第9話 赤の狼団殲滅戦 始末
カイルに敵の正確な位置を確認させる。森の奥に佇む廃城。その周囲50メートルの範囲に、敵兵がおよそ10人、身を潜めていることが分かった。
さらに500メートルほど進んだところで、エリオスは馬を止め、液体の入った袋をリアナに手渡した。
「これは……?」
首を傾げるリアナに、エリオスは淡々と答える。
「油だ。円を描くように馬を進めながら、これをまけ。俺は逆回りで回る」
「火攻め……ですか?」
「そのうち分かる」
馬を走らせ、油を撒きながら進むリアナ。エリオスも逆回りに馬を進め、木々に油の黒い染みができる。互いに一周して元の場所に戻ると、すでにエリオスは馬を降り、冷静な表情で立っていた。
「馬を連れて、少し離れてろ」
指示通りに距離をとるカイルとリアナ。森に静寂が戻る。エリオスはゆっくりと手を広げ、低く、しかし力強く詠唱を始めた。
「火の神イグニスよ――我にその裁きを授けよ!」
エリオスの手のひらから、漆黒に浮かぶ魔法陣が現れた。
「うそ……」
リアナの目が見開かれる。声に出すこともできない驚愕。今、目の前で唱えられているのは、伝説として語り継がれる魔法に違いない。
「フェニクス・イグニス」
魔法陣の中心から火の鳥が姿を現す。朱色の翼を広げ、木々をかすめながら、廃城に向かって一直線に飛ぶその姿。尾からは炎の尾が舞い上がり、触れた枝や葉を次々に燃やしていく。
森に撒かれた油もたちまち火を帯び、赤橙の炎が一気に広がった。風に煽られ、炎はまるで生き物のようにうねり、枝葉を食いつくす。
「すごい……です」
カイルは口をぽかんと開け、リアナも馬上で思わず息を呑む。炎の魔法の圧倒的な力と、エリオスの冷徹さが、森と廃城を一気に呑み込もうとしていた。
◇◇
一方、森の奥に潜む廃城の広間。重苦しい空気の中、赤の狼団の団長ボルガンと副団長ルチアが向かい合っていた。
「やっぱりグラッドはここにはいないみたい」
椅子に腰かけたまま、ルチアが退屈そうに言った。
ボルガンはぶ厚い顎髭をさすり、舌打ちする。
「ちっ……仕方ねえ。だがまあ、あいつの子分がやられたんだ。仇討ちの機会を与えんと納得しねえだろうからな」
「となると、あとはグラッドがうまくやるのを待つしかないってことね」
「そうだ。ちゃんと“坊ちゃん”を生きたまま確保してくれば、それをエサにしてリオンハート子爵から大金をゆすれる」
ルチアは薄笑いを浮かべ、脚を組み替えた。
「仮に逃したとしても……ここまでたどり着いたときには、手も足も出せずに捕まるのがオチね」
ボルガンは満足げに鼻を鳴らす。
「ああ。まさか俺たちが待ち構えているなんて、夢にも思わねえだろうからな」
「残念なお坊ちゃん。戦争は情報が命ってことを、莫大な身代金で知ることになるのね」
ルチアが艶やかに笑うと、ボルガンも豪快に高笑いした。
だがその直後――。
――ドォンッ!!
腹の底を震わせるような爆音が廃城全体を揺らした。
「……ッ!?」
二人は同時に顔色を変える。
ボルガンは慌てて立ち上がり、ルチアを従えて外へ飛び出した。
そこに広がっていたのは――炎の地獄。
廃城の内部はすでに火の手に呑まれ、黒煙が天井を覆っている。狼団の団員たちは火に追われ、我先にと走り回り、互いにぶつかり、叫び、混乱の極みにあった。
「道を空けろッ!」
ボルガンが咆哮し、団員たちを力ずくで押しのけて門へ向かう。
外へ出ると……森全体が紅蓮の炎に包まれていた。燃えさかる炎は天を舐めるように広がり、唯一残されたのは森の外へ続く一本の道のみ。団員たちはそこを目指して殺到していた。
「待ってよ、ボルガン! 私を置いてくつもり!?」
後方からルチアの金切り声が聞こえたが、ボルガンは振り返らない。構っている余裕などない。
とにかく、ここから生きて出る。それだけだ。
焦燥に駆られた団員たちを力で押しのけ、前に進むボルガン。押しのけられた者たちは炎に呑まれ、皮膚が焼け焦げる臭いが鼻を突いた。
「ぐわあああっ!」
耳をつんざく悲鳴が背後で木霊する。
ようやく火の外へ転がり出たその瞬間――。
ヒュッ――ブスッ!
鋭い音を立てて飛来した矢が、命からがら抜け出した団員たちの額を次々に貫いた。
「ぎゃっ!」「うああっ!」
団員たちが次々と血を吹いて倒れる。弓の名手リアナが待ち構えていたのだ。
「くそっ!」
ボルガンは咄嗟に団員の身体を盾にして、前へ、さらに前へ。仲間を犠牲にしながらも、必死に死地を逃れる。
そして、どうにか矢の雨を抜け、荒い息を吐いたボルガンの口元に、安堵の笑みが浮かんだ。
「なんとか生き延びたな……まさか、お坊ちゃんがここまでやるとは……ガレスの野郎が入れ知恵をしたのか?」
そう呟きながら、彼は心に決める。
何かあれば集まる酒場「狼の牙」へ、汗とすすまみれの体で向かう。
「こうなったらリオンハート家もろともぶっ潰してやる。俺を怒らせたことを後悔させなきゃ気がすまねえ!」
赤の狼団の残党をまとめ直すために。
◇◇
命からがら森を抜け、ボルガンは「狼の牙」に辿り着いた。
酒場の扉を乱暴に押し開け、よろめくように中に入る。そこにいたのは、すでに集まっていた団員たち――だがその数は十にも満たず、そして片腕のルチアの姿もなかった。
「……嘘だろ……」
ボルガンは膝から崩れ落ちるように椅子に腰を下ろした。額を汗が流れ、全身から力が抜けていく。
残された部下たちも言葉を失い、ただ重苦しい沈黙が場を覆う。
そのとき、ギィ……と、酒場の扉が軋んで開いた。
暗がりから現れたのは、漆黒のフードを深々とかぶった一人の男。無言のまま、重い足音を響かせながらボルガンの正面まで歩み寄る。
「……なんだ、てめぇ」
ボルガンは精一杯に威勢を張った。だがその声には、立ち上がる気力すら残っていなかった。
フードの男は冷たく問う。
「貴様が……頭か?」
「だったら……なんだ?」
虚勢を張るように聞き返すボルガン。
その瞬間、男は肩から下げていた大きな袋を乱暴にテーブルへと投げ出した。
中身がぶちまけられる。
――どさっ、どさっ。
それは、血に塗れた“手足”。
見覚えのある太い腕、無残に切断された脚。
「……グラッド……!」
ボルガンの目が見開かれる。
顔を引きつらせ、立ち上がろうとした刹那――。
シュッ。
黒フードの剣閃が走った。
鋭い一太刀が彼の首筋を裂き、噴水のように赤い血が吹き出す。
「ぐはっ……!」
ボルガンの巨体が後ろへ崩れ落ちる。
「団長ォ!」
叫び声とともに残った団員たちが殺到する。だが、次の瞬間。
ガンッ、ザシュッ、ギャアッ!
黒フードの男は稲妻のように身を翻し、剣が閃くたびに団員たちが肉塊と化していった。数呼吸もせぬうちに、酒場の床は鮮血で染まり、呻き声さえ絶えた。
床に転がり、懸命に呼吸を繋ぐボルガンが、かすれた声を絞り出す。
「……な……何者だ……」
黒フードの男は、その問いに応えるように、ゆっくりと手を上げ、フードを取り払った。
現れたのは、精悍に整った顔立ちの青年。だがその眼差しには一切の慈悲も熱もなく、ただ冷ややかな光だけが宿っている。
「リオンハート子爵家――長男」
低く、だがはっきりと告げられる名。
「エリオス・リオンハートだ」
その声音は、氷の刃のように鋭く静かだった。
そして死にゆく男に、淡々と告げる。
「冥途の土産に、その名を持っていけ」
ボルガンの瞳が大きく見開かれたまま、力なく光を失っていった。
エリオスの視線は、ゆっくりと血に濡れた床を這うように動く。やがて、バーカウンターの影で微かに震える気配に止まった。
彼は剣先をそちらへ向ける。
「……出ろ」
静かな一言。
バーカウンターの陰から、怯えたように二つの影が姿を現した。
店主ガルドと、若いバーテンダーのリリィである。二人とも脂汗を流し、震える手を必死に押さえていた。
エリオスの鋭い視線が突き刺さる。
「……誰だ。俺の動向を売ったのは」
ガルドは、顔をひきつらせながら両手を振った。
「い、いや、旦那……! わ、わしらはただの酒場の人間でさぁ! そんな、大それた真似……!」
その瞬間、エリオスの剣閃が走った。
何が起きたか理解するより早く、ガルドは胸から血を噴き出し、声もなく床に崩れ落ちる。
「ひ、ひぃ!」
残されたリリィは、恐怖のあまり足がすくみ、小さな悲鳴を漏らした。
エリオスは音もなく歩み寄ると、彼女の顎を掴み、自分の顔をぐっと近づける。
冷たい瞳が真正面から突き刺さる。
「……もう一度聞く。誰だ」
リリィの唇が震え、涙と嗚咽で言葉が途切れながらも、どうにか吐き出した。
「……く、クラウス……政務官の、クラウス様……です……!」
エリオスの瞳が細められた。
それ以上、彼女を責めることなく手を放すと、背を向けて歩き出す。
翌晩。
騎士団副団長リアナとカイルを伴い、エリオスは政務官クラウスの屋敷へと押し入った。
夜の静寂を破り、泣き叫ぶ家族の声が屋敷に響く。しかしエリオスの足取りは一切揺るがない。
彼の視線はただ一人、クラウスだけに注がれていた。
「クラウスよ、これが貴様が払う代償だ」
捕らえられたクラウスは縛められ、青ざめた顔で引きずり出される。
そして翌朝。
領主ギルバードが立ち会う中、赤の狼団と裏でつながり、領地の秩序を危機に晒した罪を告げられたクラウスは、自らその事実を認めた。
処刑こそ免れたものの、領内からの追放と、全財産の没収を言い渡される。
泣き崩れる妻や子らの声が響いても、エリオスは一度も振り返ることはなかった。
その頃。
赤の狼団で唯一生き残った副団長、ルチア。
炎に焼かれ、剣に倒れた仲間の最期を背にして、彼女はひとり、境界を越えて逃げ延びていた。
辿り着いたのは隣領――クロース男爵家の地。
賑やかなな街なかにあって、ひときわ豪勢な屋敷の門を、彼女は必死にたたいた。
「え、マルコ様! どうか、お助けを!」
支援者であり、赤の狼団の裏の後ろ盾でもあった、マルコ・クロースの名を口にして……。




