私は便箋を折り畳んで、殿下に返した。

返事の代わりに。


「告白を受けるのは、パンツ(総レース)を返してもらってからです」


殿下が、目を見開く。

一拍遅れて、口元が崩れる。


「……返したよ」

「はい。返してもらいました」

「じゃあ」

「じゃあ——」


私は熱くなる頬を誤魔化すために、わざと真面目な声を作った。


「だから、もう一度、ちゃんと誘ってください」

「今誘ってる」

「デートの内容も、ちゃんと事前に言ってください」

「それは……努力する」

「条件をつけないでください」

「……努力する」


努力。努力って何。

王太子が努力するって言うの、面白い。

私は小さく息を吐いて、最後の条件を付け足した。


「あと」

「うん」

「『深窓の微笑令嬢』って呼んだら、今度こそ終わりです」

「それは痛い」

「じゃあやめてください」


殿下は、少しだけ首を傾けた。


「じゃあ、なんて呼べばいい?」

「……アンジェラで」

「うん。アンジェラ」


名前を呼ばれた瞬間、胸の奥がふっと軽くなる。

ああ、これが『普通』なのかもしれない。


「アンジェラ。僕と——」


殿下が言いかけたところで、私は小箱を持ち上げて遮った。


「先に言っておきますけど」

「なに」

「今後、パンツ(総レース)は二度と渡しません」


殿下は一秒固まり、次の瞬間、笑い声を噛み殺すように肩を震わせた。


「……了解」

「了解、じゃないです」

「じゃあ、代わりに」


殿下は一歩だけ近づいて、手を差し出す。


「手袋越しに手をつなぐ、から始めよう」


私は、その手を見た。

昨日までみたいに、逃げられない形の手じゃない。

断れる手。

だから、私は『自分で』選んで、その手を取る。


「……それなら」

「うん」

「許可します」


殿下の指先が、少しだけ震えた。

その震えが、何より本音に見えて——私は、もう笑うしかなかった。

パンツ(総レース)は返ったが、私の平穏は返ってこなかった。


こうして、アホな短編がまた一つ、どこかで生まれた音がした。

ブックマーク、☆☆☆☆☆、リアクション

よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ