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第30話 絶望の北砦

◇◇


 砦を取り囲むカルヴァン共和国軍の旗は、朝風に揺れて果てしなく続く。


「て、敵の数、およそ三千……です」


 物見のカイルの報告が砦の兵たちの士気を挫く。それもそのはず。北砦に籠る兵はわずか六百五十。差は歴然、四倍以上もあるのだから……。


「でも敵は攻め込んでこないわね」


 リアナの言葉に、エリオスがさらりと返した。


「あえて待つ。砦に食糧が乏しいことを見越しているのだろう」


 続いてアイザックが報告した。


「食糧は、もって七日です」


 沈黙が砦を支配した。

 兵たちの喉が乾き、表情に影が差していく。

 戦うよりも、飢えとの競争が始まっていた。


「オルハン殿! どうするんですか!?」

「かくなるうえは、玉砕覚悟で出撃しましょう!」

「いや、犬死は避けるべきだ!」


 小隊長たちが指揮官のオルハンにつめよる。


「落ち着け。追って策を伝える」


 兵たちの暴発を抑えるのに必死なオルハンの一方で、エリオスは黙して剣を磨いていた。

 砦の石壁越しに見える敵の陣火を睨みつけ、ただ思案を重ねる。

 そして重い口を開いた。


「まずは、本陣に状況を報告。そのうえで命令を仰ぎましょう」


 早速、砦の一室で魔道具が起動された。通信機である。

 空に浮かぶ宝珠が淡く光り、王都にある本陣へ意識を繋ぐはずだった。


 しかし。

 宝珠は甲高い音を発し、光は歪み、やがて闇に沈んだ。


「……通信が遮断されている」


 オルハンの声が砦の空気を一層冷たくする。


「敵陣のどこかに、妨害の魔道具が設置されているのかもしれません……」


 アイザックの言葉に、オルハンは苦い顔をし、拳を組み合わせて膝に押し当てた。


「……仕方ない。やはりここは味方の援軍を待つほかない」


 声は太いが、その瞳には深い苦渋が浮かんでいた。

 砦の兵たちは不安を隠しきれず、夜ごとにざわめきが広がる。

 外壁に立つ哨兵たちの視線も、鋭さを失い始めていた。


「はて、どうしたものか……」


 エリオスは心の内で繰り返し、刃に映る己の眼を見つめた。


◇◇


 一方その頃、本陣の幕内。

 セレナの白い指が杯を握りしめ、微かに震えていた。

 美貌を覆うのは苦悩と焦燥。


「敵が多すぎて……防衛隊が近づけない、だと……?」


 報せを聞いた瞬間、胸が裂けそうだった。

 オルハンも、エリオスも、そして兵たちまでもが、孤立している。

 必死に平静を装い、彼女は口を開いた。


「ルクレール殿。……いますぐ、砦と引き換えに領土返還と和平を持ちかけましょう」


「無理ですな」


 ルクレールはあっさりと切り捨てる。


「いまやオルハン殿とエリオス殿をはじめとした急襲隊は敵の掌中の珠。言わば、人質だ。交渉などすれば、逆手に取られ、さらなる領土を割譲せよと迫られるだけです」


 声を荒らげたい衝動を堪え、セレナは問い返した。


「では、どうなさるおつもりか」


「道は二つ。彼らを見捨てるか。国王陛下に奏上し、新たに連合軍を編成して救うか」


「見殺しなど、できません!」


 セレナの声が震える。

 だがルクレールは表情を崩さず言った。


「ならば道は一つでしょう。しかし陛下があっさりと連合軍の編成をお認めになるとは思えません」


「……何が言いたいのですか?」


「セレナ殿。かくなるうえは、貴女が総大将の座を降り、己の策の失敗を潔く認めること。それが陛下に援軍を求める第一歩です」


 沈黙が落ちる。

 セレナは唇を噛みしめ、やがて別の策を口にした。


「では、領に残したヴァレンシュタイン軍をすべて呼び寄せます」


「それはなりません」


 グリフォード伯爵が口を挟む。


「辺境領が空になるのも同然。そうなればラミレス公国が動きましょう。真っ先に殲滅されるのは……あなたが庇護しているリオンハート家ですぞ」


 セレナの胸が締め付けられる。

 見殺しはできない。だが軽挙は辺境領を危うくする……。

 彼女が一歩退けば、ルクレールは必ず覇権を握り、グリフォードと共に勢力を広げるだろう。

 そのとき真っ先に犠牲になるのは、リオンハート家――そしてエリオス。

 内乱の火種にまで発展しかねない。

 それだけは、どうしても避けねばならない。


「……どうすれば……」


 セレナの指が震え、杯の中の赤い液体が波紋を描く。


 そのときだった――。


 幕内に兵が転がるように入ってきた。


「報告! 北砦より緑色の狼煙!」


 セレナは息を呑んだ。

 緑は――“そのまま待て”。


「まさか……」


 圧倒的な絶望。にも関わらず、『待て』とは、どういう了見か。

 諦めたのか?

 それとも乾坤一擲の策があるのか?

 彼女の脳裏に浮かんだのは、オルハンではなく、冷静に剣を磨く一人の青年の姿。


「エリオス……!」


 セレナは、胸が熱くなるのを抑えられなかった。そして深呼吸をひとつして、静かに決断した。


「……もう少しだけ、待ちましょう」


 苦悩を宿すその横顔は、それでも毅然としていた。


◇◇


 南砦の前に布陣したのは、王国でも精鋭と名高い二千の軍勢だった。その中央に立つ大将こそ、剣の達人第二位ライナルト・シュタインベルク。 

 濃紺の外套を風になびかせ、切りそろえられた金髪と冷徹な灰色の双眸を持つその姿は、さながら氷の騎士と呼ぶにふさわしい。長身痩躯の体躯から放たれる威圧感は、声を発さずとも兵たちを律する力を持っていた。


「はて……?」


 そのライナルトが首を傾げる。北の空に、緑色の狼煙が上がったからだ。

 本来であれば、北砦に防衛部隊が到着した時点で「赤色の狼煙」が掲げられるはずだった。赤は“動け”の合図。すなわち、南砦を牽制する役目を終え、本陣に帰還せよという命令だ。ところが、上がったのは緑色――“待て”を意味する狼煙。防衛部隊が北砦に入った様子はないのに、なぜ待機の合図が送られるのか。ライナルトの鋭い眼差しにも、かすかな疑念が浮かんでいた。


「何かあったのか……?」


 一方、北砦はざわめきに包まれていた。

 狼煙を上げたのはエリオスだった。しかしその色は、兵たちの予想を大きく裏切るものだった。援軍を求めるならば、赤色の狼煙を上げるのが常識。にもかかわらず彼が掲げたのは緑色――つまり「救援不要」の意思表示にほかならない。


「……どういうことだ?」

「援軍が必要なのは誰の目にも明らかなのに……」


 砦の兵たちは顔を見合わせ、困惑と動揺が広がっていく。


 普段、感情をあまり表さないオルハンですら、苛立ちを抑えきれずにエリオスを問い詰めた。


「なぜ緑だ! 今の状況で必要なのは赤のはずだろう。救援を求めぬなど、自殺行為ではないか!」


 だが、エリオスは平然と答えた。


「本陣には援軍を送る余裕はないはずです。加えて、今回の策そのものがルクレール侯爵の一派によって仕組まれている可能性が高い。つまり、南砦の牽制軍が救援に回ることもないでしょう」


 オルハンは歯噛みし、声を低くした。


「……はじめから我らを見捨てるつもりで、か」


「しかし、セレナ様の性格からすれば、我々を見殺しにはしないでしょう」


 エリオスの声は落ち着いていた。


「となれば、彼女が選ぶのはただ一つ。国王に直訴して救援軍を編成すること。ですが、それはセレナ様の失脚を意味します。得をするのはルクレール侯爵、ひいては第一王子派の貴族たちです」


 兵たちのざわめきが、重苦しい沈黙へと変わった。だがその中で、エリオスの瞳は確固たる光を宿していた。


「こうなった以上、我らに残された道は一つ。味方も敵も予期せぬ手を打つしかありません」


「……何をするつもりだ?」


 オルハンが問う。

 エリオスはしばし考え込み、やがて静かに言った。


「南砦を攻めます」


 その言葉は、砦内の空気を一瞬で張りつめさせた。

 オルハンは即座に眉を寄せ、声をあらげた。


「馬鹿な! ここから抜け出すだけでも至難なのに、少人数で南砦を攻めるだと? 正気とは思えん!」


 砦内にざわめきが戻る。兵たちの顔に不安が広がる。だがエリオスは動じることなく、静かに答えた。


「南砦の前には、王国の精鋭ライナルト殿らが布陣しています。彼らは緑の狼煙を見て、まだ待機しているはずです。我々は彼らと合流し、敵の主力が北の砦に集結しているため、今こそ南の砦を落とす好機であることを伝えます」


 オルハンの目が大きく見開かれた。ようやく意味が飲み込めたのだ。


「つまり、貴殿は彼らと同調して、南砦を奪い取ると?」


 エリオスは短くうなずいた。


「はい。さすがに両方の砦を落とされれば、敵軍も引かざるを得ないでしょう」


 オルハンは唸り声を上げた。


「理屈はいい。だが、どうやってこの包囲を突破して南砦に向かう? 敵の包囲網は厳重だ。少数で突っ込めば皆殺しだぞ」


「少数による強行突破です」


 エリオスは即答した。さらに、


「私が先陣を切ります」


 オルハンが驚愕の色を表すより早く、エリオスは続けた。声は低く、凛としていた。


「深夜、オルハン殿は全軍を率いて砦から打って出てください」


 その言葉に同席したリアナが続けた。


「敵の注意が引き付けられるのは間違いないわね」


「ええ、その間に、私が数名を連れ、敵の包囲が薄い箇所を狙って突破します」


「突破に成功したら?」


「白の狼煙を上げます。それを確認したら、オルハン殿は直ちに砦に戻って、これまで通り、砦を死守してください」


 腕を組んだオルハンが難しい顔でうなる。


「うぅむ……」


 エリオスは続けた。


「南の砦を落としてから、味方本隊とともに必ず助けに戻ります」


 オルハンは険しい顔で息を吐いた。


「万が一、狼煙が上がらなければどうする?」


 エリオスの眼差しは一瞬だけ鋭く光った。


「狼煙が上がらなければ、私の作戦は失敗です。その場合は、きっかり十五分。

十五分たったら、いかなる理由があっても砦に戻ってください。これ以上は戦ってはいけません。

そして、何としても生きてください。オルハン殿をはじめヴァレンシュタインの兵たちが生き延びることこそがセレナ様の望みなのですから」


 オルハンはその言葉を受け、しばし沈黙した。砦にいる者たちの運命を占う重みが言葉の間に満ちる。やがて彼はゆっくりと俯き、声を震わせながらも決断を下した。


「わかった。貴殿の覚悟を買おう。だが無茶はするな。突破が無理だと判断した時は、ここへ引き返すこと、それが条件だ」


 エリオスは小さくうなずいた。

 こうして作戦は決まった。


「決行は今夜」


 エリオスの力強い宣言に、兵たちの顔に少しずつ決意が戻る。緊張は張り詰めたままだが、そこには希望の火も灯った。

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