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第26話 セラフィア神聖国からの使者

◇◇


 ハルモニアから帰還して数日。

 領主館の執務室で、エリオスはようやく一息をついていた。


 その扉が、唐突に開かれる。

 蒼白な顔をしたカイルが、駆け込むように姿を現した。


「……エリオス様、大変です!」


 物見役を務める彼の言葉に、部屋の空気が張り詰める。

 カイルは息を整える間もなく、見てきた光景を吐き出した。


「青地に金の十字架の旗を掲げた、一行がこちらに向かっております……きらびやかな馬車に、ずらりと並んだ従者や騎士たち……道端に並んだ領民たちが、ひざまずき、深々と頭を下げておりました」


 重苦しい沈黙を破ったのは、執事長から政務を担う側近に格上げされたハロルドだった。

 彼は眉間に皺を寄せながら、低く告げる。


「……青地の旗に金の十字架……間違いございません。エリュシア教の一行です。しかも、あの格式からして、セラフィア神聖国の聖都からの使者……かなり位の高い方のご来訪にございます」


 エリオスは椅子の背にもたれ、冷ややかな瞳を細めた。


「……さて、何をしに来たと思う?」


 問いかけに応じる者はいない。

 騎士団長ロルフは黙り込み、腕を組んで首をかしげる。

 ルチアは軽口を叩く余裕もなく、唇をかんで視線を落とした。

 カイルもハロルドも、皆目見当がつかぬ様子で顔を見合わせる。


 そんな中、不意に別の声が響いた。


「……やっぱり、大事になりそうね」


 皆の視線が向いた先にいたのは、リオンハート家の騎士団副団長リアナ。

 明るく快活な笑顔は影を潜め、代わりに鋭い眼差しが光っていた。


「……ガレス団長の命で来たの。セラフィア神聖国の動きを察知した団長は、すぐに知らせを入れるようにって」


 彼女はエリオスをまっすぐ見据え、低く告げる。


「一行の目的は、エリオス様が戦場で見せた”魔法”と思しきもの。それ以外にあり得ないわ」


 部屋の空気が一層重苦しくなる。

 リアナはさらに言葉を続けた。


「もし、あれが魔法だと断定されれば……あなたの身柄はセラフィア神聖国に引き渡される。尋問は苛烈を極め、その先に待つのは、”悪魔の再来”としての火刑……」


 ルチアが息を呑み、マリアは小さく震えた。


「リアナさん、じょ冗談よね……?」

「こんなこと、冗談で言えると思う?」


 リアナの声音は淡々としていたが、その目には深い憂慮が宿っていた。


「……たとえ他国の貴族であろうと、関係はないわ。この世界に平和をもたらした勇者エリュシアは絶対的な存在。エリュシア教は、国を超えた”法”として認められている。抗うことなど……誰にもできない」


 執務室に、重苦しい沈黙が広がった。

 外では、荘厳な鐘の音が、青地の旗を掲げた一行の到着を告げていた。


◇◇


 セラフィア神聖国の使者一行は、厳重な警護を伴いながらも、驚くほどすんなりとエリオスの屋敷へと迎え入れられた。


 豪奢な馬車の扉が開かれる。

 まず姿を現したのは、静かな気配を纏った初老の男――教皇アストリッドの名代として派遣された聖者、セドリック・マルケイン。

 銀糸を織り込んだ深青の法衣をまとい、その一挙手一投足が威厳と品格を漂わせている。


 そして、その隣に立ったのは、白銀の鎧に身を包んだ若き聖騎士。

 陽光を浴びて輝く金色の長髪、細く切れ長の目を持つ容姿端麗な青年――ルシアン・セイバー。


 二人を迎えたエリオスは、自ら彼らを中庭の奥にある別邸へと案内した。

 そこは泉のほとりに建てられた静謐な離れ。

 人払いはすでに済ませてある。


「ご安心ください。ここには私と……騎士団長のロルフしかおりません。彼は口の堅い男ですので」


 そう告げると、互いに名乗り合う。


「遠いところまで、ようこそおいでくださいました。私はグランヴェル王国リオンハート子爵家の嫡男エリオス・リオンハートでございます」


「こちらこそ突然の訪問にかかわらず、丁寧に迎え入れをいただき、ありがとうございます。私は、セラフィア神聖国の教皇アストリッド様の名代として参りましたセドリック・マルケインと申します。こちらは……」


「聖騎士ルシアン・セイバーでございます。以後、お見知り置きを」


 その名を耳にした瞬間、エリオスの表情が固まった。


(ルシアン……!)


 かつてアルベルトだった頃、もっとも信頼した側近。そして、暗殺という形でその覇業を阻んだ男とまったく同じ名前だ。

 しかも、おぼろげな記憶をたどれば、その容姿まで重なるではないか。


(偶然か、それとも……)


 にわかに思考が乱れる。

 さしものエリオスであっても、表情を隠しきれなかった。


「……どうされましたかな?」


 静かな声でセドリックが問う。


「顔色が優れぬようですが」


 はっと我に返ったエリオスは、微笑を浮かべ直す。


「ご心配には及びません。それで、わざわざこのような田舎の地までお越しいただいたのは、何用でしょうか?」


 その答えを口にしたのはルシアンだった。


「単刀直入にお伺いします。貴殿が先の戦いにて、炎を操り、敵兵を一網打尽にしたというのは、まことですか?」


 エリオスは小首をかしげ、薄く笑んだ。


「はて? 覚えておりません。なにしろ生きるか死ぬかの戦場でしたので」


「……さようですか」


 ルシアンの目は細く、笑っているのか、それとも鋭く射抜いているのか判別しづらい。


「ですが、その光景をはっきりとこの目で見た、と証言する者がおります」


「……その者の名は?」


「グリフォード卿です。彼が虚言を弄してまで、貴殿を貶める理由はありますまい」


「……ふう」


 エリオスは深いため息をつき、懐から一本の杖を取り出した。

 その先端には、小ぶりの魔晶石が埋め込まれている。


「仕方ありませんね。……これは、私が考案した新しい武器です」


 エリオスはその杖をルシアンへと差し出した。


「ご覧の通り、魔晶石を仕込んであります。その仕掛けで炎を放つことができるのです。ただ、まだ試作段階ゆえ、使用は二回まで。それでも、戦場では敵の士気を大いに挫く効果があったようですね」


 ルシアンはしばし無言で杖を眺め、やがて「なるほど」と呟いた。

 セドリックも頷き、目を細める。


「……つまり、“魔法”ではなく、“技術”ということですな」


「ご理解いただければ幸いです」


「この杖は、念のためお預かりしてもよろしいですか?」


 ルシアンの問いに、エリオスは小さくうなずいた。


「ええ、かまいません」


「では、未使用のものは他に?」


 ルシアンの細い目が鋭さを帯びる。

 しかしエリオスは、にこりともせず、静かに答えた。


「……ありません。仮にあったとしても、お渡しする義理はございませんし、その気もありません」


 二人の視線が交錯する。

 泉の水面が、ぴたりと凍りついたかのような沈黙。


 しばしして、先に目を逸らしたのはルシアンだった。細い目をさらに細め、にこやかに笑みを浮かべる。


「これは失礼しました。……では、もし実用化された暁には、正式な価格で買い取らせていただきましょう」


 エリオスは肩をすくめる。


「ええ。それまではしばらく辛抱なさってください」


「またお会いできる日を楽しみにしています」


 そう言い残し、ルシアンは爽やかに一礼して去っていった。


 残されたエリオスの胸には、戦慄と不可解な既視感が重くのしかかっていた――。


◇◇


 聖者一行はクロース領を出た後、ヴァレンシュタイン領に入った。

 荘厳な調度で飾られた謁見の間。

 そこに姿を現したのは、聖者セドリック・マルケインと聖騎士ルシアン・セイバーの二人のみであった。


「……エリオス卿の姿はないのですね」


 玉座に腰掛けるセレナ・ヴァレンシュタインは、安堵の息をひそめるように胸をなでおろした。

 彼女のかたわらには、この日のためだけに来訪したグリフォード伯爵が控えている。険しい表情のまま、口を開いた。


「……結果をお聞かせ願いたい」


 セドリックは静かに一歩進み出る。


「エリオス卿は、“魔法”を用いたのではなく、魔晶石を利用した新たな武器を用いたとのこと。確かに炎を発する力は認められましたが、原理は技術によるもの――我らが信ずる“禁忌の術”に該当するものとは、断定できませぬ。ゆえに、この場でこれ以上の追及を加える意志はございません」


 そう告げたのち、セドリックは柔和な笑みを浮かべる。


「本教の教義にございます。“人を信じよ”。……エリオス卿のこともまた、信じて差し上げるべきかと」


 セレナは小さくうなずき、隣のグリフォードへと視線を移した。


「グリフォード殿。エリオスは辺境を救った英雄。疑うよりも、その武勇をたたえようではないか」


 グリフォードは一瞬逡巡したが、やがて素直に頭を垂れた。


「どうやらその通りでしょうな。いやはや、歳を取ると疑り深くなり過ぎてしまって困りますな」


 セレナはそれを見届けると、柔らかに微笑み、部屋の隅に直立している騎士団長に命じた。


「オルハン、聖者殿と聖騎士殿をお見送りせよ」


「御意」


 二人を先導し、屋敷の門を出る。

 その時だった。


「騎士団長殿」


 歩みを止めたルシアンが、すれ違いざまに低く囁く。


「本教の教義には続きがあります。“人を信じよ”……それと同じように、“自分も信じよ”と」


「……!」


 オルハンの目が大きく見開かれる。

 ルシアンの細い目は相変わらず笑んでいるのか、鋭く射抜いているのか分からぬまま。


「エリオス卿のこと、目を離してはなりませんよ」


 その言葉を残し、ルシアンは振り返ることなく、セドリックとともに聖都へと帰っていった。


 門の外に消えていく一行を見つめながら、オルハンの胸中に、不穏な影が落ちていた。


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