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第40話 発展するクロース領

◇◇


 かつてアルベルトだった頃。

 他人は彼のことを「百戦錬磨」という言葉で表した。だが、その言葉は誇張でも比喩でもなく、事実を言い表したものにすぎなかった。

 大小あわせれば百を超える戦いで、彼は常に先頭に立ち、指揮を執ってきた。そのなかで最も兵の士気を鼓舞し、最も敵に容赦のない仕打ちを浴びせた戦は何か。

 迷う余地はない。


 それは弔い合戦である。


 失われた仲間のため。倒れた同胞のため。

 とりわけ、身近で大切な者を弔う戦であればあるほど、兵の胸に燃え盛る憤怒と悲哀はとどめが効かなくなる。

 悲しみは怒りへ、怒りは力へと変わり、兵たちを一時の怪物に変貌させるのだ。


 そして今世……エリオスとなって初めての弔い合戦が、遠征から帰ってから、ほんの数日後に起こることになろうとは、さしもの彼であっても、想像すらできなかった。

 さらに、奪われた命を思い返し、自分が涙を燃料に戦場を蹂躙する光景は、アルベルトであった過去と比べてもなお群を抜いていた。

 まさか自分が、あれほど強い憤りを感じるとは――。


◇◇


 遠征を終え、クロース領に戻ると、彼が真っ先に足を向けたのは己の屋敷ではなく、リオンハート家の本邸であった。

 父ギルバードに直接報告するためだ。

 そんな彼の帰還を執事がギルバードに告げた。


「旦那様、エリオス様がお戻りになりました」

「うむ、早くここに通してくれ」


 そわそわするギルバードを見て、執事は柔らかな微笑みを浮かべる。


「かしこまりました。真っ先に執務室へうかがうよう、申しつけます」


 ギルバードは既に王都からの報せを受けていた。息子が国王から直々に褒賞を授かったことを知り、心の底から誇らしく思っていた。だが何よりも――大きな怪我ひとつなく、こうして目の前に無事に立っていること。それが何よりの喜びだった。


「よくぞ帰った、エリオス」


 その声には、父としての安堵と誇りが混じっていた。


「ただいま戻りました。父上」


 まだ「父」と呼ぶことに実感が伴っているわけではない。それでも、悪くない。胸の奥が温かく満たされるのをエリオスは感じていた。


「疲れているだろう? 堅苦しい挨拶などいいから、そこに座りなさい」


「いえ、お気遣いなく。大丈夫ですから」


「ははっ! そういう頑固なところは、死んだ母さんにそっくりだ! いや、しっかり休んでもらうぞ。これは父ではなく、領主としての命令だ」


「は、はあ……」


 前世アルベルトには、両親の記憶がなかった。

 物心つく前に陰謀に巻き込まれ、命を落としたからだ。だからこそ、父に迎え入れられるという当たり前の情愛が、今の彼にとってはなによりも新鮮で、重みのあるものだった。


「今夜はこっちにいるんだろう?」


 この調子だと、「いえ帰ります」とは言えないことは、かつて絶対王と呼ばれ、わずかな時を惜しんで覇王の道を邁進していた彼でも気づいていた。


「はい、今宵ばかりは、思いっきり甘えさせてつもりでおります」


「はははっ! そういう素直なところは、俺に似たのかな!」


 その夜、ささやかな晩餐会が催された。

 留守を預かっていた騎士団長ロルフ。

 側近として目覚ましい成長を遂げたルチア。

 政務を一手に担う冷静沈着なハロルド。

 リオンハート家の騎士団長ガレス。

 さらに遠征を共にしたリアナ、マリア、カイル、アイザック、ヴォルフも招かれ、長い卓を囲んだ。


「リオンハート家の繁栄を祈念して、乾杯!!」


 杯が行き交い、笑い声がこだまし、久しぶりに領邸には明るい空気が満ちた。

 戦の緊張を忘れさせる、つかの間の安らぎであった。


「エリオス、ちょっといいか?」


 やがて宴も終わりに近づいたころ、ギルバードはエリオスをそっと誘い、テラスへと出た。

 夜風が頬を撫で、星々が澄みきった空に瞬いている。二人は肩を並べ、杯を手にして腰を下ろした。


「……驚いているのだ」


 ギルバードが口を開いた。


「おまえの突然の変化にな。嬉しくもあるが、やはり驚いている」


 エリオスは迷った。


(ここで自分の正体を明かすべきか……)


 アルベルトとしての記憶も力も、この変化の理由を語るべきか。

 しかしギルバードは彼が口を開く前に、言葉を続けた。


「だが、人は変わるものだ。おまえの場合、その変化が人より少し大きかったというだけだろう。そしてその変化は……リオンハート家の未来を明るく照らしてくれた」


 その視線は真摯だった。


「父は、おまえを誇りに思う。きっと、母さんも同じ気持ちだろう」


 胸に熱いものがこみ上げる。

 前世を含め、これほど真っ直ぐに愛情を注がれたことなどなかった。

 自然と、口が動いた。


「……ありがとうございます」


 感謝の言葉が、心の底から滲み出るように零れ落ちた。


「ははっ! やっぱり柄じゃないことを言うと、照れくさいものだな!」


 ギルバードは豪快に杯を傾け、酒をあおると、改めて息子の方へと身体を向けた。

 そして真剣な眼差しで告げる。


「エリオス。リオンハート家の家督を、正式におまえに譲ることにした」


「……!」


 思わず息を呑むエリオス。


「時期はアランがアカデミーを卒業する二年後の秋。それまでは領内の統治に励み、領民の信頼を確かなものにせよ。もっとも、今のおまえなら心配はいらぬだろうが……それでも、親というものは常に子を案じてしまうものなのだ」


 その言葉に、エリオスは胸の奥で何度もうなずいた。


「かしこまりました。不肖な子ゆえ、これからもご鞭撻ください」


 親子としての絆はまだ浅い。

 だが確かに芽吹き、育っている。

 その事実が、何よりも嬉しかった。


「さ、領主としての話は終わりだ。ここからは、親として思いっきり甘えさせてやる。どうだ? たまには頭でも撫でてやろうか?」


「ははっ、結構ですって」


「そう遠慮するな。というより、たまには撫でさせてくれ。そのサラサラな髪が恋しくならんのだ」


「やめてください! 変態ですか!?」


「ははははっ!」


 テラスに夜風が吹き抜ける。

 二人の杯が、静かに月明かりを映しながら何度も交わされた。


 その夜――父と子の心は、かつてないほど近く結ばれていた。


◇◇


 クロース領に戻ったエリオスたちは、遠征で得た経験を糧に、それぞれの役割を最大限に発揮していた。

 もはや彼らは単なる仲間ではなく、領地経営を支える歯車として見事に噛み合い、領都全体を活性化させていった。


「周囲に異常ありません。……あ、畑でおばあさんが腰を痛くしたようです。助けてあげなくちゃ」


 カイルは高台の監視所に常駐し、日夜望遠鏡をのぞき込んで街の隅々まで目を配った。

 盗難や小競り合いといった些細な事件も見逃さず、すぐに兵士を派遣して未然に防ぐ。

 市民たちは「鷹の目のカイル」と呼び、彼の存在に安心を寄せるようになった。


「相変わらず、なんちゅう目をしてるんだか……。分かったよ、俺がいってくる。ついでに困ってることがないか、聞いてくるわ」


 そう言って、煙のように姿を消したのはフェリオ。

 彼は街中に溶け込むように、至るところに出没した。

 彼は些細な噂話も聞き逃さず、少しでも民の不満になりそうなものがあれば、エリオスに包み隠さず報告した。

 彼らの働きにより、街の治安は飛躍的に改善し、商人たちも安心して取引に訪れるようになった。


「おや? 修練場ではヴォルフさんが、暴れてるようですよ」


 カイルのそばにエリオスがやってきた。


「ふむ。あれはあれで、兵たちを鍛えてるらしい。誰がどう見ても、ただ暴れてるようにしか見えないけどな」


 騎士副団長に抜擢されたヴォルフは、その剛力と実直さで兵士たちの尊敬を集めていた。


「それっ! まだまだぁ!! 貴様らたるんでるぞ! そんなことで天下一を取れると思ってるのかぁ!?」


 日々の剣術稽古は苛烈を極めたが、ヴォルフの眼差しには温かさも宿っており、兵たちは次第に自ら鍛錬を望むようになった。


「あちらではロルフさんが兵たちを集めています」


 騎士団長ロルフはヴォルフと対を成し、より戦場を意識した統率訓練を重んじた。


「一同、前進開始!!」


 整然と並ぶ隊列、迅速な号令伝達、混乱時の退却方法まで。規律と柔軟さを兼ね備えた騎士団が形成されていくのを、エリオスは誇らしげに見守った。


「あっ! 研究所からクロエさんが出てきました! 髪はぼさぼさで、目の下にはくまができてますけど、ピョンピョン跳ねて、なんだかすごく喜んでいます!」


「うむ、ようやくできたか。ちょっといってくる」


 領都の郊外に新設された研究所。その若き所長に任じられたクロエは、日に日にその才能を発揮していた。彼女が打ち込むのは魔晶石の実用化である。


「あ! エリオス様! ちょっと見てくださいよ! さすがボク、さすが天才! いくらでも褒めてくれてもいいんですよ?」


 この日、完成させたのは、矢尻に小さな魔晶石を埋め込み、敵に命中する直前に炸裂させる「榴弾矢」。

 さらに飛翔の途中で幾つにも分裂し、広範囲の敵を同時に攻撃できる「散弾矢」を生み出した。


「よくやった。よし、では早速、ネオ・ハルモニアで量産しよう!」


「うん! ボクが手伝うよ!」


 この後も、クロエの開発した画期的な武器は、ハルモニアの職人たちの手によって、量産さらていった。クロエは徹夜続きの日もあったが、その瞳には研究者としての情熱が絶えることなく宿っていた。


「では、俺は執務室に帰るから、何かあったら、いつでも言ってくれ」


「はーい!」


 屋敷の執務室に戻ると、ルチアが我が物顔でソファに座って、お茶をすすっていた。


「あら? エリオス様、おかえりなさい」


「うむ。何か用か?」


「ふふ。用がなしでそばにいちゃダメかしら」


 エリオスが困った顔をすると、ルチアは首をすくめた。


「分かってますよ。グランヴェルの北方の貴族様から、あらたな引合をいただいたの」


「おお、そうか!」


「やっぱり土地が痩せてる南部よりも、豊かな北方の方が商売になるわね」


 ルチアは交易の分野で力を発揮した。

 持ち前の弁舌と粘り強い交渉力で、ハルモニア製の武器や日用品を周辺領地へ広く売りさばき、販路を急速に拡大させる。

 商人たちとの間に築かれた信頼は厚く、時には自らの足で辺境の村々まで赴くこともあった。


「お、エリオス様。おかえりでしたか」


 書類の山を抱えてやってきたのは、執事長のハロルド。彼は財務の一切を仕切っている。


「うむ。相変わらず忙しそうだな」


「ほほっ、忙しいくらいの方が、ボケずに済みますからな。それに昔の坊っちゃんを相手する方が、はるかに忙しかったので、あの頃に比べれば……」


「それ以上は言ってくれるな」


 拡大した収益はハロルドの手で緻密に計算され、無駄なく領内の発展に還元された。

 道路の整備、新たな市場の建設、衛生環境の改善。ハロルドの手腕によって、クロース領の基盤はより強固なものとなっていった。


 エリオスの名声は瞬く間に各地へ広まり、移住希望者は後を絶たなかった。

 怪しい者が紛れていないかは、人の目を見るのが確かなアイザックが厳しくチェックしているから問題ない。

 豊かな土地、堅牢な防衛、そして未来を照らす若き英雄。その三拍子が揃ったクロース領は、もはや辺境の一領地という枠を越え、憧れの地となりつつあった。

 兵士の数も着実に増え、訓練された戦力は周辺諸侯を凌ぐ規模へと成長していった。


「エリオス様、お客様がお待ちです! 早くこちらへ!」


 マリアがエリオスを見つけるなり声をかける。


「……そうか」


 貴族たちの動きも活発化した。エリオスと関係を深めたいと考える領主たちから、連日のように使者や訪問者が訪れた。

 その中には、ルクレールのように若き娘を伴わせる者までいた。


「大丈夫です。今回はご領主様だけのようですので」


 侍女長に昇格したマリアが鋭い眼差しで面会者をふるい分け、真に有益な相手のみを通した。

 門前払いを食らった者たちは憤慨したが、同時にマリアの威厳を思い知らされ、軽々しく近づくことを諦めた。

 エリオスの周囲はますます堅牢な守りに包まれていった。


 こうして半年が過ぎた頃、クロース領の領都はかつての比ではないほどの発展を遂げていた。

 市場は賑わい、行き交う商人の声は途絶えることがなく、街路には笑顔があふれた。

 もとよりオズワルドが領主であった頃から活気ある都市ではあったが、今やヴァレンシュタイン辺境領の中でも屈指の経済都市として名を馳せるまでになっていた。


 そして季節は巡り、毎年恒例の総会が近づいていた。

 ヴァレンシュタイン辺境領の諸侯が一堂に会し、互いの領地の報告や協議をおこなう場。

 今年は特に、クロース領の飛躍が話題の中心となるのは間違いなかった。

 エリオスは胸中に一抹の緊張を抱きつつも、堂々と臨む覚悟を固めたのだった。



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