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第37話 国王謁見

◇◇


 王都ヴァルディアの大通りは、まるで祝祭のために用意された舞台そのものだった。

 色鮮やかな布が家々の窓辺に掲げられ、即席の飾りが石畳を覆う。子どもたちが走り回り、老人たちでさえ杖を振り上げて声を張り上げていた。

 人波のざわめきはやがて大きなうねりとなり、太鼓や角笛の音と入り混じって王都を揺さぶる。


「ばんざい! ばんざい!」

「ヴァレンシュタイン卿万歳!」

「戦神マルクスの再来、リオンハート卿万歳!」


 その声の洪水の中に、マリアも立っていた。

 拍手をしすぎて、手のひらがじんじんと痛む。だが誰もが熱に浮かされたように両手を叩き続けているので、彼女も合わせて叩いた。


(みんな、この光景を、どれほど待ちわびたことだろう……)


 カルヴァン共和国との戦で、敗戦に次ぐ敗戦を重ねてきたグランヴェル王国。

 陰鬱な空気が王都を覆い、人々の顔から笑みは消え、希望の言葉は口にされることすら少なくなっていた。

 それが今、どうだろう。

 勝利の凱歌を掲げて帰ってきた精鋭軍を迎える群衆の熱気は、冷え切っていた王都に春の陽を呼び戻したかのようだ。


(まるで現実じゃないみたい)


 マリアはその中心に立ちながら、ふと自分が夢を見ているのではないかと錯覚する。

 周囲の人々の歓喜があまりにも大きく、現実離れして感じられたからだ。


「見えたぞ!」


 声のした方へ一斉に視線が向けられる。角を曲がった先、先頭に現れたのは旗を掲げる兵たちだった。

 続いて鎧をまとった精鋭たちが整然と列を組み、大通りを練り歩く。

 剣が光を反射し、陽光を受けてまぶしく輝いた。


「おおおおおっ!」


 大通りの両側から、さらに大歓声が上がる。

 紙吹雪が舞い、子どもたちが小さな花束を兵士たちに差し出した。


 その光景を目の当たりにしながら、マリアはどこか俯瞰して眺めている自分に気づいた。

 自分も声を張り上げ、手を振っているのに、心の奥底は静かで、淡い不安が広がっている。


 やがて、白馬の蹄音が響いた。

 軍列の後方、ゆっくりと姿を現したのは、ひときわ目を引く青年。


「リオンハート卿だ!」

「新しい英雄の登場だ!!」


 群衆が沸騰する。

 歓声が地鳴りのように広がり、紙吹雪が空を埋め尽くした。


(エリオス様……!)


 マリアの心臓が高鳴る。

 馬上のエリオスは漆黒の鎧をまとい、その凛々しい面差しは陽光を受けて一層輝いて見えた。

 けれど彼は英雄然とした傲慢さを微塵も漂わせない。

 手綱を片手に、もう一方の手を軽く掲げ、穏やかな笑みを浮かべて人々に応えている。

 その姿が、歓声に包まれた群衆の中でひときわ鮮やかに浮かび上がる。


「ヴァレンシュタイン卿だ!」

「わあ、素敵!」


 エリオスの隣に並ぶのは、総大将セレナ・ヴァレンシュタイン。涼やかな眼差しと気品をまとい、真っすぐに前を見据えていた。

 王家の血を引く若き女性が、これほどの戦功を挙げて凱旋する――その事実だけで民衆は熱狂するのに、そこにエリオスという新たな英雄が加わったのだ。

 王都を揺るがす大歓声は、やむ気配を見せなかった。


「……すごい」


 マリアは胸の奥でつぶやく。

 その一方で、胸の奥にきゅっと小さな痛みが走った。


(遠い……)


 彼は今や、国を救った英雄として民衆の中にある。

 自分のすぐそばにいたはずの青年が、気づけば群衆の熱狂に飲み込まれ、手の届かない遠い存在になってしまったような気がした。


「……」


 熱狂の渦に合わせて拍手をしながら、マリアの視界がわずかに滲む。

 近い将来、彼が本当に自分のそばから去ってしまうのではないか――そんな予感が心を締め付ける。


「だめ……」


 小さく首を振り、涙をこらえる。

 ネガティブな思考を振り払うように、深く息を吸った。


「あ、そうだった」


 マリアは民衆の輪から抜け出した。

 熱狂の声が背後で遠ざかっていく。

 彼女の足は自然と速まり、リオンハート家が滞在する宿舎へと向かっていた。


「支度をしなきゃ」


 エリオスが、カイルが、リアナが戻ってくる。その時に恥ずかしくないように、迎える準備を。

 胸の奥のざわめきを押し隠しながら、マリアは人波を抜けて石畳を歩いていった。


◇◇


 凱旋の一日が終わるころには、王都は深い夜に包まれていた。

 軍の解散式、祝勝の宴、王や貴族たちからの挨拶……次から次へと続く催しに駆り出され、エリオスが宿舎へ戻ってきたときには、とっくに日付が変わっていた。


「おかえりなさいませ! エリオス様!」


 扉を開けた瞬間、待ち構えていたようにマリアの顔がのぞく。

 疲れているはずなのに、彼女はいつものようににこりと笑った。


「いやぁ、今日の凱旋は見事でしたね! 王都中が耳をつんざくほどの歓声で。みんなが『英雄』なんて持ち上げるものですから、さぞかし浮かれていることでしょうね?」


 軽口を叩くマリアに、エリオスは思わず口元をゆるめる。


「大丈夫だ。いつも通り、出来損ないの放蕩子息のままだよ」


「ふふ、それなら何よりです。……って、ダメですよ! 放蕩子息のままじゃ!」


「ははっ、それもそうだな」


 疲労で強張っていた頬の筋肉が自然に緩む。

 彼にとって、この何気ないやり取りがどれほど心を安らげるものか、マリアは気づいていないのかもしれない。


「エリオス様、お部屋に着替えを用意しておきました」

「ありがとう」


 エリオスは正装を脱ぎ、簡素な寝間着に着替え始めた。

 背を向けている間、マリアはこっそりと視線を送る。


(すごい!)


 つい数か月前までは、線の細い青年だった。だが今、彼の背中は頼もしく広がり、筋肉は鎧のように鍛え上げられている。

 マリアは知っている。赤の狼団の一味をねじ伏せたあの日のから、エリオスは毎日欠かすことなく鍛錬を繰り返していた。日々の積み重ねが、彼を別人のように変えたのだ。


(でも……)


 彼の肉体に刻まれた無数の傷跡が、マリアの胸を締め付けた。

 一つひとつが戦いの証であり、死と隣り合わせの時間をくぐり抜けてきた痕跡だ。


「……」


 思わず息を呑む。

 けれど彼女が声をかける前に、エリオスは振り返り、書簡の束を手に取った。


「もう休め。明日も早い」


 それだけ言うと、机に腰を下ろし、クロース領から届いた書状に目を通し始める。


「え、あ、はい」


 マリアは頷いて退出しようとしたが、足が止まった。

 立ち去るには惜しい気がした。胸の奥に引っかかった思いが、口をつぐませたまま彼女をその場に留める。

 視線を上げたエリオスが、ちらりと彼女を見やる。


「……何か言いたいことでもあるのか?」


 マリアははっとして、スカートの裾をぎゅっと握りしめた。


「……あの……」


 声が小さくなる。頬が熱い。


「ひと通り、公務を終えられたら……その……王都の見物に、お供させていただけませんか?」


 言葉を搾り出すように告げると、しばし沈黙。

 エリオスは書状から目を離し、じっと彼女を見つめた。

その視線に耐えきれず、マリアは俯きかける。


「せっかく戦から戻ってこられたのですから、たまには息抜きくらいされてもよいかと……」


 だが次の瞬間、ふっと笑みが浮かんだ。


「……“お供をしてくれませんか”の言い間違いじゃないのか?」


「っ……!」


 一気に顔が真っ赤に染まる。


「も、もう! いいです! 意地悪なところは昔から全然変わらないんですね! おやすみなさい!」


 ぷいと顔を背け、部屋を飛び出そうとするマリア。しかしその背に、穏やかな声が投げかけられた。


「王都には、あと三日間滞在するつもりだ。明後日、半日だけ俺に付き合う時間を作ってくれないか」


 マリアの足がぴたりと止まる。

 振り返った彼女に、エリオスは淡々と続けた。


「街の活気をこの目で確かめたい。領地経営の参考にしたいんだ」


 一瞬きょとんとした後、マリアの顔がぱっと華やぐ。


「し、仕方ありませんね!」


 そして胸を張って宣言する。


「私が目付として、お供してあげます!」


 その満面の笑みは、凱旋の紙吹雪よりも眩しく、エリオスの部屋を一瞬で明るくした。


◇◇


 翌日――。


 王城に呼ばれたエリオスは、きちんと礼装を身につけ、身支度を整えていた。

 その横には、急遽呼び寄せた弟アランの姿もある。


「兄上……まさか私までご一緒できるとは思いませんでした」


 どこか緊張した面持ちのアランに、エリオスは落ち着いた声で答える。


「王城をこの目で見ることは、きっと良い経験になる。すれ違う貴族や王族に顔を覚えてもらえるだけでも大きな財産だ」


「……まるで老練の士のような物言いですね」


 アランが冗談めかして微笑む。

 エリオスはわずかに目を細め、「そうだな」と短く返した。

 その声音に揶揄の色はなく、ただ静かな自覚と責任が宿っていた。


 やがて二人が王城の大門に到着すると、迎えに出ていた近衛兵たちが恭しく頭を下げた。

 まるで貴賓を迎えるかのような厚遇である。


「お、お出迎え、ありがとうございます」


 アランは思わず目を丸くし、ぎこちない仕草で礼を返す。

 対するエリオスは、堂々とした足取りで城門をくぐり抜けた。

 弟の目には、その背中が一層大きく映り、羨望の色が濃く宿る。


 そしてついに、謁見の間の前に到着した。

 アランはそこで待機を命じられ、緊張の面持ちで兄を見送る。


「エリオス・リオンハート卿がお越しになりました!」


 重厚な扉が近衛兵によって開かれると、エリオスは背筋をぴんと伸ばし、赤い絨毯を一歩ずつ進んでいった。


 高く据えられた玉座には、グランディア王国の君主、アルフォンス三世。

 その両脇に第一王子レオポルドと第二王子ユリウス。さらに王弟ヘルマン公爵。

 列席するのは、セレナ・ヴァレンシュタイン辺境伯、ルクレール侯爵ら、国を支える重臣たち。


 全員の射抜くような視線を一身に受けながらも、エリオスは一歩もひるまず王の前に進み出ると、静かに片膝をついた。


「よくぞ戻った、エリオス・リオンハート卿」


 玉座から響く国王の声は、厳かで堂々としている。


「汝の戦功、余みずから称えよう。幾度も敗戦を喫した軍勢を立て直し、失地を奪還し、しかも予想を上回る成果を収めた。その忠勇、まことに見事であった」


「恐れ多きお言葉、ありがたく拝受いたします」


 エリオスは頭を垂れ、丁重に謝意を述べる。

 アルフォンス三世は頷き、続けた。


「その功に報いるため、褒美を与える。望むものを申すがよい」


 場内に微かなざわめきが走る。

 誰もが、金銀財宝や新たな爵位を口にするだろうと予想していた。

 だがエリオスはわずかに思案の素振りを見せたのち、はっきりと口を開いた。


「恐れながら、褒美として、優秀な学者を我が領に招き入れることをお許しいただきたく存じます。さらに研究に必要な施設の設置、必要な材料や書物の取り寄せも、王の御許可を賜りたく……」


「ほう……?」


 国王は意外そうに小首をかしげた。

 金も爵位も求めず、領地の学問と研究を口にするとは、まさに予想外だった。


「なるほど。学者の招聘と施設の設置か」


 王はしばし考えたのち、うなずいた。


「よかろう。許可を与える。加えて、その建設や物資調達にかかる費用は国費をもって賄うとしよう」


「ありがたき幸せにございます」


 エリオスは深く頭を垂れ、心からの感謝を示した。

 立ち上がり、退出しようとしたその時――。


「待て、エリオス」


 国王の声が再び響いた。


「セレナのことを、これからも頼む。あれを支え、導いてやってほしい」


 セレナの名が出た瞬間、場の空気がわずかに揺らぐ。

 平静を装うセレナの横顔をちらりと見やり、エリオスは静かに応じた。


「仰せの通りに。微力ながら、粉骨砕身の覚悟をもって、ヴァレンシュタイン卿にお仕えいたします」


 そう言い残し、彼は堂々とした足取りで謁見の間を後にした。


◇◇


 エリオスが立ち去った後。

 国王はセレナにも目を向け、柔らかな声音で労をねぎらった。


「よくやったな、セレナ。汝の采配もまた、大いなる勝利の一因である」


「身に余るお言葉、恐れ入ります」


 セレナは恭しく頭を垂れる。

 やがて国王が退出すると、場に残された王子たちの視線が彼女に注がれた。

 最初に声をかけたのはレオポルドだった。

 冷ややかな眼差しを向け、吐き捨てるように言う。


「惜しいな。もし俺が総大将だったなら、残り半分の領地も奪い返していただろうに。

まあ、今回はお前に花を持たせた父上の優しさに免じて、素直に褒めてやろう。

だが、次はもっとうまくやれよ。次があれば、の話だがな」


 セレナは静かに頭を下げた。


「お褒めの言葉、ありがたく頂戴いたします」


 レオポルドは鼻を鳴らし、ルクレールを伴って謁見の間を去っていった。

 入れ替わるように、ユリウスが歩み寄ってくる。にこやかな笑顔を浮かべ、その声音は優しげだった。


「いやぁ、見事だったよ、セレナ。まさに総大将の器だ。羨ましいなぁ、あんな忠臣がついていて」


「……恐れ入ります」


 セレナはかろうじて笑みを作る。

 だがユリウスは笑顔を崩さぬまま、瞳の奥に不気味な光を宿した。


「でもね、あんまり信じすぎない方がいい。人は簡単に変わる。出世や富を約束されたら……誰だって手のひらを返すものだよ」


 言葉を切り、わざとらしく手をひらひらと動かす。


「場合によっては、背中からズブリと刺されることだってある。君はうぶだから……本当に気を付けなきゃ」


 セレナの背筋に冷たいものが走った。

 それでも必死に笑みを保ち、深く頭を下げる。


「ご忠告、感謝いたします」

「うん、素直でよろしい」


 ユリウスは満足げに微笑むと、ヘルマン公爵とともに部屋を去っていった。

 残されたセレナは、しばしその場に立ち尽くす。

 やがて深いため息を吐き、重い足取りで謁見の間を後にしたのだった。

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