第27話 思惑渦巻く評議室
◇◇
王都ヴァルディアにある王城の評議室。
分厚い扉が閉じられると、重苦しい沈黙が場を包んだ。
「みなのもの、ご苦労」
玉座の横には王冠を戴く国王アルフォンス三世。齢六十。かつて「賢王」と呼ばれた彼も、病に蝕まれ、今や決断の力を日に日に失いつつあった。
そして王太子の座はいまだに空席のまま。
「では早速はじめるとしよう」
評議の開幕を告げたのは長男レオポルド・グランヴェル。歳は三十、母は側室。
「議案はカルヴァン共和国との戦争について、ですね」
そう続けたのは次男ユリウス・グランヴェル。歳は二十八、別の側室の子。
二人とも王位継承権を持ちながら、互いを認めることなく激しく火花を散らしていた。
「まずは地図をご覧いただきたい」
拡げた地図を指さしたのは第一王子派の後ろ盾。貴族の筆頭ファーブ・ルクレール侯爵。彼は自身の妹を国王の側室に嫁がせ、その子であるレオポルドをこそ次代の王と認めよと声高に主張している。
「非常に厳しい状況ですな」
そう顔を歪めたのは、第二王子ユリウスを推す、王弟グッド・ヘルマン公爵。彼はユリウスの母が王妃の遠縁であることを根拠に、より正当な血筋と説いてはばからなかった。
そして、両派がどうしても味方に引き入れたい存在がひとり。
辺境を治めるセレナ・ヴァレンシュタイン辺境伯。
順位こそ低いが、彼女もまた王位継承権を持つ正統な血筋の一人だった。
表立っては権力争いに関わろうとせず、領地経営に専心してきたが、この状況ではいずれ態度を明らかにせざるを得なくなる――それがセレナの大きな憂いであった。
(私は……ただ領地を守りたいだけなのに。なぜ王位の椅子が、これほど人を狂わせるのか)
セレナは凛とした表情の裏で、深く胸を痛めていた。
政争に巻き込まれたくはない。だが、無関心でいられるほど王国は安定してはいなかった。
そして今、彼女を含めた王国の重鎮が集められた理由はただひとつ。
西部国境で続くカルヴァン共和国との戦争に、いかなる方針を取るか。
「これまで数々の武功を挙げてきた『西の新星』、アレッサンドロ・フェッラーロが憤死。彼の死をきっかけに敵軍は攻勢を強めてきております」
長机に広げられた地図には、赤い印がじわじわと王国領へ食い込んでいた。季節ごとに後退を重ね、このままでは半年以内に国境の領都が陥落しかねない。
重苦しい沈黙を破ったのは、第一王子レオポルドだった。
軍服に身を包み、威勢よく立ち上がる。
「父上、諸卿。この状況を放置することは国の威信を地に落とすことと同じです。ここは全王国の兵を集め、連合軍を編成すべきです」
その提案にルクレール侯爵が力強くうなずく。
「さすがは殿下。アレッサンドロ亡き今、もはやゾヨラ子爵の兵だけでは支えきれませぬ。しかも相手は、百年に一度の傑物と評判の若き智将レオニード中佐。全軍を結集し、共和国を押し返すのが唯一の策にございます」
地図を指でなぞりながらレオポルドは声を張り上げた。
「もし子爵が必死に守っているダイナ地方が敵の手に落ちれば、そのときから半年! 半年で奴らは子爵の領都に迫る! 今動かねば取り返しがつかぬ!」
その声を静かに遮ったのは、第二王子ユリウス。
若さに似合わぬ落ち着いた口調で杯を置き、口を開く。
「兄上はいつも剣を振り回すことしか考えておられぬ。確かに敵は迫っている。だが全土から兵を集めれば、民は飢え、財は尽き、国は疲弊する。ここで必要なのは剣ではなく、言葉だ」
「和平を望むと申すか?」
レオポルドが顔を真っ赤にした。
「正気の沙汰ではない! 奴らは譲歩を得れば、さらに踏み込んでくる! 対話など裏切りへの道にすぎん!」
「だが兵を浪費し続けることは、国力そのものを削ることになる」
ユリウスは微笑を崩さず、兄を見据えた。
「領土のいくらかを割譲しても、王国全体を守ることの方が大事だろう」
レオポルドが激昂し、机を叩いて立ち上がる。
「売国奴め! そんな戯言で王冠を手にするつもりか!」
二人の王子の応酬に、評議室は一気に緊張を増していった。
その後も議論は堂々巡りを繰り返し、ついに国王アルフォンス三世が重い口を開いた。その声はかすれてはいたが、なお威厳を失ってはいなかった。
「……あまり大きな軍勢を差し向けるとなると、それこそ全面戦争になりかねぬ。他国も黙っておらぬだろう。東も南も、虎視眈々と我らをうかがっておるのだ」
沈黙を破るように、第二王子派のヘルマン公爵が畳みかけた。
「まことに陛下のご慧眼にございます。ゆえにこそ、無謀な出兵ではなく、和平を模索すべきなのです。剣よりも言葉で――」
その言葉を遮るように、再び国王が口を開いた。
「だが……対話が長引けば、その分我が国土は削られるばかりだ。……公爵よ、それほどまでに対話を主張するならば、早々にまとめ上げる責任がそなたに生じる。それが果たせぬ時は……」
一拍置かれたその言葉は、評議室に冷気を呼び込んだ。
「確かに、売国の輩と称されても仕方あるまい。その覚悟はあるのか」
「……っ」
公爵の顔が引きつった。口を開きかけ、しかし言葉は出てこない。
重苦しい沈黙が場を支配する。
国王の視線が、すっと一人の人物へと向けられた。
「――セレナ。おまえはどう思う」
一斉に、全員の視線がセレナ・ヴァレンシュタインに集まった。
火花のような注目。重圧は矢の雨のごとく彼女を貫く。
セレナは嫌悪を覚えるように瞼を閉じ、深く息を吸った。
(どうすれば……? 軽々に口を開けば、どちらかの陣営に与したと見なされる。だが沈黙を続ければ、逃げていると思われる……)
思考の迷路の中で、脳裏に浮かんだのは――エリオス・リオンハートの姿だった。
辺境領の総会で見せたあの鮮烈な立ち回り。
もし彼ならば、この難局をどう切り抜けるか。
自然と、言葉が口をついて出た。
「……カルヴァン共和国が停戦交渉に応じないのは、戦況が有利だからです。つまり、力が拮抗していない」
室内がざわめいた。
第一王子レオポルドが身を乗り出す。
「では、やはり力でねじ伏せねば――」
セレナは首を振った。
「いいえ。こちらから総力戦を仕掛ければ、相手はそれに乗じて戦力を増強し、長期戦へと持ち込むでしょう。それは陛下がおっしゃったとおり、危険です」
レオポルドが苛立ったように机を叩いた。
「ならば、どうするというのだ!」
セレナは呼吸を整え、毅然と続けた。
「……各地から精鋭だけを選りすぐり、奇襲を仕掛けます。敵領の要所を一点、必ず奪還する。その一点があれば、我らは交渉の材料を得ることができる。共和国はさらに兵を割かざるを得ず、戦費は跳ね上がる。合議制の彼らにとって、それは内部分裂を招くでしょう。やがて交渉の席につかざるを得なくなる」
静まり返った評議室に、彼女の声だけが響いた。
「奪われた領土の3分の1の返還と囚われの身の捕虜全員の解放を条件に、要所を返還。さらに、緩衝地帯を設けることで戦争終結のきっかけとする――」
国王が無表情のまま目を細めてセレナを見ている。彼女はその視線に気圧されながらも、はっきりした口調で続けた。
「和平は力の裏付けなくして成り立ちません。力で全てをねじ伏せるのではなく、力で交渉の扉を開くのです」
一同が言葉を失う中、国王アルフォンス三世の顔に穏やかな光が宿った。
「……それでよい」
「陛下!」とレオポルドが叫んだが、国王は動じなかった。
「連合軍の総大将は、セレナ。おまえに任せる。各自、精鋭を揃えよ。半月後、王都に集結するのだ。よいな」
誰も反対の言葉を返せなかった。
ルクレール侯爵も、ヘルマン公爵も、押し黙ったまま不承不承うなずく。
その場に残されたのは、決断の重みを一身に背負うセレナの苦悩だった。
(なぜ私が……。戦を望んだわけではないのに……)
だが、その表情は決して弱さを見せぬよう、毅然としたままに保たれていた。
◇◇
王都、ルクレール侯爵の屋敷。
評議室を出たばかりのルクレールは、厚いカーテンで外光を遮った広間に入った。待機していたのは、肥えた体に絹の服をまとったグリフォード伯爵だった。
「して、いかがでしたかな」
にやりと笑みを浮かべ、グリフォード伯爵が問いかける。
ルクレールは重々しく椅子に腰を下ろし、吐き捨てるように言った。
「……ヴァレンシュタイン卿が総大将だ。陛下は、彼女に賭けたらしい」
伯爵の目が細まり、口元が吊り上がる。
「予想通りの展開ですな」
ルクレールが苦々しい表情で口を開く。
「予想通りかもしれないが、これではヴァレンシュタイン卿が功を立てた時、第二王子派にも我らにも与さぬ第三の勢力として力を増す。厄介極まりないではないか」
ひと呼吸置いたところで、ルクレールは問いかけた。
「して……いかにして彼女を失墜させる?」
グリフォードの目が鋭く光る。
「簡単なことです。ヴァレンシュタイン卿が“頼みにしている人”と今回の作戦を天秤にかけてしまえばよいのです。彼女は必ずや”人”を取る。そうすれば、作戦は失敗に終わり、国王陛下の彼女に対する信頼は地に落ちましょう」
「……頼みにしている人?」
伯爵は一呼吸置いて答えた。
「ひとりは、ヴァレンシュタイン軍の象徴ともいえる総司令官――オルハン殿。もうひとりは……」
ルクレールの眉がひそめられる。
「もうひとり?」
「エリオス・リオンハート」
伯爵は低い声でその名を口にした。
「エリオス・リオンハート? 誰だ、それは」
ルクレールは心底訝しげに吐き捨てる。
「リオンハート子爵の嫡男にございます。辺境で少々名を上げておりますが……まあ、殿下が気にかけるほどの存在ではございません」
「……で、その二人と作戦を、どうやって天秤にかけるつもりだ?」
グリフォード伯爵は薄く笑い、両手を広げた。
「戦場とは、何が起こるか分からぬ場所にございます。しかも相手はかの智将レオニード……その意味を、ご理解いただければ幸いです」
ルクレールの目が細まり、静かに息を吐いた。
「……なるほど。つまり“事故”か」
伯爵は深く頭を垂れた。
「ご明察にございます、殿下」
広間の空気は冷え込み、燭台の炎がわずかに揺らめいた。
その場にいた二人の心には、同じ暗い影が落ちていた。




