第6話 赤の狼団殲滅戦 出陣
◇◇
アルベルト――かつての自分は、絶対君主であった。
国の礎を築き、幾多の戦を勝ち抜き、群雄割拠の世を力で統一した。
そのとき彼が信じていたものは、たったひとつ。
家臣団の構成とは、人体と同じであるという思想だった。
心臓は言うまでもなく、君主たる自分自身。
強靱でなければならない。どの部位よりも力強く、絶えず動き続けねばならぬ。
だが、心臓だけでは人は生きていけない。
軍師や執政は「頭脳」。
スパイは「耳」。
外交官は「口」。
近衛や将軍は「右腕」「左腕」。
騎兵や歩兵の大隊長は「右足」「左足」。
それぞれが己の特色を存分に発揮し、ひとつの肉体のように連動することで、初めて国は強く、豊かに育っていく。
アルベルトはそう信じ、そう実践してきた。
だから彼の築いた帝国は、周辺諸国にとって脅威となり、やがて「不敗」とまで呼ばれるようになったのだ。
エリオスとして生まれ変わった今も、その信念は変わらない。
いくら自分が強くあろうと、心臓ひとつでは限界がある。
のし上がり、生き残るためには、己を支える家臣を集めねばならない。
優れた個性を持ち、己にしかない武器を振るえる者たちを。
エリオスの視線は、目の前の少年に向けられた。
痩せ細り、貧相な体。戦場どころか、満足に食事すら与えられてこなかったであろう。
今はただの雛にすぎない。
しかし――その「目」だけは違った。
ザハードの圧倒的な剣速。常人ならば反応すらできぬ猛攻を、数合とはいえ、確かに見切り、避けたのだ。
兵士見習いの小僧が、である。
普通ではありえない。
だが、確かにそこに可能性があった。
エリオスは心中で笑みを浮かべた。
(なるほど。こいつは「目」になれる)
己が心臓となるならば、周囲を見渡し、死地をも見極める「目」が要る。
今はまだ、なにもできぬ。
だがだからこそ、実戦で鍛え上げねばならない。頭ではなく、身体で学ばせ、己の才能を引きずり出すのだ。
赤の狼団殲滅――。
それはカイルにとって、自分という存在を知り、成長する絶好の機会。
同時に、エリオスにとっても、未来の家臣を「目」として磨き上げる第一歩となる。
心臓は、すでに動き出している。
◇◇
突然の申し出に、カイルは言葉を失った。
赤の狼団を討つ――その言葉の重みは理解している。だが、それ以上に、自分のような弱く、貧しい出の少年に「供をせよ」と言われたことが信じられなかった。
「……で、ですが……ぼ、僕なんかがお供しても……ただの足手まといになるだけです」
必死に声を絞り出し、遠回しに断ろうとする。
けれど、エリオスは一歩も引かず、その双眸をまっすぐに彼へと向けた。
「何もしなくていい」
「……え?」
「おまえに求めるのは、ただひとつ。目に映ったものを、ありのまま俺に伝えること。それだけだ」
カイルは混乱した。目に映ったものを伝える――そんなことに何の意味があるのか。
「エリオス様と同じ景色を見るだけで……いったい何の役に立つというのですか……?」
エリオスはふっと口元に笑みを浮かべた。
「ならば実際にやってみれば分かる」
そう言って、カイルを窓際に立たせた。隣にはマリアを呼び寄せる。
窓の外には、中庭と、その先に広がる麦畑。陽光がやわらかく降り注ぐ、どこにでもある田舎の風景だった。
「さて。おまえたちの目には、何が映る?」
問いかけに、マリアは肩をすくめ、唇を尖らせながら言った。
「……何がって言われても、庭と……あとは麦畑くらいしか……」
あっけらかんとした返答。だが、その隣でカイルは口を開いた。
「……庭先のあずまやの脇に、おじいさんと犬がいます。おじいさんは腰をさすりながら休んでいて……犬は欠伸をして、前足を伸ばしています」
マリアがぱちりと瞬きをする。エリオスは手にしていた望遠鏡を彼女に手渡した。
それを覗き込んだ彼女の口から「全部当たってる……」と驚愕の声が漏れる。
「そこに……あっ、おばあさんが来ました。……手には、湯気の立ったお茶と、焼きたてのクッキーが載った皿を持って……。あの犬、すごく嬉しそうに尻尾を振っています……」
さらに、カイルは畑の奥に広がる小道の足跡や、垣根に結わえられた赤い布、鳥の巣から顔をのぞかせる雛鳥にまで言及していく。
細やかで、鮮やかで、まるで一枚の絵を言葉で描き出すようなその描写に、マリアは呆然と口を開けたまま言葉を失っていた。
エリオスは、鼻を鳴らした。
「……想像通りだ」
そして、声を強める。
「その“目”を、俺のために使え。さすれば、おまえに――今まで見たこともない景色を、存分に見せてやろう」
カイルは、思わず問うていた。
「それは……どんな景色、なのですか……?」
エリオスはゆるやかに首を振り、瞳の奥に烈々とした光を宿して言った。
「今はまだ分からん。だがひとつだけ確かなことがある。この辺境の、リオンハート子爵領の景色で終わらせるつもりはない」
その声は、雷鳴のごとく胸に響いた。
「国中の……いや、世界中の景色をだ」
カイルの胸の奥で、何かが弾ける音がした。
自分のような無価値な存在に、誰も告げたことのない言葉。
それは恐怖を超え、憧憬を超え、魂を震わせた。
気づけば――膝を折っていた。
それは無意識。誰に命じられるでもなく。
ただ自然に、そうせずにはいられなかった。
「エリオス様……どうぞ……よろしくお願いいたします。この身、この命、貴殿に捧げます!」
その声は震えていたが、確かに力を帯びていた。
エリオスは満足げに笑みを浮かべ、まるで王が家臣を迎えるかのように、その姿を見下ろした。
心臓と“目”が、ひとつの身体として動き始めた瞬間だった。
◇◇
赤の狼団の根城である酒場――「狼の牙」。
昼間から酒臭さと煙草の煙が充満し、薄暗い店内には荒くれ者たちの笑い声と、割れたジョッキの破片が散らばっていた。だが今宵は、いつもの喧騒の奥に、不穏な緊張が漂っていた。
「二日後にリオンハートの坊やがあんたたちの根城を襲うらしいわ」
酒場の一番奥、幹部が陣取るテーブルで、リリィが静かに告げた。
鮮やかな赤髪をかき上げ、薄い唇でワイングラスを傾けながら、その声音は氷のように冷ややかだった。
「情報筋は確かよ」
その場の空気が一瞬張りつめる。
豪快に背もたれを鳴らしながら笑ったのは、団長のボルガンだった。
髭面に戦斧を背負い、その存在感だけで周囲を圧する巨漢。
「ガハハッ! なるほど、面白ぇ! ならば望み通りに城で迎えてやろうじゃねぇか! 坊っちゃんには、狼の恐ろしさを骨の髄まで叩き込んでやらにゃな!」
高笑いに続いて、副団長のルチアが唇を艶やかに歪める。
切れ長の瞳、蛇のようにしなやかな肢体。彼女は盃を弄びながら、冷笑を浮かべた。
「貴族のお坊ちゃんはね……火遊びの相手を間違えたとき、どうなるかを知らないの。かわいそうに……身をもって学ぶことになるのよ」
嘲るような声に、幹部連中の間からはどっと笑いが広がった。だが、その輪の中でただひとり、笑わない男がいた。
グラッド。
巨躯を揺らし、歯を噛みしめるように拳を握り締めている。
その血走った眼の奥には、憎悪の焔が燃えていた。
(俺の部下を……あのガキが……!)
煮えたぎるような怒りが、胸を突き破らんばかりに渦巻いていた。
仲間の命を奪われた屈辱。団長の命令や作戦など関係ない。
彼の直情は、ただ一つの結論に収束する。
(……待ちきれん。俺が奴を屠ってやる!)
グラッドは杯を叩きつけ、誰にも悟られぬように立ち上がった。
団長や副団長に従うつもりはなかった。廃城で待つ必要もない。
自らの怒りを晴らすために――エリオスの屋敷と廃城の道中、その血路に立ちはだかることを、心の底で決意したのだった。
そして二日後。
朝霧がまだ辺境を覆う刻。
エリオス・リオンハートは、白金の甲冑を纏い、陽光を反射して輝く栗毛の軍馬に跨って屋敷の門を出た。
背後には、鋼の鎧を鳴らすカイル。
その眼差しは緊張と畏怖を帯びながらも、主君に続く決意に燃えている。
「決して無理だけはしないでくださいね。もしエリオス様に何かあったら私……じゃなくて、ギルバート様が悲しみますから!」
マリアの声に微笑みで返したエリオスは馬を進める。まるで付近を散策へいくような余裕すら感じられる。
「エリオス様、本当にどうしちゃったのですか……」
マリアのつぶやく声はエリオスに届くことはなかった。




