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第22話 新たなクロース領の領主

◇◇


 北へと落ち延びたオズワルドがたどり着いたのは、ラミレス公国との国境に聳えるグラディア砦であった。


「殿下! よくぞご無事で!」


 守備兵長のロルフが自ら出迎える。


「ああ……着替えと……何か食べるものがほしい」


「もちろんですとも。すぐに用意いたしましょう! ささ、こちらへ!」


 何の疑いもなく主君の帰りを喜び、できる限りのもてなしをしようとするロルフ。

 一方のオズワルドは、次の策に考えを巡らせていた。

 かつて「もしもの時」の切り札として思い描いていた、最後の望み――”売国”である。


「ここまで来れば……まだ道は残されている」


 泥と血にまみれた鎧を脱ぎ捨て、急ぎ泉で顔を洗う。

 粗末ながらも旅装へ着替え、乱れた髭を整えると、失墜した将軍ではなく、ひとりの貴族としての姿を取り繕った。


「どこへお出でなさるおつもりか?」


 ロルフがたずねる。オズワルドはさらりと答えた。


「盟友のラミレス公国だ。フェルディナンド王に会いにいく」

「……さようか……」


 食事を終え、立ち上がるオズワルド。ロルフは扉の前に立ち、彼の行く手を阻んだ。


「なにをしている? そこを通せ」


 ロルフは静かに首を横に振った。


「……何用でしょうか?」


 冷ややかな声音。

 オズワルドは、ロルフが『売国』の疑いを持っているのではないか、と気づいた。

 それでも彼は悪びれる素振りもなく、虚飾をまとった声で言い放つ。


「聞け、ロルフ。リオンハート子爵とヴァレンシュタイン辺境伯は結託し、私をおとしめた! このままでは国王陛下の御身すら危うい。ゆえに私はラミレス公国に援軍を請い、まずは奴らを討つ。その後、陛下に私が策を打ち破り、御身を守ったと奏上するのだ。

……そのために急がねばならぬ。そこをどけ!」


 しばし、部屋に沈黙が満ちた。

 ロルフは微動だにせず、ただじっと彼を見つめていたが……やがて何も告げぬまま姿を消した。開けっ放しのドアに、ほっと胸をなで下ろす。


「ふん……わかればよいのだ」


 勝ち誇ったように鼻を鳴らしたオズワルド。残りのワインをぐいっと飲み干し、部屋を出た。


「クク……愚か者どもめ。これで私は甦る!」


 笑みを浮かべて歩を進めたその刹那、空気が変わった。


 カシャ、カシャ。


 周囲に兵が現れ、瞬く間にオズワルドと護衛を取り囲んだ。

 その数、数十。鋭い槍が一斉に向けられる。


「な……何をする! 私は――」


 狼狽する声を遮るように、砦の奥からロルフが姿を現す。

 彼の横に歩み出たのは、見覚えのある女。


 漆黒の髪、皮肉げな笑み。

 かつて「赤の狼団」の副団長として悪名を馳せ、辺境伯の総会にてマルコを陥れるきっかけを作った女。


 ルチア・ヴァイス。


「ほら、言った通りになったでしょ?」


 誇らしげにロルフへ言葉を投げる。その笑みはまるで賭けに勝った子供のようだった。


 ロルフは彼女に一瞥すらくれず、冷ややかに言い放った。


「……捕えよ」


 鋭い命令が響くや否や、兵たちが殺到した。

オズワルドの護衛は必死に剣を振るうも、多勢に無勢。その場で斬り伏せられていく。

 そしてオズワルド自身もまた腕をねじり上げられ、石の床に叩きつけられた。


「ぐっ……離せ、私は……私はまだ……!」


 地に伏した彼の声は、哀れなまでに虚しく砦の石壁に吸い込まれていった――。


◇◇


 三日後――。

 エリオスはロルフとルチアを伴い、ヴァレンシュタイン辺境伯セレナの陣営を訪れた。

 重々しい陣幕の中、鎖につながれたオズワルドはなおも何事かを口走り続けている。


「私を処すというのか? 馬鹿な! 私がいなくなれば領地経営は破綻する! ラミレス公国が必ず攻め寄せるぞ!」


 その叫びは、もはや誰の胸にも響かなかった。

 セレナは椅子に腰をかけ、冷ややかに言い放つ。


「オズワルド卿。もはやその言葉に耳を貸す者はない。お前が国に仇なした事実は、王命のもとに明白となったのだ」


 オズワルドは憤怒の形相でなおも抗弁を重ねたが、鎖に引かれて言葉は途切れ、やがて陣幕の外へと連れ去られていった。


 場に残ったのは、セレナ、エリオス、ロルフ、そしてルチア。

 セレナの視線が鋭くふたりへ注がれる。


「さて、この二人の処遇だが……一方は逆賊の将にして、最後の最後まで降伏勧告に従わなかった者。もう一方はリオンハート家を苦しめた悪党の頭目か……。エリオス殿はどうしたい?」


 エリオスは一歩進み出て、毅然と答えた。


「セレナ様。願わくは、ロルフ殿とルチア殿、両名に赦免を。彼らがいなければ、オズワルドは今もなお奸計を巡らせていたでしょう。ロルフ殿は、その鉄のごとき忠義心をもって、必ずや我が家を支えてくれるはず。そんな頑固者を我が方に引き入れたルチアは、難しい相手の交渉役にうってつけでしょう」


 ロルフは頑固な面持ちを崩さず、低く言った。


「……わしは己の責務を果たしただけだ。だが、もし許されるなら、余生を王国のために捧げよう」


「そういう堅いところ、嫌いじゃないわ」


 ルチアがにやりと笑って言葉を差し挟む。


「ねえ辺境伯様? 今回の件で、私が口説けない殿方はいない証明になったんじゃないかしら?」


 セレナはしばし沈黙したのち、静かにうなずいた。


「よかろう。リオンハート卿の進言に免じ、二人の罪は赦す。ロルフにはリオンハート家の騎士として仕えよ。そして、ルチア。そなたもまた、リオンハート家の市民として籍を与える。住まいと給金も、エリオスの裁可に従え」


「ははっ!」


 ロルフは深く頭を垂れ、頑なな顔に一瞬だけ柔らかな影を見せた。


「まあ、悪くないわね」


 ルチアは口元を隠しもせずに微笑み、横目でエリオスをからかうように見やった。


「よろしくね、エリオス様」


 エリオスはわずかに笑みを浮かべ、セレナに深々と礼をした。


「寛大なるご裁可、心より感謝申し上げます」


 その後。


 オズワルドは最後まで己の正当性を叫び続けた。処刑の日、民が暴動を起こすこともなく、かつてのクロース軍の兵たちもまた抵抗なくリオンハート家に併合されていった。

 予期されたラミレス公国からの侵攻もなく、むしろ新たな領主に対する友好の書簡が届けられた。


 焼け落ちていたクロース家の屋敷は再び建て直され、その地には新たにエリオスが住むこととなった。

 そして、かつてオズワルド・クロースが治めていた領土を治める大役を担うことになったのである。


 沈みゆく夕陽を背に、セレナがぽつりと呟いた。


「これでようやく、北境に平穏が戻るか」


 その横顔を見上げながら、エリオスは静かに心の中で誓った。


(まだだ。今はまだ『放蕩息子』から、まっとうな貴族の子息、という評価に変わっただけなのだから……)


 やがて日が落ちるころ、リオンハート家に新たな布告が伝えられた。

 それは、クロース領の防備と秩序を守るため、新たに「クロース騎士団」を編成するというもの。


 その初代団長にはロルフの名が刻まれた。


「……わしのような老骨で良いのか」


 ロルフは腕を組み、眉をひそめたが、エリオスは迷いなく答えた。


「ロルフ殿ほど頼もしい方はおりません。どうか、この新たな剣の群れを導いてください」


「……任されたからには、全身全霊で応えよう」


 その言葉は硬質でありながら、確かな信念が込められていた。


 ルチアはその様子を横で見ながら、にやりと笑う。


「ふふ、最初から団長なんて大出世だね。まあ、あんたの岩ような忠義心は若い連中にとって見習うべきところだと思うわ」


 新たな仲間、新たな秩序、そして広がる領土。

 エリオスの前途には、未だ険しい道が待ち受けていた。

 だが彼の胸の内には、確固たる決意が燃えていた。


◇◇


 エリオス一行が去り、謁見の間に静寂が戻ったそのとき、重厚な足音とともに一人の男が進み出た。

 辺境領の重鎮グリフォード伯爵である。


「セレナ様、まずは戦勝、おめでとうございます」


 彼は深々と頭を垂れたが、セレナは白い指先で手を振り、冷ややかに応じた。


「形式ばった挨拶は不要です。用件を述べなさい」


 グリフォードは息を整え、ぐっと腹に力を込める。そして、わずかに逡巡した末に言葉を発した。


「……エリオス・リオンハート卿のことですが」


 その名が出た瞬間、セレナの双眸が細められる。気高い美貌に影が差し、空気が一層張り詰めた。


「続けよ」


「クロース軍の兵を一瞬で焼き尽くした、あの”力”。あれは……私の想像が正しければ――”魔法”です」


 セレナはすぐさま切り捨てた。


「馬鹿を言うな。魔法は三百年前、勇者殿が魔王を討ったその瞬間に、この世から消えたはずだ」


 しかしグリフォードは首を振り、眉間に皺を寄せる。


「……しかし、あの威力、あの現象……いかなる戦術でも説明がつきません」


 しばし沈黙。重苦しい空気が謁見の間を覆う。

 やがてセレナが、低く呟いた。


「……だとしたら、どうする?」


「もし、あれが魔法ならば――エリオス・リオンハート卿は”悪魔の再来”となりましょう」


 冷たい風のような一言。セレナの視線が鋭さを増す。


「我が領地を救った英雄を、悪魔と称するか。見苦しい嫉妬と言われても、文句は言えませんぞ、グリフォード卿」


 その牽制を受けても、グリフォードは怯まず、むしろ目に覚悟を宿した。


「私がどう思われようと構いませぬ。しかし、もし”英雄”が全人類の仇であると知れたとき――真っ先に非難を浴びるのはセレナ様、あなたです。私はこの辺境領の目付役。その可能性を見過ごすわけには参りません」


 セレナの美貌に苛立ちの色が走った。


「……ならば、どうするというのだ?」


 グリフォードは一歩進み出て、低く、しかし確固たる声で答えた。


「セラフィア神聖国に使者を送りましょう。エリオス・リオンハート卿が本当に悪魔か否か……聖者を派遣してもらうのです」


 その言葉は、謁見の間に重く響き渡った。


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