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第46話 エルドナの戦い①

◇◇


 ラミレス公国。

 その名がグランヴェル王国の史書に初めて記されたのは、およそ三百年前のことだった。

 初代国王アーネスト・ラミレスは、もともとグランヴェル王国の名門公爵家の出身であった。だが、当時の王位継承をめぐる権力闘争に敗れ、家族と忠臣たちを連れて北の荒野へと逃れた。

 彼がその地で掲げた旗印こそが、ラミレス公国の始まりである。


 国の基盤は決して豊かではなかった。痩せた土地、厳しい冬、交通の便も悪い。

 しかしアーネストは「我らの手で真の自由と富を築く」と誓い、苦境を忍んで開拓を続けた。

 その精神は代々の王に受け継がれたが、同時に「グランヴェル王国への復讐」という怨念もまた、血の中に刻まれていった。


 そして時代は巡り、現在の国王、フェルディナンド三世が即位した。

 彼は若き頃から武勇と雄弁に優れた男であったが、激情家でもあり、何よりも「祖先の無念」を晴らすことを己の宿命と信じていた。


「我が血は屈辱の歴史を流してきた。だが我が代でそれを断ち切る!」


 即位の演説でそう高らかに宣言したフェルディナンドは、グランヴェル王国北部を牽制しながら、密かに兵の育成と武器の製造に力を注いだ。

 だが、現実は理想とはかけ離れていた。ラミレスの地は貧しい。穀物は取れず、家畜も少ない。輸出に値する産物といえば、北方の森で伐り出される樹木くらいのものだった。


 その頃、国境の向こう側、グランヴェル王国のクロース領主オズワルド・クロースが、木材を高値で買い取ると申し出た。さらに、王国で開発された最新の農耕具を「援助」として無償で提供。ラミレスの農民たちは歓喜し、王都の市場にはかつて見たことのない穀物や果実が並び始めた。


 国は次第に潤いを取り戻し、人々は笑顔を見せるようになった。

 だが、国王フェルディナンドはその笑顔を苦々しく見つめていた。


「……余の民が他国の施しで生きているとは、何という屈辱だ」


 侵攻の機運は、皮肉にも国が豊かになるほどに薄れていった。

 王は歯噛みしたが、無理に戦を起こせば逆に国が滅びかねない。そこで一時的に“富国強兵”を掲げ、兵器の改良と軍備の拡張に力を注ぐという名目で沈黙を保った。


 だが、その沈黙は長くは続かなかった。

 クロース領主オズワルドの失脚。それがすべての歯車を再び動かした。


 代わって領主となったのは、エリオス・リオンハート。彼はオズワルドのような「慈善家」ではなかった。


「援助ではなく、フェアな取引を所望する」


 木材の買値は“適正価格”に戻され、輸出入も市場原理に従うこととなった。

 それはつまり、ラミレス公国の民にとって再び貧困が訪れることを意味した。


 贅沢を知ってしまった民は、すぐに元の生活に耐えられなくなった。


「グランヴェルの奸計だ」

「クロースの新領主が我らを見捨てた」


 王都では、そのような噂が飛び交い、彼らの不満はもはや爆発寸前だった。


 国王フェルディナンドはその空気を逃さなかった。

 まるで火種を焚きつけるように、演説を繰り返した。


「我らの貧しさは、グランヴェルの横暴ゆえにある! リオンハートが我らの富を奪ったのだ!」


 群衆は怒号を上げた。王の側近たちはその様子に戦慄したが、フェルディナンドの瞳は炎のように燃えていた。


 そんな年末のある夜、国王のもとに一通の書簡が届いた。


 ――国境の警備に穴あり。エリオス・リオンハートは王都にて留守。


 匿名だったが、封蝋からしてグランヴェルのとある貴族からの情報であることは間違いない。となれば、確かな情報ということになる。

 フェルディナンドはにやりと笑った。


「神が余に味方したか」


 彼は即座に軍議を召集し、最も信頼する弟テオ・ラミレスを総大将に任命した。


「クロースとリオンハートを制圧しろ。それが我らの進撃の狼煙となる」


 テオは反対した。


「なりませぬ! そもそも民が困窮しているのは、これまで楽して甘い汁を吸ってきた代償にすぎません! ゆえに、これからが正念場ではありませんか!? 我が国がグランヴェルに頼らずとも、自立した経済と生活を得られるかどうかの!」


「うるさい!! 我が弟とはいえ、余の邪魔をするというのなら、容赦せぬぞ!!」


「くっ……」


 こうなれば誰が何を言おうと、頑として退かぬ兄であることは、よく知っていた。

 歯ぎしりするテオを見下ろしながら、フェルディナンドは告げた。


「子の悪事はすべて親の責任。ならば、エリオスの父を必ず仕留めろ。目付としてハビエルを副将として同伴させる。敵に情けでもかけてみろ。次はお前の番だ。テオ」


 こうして五千を超える兵が国境を越えた。

 だがその結末は、国王の想像を遥かに超える惨敗だった。


 テオはエリオス・リオンハートと一騎打ちを演じ、深手を負って撤退。

 副将ハビエルはその場で討ち死に。

 五千の兵のうち、生還した者は三千にも満たなかった。


 報告を受けたフェルディナンドは玉座で立ち上がり、拳を玉座の肘掛けに叩きつけた。


「くそっ! 役立たずめ!!」


 怒号が玉座の間に響き渡る。

 しかし、すぐさま進軍を命じようとする王を、重臣が必死に押しとどめた。


「陛下、今は兵を休ませる時でございます。再起の機を見極めねば、国は本当に滅びましょう」


 フェルディナンドは唇を噛みしめ、やがて重く頷いた。


「……よかろう。だが、忘れるな。あの小僧の首は、必ずこの手で刎ねる!」


 こうして公国は再び沈黙の時を迎えた。

 だがその沈黙は、嵐の前の静けさに過ぎなかった。


◇◇


 三〇二年三月十六日。


「エリオス・リオンハート、五千の兵を率いてラミレスに侵攻中。国境近くのグラディア砦を越えました」


 その報が届いた瞬間、フェルディナンドの眼が血走った。


「来やがったか! 次は確実に仕留めてくれる!!」


 彼はただちに全土徴兵令を発布した。

 王都ラミレスに集まった兵は、およそ五万。だが、そのほとんどは農民や商人、若い徒弟たちであり、まともな訓練すら受けていない。


 それでも王は笑った。


「はははは!! 数こそ力。奴の兵は五千に満たぬ。押し潰せぬはずがない!」


 その日の夜。テオの部屋に側近のルイスが、ひっそりとやってきた。

 テオは嘆くように言った。


「兄上は……自ら出陣されるおつもりか」


「止めても聞かないのは、テオ様がよくご存じでしょう」


「だが、未だ多くの兵は傷ついているではないか……」


 テオはまだ完全には癒えぬ肩を押さえながら、苦々しく言った。

 ルイスは、ぐっと声をひそめた。


「この戦……必ず負けます」


 テオは何も答えない。ただ険しい表情がすべてを物語っている。

 ルイスは続けた。


「テオ様。何があろうとも、あなた様だけは生き延びてください。そして、どうかこの国をお導きください」


 ルイスは、テオが生まれたときから、教育係として、剣や軍略の師として、そして今はかけがえのない側近として、彼に尽くしてきた。そんな男が、悲壮な覚悟を隠さずに、真っすぐな瞳で見つめている。

 問わずとも、その意図は伝わっている。

 それでもテオは、聞かざるを得なかった。

 自分を納得させるために……。


「……どうして俺に?」


「これ以上、私の口からは申し上げられません。どうかお察しくだされ」


「……はぁ……。おまえは昔からずるいな……」


 テオはどこか覚悟を決めたように、小さくうなずいた。

 ルイスは頭を深々と下げ、その場を後にした。


 こうして、ラミレス公国軍は王都を出発した。

 行軍の旗印のもと、整列する兵の波。その先頭に、黄金の鎧をまとったフェルディナンド三世が立つ。


 目的地は、国境に広がる丘陵地帯エルドナ。

 そこは、幾度もの戦いで血に染まってきた“境界の大地”である。


 春の冷たい風が、旗をはためかせる。

 フェルディナンドは天を仰ぎ、低く呟いた。


「今度こそ、祖先の悲願を果たす……我が剣で、リオンハートの名を地に伏せるのだ」


 その声は、まだ遠くにいる“黒の英雄”に届くかのように、風に乗って消えていった。


◇◇


 エルドナ丘陵帯。

 その名は古より数々の血戦の舞台として刻まれてきたが、その地形を正確に理解している者は多くなかった。


 遠くから見れば緩やかな草原の広がる丘陵地帯。だが、実際に足を踏み入れてみれば、そこは幾重にも起伏が折り重なる複雑な迷路だった。

 小高い丘があちこちに点在し、その合間には見通しの悪い窪地が広がる。丘と丘のあいだを縫うように細い道が蛇のようにうねり、どこが高所でどこが低地かすら瞬時には判別がつかない。


 その地を、ラミレス公国軍は見渡す限りの兵で埋め尽くしていた。

 総勢五万。そのほとんどを占めるのは槍と盾を携えた歩兵たちであり、その列はまるで灰色の波のように地平を覆っている。


 国王フェルディナンド三世は、黄金の甲冑に赤い外套を翻し、丘の中腹に設けられた本陣からその光景を眺めていた。

 彼の陣形は実に堂々たるものだった。


 横陣。


 中央に主力を置き、左右に広く兵を展開させるという、王道にして最も単純明快な布陣。


「敵との距離を詰め、そのまま包囲殲滅する! 狙うは完全なる勝利! 敵の殲滅こそが余の望む唯一の成果だ!!」


 王の考えは単純だった。数の力で圧倒し、敵を飲み込む。それこそがラミレスの誇りであり、王の威光であった。


 一方、対するエリオス軍はというと、丘の上に散開していた。

 総勢五千。彼らは数隊に分かれて、それぞれの丘の上で陣を敷いている。

 麓を大軍に囲まれれば逃げ場のないその布陣は、誰が見ても危ういように思えた。

 だが、それこそがエリオスの狙いであることを、敵味方含めても誰もがまだ知らなかった。


「兄上、中央の丘にエリオス・リオンハートの旗印を確認しました」


 偵察兵の報告を受けたテオは、すぐに馬首をめぐらせ、王のもとへ駆け寄った。


「兄上、あの丘を最優先で攻めるべきです。エリオスさえ討てば、敵は瓦解します」


 フェルディナンドは顎に手を当て、わずかに目を細めた。


「……ふむ。だが、奴のいる丘は敵陣の奥。そこへ兵を突っ込ませれば、多くが倒れるであろう」


「しかし!」


 テオは声を荒げた。


「逃げ場のない丘に陣取っている以上、エリオスは退けません。戦い続けるしかない。やがて疲弊し、隙を見せるはず。そこを突けば……」


「ならぬ!」


 フェルディナンドの声が鋭く響いた。

 その場にいた将たちが一斉に口をつぐむ。


「エリオスひとりのために兵を使い捨てにするなど、愚の骨頂だ。後世に『フェルディナンド三世はエリオスを恐れ、無謀な突撃で兵を失った臆病者』と語られては、我が名に泥を塗ることになる」


 出兵すること自体が無謀であり、愚策だった。にも関わらず、この期に及んで、今度は奇襲すら拒むとは……。


「……兄上……」


「ゆえに正攻法でゆく。前方の丘から各個撃破し、包囲網を縮める。愚直であろうと、勝利すればそれが正義だ」


 王の決断は絶対だった。

 テオは唇を噛み、静かに頭を垂れた。

 隣に立つルイスが、低く囁く。


「仕方ございません。……あの約束、忘れてはなりませんぞ」


 テオは小さくうなずいた。


「……ああ」


 彼らの視線の先、前方には二つの丘がある。

 いずれも中規模の部隊が陣を張り、堅牢な防御を固めている。

 エリオスの姿はない。だが、あの男のことだ。何も仕掛けていないはずがない。


 風が草原を渡る。

 やがて、フェルディナンドの甲高い声が響いた。


 「全軍、進め!!」


 その号令とともに、ラミレス公国軍の大軍が一斉に動いた。

 足音が大地を揺らし、槍の穂先が光を反射して波のようにきらめく。


 丘を目指して進軍する灰色の洪水。その数、その迫力、まさに圧巻。

 だが、丘の上のエリオス軍は……。


 動かない。


 彼らは一塊となって盾を構え、陣形を崩さず、まるで岩壁のように沈黙していた。


「なぜ動かぬ……?」


 フェルディナンドは眉をひそめた。


 そのときだった。


 遠く離れた丘の上から、澄んだ女の声が響いてきたのだ。


「放て!」


 声の主は、リオンハートの新騎士団長リアナ。自身は稀有な弓の使い手でありながら、弓兵を指揮する優秀な指揮官でもある。

 そんな彼女の声は、拡声器を通じずとも、四方に響いた。


 次の瞬間、空気が震えた。

 轟音。

 そして、空を裂いて飛来したのは、巨大な石塊。


「投石機か!」


 誰かが叫んだ。

 飛翔する軌跡を見た兵たちは即座に散開した。


「くくっ。ただの投石なら誰でも避けられるだろ」

「対人戦で使うような代物ではない。しょせん、相手は戦知らずのお坊ちゃんだな!」


 ラミレスの小隊長たちはせせら笑い、自軍の兵を迫ってくる石から遠ざける。

 フェルディナンドもまた高らかに笑った。


「ふははは! そんな旧式の兵器で我が軍を脅すつもりか!」


 その笑い声が響いた刹那――。


 空中で、巨大な石がまばゆい光を放った。


「……なっ!?」


 次の瞬間、凄まじい爆音とともに、石が炸裂した。

 爆風が地を薙ぎ、炎が兵たちを包み込む。

 近くにいた兵士の盾が吹き飛び、鎧ごと地面に叩きつけられる。

 悲鳴が上がった。血煙が舞う。


 誰もが何が起きたのか理解できなかった。


「石が……爆ぜた……?」

「魔晶石か……!?」


 混乱の声が広がる中、二発目の轟音が響いた。

 再び飛来した石塊が、空を裂き、今度は別の隊列の頭上で炸裂した。


 眩い閃光。地響き。肉が焼ける匂い。

 恐怖が、波のように広がっていく。


 フェルディナンドの表情が凍りついた。


「……馬鹿な……投石が、爆ぜるだと……!?」


 丘の上、リアナが風に髪をなびかせながら静かに指を振り下ろした。


「次弾、装填。標的は中央列。リオン卿より伝令あり。“敵を恐怖の奈落に突き落とせ”」


 その言葉を聞いた兵たちは、一斉に頷いた。

 エルドナに吹く風が、戦の火蓋が切られたことを告げていた。

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