表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/45

第39話 遠征の終わり


「わあ……やっぱり王都ってにぎやかですね」


 マリアはエリオスの隣を歩きながら、目を輝かせて周囲を見渡す。

 一方のエリオスは、露店の並びをじっと観察しながら、真顔でつぶやいた。


「通りの配置が実に効率的だな。交易品が中心に集まるよう工夫されている……防衛面から見ても、これは理にかなっている」


「……」


 マリアは思わず頬をふくらませた。

 

(まさか本当に視察をするつもりなの? ずっと街の防衛や物流のことばっかり……)


 そんなマリアの小さな不満をよそに、エリオスは鍛冶屋の店先で足を止めた。


「この剣の刃紋……ふむ、王都ではこの規格が主流か。戦時には大量生産に向くだろう」


「……ねぇ、エリオス様。たまにはこう……“素敵な景色だな”とか“君のドレスが似合っている”とか……そういうのは言えないんですか?」


「ん? 景色か。確かに王都の建築様式は統一感がある。ドレスも……戦闘には向かないが、動きやすさは考慮されているな」


「ちがーうっ!」


 マリアの声が通りに響き、周囲の人々がちらりと振り返る。

 顔を赤らめた彼女は慌ててうつむき、小声で「もうっ……」と呟いた。


 その少し離れた屋根の上。


「ふふふ……青春してますねぇ」


 双眼鏡を覗きながら、リアナがにやにや笑う。


「あ、あの……、ほんとに僕が付き合わないとダメなのでしょうか……?」


 隣で膝を抱えているのはカイル。


「当たり前でしょ! あんた、目がいいんだから。細かいとこまでちゃんと報告するの」


「ぼ、僕は別に覗き見なんてしたくないんだけどなぁ……」


「覗き見じゃなくて、主君の護衛でしょ! あんなに無防備なところを敵の刺客が襲ってきたら、どうするのよ!?」


「……エリオス様ならご自身でどうにでもできるかと……」


「あー、もう! つべこべ言わないの!」


 カイルはため息をつきながらも、しぶしぶ視線を向けた。


「で? どう?」


「どうって……別に普通に街歩きしてるだけです。あ、今マリアさんがむくれてます」


「ふふっ、やっぱり。エリオス様は鈍感だからなぁ」


「もうこんな盗み見なんてやめましょうよ……」


「だまらっしゃい! ほら次、しっかり観察!」


 リアナがぐいっと双眼鏡を押し付け、カイルは「うわっ」と顔をしかめたのだった。


◇◇


 エリオスとマリアの”視察”は、マリアの思惑通りにはまったくならない状態で、終わりを迎えようとしていた。


(はあ……どうせこんなことだろうとは思ってたけど……)


 マリアの顔が曇る。


(そうよね、私はただの侍女。変な期待なんてする方がバカなんだから!)


 首を小さく振る彼女を、ちらっと見やったエリオス。その表情は、とても優しかった。

 

 そして、夕暮れ時。

 二人は王都の外れ、高台へとたどり着いた。眼下には赤く染まる屋根の群れが広がり、夕陽に照らされて輝いている。


「きれい……」


 マリアがぽつりと呟く。

 ここには街の喧騒もなければ、見るべき生活の営みもない。

 つまり、マリアが望んだ、エリオスとふたりだけの世界だ。

 彼女は、これまでの疲れやイライラが吹き飛んでいくのを感じていた。

 エリオスはしばし沈黙し、やがて真っ直ぐ前を見つめたまま口を開いた。


「どんなに強靭な肉体を持つ戦士であろうと、どんな天才の軍師であろうと……休息をしっかり取らねば、その力を発揮できない。ゆえに安心して休める場所を持つことは、優れた将の条件といえよう」


 マリアははっとして彼を見上げる。


「マリア――世界中どこで戦おうと、戻る場所におまえがいてくれるだけで、俺は安心して休息できる。本当に……ありがとう」


 その言葉に、マリアの目から大粒の涙があふれた。彼女は慌てて目元をこすったが、止められるはずもない。

 エリオスは彼女を振り向くことなく、無言でハンカチを差し出した。

 マリアはそれを両手で受け取り、ぎゅっと目元に押し当てながら、震える声を絞り出した。


「……こちらこそ……ありがとう……ございます」


 しばし、静寂。

 夕陽は地平線に沈みかけ、街並みを金色に染め上げていく。

 やがて、エリオスがふっと口を開いた。


「おまえら。そこにいるのは分かっている。もういい加減に出てこい」


「えっ!?」


 マリアが驚いて振り返ると、茂みの陰からリアナとカイルがひょっこり顔を出した。


「さすがですねぇ、気づかれてましたか」


 リアナが舌を出し、カイルは肩を落とした。


「だから言ったじゃないですかぁ……絶対にバレてますって」


 マリアは顔を真っ赤にして両手で隠した。


「も、もうっ……!」


 そんな様子を見ながら、エリオスは大きく笑った。


「たまには、みんなで酒場でも行くか」


「もちろん、エリオス様のおごりですよね?」


 即座にリアナが食いつく。


「はははっ、いいだろう!」


 エリオスの笑い声に、マリアも思わず涙交じりの笑みを浮かべた。


「せっかくなら、ハロルドさんたちも誘いましょうよ!」

「うむ、呼べるだけ呼んでこい!」


 そうして四人は、笑い合いながら王都の街並みへと降りていった。

 夕闇のなか、仲間たちの姿は人波に溶け込み、楽しげな声だけがいつまでも響いていた。


◇◇


 翌日。

 王都を出立する準備で屋敷中があわただしく動いていた。荷馬車に荷を積み込む使用人の声、馬具を点検する騎士たちの掛け声が交錯する中、エリオスのもとに「来客です」と告げが入った。


「……誰だ?」


 エリオスが眉をひそめると、従者は小声で答えた。


「ルクレール侯爵閣下にございます」


「……なんだと?」


 思わず立ち上がるエリオス。爵位は自分より数段も上の侯爵。しかもこんな慌ただしい朝に直々に訪れるなど、前代未聞だった。

 慌てて玄関に出迎えたエリオスは深々と頭を下げた。


「侯爵閣下の突然のお越し、恐縮の至り。もてなしの用意もままならぬ非礼を、どうかお許しください」


 すると、細身の服が良く似合う壮年の侯爵は、ふっと柔らかな笑みを浮かべた。


「いや、こちらこそ事前の連絡もなしに押しかけた非礼を詫びたい。どうしても一言、卿に詫びを伝えたくてな」


 その声音には敵意も驕りもなかった。むしろ率直な誠意がにじんでいた。


(いったい何を企んでいるのか……)


 しかしもはや逃げも隠れもできない。そこでエリオスは、侯爵を人目のつかない屋敷のテラス席へと通した。

 席に着くなり、ルクレールは杯に口をつけ、静かに言った。


「ダイナの戦いでの私の振る舞い……あれは礼を欠いていた。卿には不快な思いをさせたであろう。許してほしい」


 エリオスはまっすぐに相手を見返し、口を開いた。


「いいえ、むしろ閣下の防衛軍が控えてくれていたからこそ、私は南砦の攻略に力を尽くすことができました。結果として“戦神マルクスの再来”などと称されるようになったのも、閣下の存在あってこそ。感謝こそすれ、恨みなど抱いてはおりません」


「……ふふ、そう言ってくれるか」


 ルクレールの瞳にほのかな安堵の色が浮かんだ。


「やはり今日ここに押しかけたのは、間違いではなかったな」


 エリオスはわずかに目を細める。


「……どういう意味でしょうか?」


 侯爵は杯を置き、軽く手を叩いた。

 奥の扉から現れたのは、真紅のドレスをまとった少女。艶やかな金髪を巻き上げ、気の強そうな瞳を輝かせながら、しとやかに一礼した。


「リーゼロッテ・ルクレールと申します。お目にかかれて光栄です、エリオス卿」


 その凛とした声に、エリオスは思わず背筋を正す。


「……侯爵、この方は?」


「私の娘だ」


 ルクレールは胸を張って言った。


「卿を一目見て以来、どうやら胸を射抜かれてしまったようでな」


「お父さまっ!」


 リーゼロッテの頬がかっと赤く染まる。


「……そんな、恥ずかしい言い方をしないでください!」


「事実だろう?」


 侯爵は楽しげに笑った。

 エリオスは困惑の色を隠せず、軽く咳払いをした。


「……これは、その……」


 リーゼロッテはきゅっと拳を握り、真っすぐ彼を見つめた。


「本当のことです。これまで、声をかける勇気がなくて……でも、今日こうして会えて、嬉しく思っています」


「……」


 エリオスは言葉を失った。

 侯爵は続けた。


「卿にはまだ将来を約束されたお方がいないと聞いた。ならばぜひ、うちの娘を、と。もちろん、いきなり返事を求めるつもりはない。今日はお見知りおきをいただければ、それでよい」


「……」


 立ち上がったリーゼロッテは、気丈な声で告げた。


「エリオス卿。今日すぐにとは言いません。でも、私は諦めません。必ずあなたを振り向かせてみせます」


 その瞳には強い炎が宿っていた。言い切ると、彼女は礼をして踵を返し、毅然と歩き去った。

 残されたエリオスは唖然とするしかなかった。

 ルクレールはゆっくりと立ち上がり、最後に杯を干した。


「……貴族や王族の社会は、実に汚いものだ。今日の味方が明日は敵になり、敵が翌日には友になる。セレナ殿にしても……例外ではない」


「……」


 エリオスは眉を寄せる。


「だが、家族は違う。確実に味方でいてくれる。私は……卿の味方になりたい。リーゼロッテではないが、私自身も卿に惚れこんでしまったのだ」


「閣下……」


「婚約の件、前向きに考えてくれれば嬉しい。しかしもし断っても、私は卿を恨みはせん。安心なさい」


 ルクレールはそれだけ言い残し、背を向けて歩き去った。

 静まり返ったテラスに、エリオスの長いため息だけが響いた。


◇◇


 昼過ぎ。出立のときを迎えた。

 王都の空は晴れ渡り、遠征の緊張を忘れさせるほど清々しい青が広がっていた。

 屋敷前の通りにはすでに荷をまとめた馬車が並び、兵たちは整列を始めている。

 だがエリオスはその列を離れ、一人セレナの屋敷を訪れていた。


「エリオス殿、ようこそお越し下さった」


 応接室に通されたエリオスを出迎えたのは、彼女ではなく、堂々たる体躯のオルハンだった。セレナは王城へ赴いており、留守だという。


「ヴァレンシュタイン卿がお留守とは残念です。ですが……オルハン殿にお会いできただけでも光栄です」


 そう告げるエリオスに、オルハンは黙って近づき、分厚い大きな手を差し出した。その手は、戦場で幾度も剣を振るった痕跡を残しながらも、力強く温かい。

 エリオスもまた迷いなくその手を握り返した。


「……あらためて礼を言わせてくれ」


 オルハンの声は低く、しかし胸の底から響いてくるようだった。


「ありがとう。貴殿の働きなくして、私は今こうして立ってはいなかっただろう。貴殿は私の命の恩人だ」


 エリオスはかすかに首を横に振った。


「いえ、それを言うなら私も同じです。オルハン殿が北砦を死守してくださったからこそ、私は南砦へ向かうことができました。あの時、どれほど勇気づけられたか……言葉に尽くせません」


 二人はしばし見つめ合い、互いの眼差しの奥に、戦場を共に駆け抜けた者同士にしか分からない絆を感じ取った。

 そしてオルハンは、深々と頭を垂れたのち、ためらいなくエリオスを抱きしめた。

 鍛え上げられた巨躯に包まれる感覚に、エリオスは一瞬驚いたが、次の言葉が耳元に落とされた瞬間、心が鋭く研ぎ澄まされる。


「……セラフィアに気をつけろ」


 エリオスの眉がかすかに動いた。セラフィア神聖国……。

 かつて彼に魔法の嫌疑をかけ、ルシアンという騎士を差し向けてきた国。その名をここで聞くとは思わなかった。


「……承知しました」


 抱擁からそっと離れると、エリオスは短く、しかし力強くうなずいた。

 やがて出立の時が来る。

 屋敷の門をくぐろうとしたその時、背後からオルハンの朗々たる声が響いた。


「――敬礼!」


 その瞬間、ヴァレンシュタインの兵たちが一斉に姿勢を正し、エリオスへと敬礼を捧げた。

 鎧の音が一斉に重なり合い、王都の朝空に鋭い響きが走る。

 エリオスもまた歩みを止め、振り返り、堂々と右手を掲げて敬礼を返した。


 静寂の中に確かな絆が刻まれる。


 やがて馬に乗り、隊列へ戻るエリオスの姿は、兵士たちにとって紛れもない英雄の背に映った。



 こうして遠征は終わりを告げた。

 命の危機を幾度もくぐり抜け、仲間の幾人かを失う痛みも味わった。

 しかしそれ以上に、彼は多くを得た。

 新たな仲間クロエとの出会い、リアナやカイル、マリアとの絆の深まり。そして国王をはじめ、セレナ、ルクレールといった有力者たちとの確かな関係。

 名声は「英雄」の名に恥じぬほど大きく広がり、その存在は王都のみならず王国全土に鳴り響いている。


 エリオスは胸を張り、真っすぐに前を見据えた。


 遠征の果てに、彼の心はさらなる高みを目指して、堂々と帰路へと進み始めたのだった。


◇◇


 一方そのころ、王都の喧騒から少し離れた場所にあるグリフォード伯爵邸。

 厚いカーテンが引かれた執務室の中で、伯爵はひとり書類を机に叩きつけた。赤らんだ顔を怒りで歪ませ、ぎり、と奥歯を噛みしめる音が静かな部屋に響く。


「ルクレールめ……!」


 その声は押し殺されていたが、底知れぬ憤怒を帯びていた。


「エリオスに娘を差し出すだと?  婚約を持ちかけただと?」


 長らく、彼はルクレール侯爵にすり寄り、少しでも自分の地位を高めようと立ち回ってきた。

 だがその侯爵がよりにもよって、同じ東の辺境領の領主であるリオンハート家を取り込もうとしているのだ。


 伯爵は頭を抱える。


「もし両者が手を結べば……私は用済みになる。いや、確実にそうだ」


 想像しただけで胸が焼けるような思いがした。

 ルクレールがグリフォードに目をかけているのは、ひとえに東の辺境領の盟主セレナ・ヴァレンタインの動向を抑えるためだ。もしその役目をエリオス・リオンハートが担うなら、グリフォード伯の存在など影も形もなくなる。

 最悪の場合、辺境の田舎で一生を終えるかもしれない。


「それだけは……それだけは絶対に避けねばならん!」


 伯爵は机の角に拳を打ちつけた。だが現実は厳しい。

 ヴォルフですら敵わぬ無双の戦士。戦の度に功績を挙げ、戦略眼も持ち合わせ、民衆の心をつかんでいる。そんな存在に、いまや容易に手出しはできない。

 思い返すのは、オズワルドが蜂起したあの戦いだった。


「もしあの時……!」


 あの時、はっきりと態度を決めてオズワルド側につけば、今ごろエリオスなど無惨に打ち倒され、英雄などと呼ばれることもなかっただろう。

 己は功を焦り、中途半端に動いた。だからこのざまだ。

 しかし後悔を繰り返しても意味はない。肝心なのは未来だ。


「どうにかして……あの若造を失脚させねばならん」


 伯爵の目がぎらりと光った。その瞬間、ふとひとつの策が脳裏をよぎる。


「……ラミレス公国」


 声に出すと、部屋の空気が一層冷たくなるように感じられた。

 クロース領と接する敵国……。もし彼らに大きな隙を見せることができれば、彼らは軍を動かすはずだ。そしてクロース領が陥落すれば、リオンハート領も火の海になるだろう。


「これしかない……!」


 伯爵は立ち上がり、窓際へと歩み寄った。

 カーテンを払い、王都の屋根並みを見下ろしながら、彼の口元にはゆがんだ笑みが浮かぶ。


「英雄だの新星だのと……笑わせるな。いくら剣が強かろうと、民衆に人気があろうと……領地を失えば何もできん。必ずや窮地に追い込んでみせる」


 その目は猛禽のように鋭く、己の策に酔いしれる光を宿していた。

 グリフォード伯爵は、勝利を確信したかのように不敵に笑い続けるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ