表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/30

第3話 思い上がりの成敗

 血に濡れた剣を収め、エリオスはゆっくりと振り返った。

 路地の奥、恐怖と驚きの入り混じった表情の群衆が彼を見ている。


 だが――拍手も歓声もない。

 その目には、冷ややかさと猜疑の色ばかりが宿っていた。


(……そうか。こいつらにとって、俺はただの放蕩息子か)


 それも当然だ。

 酒場で暴れ、金を浪費し、我が物顔で領民を顎で使ってきた“エリオス・リオンハート”という男を、彼らは知っている。

 たとえ今ここで悪党を斬ったとしても、それは気まぐれ、あるいは新たな気紛れの始まりに過ぎないと、彼らは思っているのだ。


 ただ一組、例外があった。

 殴られていた男性と、泣き崩れたその妻。

 二人は人混みをかき分け、血にまみれた彼の前に跪いた。


「ありがとうございます……ありがとうございます……!」


 男の声は震え、女は嗚咽を漏らす。

 それは、心からの感謝だった。

 エリオスは短くうなずくと、二人の肩に軽く手を置き、背を向けた。

 剣の切っ先がまだ地面に赤い筋を描く中、彼は人々の冷ややかな視線を背に受けながら、歩き去っていく。


 マリアが追いつき、肩を並べた。


「……頭でも打ったんですか?」


 その声色には本気の疑念が混じっていた。

 からかうような笑みはない。ただ、信じられないといった調子だ。


 エリオスは答えず、ただ歩みを進めた。

 そのとき、音もなく、背後から声が降ってきた。


「……あんまり派手にやるもんじゃねえよ」


 振り返らずとも分かる。フェリオだ。


「赤の狼団は、必ず復讐に来る。貴族の令息だろうが容赦しない。命が惜しいなら……」


「赤の狼団の本拠地はどこだ?」


 エリオスは立ち止まりもせず、前だけを見据えて問うた。

 背後で、フェリオが息を呑む気配がする。


「……どうしてそんなことを聞くんだ?」


「いいから、早く答えろ」


 突き放すような声音に、フェリオは短くため息をついた。


「……街の外れ、西の森の奥。廃城がひとつある。そこが奴らの巣だ」


「そうか」


 その一言とともに、エリオスの口元に、不気味な笑みが浮かんだ。

 それは、獲物を前にした獣の笑みだった。


◇◇


 夜更けの「狼の牙」は、安酒の匂いと下卑た笑い声に満ちていた。

 煤けたランプの明かりが、赤の狼団の構成員たちの顔を照らし出す。壁には古びた狼の毛皮が飾られ、酒場全体がまるで狼の巣穴のような雰囲気を漂わせている。


 奥の特等席には、三人の影があった。


 ひとりは、大柄で分厚い肩を持ち、赤毛混じりの黒髪を無造作に束ねた男。片目に走る傷跡が、場の空気を支配している。

 ボルガン・レッドクロウ。赤の狼団の団長だ。


 向かいには、赤い革ジャケットを羽織り、足を組んでグラスを弄ぶ黒髪の美女。

 ルチア・ヴァイス。赤の狼団の副団長である。


 そして、テーブルの端には、禿頭の巨漢が酒瓶を握り締めている。

 グラット・ホーグ。元地下闘技場の猛者。


 カウンターの向こうから、赤いミニドレスのバーテンダー、リリィ・モーガンが、すっと近づく。

 彼女はルチアの腹心であり、この酒場に出入りする全ての人間から情報を吸い上げる女だ。


「……面白くもない話を持ってきたよ」


 リリィの声は甘く、それでいて冷たい。

 ボルガンはグラスの中身を一口飲み、片目だけを動かす。


「言え」


「今日、昼間。うちの連中が街でちょっとした稼ぎをしようとしたら……リオンハート家の坊ちゃんが、首を突っ込んできやがってさ」


 その瞬間、グラットが椅子を蹴って立ち上がった。


「なんだと!? あの腑抜けの放蕩貴族が、うちの連中に手ェ出しただと!」


 酒瓶を叩きつけ、テーブルが軋む。


「座れ」


 低く響く一言で、グラットは肩を震わせながら腰を下ろす。ボルガンの声は冷たく、それだけで場の空気が凍る。


「んで、どうなった?」


「……なんと四人を、その場で斬り殺しちまったのさ」


 リリィが言葉を区切ると、テーブルの上に緊張が走った。

 ルチアが細い指でグラスの縁をなぞりながら、唇を歪める。


「四人を? ……へえ、あの怠け者がねえ。で、ボルガン、どうするの?」


 団長はしばらく黙し、グラスの中の琥珀色をゆらゆらと揺らす。

 その片目が、獣のように細められた。


「決まっている」


 重く低い声が、酒場の空気を押し潰す。


「相手が何者だろうと、俺たちを舐めた代償は、必ず払わせる」


 その言葉に、グラットの口元が獰猛な笑みを浮かべ、ルチアはグラスを掲げて小さく乾杯の仕草をした。

 酒場の中で、静かに、しかし確実に、復讐の炎が燃え始めていた。


◇◇


 夜のリオンハート邸。

 広間の大時計が低く時を刻む音が、妙に耳に響く。

 呼び出しを受けたエリオスは、重厚な扉を押し開け、父ギルバードの執務室へと足を踏み入れた。


「お呼びでしょうか?」


 部屋の奥、机の上には灯されたランプの光が、父の顔を陰影で覆っている。

 ギルバードの傍らには、騎士団長ガレスの姿はなく、代わりに細身の男――政務官クラウス・ベックマンが、静かに控えていた。

 どうやら父は、すでにガレスから昼間の一件を聞いているらしい。


「……座れ、エリオス」


 ギルバードはとがめる口調ではなく、落ち着いた声で言った。


「後のことは私に任せなさい。おまえは危ないから、しばらく部屋でおとなしくしているんだ。いいな?」


 エリオスは椅子に腰を下ろすことなく、真っ直ぐ父を見据えた。


「父上は……どうなさるおつもりか」


 ギルバードは苦笑を浮かべ、視線を机の書類に落とした。

 その沈黙を破ったのは、背後に控えていた政務官のクラウスだった。


「決まっているでしょう、金銭で解決です」


 その声は湿った刃物のように冷ややかだった。


「ただでさえ財政は赤字続き。これ以上、騒ぎを広げられては困ります。……はっきり申し上げますと、迷惑なのです」


「クラウス、そのへんで――」

「いえ、旦那様。この際ですから、はっきり言わせていただきます」


 ギルバードの制止を振り切り、クラウスは一歩踏み出した。

 彼の目には、もはや隠す気のない軽蔑の色が宿っている。


「あなたがこれまで起こしてきた狼藉の数々……。夜会での乱闘、借金の踏み倒し、決闘騒ぎ……列挙すればきりがありません。あなたにリオンハート家を継ぐ資格などない。次期当主は弟君、アラン様であるべきです。赤の狼団の件はこちらで処理します。ですから、今すぐこの場で、家門を継ぐ権利を放棄してください」


 長い言葉の刃を、エリオスは一言も挟まず、ただ静かに受け止めていた。

 そして、間を置き、低く静かな声を落とす。


「……クラウスとやら、それで終いか」


 政務官の顔に朱が差し、口を尖らせかけたその瞬間、エリオスが続ける。


「悪党相手に金で解決するなど、下の下策だ。国を滅ぼす愚鈍な政務官が思いつきそうなことだな」


 その声は静かだが、冷え切った刃のような鋭さがあった。


「金をやれば、悪党はつけあがる……これまでもそうだったのではないか?」


 クラウスの額に青筋が浮かび、口元が引きつる。

 エリオスはそれを見て、くくっと短く笑った。


 そして、声を張り上げた。


「三日以内に、奴らを成敗し、その首を父上の御前に献上してみせましょう」


 クラウスが大笑いする。


「あなたのようなならず者に、できるはずがない! 大口を叩くのもいい加減になさい!」


「いいだろう」


 エリオスの眼光が、炎のように鋭く燃える。


「もし成しえなかったなら、貴様の言う通り、家門の継承権を返上しよう」


 クラウスは鼻で笑った。


「ぷっ、最初から勝てもしない賭けを持ち出して、家門を放棄するつもりだったのでしょう」


 その瞬間、エリオスの表情が一変した。

 獣のような鋭さと鬼気迫る圧が、部屋の空気を押し潰す。


「だが事が成れば、クラウス。それなりの代償をはらってもらうぞ」


 クラウスは、かつて見たこともないエリオスの眼差しに、背筋を凍らせた。

 だが、意地を張るように、強ばった声で答える。


「……いいでしょう」


 ギルバードの部屋を立ち去ろうとしたそのとき、背後からクラウスの声が微かに届いた。


「……旦那様、アラン様に家督を継がせる件、領内にはどのように宣伝いたしましょうか」


 エリオスの背は、わずかにも揺れなかった。

 無反応のまま、重厚な扉を静かに閉ざす。

 乾いた音が廊下に響いた。



 廊下にはマリアとハロルドが待ち構えていた。

 二人とも青ざめた顔で、息をひそめていたが、エリオスが姿を現すやいなや駆け寄る。


「坊ちゃま、大丈夫でございますか……?」

「エリオス様、いまの……大変なことをおっしゃったのでは……」


 心配げな声。だが、エリオスは振り返らずに歩みを進める。

 視線は前だけを見据え、答えは返さなかった。


 彼の思考はすでに、別の場所にあった。


 赤の狼団の拠点、街外れの西の森にあるという廃城。

 どう攻め、どう攻略するか。


 フェリオの話では、奴らの数は総勢五十。

 戦場において兵五十は大した数ではない。

 だがこちらは、たった一人。


 しかも敵は、木造の廃城とはいえ、守りの固い城に籠っている。

 攻城戦においては、攻め手は守り手の倍の兵力を必要とするのが定石――。

 つまり、常識的に考えれば勝ち目は皆無だった。


 だが、退く気は毛頭ない。

 ……せめて、あと一人。

 冷徹に戦況を思い描きながら、エリオスの心にひとつの答えが浮かぶ。


「騎士団……」


 そこから、使える駒を調達するしかない。

 彼の眼に、不敵な光が宿った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ