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第8話 エリオスVSグラッド

◇◇


 かつてアルベルトだった頃。

 絶対王として数々の勇猛な戦士を部下に持ちながら、己の肉体を極限まで鍛え上げることをやめなかった。


 剣、槍、斧、弓。あらゆる武器を修めた彼にとって、素手の戦いは最後にして最大の課題であった。

 彼は特に、極東の島国より伝わった秘伝に深く傾倒した。

 その奥義は――「柔よく剛を制す」。

 力ではなく理で、剛腕を打ち砕く術。

 大地に根を張る竹が、暴風を受け流すがごとく。

 その思想を肉体へと刻み込むため、彼は幾千の稽古を積んだのだった。


 そして今——。


 森の中、湿った土を踏み鳴らしながら、グラッドが刃付きの拳を振り下ろす。

 大木をもへし折るほどの怪力が、轟音となって空気を震わせた。


「うおおおおお!!」


 だが、エリオスは一歩も退かない。

 身体をわずかに捻り、紙一重でその巨拳をいなす。

 そして間髪入れず、掌底や突きがグラッドの急所を狙って走る。


 ――コツン。

 ――カンッ。


 骨に響く乾いた音。

 しかし――。


「なんだぁ? そのへなちょこなパンチはよ」


 鼻で笑い、余裕の表情を浮かべるグラッド。


「蚊に刺された方がまだマシだぜ」


 挑発混じりの声と共に、再び大木を薙ぎ倒すような拳が振るわれる。

 エリオスはそれすらも滑るような足運びでかわし、わずかな反撃を刻み込んでいく。


 そのやり取りが何度も続くにつれ――最初は余裕綽々だったグラッドの顔に、次第に翳りが差していった。

 打撃の重さは確かに軽い。だが、突き刺さる箇所は常に急所。

 肋骨、腎、顎の付け根、膝裏。

 小さな衝撃が積み重なり、巨体の奥に鈍い痛みを広げていく。


 既に二人の猛者を屠り、背後で見守るリアナは思わず声を洩らした。


「……信じられない」


 ただの子爵家の放蕩息子――そう思っていたはずなのに。

 目の前にいるのは、確実に巨漢を追い詰める技を持つ戦士だった。


「す、すごいです……」


 カイルは拳を握りしめ、固唾を呑む。

 十全に武器を振るえば一撃で勝敗が決するはずの戦い。

 だが主はあえて素手で立ち向かい、なお圧倒している。


 やがて10分近い攻防ののち――。

 エリオスは涼しい顔で立ち、息すら乱さない。

 対してグラッドは全身汗にまみれ、肩で息をし、顔を苦痛に歪めていた。


「く、くそ……はぁはぁ」


 己が嘲った「へなちょこな一撃」が、確実に命を削っていることを悟ったからだ。


◇◇


 グラッド・ホーグ。

 その名は、辺境の闇社会で知らぬ者のない猛者だった。


 幼き頃より喧嘩に明け暮れ、気づけば誰一人として彼を止められる者はいなくなった。

 流れ着いたのは地下闘技場。

 金のために拳を振るい、血に濡れた土を幾度も転がした。

 最初こそファイトマネーは雀の涙ほど。だが――勝ち続けることで地位を得、ついにはチャンピオンの座にまで上り詰める。


 そこから先は退屈だった。

 自分に挑む強者はおらず、観客を楽しませるため、プロモーターの要請でわざと苦戦を装うことさえあった。

 そんな日常のなか、ある日ふと――。

 拳を叩き込んだ対戦相手が、そのままピクリとも動かなくなった。


 ……事故、だった。

 だがグラッドの胸に湧いたのは、罪悪感ではない。

 背筋を震わせる快感だった。


 ――命を奪う。

 それは、自分の拳が最強である証そのものだった。


 その日を境に、彼は変わった。

 闘技場での戦いは演技にすぎない。真の闘いは、命を賭けた殲滅にある。

 やがて「危険すぎる」と烙印を押され、追放された。

 居場所を失った彼を拾ったのが、赤の狼団の団長――ボルガン・レッドクロウだった。


 そこでは“合法的”に、人を殺せる。

 己の拳を試せる。

 すべてが思い通りに進む場所――そう信じていた。


 だが、今。


「なぜだ……?」


 自分を慕う子分が、たかが放蕩息子の剣で斬られたと聞いた時、全身を貫いたのは殺しへの渇望だった。

 決闘を受けた瞬間、その欲望は満たされるはずだった。


 なのに。


「なぜ俺が追い詰められている……!?」


 怒りと困惑を必死に振り払うように、グラッドは得意の組み技へ移ろうとした。

 巨体を沈み込ませ、地を蹴ってエリオスの両足めがけてタックル。


 だが――。


 「遅い」


 低くつぶやいたエリオスの膝が、正確に顎を打ち抜いた。

 衝撃で視界が揺らぎ、そのまま地面に叩きつけられる。


「ぐふっ」


 仰向けに倒れたグラッド。

 その胸の上に馬乗りになり、見下ろすエリオスの顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。


「……でかい図体の割には、たいしたことないな」


 吐き捨てるように残念そうな声。


「ぬ、ぬぐあああああッ!」


 逆上したグラッドが巨体を震わせ暴れ狂う。だが、エリオスはその動きをひらりひらりとかわし、翻弄する。


 何がなんでも勝たねばならぬ。

 ここで負ければ、自分のすべてが崩れる。

 それを本能で悟ったグラッドは、理性を捨てて突進を開始した。


 ――向かったその先には。


 カイルの姿があった。

 エリオスの表情が、ふいに変わった。

 それまでの余裕や嘲笑をかなぐり捨て、不快なものを睨み据えるような冷たい眼差しへと。


「……つまらぬ」


 ぼそりと漏らした声は、氷のように冷たかった。

 次の瞬間、カイルへと突進するグラッドの行く手を遮るように、エリオスは音もなく飛び出した。


「へっ、かかったな!」


 ニヤリと笑みを浮かべ、巨腕でエリオスの腕をがっちりと捕らえるグラッド。

 「とらえたッ!」と歓喜の雄叫びをあげた、その瞬間。


「――“天地崩し”」


 低く名を告げるや否や、エリオスの身体がしなやかに旋回する。

 視界が天地ごとぐるりと反転し、巨体のグラッドが宙を舞った。


 ――ドシンッ!


 大地を揺らす轟音。背骨に走る激痛。

 呻く間もなく、エリオスは素早く足元に回り込み、足首を極めた。


「ぐあああああッ!!!」


 悲鳴が森に木霊する。

 関節が締め上げられ、悲鳴を上げた瞬間――。


 ぼきり、と。


 鈍い破砕音が響き、片足が完全に壊された。

 続けざまに、残った足首も同じように捕らえられ、絶叫が再び森を震わせる。


「やめろッ! やめてくれ、お願いだからあああッ!!!」


 必死の懇願。だが容赦はなかった。

 ぼきっ、と骨が砕け、グラッドの両脚は動かぬものとなる。


 エリオスは分厚い胸板を踏みつけ、冷ややかに見下ろした。


「もう終わりか?」


 顔を恐怖に歪め、涙を流しながらグラッドは縋りつくように叫ぶ。


「ま、負けだ……俺の負けだ! だから……勘弁してくれ!」


「そうか……ならば俺の勝ちだな」


 一瞬だけ柔らかな声音。安堵がグラッドの顔に広がった、その刹那。


「……では、代償を払ってもらおうか」


 にたりと口元に浮かぶ冷酷な笑み。

 血の気が引いた瞳が恐怖に見開かれる。


 エリオスは腰の剣を抜いた。

 一閃。さらに一閃。


「ぎゃあああああああッ!!!」


 両手首、両足首が容赦なく斬り飛ばされ、血が地面に飛び散る。

 肉と骨が断たれる生々しい音が森の静寂を破った。


「獣に生きたまま食われろ……ゴミクズにぴったりの最期じゃないか」


 冷たく言い放つと、斬り落とした手足を無造作に拾い上げ、呆然と立ち尽くすカイルの腕へ押しつけた。


「持っていけ」


 言い捨てると、エリオスは自らの白馬に悠然とまたがり、廃城へ向けて進み出した。

 血の臭いを振り切るように、森の奥へと。


 カイルとリアナは、震える足を叱咤するようにして、その背に続いた。

 森の木々がざわめく。迫り来る決戦の予兆を告げるように。


 森の木々を抜ける涼風が、血の臭いをほんのわずかに薄めていた。

 白馬にまたがり廃城へ向かうエリオス。その横に、リアナが馬を並べる。


「……なぜ、グラッドはエリオス様が今日ここを通ると知っていたんでしょうね?」


 小首をかしげるように問いかけるリアナ。

 だがエリオスは彼女に一瞥すらくれず、前だけを見据えたまま冷淡に答える。


「俺が今日、赤の狼団の拠点を襲うのを知っているのは……屋敷にいる人間だけだ」


 その言葉に、リアナの眉がぴくりと動いた。


「つまり……屋敷の中に、赤の狼団へ密告した人間がいる、ということ……?」


「さあな」


 エリオスは短く吐き捨てるだけで、深くは追及しない。その態度にリアナは不満げに口をつぐんだ。


 そのとき、後方を走るカイルが口を開いた。


「……前方一キロ先に、廃城が見えます」


「えっ? 距離まで分かるの?」


 驚きに目を丸くするリアナ。しかしエリオスは彼女の感嘆を無視し、淡々と問いを投げる。


「人は見えるか?」


「はい。門の周りに二名。さらに……周囲の森に何人か隠れているようです」


 カイルの報告に、リアナの表情が一気に曇った。


「ただでさえ城を落とすのは難しいのに……ここまで警戒されているとなると……」


 彼女は馬上でため息をつき、やがて提案するように口を開いた。


「一度屋敷に戻って戦力を整えましょう。グラッドがエリオス様に襲いかかったという名分があれば騎士団も動かせます」


 しかしエリオスは、静かに首を横に振った。


「……」


 その沈黙に耐えきれず、リアナが眉を寄せる。だが彼はすぐに口を開いた。


「攻城戦以外の、城の落とし方を知っているか?」


 凍るような声に、二人は思わず息を呑んだ。

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