第45話 弔い合戦のはじまり
◇◇
王都ヴァルディア。
石造りの壮麗な議事堂に、冬の終わりを告げる風が吹き抜けていた。
白大理石の壁に反響するのは、貴族たちのざわめきと、断罪の言葉を待つかのような緊張。王国の法と権威を司る査問委員会の場において、グリフォード伯爵の声だけがよく通っていた。
「エリオス・リオンハート男爵は、国王陛下の明命なきまま、味方軍に突撃し、貴族間戦闘の禁を破った! その罪、決して軽くはない!」
高らかに響く非難の声。まるで勝利を確信した狩人のように、グリフォードの唇にはわずかな笑みが浮かんでいる。
しかし、エリオスの姿はそこになかった。王都への出頭命令を、彼は冷静に拒否したのだ。
代わりに査問の場に立ったのは、青の軍装を身にまとった一人の女性――ルチア・ヴァイス。
かつて悪党の副団長だった彼女は、いまやエリオスの信頼厚い外交官であり、エリオスの『口』として代理を務めていた。
議場の中央に立ったルチアは、一歩も引かぬ鋭い眼差しで、伯爵の言葉を受け止めた。
「……なるほど。伯爵のお言葉、よくわかりました」
彼女の声は柔らかい。しかし、その柔らかさの裏には、刃物のような切れ味があった。
「けれど、ひとつ伺いたいのです。
ヴァレンシュタイン辺境伯の領内に、伯爵は事前連絡なしに兵を展開されたとか。
これは王国法第七章、領軍統制規約における“越権行為”に該当いたします。
つまり、陛下からの特命をお受けになっていたわけでしょうか?」
議場がざわめく。老貴族たちが互いに顔を見合わせ、グリフォードが一瞬言葉を詰まらせた。
ルチアはその隙を逃さず、間髪入れず次の刃を繰り出す。
「さらに奇妙なことに、ラミレス公国が攻め入る数日前、伯爵は二千を超える兵を短期間で動員しておられたとか。……いったい、どのようにして、そこまで迅速な動員が可能だったのでしょう?」
場の空気が張りつめる。彼女は涼しい顔で続けた。
「それはまるで、……まあ、この際、はっきり申し上げますが、敵の侵攻を事前に知っていたかのようですね」
グリフォードの顔色が変わった。
場がにわかにざわつく。
「異議あり!! この場は貴様の推理を披露する場ではない!」
彼の怒号に、議長が抑揚のない声で返す。
「異議を認めます。被告の代理は、憶測でものを言うのをやめるように」
怒り、動揺、焦燥――それらが入り混じった表情に、ルチアはほのかな微笑を浮かべる。
「失礼しました。では、次は事実を。グリフォード卿の兵は、ラミレス公国から攻められたとき、守りを任されていたグラディア砦から戦わずに撤退されたとか。
王命なくして兵を動かしてはならぬ、というならば、ご自身の兵の撤退は、誰の命によるものでしょう?」
その場の重臣たちがざわつき、誰かが「たしかに……」と呟いた。ルチアは小さく一礼し、ゆるやかに言葉を締める。
「この審議は、真実を明らかにする場です。ゆえに、どちらが国に仇なす者であるか、慎重にお見極めいただきたい」
議場には沈黙が落ちた。誰もが、若き女参謀の胆力に圧倒されたのだ。
こうしてルチアは、巧みな詭弁と理詰めの論で審議を引き延ばし続けた。王国の官僚たちも、判断を下すことを避け、結論は先送りにされる。
しかし、ルチアは平然とする表情の裏側で、冷や汗をかいていた。
(このままじゃ、あまり持たないわね……)
その間、リオンハートでは着々と「備え」が進んでいた。
◇◇
エリオスがかつてアルベルトだった頃。
その世界には、魔法があった。
もちろん魔法は戦争でも積極的に使われた。中でも複数の敵兵をまとめて攻撃できる、『範囲魔法』は、使用可能な術者も限られており、非常に重宝された。
エリオスは、『範囲魔法』を、今の世界でも再現できないか、と考え、その構想をクロエに話すため、カイルとともに研究所を訪れた。
すると彼女の口から意外な言葉が返ってきた。
「その研究は、世界一の研究者たちが集まるカルヴァン共和国のアカデミーで進んでいるんだよ」
聞けば『アストラ・ノヴァ』という。
「四元素をぶつけ合うことで無属性の爆発を生み出すんだって! すごくない!? もし完成とてつもない威力を持った武器になること間違いないんだよ!」
「ほう……。それで、そのアストラ・ノヴァとやらは、クロエも研究しているのか?」
クロエは、「うーん」と唸りながら考え込むと、首を横に振った。
「あはは……情けないけど、ボクと同じくらいの天才が何人も共同で研究しても、完成まではまだまだって言われてるからね」
「そうか……。だが、もし、アストラ・ノヴァほどの威力がなくてもよければ……」
クロエはニンマリと笑みを浮かべた。
「ふふふ。よくぞ聞いてくれたね! 天才のボクだって負けてられないもん!」
クロエは小さな胸をズンと張った。
「あのね、あのね! 投石機ってあるじゃない? あの大きな石を……」
そう言いかけたところで、エリオスはかたわらのカイルをずいっと前に押し出した。
「え? エリオス様?」
「カイル、あとは頼んだ」
「ちょ! ま、待ってくださいよ!」
そうエリオスは言い、カイルを残して、研究所を後にしたのだった。
◇◇
そして時は流れ――三〇二年三月。
風に春の匂いが混じり始めたころ、王都からの通信が届いた。ルチアの声が静かに響く。
「……ここまで審議を引き延ばしてきたけど、さすがに限界だわ。結審は間近。このままだと、エリオス様の処罰は、避けられないわ」
その報告に、エリオスはわずかに瞼を閉じた。静寂のなかで、蝋燭の炎がゆらめく。
だが次に開いた目は、もう迷いを宿してはいなかった。
「そうか……ここまで、よくやってくれた、ルチア」
穏やかな声で言いながら、彼は立ち上がる。その身に纏うは黒の軍装。肩にかかる外套が、風を孕んで翻る。
やがて、エリオスは広間に全軍の幹部たちを集めた。ロルフ、リアナ、ヴォルフ、カイル、アイザック――彼を支える面々が揃う。
「王都は我々を罪人と断じるつもりだ」
その第一声に、場が張り詰める。
「だが、我々は罪を犯していない。民を守り、領地を守っただけだ。父ギルバードは、そのために命を落とした。ならば、父の無念を晴らすのが、息子としての務めだ」
エリオスの声が重く響く。誰もが息を呑み、彼の言葉を待つ。
「これより、ラミレス公国を討つ!!」
その宣言は、まるで雷鳴のように響き渡った。
侍女のマリアは、広間の片隅で静かにその場を見つめていた。冷静を保ちながらも、どこかで震える心を押し隠している。
エリオスの決意がどれほどの覚悟に裏打ちされているか、彼のもっとも近くで仕えてきた彼女は誰よりも理解していた。
「父の弔いとして、我らの誇りを示す! 進軍準備に入れ!」
リアナが剣を掲げる。ヴォルフが雄叫びを上げ、兵たちも彼に続いた。
その夜、リオンハートの空に、決意の狼煙が上がった。
春の夜風がそれを遠く運び、戦いの幕開けを告げるように、星々が揺らめいた。
◇◇
エリオス・リオンハート男爵がラミレス公国に対して宣戦を布告――。
その報は、まさしく雷鳴のようにグランヴェル王国全土へと響き渡った。
その知らせを最初に聞いたのは王都の報道官であったが、わずか一日も経たぬうちに商人の馬車がそれを地方へと運び、吟遊詩人が物語に仕立て、酒場の客が噂を熱狂的に語り合った。
「リオンハートの若き英雄、再び剣を取る!」
「カルヴァンを屈服させたあのエリオスが、今度はラミレスを討つらしい!」
庶民の間では歓声が上がり、若者たちはその名を口にして胸を高鳴らせた。だがその熱狂の陰で、王都の議事堂では重苦しい空気が流れていた。
出征中の者には罪を問えない。
それが王国の定める明確な法だった。したがって、いかに「越権の戦」と罵られようと、エリオスが剣を抜いた今、その罪を裁くことはできない。裁判は自動的に先送りになる公算が高くなった。
それを知ったグリフォード伯爵は、怒りを隠さなかった。
「馬鹿な……! あれは時間稼ぎにすぎん! 奴が本気で戦うはずがない! 王の権威を弄ぶ裏切り者だ!」
そう声を張り上げたが、誰も同調しなかった。
むしろ貴族たちの多くは沈黙を守った。
なぜなら、彼らの胸の奥には、かすかな期待があったからだ。
鬱陶しい隣国、ラミレス公国を叩きのめしてくれるのではないか……と。
「かくなるうえば、陛下に裁定をあおるのみ!」
グリフォード伯爵は、正式な手続きにのっとり、国王へ直訴するという強硬手段をとった。
辺境の貴族、とはいえ、グリフォード家は代々続く名家のひとつだ。国王とはいえ、邪険にはできない。
「関係者を全員集めよ」
国王の命に従い、エリオスの処遇を決める最終協議が国王のいる場でおこなわれることになった。
その議場の扉を静かに開けて一人の女性が進み出た。
セレナ・ヴァレンシュタインである。
彼女は王の御前に進み出て、まっすぐに頭を下げた。
「陛下。リオンハート卿の行動、私が責任をもって見届けます」
国王が眉をひそめる。
「見届けるとは?」
「彼の領に赴き、彼らの動向を監視いたします。そして、もし彼が本当に出陣するなら、その留守を預かる許可を賜りたく」
議場がざわめく。セレナの提案は、王家の監察官の役を自ら請け負うという意味だった。並の貴族には到底できぬこと。だが国王は、その真剣な瞳に打たれた。
「よかろう。汝にその責を与える。……ただし、彼が敗れたときは?」
「その時は、私が王命に代わって彼の剣を止めます」
短く、しかし毅然と。
こうして、エリオスに対する審議は正式に「保留」となり、王の名のもとに彼の進軍は黙認された。
◇◇
ラミレス公国――長きにわたり王国と国境を接する宿敵。
彼らの軍は一万を超え、補助兵を含めれば倍に膨れ上がるとされる。対して、エリオスの軍勢は五千に満たなかった。
兵数差は数倍。しかも攻める側である。常識的に考えれば、勝ち目などない。
貴族たちはエリオスに期待する一方で、王国の軍人たちは口を揃えて言った。
「あれは英雄ではなく、もう一人の狂人だ」
「処罰を恐れず戦を起こすとは、自暴自棄にほかならぬ」
だが、セレナの側にいるヴァレンシュタインの騎士団長オルハンだけは違った。
彼は冷静に戦況を分析しつつも、心のどこかで確信していた。
その胸の内をセレナに漏らした。
「エリオス殿は無謀を承知で剣を抜く男ではございません」
セレナがちらりと彼の方を見る。
他の者の目もある。あまりおおっぴろにエリオスを支持するようなことは言えない。彼はまだ、被疑者なのだから。
しかしオルハンは、そのような周囲の耳など気にせずに続けた。
「彼が動く時は、必ず“勝算”がございます。たとえ誰にも見えぬほど薄氷の上であっても、です」
セレナは何も言わなかった。しかしその口元はかすかに笑みが浮かんでいた。
◇◇
そして迎えた出立の日。
リオンハートの城下は、早朝から人で溢れていた。空気はまだ冷たく、吐く息が白い。だが、兵たちの胸は熱かった。
広場の中央、エリオスは黒の軍装に身を包み、静かに剣帯を締めていた。
その姿を見届けに来たセレナは、ゆっくりと彼に歩み寄る。
「もう、行くのか」
「ええ。すべての準備は整いました」
互いの目が合う。
短い沈黙ののち、セレナは右手を差し出した。
「必ず帰ってくるのだぞ」
「……はい」
エリオスはその手をしっかりと握り返した。
セレナはふっと視線をそらして、か細い声で言った。
「帰ってきたら、約束を果たしてもらうぞ」
「約束、ですか?」
「そうだ。王都を……私と共に歩く約束だ」
その言葉に、エリオスの目が少し細くなった。
「……喜んで」
短く、しかし真っ直ぐに答え、彼はその手を離した。
◇◇
やがて、兵が整列する広場へとエリオスは歩み出た。
甲冑の擦れる音、馬の嘶き、旗のはためく音。
クロースとリオンハート、二つの紋章旗が並び立つ。
エリオスは壇上に上り、周囲を見渡した。兵たちの目が彼を見つめ、息を呑んでいる。
彼は深く息を吸い、声を張った。
「我らはこれより、ラミレス公国を討つ!」
その声は大地を震わせた。
「我らが剣は侵略のためではない。父の仇を討つためだ!」
ざわめきが広がる。彼は続けた。
「父ギルバード・リオンハートは、己の領民を守るために命を落とした。だが、我らはもう誰も失わぬ。ラミレスの脅威を、この地から永遠に追い払う!」
兵たちの胸が熱くなる。
彼の声には、恐れも怒りもなく、ただ確信だけがあった。
「数では我らは劣る。だが、我らには“志”がある! 戦う理由がある者こそ、最後に立つ者だ!」
エリオスは剣を抜き、空に掲げた。
「進め! 勝利をもって、我らの誇りを証明せよ!」
その瞬間、兵たちの雄叫びが一斉に上がった。
「おおおおおおおっ!」
黒の軍勢が沸き立ち、鼓動のように地面が震える。
リアナはその最前列で、弓兵隊の旗を掲げた。
ヴォルフは重装歩兵たちを率いて、拳を突き上げる。
カイルはボウガンを肩に担ぎながら、涙ぐみそうな笑みを浮かべていた。
エリオスは白馬にまたがり、ゆっくりと前へと進み出る。
陽光が鎧に反射し、彼の姿を眩しく照らし出す。
門の前では、マリアが両手を胸に当てて祈っていた。ハロルドは無言で敬礼を送り、王都からちょうど戻ってきたルチアは、馬車から降りて駆け寄り、ただ一言、彼に告げた。
「どうか――ご武運を」
「ああ、留守は頼んだぞ」
短く言葉を交わし、彼は振り返らずに進んだ。
行進の鼓動が、やがて遠ざかる。
リオンハートの城門に風が吹き抜け、旗が揺れた。
屋敷の窓辺から、セレナは静かにその姿を見送っていた。
薄紅のカーテン越しに差し込む陽光が、彼女の頬を照らす。
胸の奥で小さく呟く。
「必ず、帰ってこい」
その言葉は誰にも聞こえず、ただ春の風に溶けていった。
三〇二年三月十四日。
リオンハート軍、ラミレス公国に向けて出撃——。




