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第24話 ハルモニアの哀愁

◇◇


 グランヴェル王国最大の湖―― セルペンティス湖。

 果てしなく広がる水面は、空をそのまま写しとったかのように澄んでいる。湖畔には小さな入り江や森が点在し、湖魚や水鳥に恵まれた豊かな土地だった。


 その湖の西岸に、人口数百人ほどの小さな村がある。名を ハルモニア村。


 今でこそ、のどかな農村と大差ない静けさだが、ほんの数十年前までは違った。

 ここは「グランヴェルの武器庫」と称され、王国中に名を轟かせた鍛冶の村だったのだ。


 剣、槍、鎧。どれも職人たちの手による逸品で、王国軍の兵士たちはこの村の鍛冶場で生まれた武具を携えて戦場に赴いた。

 時の国王アルフォンス二世も、この村を特別視し、潤沢な支援金を与えて職人を保護した。


 だが時は移ろい、現国王の代になると、支援金は打ち切られた。


「標準工程で作られる量産武器で十分」


 とされ、王国の発注は激減。

 有力貴族たちは、よりよい条件で優秀な職人を引き抜き、王都や地方都市に抱え込んでしまった。


 村は急速に衰退した。

 残されたのは年老いた鍛冶師と、数件の鍛冶屋が農具や釘などを細々と作るだけの現状。

 炉の火はかつてのように絶え間なく燃え続けることはなく、村全体から活気が失われていた。


 そして今。

 湖畔の街道を、立派な造りの馬車がゆっくりと進んでくる。

 普通ならば村人たちが物珍しげに集まってくるものだが……ハルモニア村の人々はちらりと視線を向けただけで、すぐに視線をそらした。

 誰も歓待しようとしない。

 それどころか、重々しい沈黙の中に「どうせまた、道楽貴族か金持ち商人が、面白半分で村を見学にきただけだろう」という諦めの空気すら漂っていた。


 宿の中は薄暗く、煤けた天井と、ところどころ欠けた木のテーブルが村の衰退を物語っていた。

 炉端に腰をおろしたエリオスたちに、宿の主が粗末な麦粥を運んでくる。


「……悪いな、これくらいしか出せなくて」


 気まずそうに目を伏せながらも、宿の主はぽつりぽつりと村の現状を語り出した。


「ハルモニアはグリフォード伯爵領には違いありません……伯爵様からはもう見放されたも同然でして。支援どころか、税ばかりが重くのしかかるんですわ。過去の栄光だけで飯は食えません。肥沃な土地があるわけでもないし、いっそのこと、農耕に適した地へ移り住みたい――そんな声があちこちから聞こえてくるんです」


 宿に併設されたバーでは、領主に雇われている警備兵と思われる男たちが、賑やかに酒をあおっている。彼らに聞かれたらまずいと、宿の主は声を落としていた。


「ふん……」


 エリオスは鼻で笑った。


「栄えていた頃は散々おだて、衰えればてのひらを返す。まさしくグリフォードらしいな」


 バーの奥まで聞こえるような大声で言うと、宿の主が慌てて、指を口に当てて「しーっ!」とやる。しかし、もう遅かった。武装した大柄の男たちがどやどやと入ってきた。宿の空気が一瞬にして凍りつく。


「……聞き捨てならんな」


 リーダー格と見える男が一歩前に出て、低く唸るように言った。


「ここはグリフォード卿の地である。卿の陰口を叩く輩は、厳罰に処すと決まっておる」


 その場に重苦しい緊張が走る。

 しかし、今度はルチアが煽った。彼女は首をすくめて、にやりと笑った。


「あら? タヌキをタヌキと言って、何が悪いのかしら?」


「なっ……!」


 男たちは激昂し、一斉に剣を抜いた。

 鋭い金属音が宿の狭い空間を震わせる。


「おいおい、この人はこう見えても偉いんだぜ」


 口を開いたフェリオをエリオスが制する。


「エリオス様、他領で騒ぎはやめてください!」


「問題ない。奴らにかかってくる度胸なんてないだろうからな」


 心配そうなマリアをかたわらに、エリオスの視線がぎろりと光った。

 冷徹な光を帯びたその眼差しに、男たちは息を呑む。まるで全身を鷲掴みにされたかのように動けなくなった。


「……っ」


 リーダー格の男が、喉を鳴らして顔を背ける。


「ふん……今回だけは赦してやる」


 捨て台詞を吐きながら、彼は剣を鞘に収めた。


「どこの馬の骨かは知らんが、外の者がでかい顔していい場所じゃねえ。用が済んだら、とっとと帰れ」


 男たちは乱暴に扉を開けて出て行き、宿の中には再び静寂が訪れた。


「ふーん、なかなか面白いことになりそうじゃない」


「もう、ルチアさんったら! 今のを見てどこが面白そうなんですか!?」


 宿の主は顔を青ざめさせ、震える声で言った。


「……あまり目立つような真似は控えた方がいい。あの者たちは、ただのならず者ではない。領主さまの犬でございます……」


 エリオスは軽くうなずくと、フェリオに視線をやった。


「村の様子を探れ。夜のうちにだ」


「分かった」


 フェリオは口角を上げ、気配を消して夜の村へと消えていった。


 そして翌朝。

 薄暗い食堂にて、粗末ながら温かい朝食が並べられる。焼いた黒パンと干し肉、薄いスープ。

 フェリオは疲れを見せぬ顔で腰を下ろすと、報告を始めた。


「領主はグリフォード伯爵の甥っ子、名はダリウス。小太りで苦労知らず、伯父の威光を笠に着てやりたい放題だ。村からは毎年金貨50枚を巻き上げてる。だが伯父に納めてるのは10枚程度、残り40枚はぜんぶ自分の贅沢に消えてる」


「金貨1枚で一家族が1年暮らせるのに……ひどい!」


 マリアが呆れたように眉を上げる。


「豪邸に美女を侍らせて、贅を尽くしてるらしい」


 フェリオが続けると、ルチアが笑う。


「ふふ、典型的なクズ領主ね。……でも、そういうの嫌いじゃないわ」


 マリアがギロリとルチアを睨む。


「冗談よ、冗談」


 両手を小さく上げた彼女は、直後に表情を引き締めた。


「エリオス様、ご存じだとは思うけど、グリフォード伯爵は辺境領だけでなく、中央でも大きな影響力を持つお方。格も名声も、オズワルドなど比べものになりません。……ですから、あまり刺激し過ぎないように進めるべきかと」


 静かに耳を傾けていたエリオスは、ちらりとルチアを見やり、ゆっくりとティーカップを口に運んだ。淡々とした声で言う。


「その通りだな。お利口さんでいるようにしよう」


 マリアが安堵の息を漏らした、その直後――。

 エリオスは唇の端をわずかに持ち上げ、ニタリと笑った。


「少なくとも……“俺は”な」


 その意図をすぐに察したルチアは、目を細めて口元に不敵な笑みを浮かべる。


「ふふ……そうね。エリオス様の綺麗なお顔を、自分の手で汚す必要はないわ」


 二人のやり取りに、食堂の空気が一瞬ぞくりと冷たくなった。

 マリアは凍り付いたように固まったまま、目の前のスープに手を伸ばすこともできなかった――。



 昼下がりの陽光が村の石畳を照らすなか、エリオスはマリアを伴ってダリウスの屋敷へ向かった。

 屋敷の門前に立つと、昨晩からんできた警備の男たちが仁王立ちしている。

 その顔を見るなり、彼らは一瞬たじろいだが、すぐに声を荒げた。


「き、貴様ら! まだこの村にいたのか!」


 エリオスは何も言わず、歩を進める。

 剣を抜いて突っかかってきた一人の腕を、ほんの一瞬でひねり上げると、バキリと嫌な音が響いた。


「ぐあああ! 腕の骨がぁぁ!」


 悲鳴を上げて地面に転がる警備兵。


「なっ……!」


 残りの兵たちは顔を青ざめさせ、慌てて屋敷へ駆け込む。

 ほどなくして、屋敷の玄関に姿を現したのは、小太りで脂ぎった顔をした童顔の青年――村の領主、ダリウスだった。

 金糸の入った服を着崩し、女を侍らせていたのか首元には香油の匂いが漂っている。


「何の真似だ? ここが誰の地かわかっておるのか。グリフォード伯爵の甥、この私に刃向かうつもりならば……」


 言葉の途中でエリオスは深々と礼をして名乗った。


「お初におめにかかります。私はリオンハート子爵家の嫡男エリオス・リオンハートでございます」


 高圧的な言葉を浴びせていたダリウスの声が、不意に裏返った。


「り、リオンハート……? あ、あの……! 近頃ちまたで噂になっている英雄殿……!」


 先ほどまでの尊大な態度はどこへやら。

 ダリウスは飛び跳ねるように駆け寄り、両手をすり合わせて媚びへつらう笑みを浮かべた。


「いやはや、なんという失礼を……! ようこそおいでくださいました! こちらへ、ぜひ!」


 マリアが眉をひそめるのを横目に、エリオスは鷹揚にうなずいた。


「では、お言葉に甘えましょう」


 やがて応接間に通され、酒と果物が並べられる。ダリウスが額に汗をかきながら椅子に腰掛けると、エリオスは食べ物には手をつけず、懐から金貨を取り出し、卓上に置いた。


「これは……?」

「金貨10枚。近づきの印です。私はしばらくこの村に滞在するつもりでいますので、どうぞよろしくお願いします」


「な、なるほど……英雄殿が我が村に! こ、これは光栄でございますな……」


 ダリウスの目が、金貨にいやらしく吸い寄せられる。エリオスは構わず続けた。


「ひとつ頼みがございます。我が領民にも、この村の鍛冶の技術を学ばせたいと考えています。ついては、優れた職人を、リオンハート領に招待したいのです」


 ダリウスは顎に手をやり、わざとらしく難しい顔をする。


「ふむぅ……それは大変喜ばしいことではありますが……なにぶん村のことゆえ……私一存では……」


 ちらりと、机の金貨を見やる。

 エリオスは一言も発さず、マリアに目配せした。

 マリアは静かにため息をつき、懐から袋を取り出す。

 卓上に置かれたそれを開けば、金貨20枚が黄金の輝きを放った。


「……!」


 ダリウスの目がぎらりと光る。


「いやぁ、さすがはリオンハート卿! お心の広さ、まことに頭が下がります! もちろんでございますとも! 何人でも、何日でも! 職人を派遣いたしましょう!」


「殿下の寛大なお心。大変助かります」


 エリオスは静かに立ち上がり、マリアとともに丁重に頭を下げた。


「それでは、しばらくの間よろしく頼みます」


「ええ、ええ! 何なりと!」


 媚び笑いを浮かべるダリウスを背に、エリオスとマリアは屋敷を後にした。

 石畳を歩きながら、マリアは小さく吐息をついた。


「露骨にお金で釣られるなんて……」


 エリオスは薄く笑みを浮かべた。


「分かりやすくていいじゃないか。金だけで解決できるなら、血を見なくて済むからな」


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