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第29話 北砦奇襲戦

◇◇


 西部国境からおよそ一キロの地点のダイナ地方。

 そこに張られた連合軍の野営地は、明日の奇襲を控えているとは思えぬほど、ざわめきと緩やかな空気に包まれていた。


 それも無理はない。

 この戦場には伝説が集っていた。


 剣の達人第五位――辺境の英雄オルハン。

 さらに「グランヴェル王国四剣」と呼ばれる頂の存在から、国王直衛の第一位を除いた三人が参戦していたのだ。


 第二位【蒼天刃】ライナルト・シュタインベルク。天を裂く速さの剣と謳われ、その一太刀を避けられる者はほぼいない。


 第三位【不壊の剣壁】ドロテア・ヴァイスハルト。豪腕を誇る女剣士。鉄壁の守りと反撃の鋭さで、幾多の戦場を制した。


 第四位【斬鬼】ヴォルフ・グレーズ。狂気にも似た戦いぶりで名を轟かせる猛将。その双剣の前に立ち塞がった者は屍をさらすのみ。


 これだけの顔ぶれが揃えば、将兵が緊張感を薄めるのも当然だった。


「自分たちが敗れるはずがない」


 そんな安堵と高揚が、野営地に満ちていたのだ。だが、その中で唯一、気の緩みを許さなかった軍がある。


 リオンハート軍だ。

 整然と並ぶ兵。磨き抜かれた武具。

 その眼差しは前を見据え、明日への覚悟を湛えている。


 彼らの指揮官であるエリオスは、知っていたのだ。

 西部戦線の最前線で、第一王子派の貴族ゾヨラ子爵が、連日血を吐くような防衛戦を繰り広げていることを。

 明日の戦いは、他人事ではない。

 味方の命運を背負うものなのだ、と。


 そんな彼らの陣幕を訪れたのは、辺境の伝説オルハンだった。


「そんなに緊張せずともよい」


 豪放な笑みを浮かべながら現れる。その声ひとつで、場の空気が和らぐようだった。


「作戦を説明する」


 オルハンは地図を指でなぞりながら、作戦を口にした。


「なお本作戦は、我が国の誇る智将ルクレール殿より授かったものだ。心配無用の理由のひとつだ」


 カルヴァン共和国の拠点は二つ。北砦と南砦。

今回の目標は北砦。


「偵察の報告では、北砦にはほとんど兵がいないらしい。一方、南砦は補給の要だ。そこにはそれなりに兵が詰めている」


 オルハンは淡々と作戦を説明した。

 まずは味方主力部隊の二千を南砦へ向かわせる。

 敵が南に意識を集中させたところで、残りの千を以って北砦を急襲。


「北砦を攻めるのは、ヴァレンシュタイン軍の千。つまり俺たちの部隊だ。まあ、攻めるといむっても相手にならん。あっさりと落とせるだろう」


 オルハンはそう告げた。


「我々はそのまま砦に入り、ルクレール殿が派遣してくださる別動隊三千が来るのを待つ。彼らと入れ違いで砦を出る――という手はずだ」


 エリオスは頷きながらも、胸に引っかかりを覚えていた。


「もし敵が奇襲を読んでいたら……?」


 そう疑念を口にすると、オルハンは肩をすくめて笑った。


「心配はいらん。敵に悟られる要素はない」


 きっぱりとした断言。

 だが、エリオスの眼差しはなお晴れなかった。

 するとオルハンがふと目を細め、低い声で問うた。


「それより、例の魔晶石を仕込んだ武器は持ってきているか?」


 魔晶石を仕込んだ武器……魔法のことだ。エリオスがセラフィア神聖国の使者に対して、咄嗟についた嘘。恐らく密告者のグリフォード伯爵から噂が辺境領全体に広がっているのだろう。

 エリオスは少し間を置き、静かに答えた。


「……ええ」


 オルハンは大きく笑い、だがその目には一瞬だけ翳りが走った。


「ならばよい。だが、そいつを使わずに済むよう……祈っておくさ」


 そう言い残し、背を向けて歩き去る。

 その背を見送りながら、エリオスは拳を握った。


「ルクレール侯爵……か」


 ボソリとした呟きを拾ったのはリアナだった。


「ルクレール侯爵といえば、王国の主だった戦争で軍師として活躍した御方。まさかそんな大物が作戦を授けるなんてね……確かに『安心しろ』というのが自然だわ」


 確かにその通りだ。しかし第一王子レオポルドの最大の後ろ盾でもある。

 そして今回の戦は、全面戦争の望むレオポルドと、対話による和平を望む第二王子のユリウスの間で意見が割れた。いわば次期国王の座を巡る争いのひとつでもあった。

 しかし結果を見れば、折衷案であるセレナの意見を、国王は採用した。

 そのセレナもまた、王位継承権を持つ有力者のひとりだ。

 レオポルド派としては面白くない展開に違いない。

 もしこの作戦が失敗に終われば、セレナ失脚のきっかけとなる。さらにレオポルドの主張する全面戦争に移るきっかけにもなろう。


(思い過ごしならよいが……)


◇◇


 本陣の幕内もまた、外と同じく緊張感が希薄だった。

 将軍や貴族たちは卓を囲み、葡萄酒の香りと笑い声が交錯する。

 明日の戦いを前にした陣とは思えぬ、宴席めいた空気が充満していた。


「……気楽なものだ」


 そう漏らしたのは、この遠征の総大将セレナ・ヴァレンシュタイン。ただ一人、表情を崩さず、背筋を伸ばしている。その横顔に浮かぶのは、張りつめた緊張と責任の重みだった。


「セレナ殿。乾杯の音頭は?」


 そう声をかけたのは、白髪交じりの壮年の将、ルクレール侯爵。過去に幾度も戦場を渡り歩き、類まれなる用兵術と、敵さえなびかせてしまう人心掌握術で、勝利を収めてきた百戦錬磨の武人である。


「貴殿にお任せしたい」

「うむ、では僭越ながら……」


 ルクレールがグラスを掲げれば、幕内の誰もが頼もしげに頷いた。


「明日の勝利と、グランヴェル王国の繁栄を祈って乾杯!」


 そのルクレールの杯に、グリフォード伯爵が赤ワインを注ぎ足す。


「いやはや、天才軍師のルクレール殿下みずから策を授けてくださるなんて、これはもう戦う前から結果は見えていますな」


 猫なで声を添えながらのあからさまなごますりに、周囲の者も苦笑しつつ目を逸らした。

 セレナは黙ってその光景を見やり、やがて低い声で問いを発した。


「……本当に、安全なのでしょうか?」


 ルクレールは一瞬だけ彼女に目を向け、穏やかな口調で答えた。


「戦において絶対の安全などありはしません。しかし――」


 彼はわずかに間を置き、確信を宿した声音に変わる。


「今回ばかりは、危険に陥る要素はない。だからこそ断言できます。絶対に安全だ、と」


 老練な武人の断言に、場の空気がさらに緩んだ。グリフォード伯爵が大きな声で同調する。


「まさにその通りですな! ヴァレンシュタイン卿は心配が過ぎる!」


 他の将たちも安心したように頷き、杯を傾け、言葉を交わす。それは「これ以上の問いは不要」という無言の圧でもあった。


「はぁ……」


 セレナは小さく息を吐いた。

 彼女は納得したわけではなかった。

 だが、今ここでさらに言葉を重ねることが許されぬ空気もまた、痛いほど理解できた。


「では、そろそろお開きとするか。今宵はよい夢が見られそうだ」


 ルクレール侯爵がそう言うと、諸侯や幕僚たちはそれぞれの陣幕へと引き上げていく。

 残された静寂の中、セレナは卓上の杯に触れもせず、ただ両手を組み、祈るように目を閉じた。


(無事であれ。兵も。そして、彼らを導くあの若き者たちも)


 孤独な願いだけが、薄暗い幕の中に響いていた。


◇◇


 翌日の昼。

 北砦から数百メートル離れた森の中に、ヴァレンシュタイン軍の千はじっと息を潜めていた。

 風にざわめく梢の音さえ大きく感じるほどの静寂。

 やがて物見から戻ったカイルが駆け寄る。


「報告! 砦を守る兵はやはり寡兵にございます。周囲に増援らしき影も見えません」


 エリオスの側で耳を澄ませていたリアナが、淡く笑みを見せる。


「ここまでは想定通りですね」


「ああ」


 エリオスは短く答えるにとどめ、表情を緩めなかった。周囲の兵たちが胸をなでおろす中、彼の眼差しだけは鋭いまま。


 しばらくして、南の空に、赤黒い煙が立ちのぼった。本隊からののろしだ。


「敵は十分に引きつけた、攻撃開始せよ、という合図だな」


 そうつぶやいたオルハンが、高らかに声を放つ。


「ヴァレンシュタイン軍、突撃!」


 雄叫びが森を震わせ、千の兵が雪崩のように駆け出す。鬨の声とともに北砦へと殺到した。

 迎え撃つはずの守兵たちは、わずかな抵抗を見せたにすぎなかった。

 矢の雨も途切れがちで、門はあっけなく打ち破られ、敵兵は蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。


「砦は我らがものだ!」


 オルハンが掲げた旗竿に、王国の獅子がはためく。鬨の声が大地を揺らし、勝鬨は森の奥まで響き渡った。


「皆無事か!?」


 負傷者は出たが、いずれも軽傷。

 血を流した者も笑いながら仲間に肩を借り、戦場に漂う空気は勝利の興奮に包まれていた。


「のろしをあげよ!」


 赤色ののろしが空へ舞い上がる。

 本陣へ「勝利」を告げるしるしである。

 オルハンは兜を脱ぎ、汗をぬぐってから朗々と告げた。


「よいぞ! 今宵だけは羽目を外せ! 酒をふるまえ、肉を焼け!」


 兵たちは歓声をあげ、焚き火の周りで笑い、戦の疲れを忘れるように盃を交わした。

 歌が飛び交い、焚き火の煙とともに熱気が夜空へと立ちのぼる。


「カルヴァン共和国、恐れるに足りず! あははは!!」


 だがその輪の中に加わらず、ただ砦の高みから夜空を見下ろす男がいた。

 エリオス・リオンハートである。

 兵たちの歓声に背を向け、彼の顔にはひと欠片の安堵もない。


(やはり何かおかしい……)


 彼だけが、完勝に潜む違和感を感じ取っていた。


 そして、北砦を占拠してから三日が過ぎた。

 違和感の正体が、じわじわと姿をあらわす。

 交代の防衛隊は影も形も見えないのだ。


「敵兵の動きは見えません。……ですが、同じように味方が来る気配もありません」


 物見から戻ったカイルが報告すると、砦に集う兵の顔に次第に不安が色を濃くしていく。


「妙だ……交代は翌日にはくるはず」


 エリオスは低くつぶやき、砦の石壁に背を預けながら黙考した。


「あまりにも順調にいき過ぎたゆえ、支度に時間がかかっているのかもしれん」


 オルハンの取り繕う言葉に、兵たちは納得するより他なかった。

 しかしその夜、事態は動き始める。

 ついに耐えきれなくなったのはグリフォード伯爵の兵たちだった。


「我らが本陣へ直接報せに参ります!」


 彼らは何度止められても耳を貸さず、やがてオルハンも折れて許可を出した。


 だが、翌日になっても彼らは戻らなかった。


「おかしい……」


 ざわめきは動揺へと変わり、砦の空気は重苦しく淀んでいった。

 続けざまに、今度はハルデン子爵の兵が名乗り出る。


「我らも砦を出て確かめます!」


 止める声は弱々しく、結局彼らも砦を去っていった。

 オルハンは額に皺を刻み、やがて信頼を置く古参の将を呼び寄せた。


「おまえに託す。本陣で何が起きているかを確かめ、必ずここに戻れ」

「はっ。必ず」


 短い言葉を残し、老将は兵数名を連れて砦を発った。


 しかし、その翌朝。


「エリオス様!」


 息を切らしたカイルが部屋へ転がり込み、声を張り上げた。


「敵襲です!」


 エリオスは即座に外套をはおり、剣を腰にかけて砦の外壁へ駆け上がった。

 そこにはすでにオルハンの姿があった。

 二人が目にした光景は、悪夢そのものだった。


「そ、そんな……」


 霧の向こうから次々と姿を現す無数の旗。

 砦をぐるりと取り囲むのは、カルヴァン共和国の軍勢。


「て、敵だぁぁ!!」


 槍の穂先が朝日を浴び、黒い波のように煌めいていた。その中央、砦の正門の前に、血まみれで無惨に打ち捨てられたものがあった。

 老将と、その供をした兵たちの亡骸だった。


「……はめられた!」


 オルハンの拳が砦の石壁に叩きつけられた。

 歯を食いしばり、悔しさに声を震わせながら。

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