第23話 職人を求めて
◇◇
セラフィア神聖国――聖都エリュシア。
その名は、三百年前に魔王を討ち果たした勇者エリュシアの栄光を永遠に刻むもの。
大理石の石畳が続く中央大通りの果てに、天を突くようにそびえ立つ大聖堂があった。純白の尖塔は陽光を反射して輝き、世界の中心にふさわしい威容を放っていた。
その至高の座にあるのは、現教皇――アストリッド・エリュシア。
齢十九。まだ少女の面影を残すあどけない横顔 に、神の加護を示す”勇者の印”と呼ばれる聖痕が輝いている。
彼女が即位したのはわずか一年前。とはいえ実権は四人の枢機卿に握られ、アストリッドは象徴として玉座に座すだけの存在に過ぎなかった。
その彼女のもとに、グランヴェル王国の辺境から届いた報せがあった。
――魔法の存在。
――悪魔再来の可能性。
「くだらぬ。田舎の騒動に過ぎぬわ」
「そのような虚言に耳を傾ける価値はない」
「放置せよ」
枢機卿たちは口々にそう断じ、肩をすくめて鼻で笑った。
だが、その場に新たに加わった一人の男がいた。
アストリッドの護衛として着任したばかりの聖騎士団の若き騎士――ルシアン・セイバー。
長身で鍛え抜かれた体躯。白銀の鎧に身を包み、蒼穹を映したような澄んだ瞳を持つ。金の髪は陽光を受けてきらめき、まるで古の英雄のような気高さを纏っていた。
彼は静かに一歩前へ進み出る。
「枢機卿閣下方……どうかご再考を。
魔法が真実ならば、民の信仰を根底から揺るがす脅威となりましょう。であれば、聖者を派遣して真偽を確かめるべきかと」
「若造が口を挟むな!」
一人の枢機卿が机を叩いたが、ルシアンは怯まない。
「私は教皇猊下の盾であり剣。ならばこそ、この使命に同行させていただきたい」
玉座に座すアストリッドは小さく震えていた。
四人の枢機卿の冷笑と、真摯な若き騎士の声。その狭間で、彼女は必死に考えを巡らせる。
やがて、少女のような柔らかな声で決断を告げた。
「……聖者を派遣いたしましょう。そして、ルシアン、あなたもその一行に加わりなさい」
騎士は深く頭を垂れた。
彼が扉を開け、荘厳な広間を去ろうとしたそのとき、アストリッドの口から思わず名がこぼれた。
「ルシアン……気を付けて、いってらっしゃい」
その名を告げる声はわずかに震えていた。
なぜなら相手は悪魔かもしれないという脅威だ。
「ご安心ください、教皇様」
そう言われると妙な安心感を覚えるのは、彼の名が、かつて「魔王」の腹心でありながら裏切り、その胸に刃を突き立てた男と同じで、しかも、古文書に描かれたその男の肖像とルシアンの姿はあまりにも酷似していたからなのか……。
◇◇
リオンハート領――。
戦が終わり、ようやく訪れた平穏の中で、エリオスはすぐさま領地経営に取りかかった。
リオンハート家は古くから魔晶石の産地として知られていた。
だが加工の技術も交易のルートも持たず、クロース家に二束三文で買いたたかれ、その収益さえも「水の利用料」という名目で消えていたのだ。
対照的に、クロース領には特産もなく、せいぜい豊かな水とリュミエール平原の小麦畑がある程度。
オズワルドは、リオンハート家から搾取した魔晶石の他にも、グリフォード家やハルデン家からも鉄鉱石などを安く仕入れており、ラミレス公国や有力貴族へ売りさばいていた。
だが、中には法外に高く売りつけているものもあり、オズワルドと同じ商売を続けていては、そのうち商売相手から目の敵にされることは間違いなかった。
(……ならば、その流れをまるごといただこう。ただし、より洗練された形でな)
エリオスは即座に策を練った。
仕入れと販売のルートはそのままに、材料を道具や武器へ加工して売ることを考えた。
それが実現すれば、収益は飛躍的に伸びる。
ただし、そのためには優秀な職人が不可欠だった。
◇◇
ある日の夕刻。
クロース領の町に新しくできた酒場に、エリオスの姿があった。
「いらっしゃい!」
明るい声が響く。振り向けば、にこやかな笑顔のサラが手を振っていた。
サラは元々、リオンハート領の黒猫亭の看板娘として働いていた。
――いつかは自分の店を持ちたい!
それが彼女の口癖であり、夢だった。
エリオスはその夢を覚えていた。
そしてクロース領を治めるにあたり、彼女に酒場を任せたのである。
今では商人や兵士が集まるこの店は情報の宝庫となり、彼女の夢は現実のものとなっていた。
「やっと来たな、エリオス……様」
隅の席に座っていたのはフェリオ・ダークウェル。元赤の狼団の団員であり、今ではエリオスの“耳”として酒場に根を張っている。
「呼び捨てでかまわん。で、職人の件はどうだ?」
エリオスが腰を下ろすと、フェリオは低い声で言った。
「その話だがな……グリフォード伯爵領とクロース領の境でグリフォード伯爵領側に、かつて鍛冶職人たちが集団で暮らしていた村があったって話を耳にした。腕の立つ連中がまだ残っているかもしれねえ」
「なるほど……ではその者たちをいただくとするか」
エリオスの口元に笑みが浮かぶ。
そこへ、椅子を引いてどかりと座り込んだのはルチアだった。
「面白そうじゃない。んで、どうやっていただくつもりなの? まさか人さらいなんて物騒な真似しないわよね?」
「もちろんだ」
さらに背後から声が飛んだ。
「お待ちください、エリオス様!」
勢いよくエリオスの横に座ってきたのはマリア。相変わらずエリオスが街に出る時は目付として同行している。
彼女は、紅潮した頬で、両手をぎゅっと握りしめていた。
「もしかして彼らと一緒にその村へお出かけするつもりですか!?」
エリオス、ルチア、フェリオの三人が顔を見合わせる。エリオスは何でもないように答えた。
「ああ、俺たち三人だけでじゅうぶんだと思っているんだが……」
すかさずルチアがニタニタしながら言った。
「あれぇ? もしかしてエリオス様が他の女に取られちゃうんじゃないかって心配なのかなぁ?」
マリアは顔を真っ赤にして口をとがらせた。
「ち、違います! 赤の狼団だった者たちだけで行くなど危険すぎるってことです!」
「ふーん、じゃあどうするつもりなの?」
「し、仕方ないから、私もご一緒します!」
「だったら別にマリアちゃんじゃなくてもいいんじゃない? カイルくんとか」
ルチアが呆れたように言った。エリオスとフェリオは口を挟めるような状況ではないと本能で察知していた。
マリアがルチアを睨みつける。
「私はエリオス様の侍女ですから、私以外に相応しい人はいません! むしろルチアさんこそ不要では?」
「あら? それを言ったら、私はエリオス様の夜の……ふふ、それ以上は口にする必要あるかしら?」
「んなっ!?」
呆れ顔のエリオスが割って入った。
「二人ともそこまでだ。ルチア、ろくでもない嘘をつくんじゃない」
「ふふ、今は嘘でも近いうちに本当になるかもしれませんよ」
「もういい。マリア、そこまで言うなら、共に来い」
「はいっ!」
マリアが満面の笑みで返事した。
こうして、エリオスはフェリオ、ルチア、そしてマリアを伴い、王都近くの職人の村を目指して出立することになったのだった。
◇◇
馬車は石畳の街道を軽やかに走っていた。
御者台にはフェリオが腰かけ、軽快に手綱をさばいている。
車輪には魔晶石が組み込まれ、揺れは最小限。快適さに加え、辺境とは思えぬほど整備された道が続いていた。
馬車の中。
エリオスは窓の外に目を向け、考え込むように無言を貫いている。
向かいに座るルチアとマリアは、まるで対照的ににぎやかだった。
「それでさぁ、マリアちゃんはどうなの?」
「ど、どうって……なにがですかっ!」
「決まってるじゃない。エリオス様と一緒に旅して、胸が高鳴ったりしないの?」
「そ、そんな……! 私はただ、侍女としての責務を……!」
マリアが必死に否定するのを見て、ルチアはからからと笑った。
「まーた顔が真っ赤。ほんっと、可愛いわねぇ」
マリアは両手で頬を押さえて下を向く。
エリオスはそんな二人のやり取りをよそに、黙って外の景色を眺めていた。
(……なるほど、魔晶石の利用は生活の中で多彩だが、戦ではさほど使われていない。産業利用も未発達。研究の余地はいくらでもある……)
ふっと耳に温かい吐息がかかり、エリオスははっと現実に引き戻された。
すぐ横には、いつの間にか顔を近づけたルチアがいた。
「……何か用か?」
「つまらないわねぇ。こんなに近づいても、眉ひとつ動かさないんだもの」
ルチアはわざとらしく肩をすくめ、するりと腕をエリオスに絡めた。
「じゃあ、これならどう?」
「や、やめてください!」
慌てて止めに入るマリア。
「エリオス様に馴れ馴れしく触れるなんて、不敬です!」
「不敬ですって?」
ルチアはますます楽しそうに、エリオスの肩に頭をもたれかけた。
「ほら、エリオス様は全然嫌がってないじゃない」
だがエリオスは、まったく気にする素振りも見せずに口を開いた。
「ルチアよ……おまえは俺の妾になりたいのか?」
「えっ!?」
さすがのルチアも一瞬、目を丸くした。
だがすぐに唇の端を上げて、いたずらっぽく笑う。
「はい、そうですって言ったら……どうなさるおつもり?」
「残念ながら、今のおまえでは無理だ」
エリオスはさらりと告げた。
御者台から「ぷぷっ」と笑い声が漏れる。
「ちょっとフェリオ! 笑ってんじゃないわよ!」
ルチアが声を荒げるが、フェリオは腹を抱えて笑い出した。
「だってよぉ、かのルチアさんが、男にあっさり切り捨てられる顔なんざ、そうそう見られるもんじゃねえからな!」
ルチアはむすっとした顔で、上目遣いに言った。
「……だったらいつならいいのよ?」
エリオスは少しだけ考えた後、無表情のまま答えた。
「より大きな功績を挙げたその時だ。その暁には褒美として考えてやれなくもない。だが今のおまえでは足りん」
「功績、ねぇ……」
ルチアは目を細める。
エリオスはさらに淡々と続けた。
「ここにいるマリアのようにな」
「――っ!」
マリアの顔が一気に真っ赤になる。
御者台のフェリオはとうとう大爆笑に変わった。
「ひ、ひーっ、勘弁してくれ……! 腹いてぇ……!」
「ちょっとフェリオ! 代わりなさいよ!」
むくれたルチアが立ち上がり、強引に御者台へ移る。
「お、おい! 待て待て! 俺の馬だぞ!」
だが時すでに遅く、ルチアは手綱を握り、馬をぱしんと走らせた。
途端に馬車は風を切るようなスピードに跳ね上がる。
「う、うわああああっ!」
「ひ、ひぃっ!」
マリアとフェリオは顔を真っ青にしてしがみつく。ルチアは楽しそうにけらけらと笑った。
「ほらほら! もっと速くても大丈夫でしょ!?」
だが、肝心のエリオスは、窓の外を眺めたまま、わずかに目を細めて言った。
「このくらいがちょうどよいな」
まるで春風にでも吹かれているかのような穏やかな声音だった。
「……っ、つまらない!」
がっかりしたルチアは、不満げに頬をふくらませた。




