第54話 分かたれた王冠
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神聖歴三〇二年十二月。
王都ヴァルディア、王宮北棟、大評議室。
陽光の差さぬ分厚いカーテンの奥、長卓を挟んで対峙する二人の王子の姿があった。
壁には亡きアルフォンス三世の肖像画が掛けられ、まるで今なおこの国を見下ろしているかのようだった。
第一王子レオポルド。
その瞳には常に烈火が宿っている。
激情と信念の人。将校や兵からの人望は厚く、戦場では常に先頭に立つ王子だ。
第二王子ユリウス。
その瞳は、太陽と氷の共存。
常に穏やか、かつ温厚。
しかし言葉は感情を抑え、理をもって人を支配する男。
二人の対話は、はじめから平行線をたどっていた。
「国王は強くなければならぬ」
レオポルドの言葉は、雷鳴のように響く。
「この国を外敵から護り、民を導くのは力だ。剣こそが、王の証である!」
対して、ユリウスは眉ひとつ動かさずに答えた。
「力は暴風と同じです、兄上。吹けば民は怯え、去れば荒野が残る。
国を治めるのは、剣ではなく知恵。
王たる者、恐れられるよりも、敬われねばなりません」
その声音は静かでありながら、確かな毒を含んでいた。
レオポルドは口を開きかけ、言葉を詰まらせる。
熱と理、激情と冷静。二人の対話はまるで火と氷の戦いだった。
「貴様……!」
ついにレオポルドの拳が卓を叩いた。
重厚な木の板が震え、部屋の空気が張りつめる。
腰の剣に手がかかりかけたその瞬間。
「殿下!」
低い声が場を制した。
レオポルドの後ろに控えていた老貴族、ルクレール侯爵である。
白髪をきっちりと撫でつけ、理路整然とした佇まい。
長年にわたり王国の財政と外交を担ってきた重鎮だ。
侯爵は立ち上がり、静かに一礼してから口を開いた。
「恐れながら申し上げます。
グランヴェル王国の王位継承は、正統なる血統と慣例に基づくもの。
第一王子殿下、レオポルド様こそ、亡き陛下の御意を最も継ぐに相応しき方であらせられます」
その声には重みがあり、誰もが息をのんだ。
王国の法典と歴史に裏打ちされた理屈の前に、ユリウス陣営の廷臣たちも言葉を失う。
一瞬、空気がレオポルド側に傾いた。
だが、その静寂を破ったのは、別の重々しい声だった。
「……だが、正統なる血統、と言うならば、ユリウス殿下ほど相応しい御方はおるまい。殿下の母君は王家の血筋を引いておられるのだから」
会場の空気が一変する。
声の主は、ヘルマン公爵。
アルフォンス三世の実弟にして、古くからの重鎮である。
その存在感は、王家においても特別だった。
「陛下の御代、外敵を寄せ付けぬほどに国を豊かにしたのは、誰の知略であったか。
私は見た。ユリウス殿下がどれほど賢く政を学び、いかに父上を支えたかを。
知恵こそ、王の第一の資質であり、その点、ユリウス殿下に分があると見るがいかに」
重く低い声が、評議室の隅々にまで響く。
そして、先ほどまでレオポルドに傾いていた空気が、今度はユリウス側へと傾いた。まるで天秤の針が、どちらへも定まらぬまま揺れ続けているようだった。
こうして協議は一日、また一日と延びていった。
交わされる言葉は数千にも及び、議題は尽きることがなかった。
誰もが疲弊しながらも、決して譲らなかった。
三日三晩、燭台の炎が燃え尽きるたびに取り替えられ、夜が明けても議論は終わらなかった。
そして、ある日の朝。
「申し上げます!!」
扉を乱暴に叩く音が評議室に響いた。
伝令の兵が、息を切らして駆け込む。
「南方国境に、エストリア帝国軍の旗が見えたとの報告です!」
その瞬間、レオポルドの瞳が閃いた。
「エストリアだと!?」
彼の脳裏に、電光のように一つの考えが浮かんだ。
(いまこそ好機! 王の資格を示す時だ。)
ユリウスに比べ、彼には圧倒的な兵力がある。
戦に勝てば、その名声は瞬く間に国中に広がる。
「この身で帝国を退けてみせよう!」
すぐさまルクレール侯爵が止めに入る。
「殿下、ここはひとまず皆の意見を聞くべきかと!」
「うるさい! 今は火急のとき。もたもたしているうちに国境を侵されれば、それこそ西部の二の舞になるぞ!」
ルクレール侯爵を振り払い、レオポルドは兵を集め、王都を発った。
それがすべて、ユリウスの策であるとも知らずに。
(やはり兄上は引っかかった!)
帝国軍の接近報告は、ユリウスが密かに仕組んだ偽報だった。
レオポルドを王都から遠ざけ、その留守の間に政を掌握するための巧妙な罠。
「皆の者、今こそ一致団結のとき! 兄上の留守を守るのは我らぞ!」
レオポルドが出陣した直後、ユリウスは動いた。
ルクレール侯爵を彼の屋敷で軟禁状態にし、要職を自らの側近で固め、教会から司教を呼び寄せた。
そして、電光石火の早さで、王の戴冠式の支度が始まる。
「今は”仮”でよい。国を率いるリーダーの存在こそ、領民の安心を生む。ついては、私が玉座に就き、皆を導こう!」
だが、運命は彼の思惑すら嘲笑う。
通信機を通じて、レオポルドの高揚した声が評議室に届いた。
「エストリアの軍、国境からおよそ半マイルの距離まで接近。その数、およそ五百。もしこれ以上近づけば、弓隊による威嚇射撃をはじめる」
ユリウスは一瞬、顔を上げた。
偽りであったはずの帝国軍が、現実に国境近くまで接近してきているというではないか……。
(いったいどうして……?)
ユリウスの脳裏によぎったのは、ルクレール侯爵の冷たい微笑。
「まさか……!」
すぐさまルクレール侯爵の屋敷に兵を仕向け、彼を問いただそうとしたが、既に屋敷の中はもぬけの殻。どうやら深夜のうちに、警備の目を盗んで抜け出したらしい。自領に戻られては、さしもの第二王子とは言え、手が出せない。
「敵接近! これより威嚇射撃をはじめる! うてぇぇい!!」
通信機の声は、第一王子派の諸侯の手によって、王都のどこにいても聞こえるように、臨時放送として拡声器を通じて流された。
どうやらエストリア軍の方も、グランヴェル軍が国境をおかすのではないかと思い、緊急出撃したらしい。接近しても国境を越えてくる様子がなく、射撃も威嚇にすぎないと知って、すぐさま撤退した。
しかしそんな事情など、遠く離れた王都の領民たちは知る由もない。
「敵軍、撃退!! これより凱旋する!!」
わぁっ沸き立つ王都。さらにレオポルドが宿敵エストリア帝国の軍勢を撃退したという報は、瞬く間に王国全土に広がった。
「王なき国を守ったのは、レオポルド殿下だ!」
「真の王は、剣をもって国を護る者だ!」
民も兵も、中立を保っていた諸侯までもが一斉にその名を称えた。
一方、王都では、レオポルド不在のまま戴冠式を強行しようとしていたユリウスの評判が、地に落ちていた。
「レオポルド様が国のために身の危険をかえりみず戦っている最中に、ユリウス様は自分が王になることだけを考えて策を弄していたらしい」
「最低な御方だな」
身の危険を悟ったユリウスは、夜陰に紛れて王都を離れ、自領の北方へ戻る。
一方、レオポルドは王都に凱旋し、皮肉にもユリウスが用意を進めていた戴冠式で、正式に国王の座に就いた。
「レオポルド様、ばんざーーい!!」
人々は喜び、王国全土を巻き込んだ祭り騒ぎは十日以上も続いた。
だが、数週後……衝撃的な布告が発せられた。
「我ら北方の民は、グランヴェル王国より独立し、エレーナ王国として立つ」
エレーナとはユリウスの母の旧姓で、かつて王族に名を連ねた名家。ユリウスは、その姓を語ることで、自身こそがグランヴェル王国の正統な後継者であることを、あらためて主張し、立国した。
さらに、北のノルデン王国と同盟を結び、グランヴェルと“対等な外交”を求める声明を出したのだ。
先代国王の死からわずか三か月後の、神聖歴三〇二年四月のことである。
レオポルドの怒りは、烈火の如く燃え上がった。
「反逆だ! 弟はもはや王族ではない!」
国中に召集令が発せられ、グランヴェル連合軍の編成が始まる。
対して、エレーナ王国にも各地から支援が集まった。かつてユリウスを支持していた諸侯である。彼らは王国全土に領地をかまえていたが、エレーナ王国に属するため、挙兵し、北へと進軍した。
その進軍を止めようと、レオポルドを支持する諸侯たちの軍勢が進路をふさぐ。
衝突は国内あちこちで勃発し、中には多数の死傷者を出す戦闘にまで発展するところもあった。
こうして数日のうちに、エレーナ王国はグランヴェル王国の北側を中心に、おおよそ三分の一の領土をわが物にした。
レオポルドの支配は、王国の南部と西部の全域。
両者の戦力は拮抗し、このままでは避けようのない大戦に発展する。
領民は不安な日々を過ごし、経済状況は悪化の一途をたどる。
人々は口を揃えて言った。
「この混乱を鎮められるのは、彼女たちしかいない」
その名は、セレナ・ヴァレンシュタイン辺境伯。そして、彼女の後ろ盾でもある、英雄エリオス・リオンハート伯爵。
中立を貫き続けた彼らのもとに、両陣営からの密使が相次いだ。
もはや、選択の時は迫っていた――。




