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第44話 葬儀のあとで

◇◇


 戦場は、すでに夜の帳に包まれていた。

 黒龍バハムートが咆哮をあげて消え去ったあとには、焼け焦げた大地と、黒い煙がただ立ち昇っている。

 その中心に、エリオスはなお、仁王立ちの姿勢で佇んでいた。


 しかし、その眼は閉じられている。

 炎に照らされた顔には、生者の息吹よりもむしろ石像のような静けさがあった。

 魔力を使い果たし、意識を手放していたのだ。


「エリオス様!」


 駆け寄ったカイルが、崩れ落ちるその体を支えた。前線から戻ってきたリアナも慌てて駆け寄り、互いに目を合わせる。


「息はある。けど、気絶しているみたい……」


「も、もしかして、さっきの龍のせい……。あの龍はいったいなんだったのでしょう?」


 カイルの問いに、リアナは静かに首を横に振った。


「私にも分からない。でも、エリオス様の口から聞かされるまでは、あまり詮索しない方がいいと思うの」


 カイルはゴクリと喉を鳴らし、コクリとうなずいた。

 そうして彼らが介抱している間も、ロルフとヴォルフは、退却する敵兵を容赦なく追い討ちしていた。


「一人たりとも逃すな! ここで終わらせるのだ!」


 彼らの剣と怒号に導かれたエリオス軍は、完全に主導権を握り、ついにはクロース領の防衛拠点、グラディア砦を奪還した。

 黒煙に包まれた砦の城壁の上に、再び王国の旗がはためくと、ようやく兵たちの胸に勝利の実感が広がった。


「勝鬨をあげよ!」

「おおっ!」


 その頃、エリオスは戦場の片隅で目を覚ました。

 重たいまぶたを開き、最初に視界に入ったのは、心配げに覗き込むカイルとリアナの顔だった。


「……俺は……」

「エリオス様ぁぁ!」


 カイルが抱きつく。

 エリオスは「もう大丈夫だ」と優しく告げ、ゆっくりと立ち上がる。その腕をリアナが支えた。


「無理をしないでください。グラディア砦も制圧し、敵は完全に撤退しました」

「そうか」

「我が軍の勝利です」


 勝利と聞いても心が晴れない。

 なぜならエリオスの胸中にはただひとつの想いが渦巻いていたからだ。


「父上は……」


 父ギルバードの姿を、戦場でも砦でも見なかった。

 嫌な予感が、心をかきむしる。


「父上を……探す。屋敷だ。屋敷に戻らねば」


 彼は戦勝の余韻を味わう兵たちを後にして、リオンハート領の屋敷へと急いだ。


◇◇


 屋敷に戻ったとき、そこには無数の負傷兵が横たわっていた。

 広間も廊下も、呻き声と血の匂いに満ちている。

 だが、彼らは皆、エリオスの姿を見るなり、堰を切ったように涙を流した。


「エリオス様……!」

「ご無事で……! ご無事でよかった……!」


 傷ついた兵たちは手を伸ばし、震える声で彼の名を呼んだ。

 その眼には、悪魔の如き戦いぶりを目にした畏怖と、命を繋いでくれた感謝とが入り混じっていた。


「皆の者、戦は終わった。ゆっくり傷を癒すのだ」


 エリオスは彼らに短い言葉をかけた後、一直線に寝室へと駆け込んだ。

 中には、壮年の医師と若い看護師たちが、部屋の中央にあるベッドの周りでうつむきながら、たたずんでいる。彼らの目には一様に涙が浮かんでいた。

 そして、ベッドの中に、エリオスは、父の姿を見た。

 目を閉じ、まるで眠っているかのように静かだ。


「父上!」


 息子の呼びかけにも無反応。今すぐ起き上がって、「エリオス、よく帰った!」と無事を喜び、ハグしそうな――それくらい綺麗な顔をしているのに……。

 部屋の隅で直立していた、騎士の一人が一歩前に進み出て、震える声で告げた。


「ご領主様は……騎士団長ガレス様を連れ、自ら軍を率いて出撃されました……」


 エリオスは顔をしかめた。


「なぜ……。城で籠城していれば、あるいは……」


「クロース領です……。エリオス様が大事に大事に治めていたクロース領が蹂躙されたと聞き、『必ず息子の手に戻す』と言って……」


「……っ!」


 エリオスは、震える手で父の顔を覗き込んだ。

 首筋には深く刻まれた切創。

 血はすでに止まっており、それが生命の終わりを物語っていた。


「…………父上……」


 声にならない声が漏れる。

 次の瞬間、エリオスの喉から絞り出されたのは、獣の断末魔にも似た慟哭だった。


「父上ェェェェェェェェ!!!」


 その叫びは屋敷全体を震わせ、兵たちの心を打ち砕いた。

 誰もが涙を禁じ得なかった。

 勝利を得たはずの夜が、一転して喪失の闇に包まれた。


 神聖歴三〇二年一月二十日。

 グランヴェル王国の子爵、ギルバード・リオンハート。

 剛毅にして温厚、領民からも兵からも慕われた領主は、わずか五十年の生涯を閉じたのである。


◇◇


 領土は守った。

 だが、その代償は、あまりに大きかった。


 クロースの領都は廃墟と化していた。

 焼け落ちた屋根、崩れた石壁。

 通りにはまだ焦げた木材の匂いが漂い、瓦礫の山の中からは領民たちが泣きながら家財や遺品を探し出していた。

 かつて市場に溢れていた活気は消え去り、そこにあるのは虚ろな沈黙とすすり泣きだけ。


 さいわいにして、川の上流にあるハルモニアの村は戦火を免れた。

 村の人々は無事だったが、彼らの安堵の表情の裏には、焼け野原となった領都を想う痛みと罪悪感が見え隠れしていた。


「私たちだけが助かってしまった……」


 そう口にする者も少なくなかった。


 復興はすでに始まっていた。

 兵士たちは焼け跡から木材や石材を集め、領民たちは互いに肩を貸し合って仮の家を建てる。

 だが、かつての活気を取り戻すまでには、気の遠くなるような歳月が必要だと誰もが悟っていた。


 そして、その最中。

 リオンハートの街では、子爵ギルバード・リオンハートの葬儀が執り行われた。



 黒い喪服をまとった街の人々が、途切れることなく葬列に加わっていく。

 商人も農民も職人も、身分を超えてすべての者が喪に服した。

 兵士たちは黒い喪章を腕に巻き、剣を逆さに掲げて列の両脇に並んだ。

 鐘がゆっくりと鳴り響くたびに、参列者の肩は震え、その目には涙が光った。


 葬列の中央――棺はリオンハート家の紋章旗に覆われていた。

 白銀の獅子を描いたその旗は、血に染まった戦場を幾度も守り抜いた象徴。

 その上に一振りの剣が安置されている。

 かつてギルバードが戦場で振るい、領地を守り抜いた剛剣であった。


 エリオスはその棺の傍らに立ち、顔を上げることなく歩み続けた。

 血走った眼に涙は浮かんでいない。

 彼の悲しみは、すでに静かな怒りと決意へと変わりつつあった。


 葬列の終わりに、セレナの姿があった。

 彼女は黒いヴェールをまとい、胸元に白百合を抱えていた。

 普段は毅然とした彼女の横顔も、この日はかすかに震え、哀しみに沈んでいる。

 ギルバードはセレナにとっても、貴族としての先輩であり、辺境を支える同志だったのだ。


 やがて、城の前庭に設けられた祭壇の前で葬列は止まった。

 街の人々が祈りを捧げ、すすり泣きが風に混じる。

 セレナは棺の前に進み出ると、白百合をそっと置き、低く囁いた。


「ギルバード卿。あなたが守ったこの領地、必ずや私が、そしてエリオス殿が守り抜きます。どうか安らかに」


 彼女の声は震えていたが、その眼差しは真剣で、鋼のような誓いを秘めていた。

 その言葉を聞いたとき、参列していた兵たちもまた、胸に手を当てて深く頭を垂れた。


 鐘が再び鳴る。

 その響きは、街中の喪に服す人々の心を打ち、やがて大河の流れのように広がっていった。


 ギルバードは戦士として死に、領主として惜しまれ、父として息子に未来を託して旅立った。


◇◇


 葬儀が終わって、人々が静かに散っていったあとも、城の中にはまだ重い空気が残っていた。

 蝋燭の灯が長い影を伸ばす執務室の扉を、エリオスはそっと閉めた。

 誰にも邪魔されない、その静けさが、かえって胸の中のざわめきを際立たせる。


 机の上に置かれた父ギルバードの書簡や印章を、かき集める。

 それをテーブルに並べ、自分はソファに腰をかけて、無造作に一枚手に取っては、すぐに戻す。


(こうしてじっくり見ても、思い出らしい思い出はないな……)


 エリオスは自分に素直になる。

 エリオスとしてこの地に来てからの日々は三年に満たない。

 だからギルバードととの親子の交流はほとんどなかった。


(それに……彼もきっと気づいていたはずだ。目の前の息子は、もはや本当の息子ではないことを。それなのになぜ……)


 けれども、ギルバードは何度も温かい言葉をくれた。

 それがどれほど救いだったか。

 今、胸の奥がじんと熱くなるのを止められない。


 ――おまえは家族なのだから。


 ギルバードの声が、彼の心の中で反芻した。

 言葉自体は短かった。

 だが、重さは深かった。


(なぜだ……。なぜ胸がこんなにも痛いのだ……)


 アルベルトのときに味わったことのない種類の悲しみが、エリオスの内部で静かに広がっていく。

 どう折り合いをつければいいのか分からずに、彼はただ机に手を置き、思考を巡らせていた。


 そして、一つの答えにたどり着いた。


(今は、この哀しみに身を任せよう)


 ふと、扉の陰に気配がして顔を上げる。


「セレナ様?」


 彼女は正装のまま、黒い縫い取りのある深い青の外套を纏い、薄いヴェールを垂らしている。

 瞳は疲れているはずなのに、その奥に揺るがぬ意志を宿していた。


「入っていいか?」

「ええ、もちろん。おかまいはできませんが……」


 立ち上がる素振りを見せたエリオスを、セレナは手で制した。


「そのままでかまわぬ」


 セレナは一歩、二歩と静かに部屋へ入り、扉を閉めると、エリオスの隣にそっと腰を下ろした。


「ここにいると聞いてな」

「そうでしたか……」


 二人の間には、葬列の喧騒とは異なる、穏やかながら鋭い緊張が漂う。

 しばらくのあいだ、二人はそれぞれの思いを黙って噛みしめるようにしていた。やがてセレナがそっと口を開く。


「……ご冥福を。ギルバード卿は、良い方だった」


 言葉に尾をつけるように、彼女は視線を細めた。声の奥にわずかな震えが混じる。

 エリオスは首を僅かに振り、「ありがとうございます」とだけ返した。言葉は短いが、真実がこもっている。


 その後も、ポツポツとセレナの方からギルバードとの思い出が語られたが、エリオスはただ短く相槌を打つだけだった。


(まさか故人との思い出を語るためだけに来たわけではないだろう)


 そんなエリオスの視線に気づいたのか、セレナは小さなため息とともに、声をさらに低くした。


「グリフォード卿のことだが……」


 エリオスの顔に深い影が落ちる。

 セレナは思わず、息をのんだ。


「すぐに動くでしょう」


 エリオスの言葉に、セレナはうなずく。

 彼女は続けた。


「十中八九、査問委員会に提訴するはず」


 グランヴェル王国では、法廷でそのまま量刑が協議される。その協議の場が『査問委員会』と呼ばれているのだ。


「罪状は……王命なくして貴族同士が戦闘を起こした。それから、国境の警備を怠った……といったところでしょうか。いずれも、我が方に非がある。それは、いかなる理屈があっても覆せません」


 エリオスの言葉に、セレナの目が陰る。

 部屋の窓から差し込む午後の光が、彼女の横顔を淡く照らす。


「では、どうするつもりだ? まさか大人しく投獄される、というわけでもあるまい」


 彼女は低く、しかし真っ直ぐに尋ねる。

 深い心配を宿した眼差しだ。

 彼女は、大勢の前で強くある人間だが、私的な場面ではかけがえのない弱さを見せる瞬間がある。

 エリオスは、そんな彼女の”人間らしい”気質に惹かれていた。

 そして、彼女を心配させまいと、精一杯の微笑みを作ってみせた。


「もちろんです。理で勝てないなら、その理を上回る力を見せつけるしかない、と考えています」


 彼の声は低く、確信に満ちていた。

 セレナはその言葉を受け止め、静かに息を吐いた。


「具体的には?」


 そう問いかけると同時に、胸の奥に引っかかっていた不安が、さらに膨らむのを感じる。エリオスの瞳に宿る揺るがぬ決意が、彼女の内面に新たな緊張を生む。


「かつては、オズワルド卿。そして今度は、

グリフォード卿……。父上は、己の欲を満たすためだけに生きる貴族たちに、翻弄される生涯を送りました。ご自身は欲など少しも持たなかったにも関わらず」


 エリオスはぽつりとつぶやく。言葉の端に、わずかな憤りが滲む。


「もし父上に”力”があったなら……。おそらく、今日の葬儀はなかったでしょう。そして、罪なき領民たちが犠牲になることもなかった」


 セレナの手が、膝の上でわずかに震えた。彼女はエリオスの顔を見つめる。

 エリオスは、迷いなく言い放った。


「私は力が欲しい。誰にも有無を言わせぬ、圧倒的な力が」


 エリオスの中にあるのは、単なる復讐心や権力欲ではない。

 失ったものへの応報、守るべき者たちへの誓い、そして自らの在り方を根底から変える覚悟だった。


「その力を持って、貴殿は何を成す?」


 セレナは消え入りそうな声で問いかけた。

 彼女ももう理解しているのだ。

 自分が何を言っても、目の前の復讐と使命に燃えた男の意志は変えられないと。

 それでも、辺境を守る領主として、聞かざるを得なかった。あるいは、非人道的な決意であれば、止めねばならぬという悲壮な覚悟もあった。


「貴女を、仲間を、領民を、私に関わるすべての人を守り抜く――」


 セレナはそっと目を閉じた。

 やはり……思った通りの回答だ。

 かすかな安堵が呼吸を落ち着かせる。


「そうか……」


 しかし、次のエリオスの一言で部屋の空気が一変した。


「まずは、ラミレス公国を叩きつぶします。そして、グリフォード卿を処刑台に送ります」


 その言葉は静かだが、セレナの胸が一瞬大きく鳴るように高鳴り、次の瞬間には押し殺したような涙が目に溜まった。

 彼女はエリオスの手を取ろうとしたが、ぎこちなく一度引っ込める。


 引き止めたい。

 されど、引き止められない。


 そんな葛藤があらわれていた。


「それしかないのか……」


 セレナはやっとのことで言葉を紡いだ。

 納得しきれない想いを断ち切るように、エリオスは即答した。


「やらねば、やられるのは私。そして、次の矛先はおのずとセレナ様に向きましょう」


 エリオスはその言葉を聞くと、顔を僅かに上げ、真っ直ぐに彼女を見据えた。

 距離は近い。

 だが少しずつ、心が離れていくように、セレナには感じられた。


(いくな)


 そんなことを口にできるはずもなく、裏腹な想いを言うのが精いっぱいだった。


「私は……エリオス。貴殿を信じてる」


「ありがとうございます。……セレナ様の信頼を、決して裏切りはしません」


 エリオスの声は柔らかく、それでいて揺るがなかった。


 外では風が屋根を撫でる音がする。

 城の石壁は長年の歴史を刻み、幾多の決断を見守ってきた。

 だが今夜、執務室で交わされたのは、単なる政略や軍事の話ではない。

 喪失によって心に火のように宿った誓いが、二人の中で確かな形を取り始めていた。


「今宵は、夜空が綺麗だな」


 セレナは立ち上がり、窓の外、遠くに広がる領地を見つめる。

 その目には決意の色が滲む。


「ええ」


 エリオスも立ち上がり、同じ方向を向いた。

 短い沈黙のあと、セレナは扉の方へ足を向けた。


「では、失礼する。今日は疲れただろう。早めに休むといい」


 彼女の声は穏やかだった。


「はい、ありがとうございます」


 エリオスはそう言って、セレナの背に一礼した後、椅子に座って、書類に目を通しはじめたのだった。

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