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第38話 クロエ・カーネル

◇◇


 国王との謁見を終えた日の午後。

 エリオスはセレナに呼ばれ、彼女の滞在する屋敷にリアナを伴って訪ねた。

 セレナのいる執務室に通されると、部屋の中央にある大きなソファに腰を下ろすよう命じられる。対面にはセレナが腰をかける。

 部屋の隅には無言で控えるオルハン、リアナは、エリオスの背後に立った。


「まあ、なんだ。……今回は、本当によくやった」


 ほんの数言、労をねぎらうような言葉をかけたセレナだったが、すぐに視線が泳ぎ、落ち着かない。

 指先で書類の端を撫でたり、カップに触れてみたりと、所在なさげな仕草が目立った。


「ごほん」


 エリオスが小さく咳払いをして、静かに言った。


「殿下。ご用件はなんでしょう?」


 促され、セレナは肩を揺らした。

 小さく息を吸い、わざとらしく咳払いをしてから、ほんの少し顔を横にそむける。


「……約束を果たしてやろうと思ってな」


「約束……?」


 エリオスは眉を寄せる。


「忘れたのか。カルヴァン共和国との交渉を成し遂げたあかつきには……特別に、わたしの王都散策に同行することを許すと、言ったではないか」


 その言葉に、背後で聞いていたリアナがくすりと笑いを漏らす。

 彼女の頬には抑えきれぬ笑みが浮かび、視線で「やっぱりそういうことか」とでも言いたげににやにやしている。


 セレナは気まずそうに続けた。


「ちょうど明日、少しばかり時間が取れそうでな……そこで卿を伴って、街へ散策に出ようと思うのだ。もちろん公務ではない、あくまで私的な外出だ。だから、変に気を張る必要はない」


 リアナは両手を口元に当て、今度は押し殺した笑い声をもらした。


(セレナ様って堅物だとばかり思ってたけど、意外と可愛いところあるのね)


 しかし、その浮き立つ空気を吹き飛ばすように、エリオスは即座に答えた。


「明日は先約がございますゆえ、ご辞退させていただきます」


 一瞬、部屋の空気が止まった。

 セレナは呆然とエリオスを見つめる。オルハンですら思わず目を見開き、リアナは口を半開きにして固まった。


「そ、そうか、それは残念だ。ちなみに、その先約とやらは一体?」


 エリオスは眉一つ動かさず、平然とした口調で答えた。


「侍女を伴い、領地経営の参考にと王都の街並みや工場を視察する予定にございます」


 セレナのこめかみがぴくりと動く。


「……じ、侍女……?」


 リアナの目が意地悪く光る。


(ふふ、面白くなってきたわね)


 リアナをちらりと見たオルハンの顔が青くなる。


(おいおい、火に油を注ぐような真似だけはしてくれるなよ)


 しかしそんな目配せも虚しく、リアナが堪えきれずに口を開いた。


「侍女といっても、エリオス様の幼馴染で、マリアっていうんです。ちょっとあか抜けないけど、面倒見がよくて、あどけなさが残る可愛い女性ですよ。昨晩から『どんな服を着たらいいかな』『お化粧は薄い方がいいかしら』って、もうしつこく聞いてくるくらいで……よほど楽しみにしてるんだと思います」


「おい、やめないか」


 とオルハンが低くうめき、額を押さえた。

 セレナの頬がみるみる赤く染まり、唇がわなないた。


「エリオスとその侍女とやらは……その……そ、そういう仲なのか?」


 エリオスは一瞬きょとんとしたが、すぐに淡々と首を振る。


「どのような意図でそのようにお考えなのかは存じませんが、彼女はただの侍女です」


「……そ、そうか……そうだよな。うん、変な問いをしてしまい、すまなかった」


 セレナは小さく息を吐き、どこか残念そうでありながら、安堵したような、複雑な表情を見せた。肩から力が抜け、小さなため息がこぼれる。

 エリオスは、あくまで冷静に続けた。


「またの機会に、ぜひお供させていただきます」


「……うむ」


 セレナはわずかに目を伏せた。

 重苦しい沈黙が流れたのち、セレナは話題を変えるように姿勢を正した。


「国王に学者を所望した理由だが……あれは、いかなる考えあってのことだ?」


 エリオスはすぐさま答える。


「ハルモニアの民に作らせるための、武器や道具の開発を進めたいのです。まだどの国にも存在しない新たな品を生み出すことができれば、他国との交渉や交易においても優位に立てましょう」


 セレナの目が驚きに見開かれる。


「エリオスは、常に先を見ているのだな」


「領民のため、ひいては王国のために最善を尽くすのみです」


 その言葉に、セレナの胸は熱くなった。

 彼が常に傍らにいてくれるなら、どれほど心強いだろうか――そう思わずにはいられない。

 そして同時に、もっと彼のことを知りたい、知っておきたいという気持ちが強く膨らんでいく。


「セレナ様?」


 無意識のうちにエリオスを見つめていたセレナは、彼の声で、はっと我に返った。


「……っ」


 セレナは慌てて視線を外す。


「で、であれば……王立研究所に当たるといい」


 セレナは慌てて紙とペンを手に取りながら言葉を続けた。


「王国全土から集められた優秀な研究員たちが日夜、研鑽を重ねている。必ずや卿のお眼鏡にかなう人材がいるはずだ」


 そう言って、紙面にサインをして、それを差し出した。


「これを見せれば、すぐに通してくれるはずだ」


 エリオスは深くうなずいた。


「ありがとうございます。国一番の逸材を必ず探し出してみせましょう」


 セレナは胸の奥で小さな鼓動を感じながら、表面上は冷静を装い、視線を伏せた。


◇◇


 セレナの屋敷を辞したエリオスは、馬車を走らせ、その足で王立研究所へと向かった。

 道中、リアナがニヤニヤしながら問いかけた。


「ところでエリオス様は、セレナ様のことをどうお思いなのですか?」


「どう、と聞かれても、相手は王族の血を引く領主で、俺はその配下、としか言いようがないが」


 深いため息をついたリアナは、首をフリフリと横に振った。


「そういうことを言ってるんじゃないですよ。女性としてどう思っているか、ということです。もっと言えば、マリアちゃんとどっちを選ぶのか……いや、ルチアもあなどれないか……とにかく、エリオス様の好みを聞いているんですよ」


 少し考え込んだエリオスは、引き締まった表情で答えた。


「そうだな……。いつでも自分の背中を預けられる人、かな」


「それって、敵に囲まれて大ピンチのときに、背中同士を合わせて一緒に戦える強い人って意味ですか!?」


 エリオスは「うん」とも「いいえ」とも言わず、じっとリアナを見ている。

 リアナは、はっとなった。


「も、も、もしかして、騎士くらいに強くて、戦場でも活躍する人って意味なんですか!? それって、もしかして、もしかしてですよ!? わ、わ、私……」


 顔を真っ赤にしてしどろもどろになるリアナをよそに、エリオスは視線を外に移した。


「そろそろ、だな」

 

 王都の外縁に広がる広大な敷地――高い石垣に囲まれた内部には、幾つもの研究棟が整然と並び立ち、煙突や塔が天を突いている。

 その一角には整えられた庭園が広がり、学問と技術の殿堂としての威容を誇っていた。

 いまだに顔を真っ赤にしているリアナを伴い、エリオスは守衛の前に立った。


「リオンハート家のエリオス・リオンハートと申します」


 丁寧に挨拶し、門前で国王からの書状とセレナからの紹介状を差し出すと、守衛が目を見開き、慌ただしく伝令を走らせた。

 ほどなくして現れたのは、黒衣に銀の鎖を掛けた初老の学者風の男――王立研究所所長、ダリオ・ハルシュタインと名乗った。


「いやはや……あの“新たなる英雄”エリオス様を、こうしてお迎えできるとは。まこと光栄の至りです。どうぞ、この私が直接ご案内いたしましょう」


「ご丁寧に痛み入ります」


 エリオスが軽く会釈すると、正気に返ったリアナはその背後で胸を張り、どこか誇らしげな表情を浮かべた。自分の主がいかに注目されているかを、改めて実感したのだ。


「では、こちらへ」


 所長に導かれ、広大な敷地を巡る。


「こちらは魔術理論の研究棟……向こうは錬金学、こちらは軍事工学。王立研究所は、それぞれの専門ごとに分野が分かれております。王国の英知を結集した成果は、日々ここから生み出されているのです」


 整然とした説明に耳を傾けていたその時。


――ボンッ!!


 突如、腹の底に響くような爆発音が研究所の一角から轟いた。

 黒煙が立ち昇り、窓ガラスががたがたと震える。


「……!」


 エリオスとリアナは顔を見合わせ、すぐに駆け出した。


「ま、待ちなされ!」


 所長は慌てて手を伸ばしたが、追ってくる様子はない。

 リアナは眉をひそめ、小声でささやく。


「……所長殿は、慣れているようですね。ですが……敵国の手先による破壊工作ということも……」


「用心するに越したことはない」


 エリオスは短く答え、煙を上げる棟へと向かう。

 近づくにつれ、耳に飛び込んできたのは怒声だった。


「またお前か! もう堪忍ならん! 今すぐ出て行け!」


「ケチ! たかだか実験失敗くらいで、この天才を追い出すなんて! 頭おかしいんじゃない!?」


「頭がおかしいのは、おまえの方だ! 出て行かないなら守衛を呼ぶぞ!」


「ふんっ! こんなケチなところ、ボクから願い下げだもん!」


 どたどたと足音が響き、棟の扉から転がり出てきたのは、一人の少女だった。

 ツインテールに結んだ鮮やかな赤茶色の髪。白衣は煤にまみれ、頬には黒いススの跡。だがその大きな翠色の瞳は、どこか楽しげに輝いている。


「あはは……またやっちゃった」


 頭をかきながら、悪びれもせず苦笑している。

 やがて、ゆっくりと所長が追いついてきた。


「はあ……やはり、君であったか」


 まるで予想通りと言わんばかりに、深いため息を吐く。

 エリオスが問いかけるより先に、所長は説明を始めた。


「彼女は――クロエ・カーネル。大科学者の父を持ち、本人もアカデミー時代にはあらゆる分野で首席。五つも飛び級を果たした末、この研究所に入所しました。が……その後は奇想天外な研究を繰り返しては失敗し、研究棟を追い出されて転々と……今は、ここが最後の居場所なのです」


 リアナは驚きに目を丸くした。


「五つも飛び級……!? それほどの才女が……」


「才は確かだ。しかし……ご覧の通り、失敗ばかりでな」


 所長は苦々しく首を振る。

 当の本人であるクロエは、全く気にした様子もなく、胸を張って宣言した。


「パパも言ってたもん! 失敗は成功の母だって! だからボクは何も悪くないと思うの!」


 エリオスは彼女に一歩近づき、静かに問いかけた。


「……君は、何を研究している?」


 待ってましたとばかりに、クロエの目がさらに輝きを増した。


「えっとね、異なる属性の魔晶石を粉々に砕いてね、それを混ぜ合わせて再度結合させるの! そうすると、新しい魔晶石ができるはずなの! 例えば火と風を混ぜれば爆炎の魔晶石! 水と雷を混ぜれば暴雨の魔晶石! 計算上は絶対にできるんだよ! もし成功したら威力は二倍、三倍――いえ、それ以上! そして応用すれば、これまでにない道具や兵器も――」


 一度口を開くと止まらない。両手をばたばた振りながら、夢中で語り続ける。

 所長は眉間に皺を寄せ、肩をすくめた。


「……ご覧の通り、夢物語に過ぎません。エリオス様、どうかお気になさらず。もっと確かな成果をあげている優秀な研究員を――」


 だが、エリオスはじっとクロエを見つめ、最後まで彼女の話に耳を傾けた。そして、口角を上げてうなった。


「面白い!!」


 その一言に、クロエの目がさらに大きく開く。


「俺と共に来い。思う存分、好きなだけ研究させてやろう。失敗だっていくらでもしてよい」


 クロエの顔がパッと明るくなった。


「ほんと!?」


「ああ、本当だとも。ただし、成功した暁には……その研究を実用化し、製品として開発することにも携わってもらう」


 細い腕を組んだクロエが、うんうんと頷く。


「そりゃ、せっかくの研究を実用化しなかったら、宝の持ち腐れだもんね」


「研究内容は同時に二つまで。一つは俺が命じる。もう一つは、おまえの好きにしていい。それから報酬も約束しよう。年に金貨五枚、どうだ?」


「き、金貨五枚……!」


 所長は腰を抜かしそうになった。年に金貨一枚で雇える研究者が多い中、その五倍……破格中の破格だった。

 しかし、クロエは首を横に振り、にかっと笑った。


「金貨なんていらない! その代わり、どんなに失敗しても、ボクを追い出さないでよ!」


 エリオスはわずかに目を細め、力強くうなずいた。


「決まりだな。だが金貨は受け取ってもらう。それが天才への礼儀というものだ」


 そう言って、右手を差し出す。

 クロエは太陽のように明るい笑顔を浮かべ、その手をぎゅっと握り返した。


「うん! よろしくね!」


 その瞬間、リアナは感嘆の息を漏らした。


「……また、エリオス様は……とんでもない人材を拾ってきますね」


 黒煙漂う研究棟の前、二人の握手は眩しく輝いて見えた。


◇◇


 王都の朝は早い。石畳を踏む人々の靴音、商人の威勢のいい声、焼きたてのパンや香辛料の匂いが大通りに立ちこめていた。

 その通りに並んで歩く一組の若い男女。

 リオンハート家の嫡男エリオスと、侍女のマリアである。

 

 ――半日だけ俺に付き合う時間を作ってくれないか。街の活気をこの目で確かめたい。領地経営の参考にしたいんだ。


 このエリオスの言葉の通りに二人は”王都の視察”という名目で、ラフな格好で街に繰り出したのだ。

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