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第21話 リュミエール平原の戦い

◇◇


 神聖歴三百年――。

 かつて魔王が神に遣わされた勇者によって討たれたその日を元年とし、世界は共通の暦を歩み続けてきた。

 今年は三百年の節目の年。だが祝祭の鐘が鳴ることはなく、ヴァレンシュタイン辺境領には冷たき冬を前にした秋晴れの空気が張り詰めていた。


 セレナ・ヴァレンシュタインから放たれた最後の使者は、オズワルド・クロースにただひとつの言葉を告げた。


 ――大人しく降伏し、王命に従って領土を明け渡せ。


 しかし、その願いは届かなかった。使者は虚しく手ぶらで戻り、その直後、クロース軍は「潔白を証す書状を国王に届ける」という大義名分を掲げ、ヴァレンシュタイン領へ侵入。

 軍旗を翻しながら、そのままリュミエール平原へ進軍を続けた。


 そして今。

 青き空の下、リュミエール平原右翼に陣を敷いたリオンハート軍の前に、金色に輝く甲冑をまとったマルコ・クロースが姿を現す。

 黒鉄の仮面をかぶり、拡声の魔具を片手に、荘厳ともいえる陣容の先頭に立った。


「聞け、リオンハート軍! 大人しくエリオス・リオンハートとギルバード・リオンハート、その二つの首を差し出せば、貴様らの命だけは助けてやる!

だがもし抗うならば、この大平原ごと我が軍に蹂躙され、血の泥に沈むであろう!」


 その声は風に乗り、連合軍とクロース軍の両陣営に轟いた。兵たちは息を呑み、空気は一瞬凍りつく。


 しかし、その沈黙を破ったのはエリオスだった。返答の言葉を口にする代わりに、彼は弓を引き絞り、矢を放つ。


 弦の鋭い音が響き、矢は真っ直ぐに飛んでいく。マルコの黒鉄の仮面の横をかすめ、甲冑の羽飾りを切り裂いた。


「……ほう」


 仮面の下でマルコの瞳が光る。次の瞬間、口元に歪んだ笑みを浮かべ、拡声の魔具を振りかざした。


「全軍――突撃!」


 轟音のごとき号令が大地を震わせる。

 それに応えるように、クロース軍二千の兵が一斉に前進を開始した。

 重騎兵の鉄蹄が地を砕き、槍兵の行進が平原を揺らす。

 鉄と怒号の奔流が、リオンハート軍へと襲いかかろうとしていた。


◇◇


 開戦前日。

 リュミエール平原を貫く川の流れは、静かに右へと傾いていた。

 それは自然のものではなく、三日間にわたりリオンハート軍が泥にまみれて施した工事の成果であった。


 川底を掘り返し、堆積した泥をさらい、仮堤を築いて水を別の筋へと流す。

 兵も騎士も、鎧を脱ぎ捨て、鍬やシャベルを手に黙々と働いていた。


「エリオス様」


 リアナが泥にまみれた手を拭いながら問いかける。


「なぜわざわざ川を右へと流すのでしょうか? このままでは、我らが布陣する場所が……かつて川底であった土地になってしまいます」


 エリオスは立ち止まり、土を踏みしめる足を見下ろすと、微笑を浮かべて答えた。


「だからこそだ、リアナ。そこにこそ敵を引きずり込みたい」


 リアナは一瞬言葉を失い、やがて小さく息を呑む。


「……なるほど。最初から、すべて織り込み済みなのですね」


 その時、エリオスの声が陣中に響き渡った。


「もうひと踏ん張りだ! 最後に木杭を、指示通りに打ち込め!」


「はいッ!」


 兵たちは疲労を忘れたように快活に返事し、木槌を振るう。

 木槌の音がリズムを刻む。

 汗と泥にまみれたその姿は、戦場を生き抜くための誇りそのものだった。



 そして開戦。

 突撃の号令とともに、マルコ軍の重騎兵が怒涛のごとくリオンハート軍へと駆け下った。

 大地が震え、鉄の蹄が地面を叩き割り、砂塵が巻き上がる。


「……来たぞ」


 エリオスは低くつぶやき、弓の名手リアナ率いる弓兵の列に鋭い視線を走らせる。


 騎馬たちは慣れた手綱さばきで木杭の列を避けようと左右に散った。だが、次の瞬間。

 蹄が深みに沈み込んだ。


「――ッ!?」


 馬の脚が泥に取られ、前列が崩れる。もがく騎馬、その上で体勢を崩し落馬する騎兵。

 後続は突如止まった味方を避けきれず、ぶつかり合い、混乱が連鎖していく。


「今だ、撃てッ!!」


 エリオスの号令に応え、三百の弓兵が弦を引き絞り、一斉に放った。

 空気を切り裂く音とともに、黒き雨のごとき矢が降り注ぐ。

 分厚い鎧すら容赦なく貫かれ、鉄の塊と化した騎兵たちが地に沈む。

 だがマルコは怯まぬ。


「突撃を止めるな! 前へ! 押し潰せ!」


 混乱する重騎兵の隙間を縫って、今度は槍兵が前に出た。

 鈍い鉄の響きとともに、一歩、また一歩と進軍する。だが杭と泥に阻まれ、陣形は徐々に縦に細まり、一本の槍の穂先のように集束していく。


 その光景を見据え、エリオスは前へ進み出た。


「……待っていたぞ」


 静かに手を掲げると、その掌に漆黒の魔法陣が浮かび上がる。

 戦場の喧噪すら押し包むような重々しい気配。


「火の神イグニスよ――我にその裁きを授けよ!」


 魔法陣の中心から迸るのは、炎の奔流。

 それはやがて翼を広げ、朱色の鳥の姿を取った。


「フェニクス・イグニス!!」


 絶叫とともに火の鳥が羽ばたく。

 尾から舞い散る炎が大地を焦がし、翼が風を裂いて灼熱を撒き散らす。

 一直線に縦列を成した槍兵たちへと突き進み、轟音とともに紅蓮の爆炎が走った。


 兵士の叫び、鎧が溶ける音、焼け爛れる肉の匂いが戦場を覆う。

 炎に呑み込まれた槍兵の列は、ただ一瞬で灰と化した。


 その光景を前に、リオンハート軍の兵たちは一瞬声を失い……そして次の瞬間、

「おおおおおッ!!!」


 と、勝鬨のごとき咆哮が響き渡った。


「弓を捨てよ! 剣を持て――全軍、突撃ッ!!」


 エリオスの大号令が平原を揺るがす。

 たちまち矢を捨てた兵たちは剣と槍を握り直し、雄叫びとともに泥を蹴った。


 先頭に立つのは騎士団長ガレス。巨大な盾を構え、鉄壁のごとき姿で兵を導く。

 副団長リアナもまた剣を高く掲げ、「続け! 怯むな!」と声を張り上げて突き進む。

 兵たちは泥をはね上げながら、怒涛のごとく前へ前へと雪崩れ込んだ。


「なんだ? 今のは……」

「あ、ありえない……」


 エリオスの炎の魔法に焼かれた惨状を目にして、マルコ軍は戦意を喪失していた。

 その刃はもはや振るわれず、ただ次々と薙ぎ倒されていく。


「ぬぅぅ……っ! かくなるうえは!」


 悔しさに顔を歪めたマルコは、金の鎧をきらめかせながら単騎で馬を飛ばした。

 狙うはただひとり――エリオス・リオンハート。


「リオンハートォォ――ッ!!」


 怒号とともに突撃するマルコ。

 エリオスは静かに剣を抜いた。

剣身に炎が走り、その姿はまるで戦場に降り立った炎帝のごとし。


 両者が激突した。


 マルコの剛剣が頭上から振り下ろされる。


「ハァァァッ!」


 鋭い一撃を、エリオスは横薙ぎに受け止めた。

 火花が散り、金属が軋む。


 すかさず馬を旋回させ、互いに剣を繰り出す。

 金の鎧がきらめき、炎の剣が閃く。

 剣と剣がぶつかるたびに衝撃が走り、兵たちは思わず後退る。


「エリオス!! 貴様ごときが頭に乗るな!」


 マルコの突きが喉を狙う。

 エリオスは身をひねってかわし、逆に炎をまとわせた剣を横一文字に薙いだ。


 轟、と空気を裂く音。

 炎が鎧を舐め、マルコの馬がいななきながらのけぞった。同時にマルコの態勢が崩れる。


「死ね」


 次の瞬間、エリオスの突きが胸を貫いた。


「くそ……貴様ごときに……」


 金の鎧を穿ち、マルコの体が崩れ落ちる。

 エリオスは剣を掲げて叫んだ。


「敵将マルコ・クロース、討ち取った!」


 エリオスの声が拡声の魔道具を通じ、平原に轟いた。

 リオンハート軍から歓声が湧き上がる一方で、マルコ軍は呆然と立ち尽くした。

 そこへ遅れて駆けつけたのがオズワルド本隊。


「怯むな! まだ我らがいる!」


 必死に兵を鼓舞するが、その声を嘲笑うかのように、


「フェニクス・イグニス!」


 再び紅蓮の火鳥が空を裂き、オズワルド本隊へと直撃した。

 爆炎が走り、兵列が一瞬で崩壊する。


 そこへ電光石火のごとく突撃してきたのは、ヴァレンシュタイン軍の総司令官――オンハル・ディルク。


「全軍、我に続け!」


 その剛声に従い、一軍が矢のように突進する。

 耐えきれなくなったオズワルドは、事前に通じていたグリフォード軍とハルデン軍が布陣する山の方へ退却した。彼らと合流すれば、態勢を整えられるはず。

 だが……。


「全軍、打って出よ!」


 グリフォード伯爵が裏切りの号令を放つ。

 さらに、ハルデン子爵が退路を断つように進軍を開始。


「逆賊を逃がすな!」


 挟撃を受けたオズワルド軍は、為す術もなく壊滅。

 散り散りとなった兵を見捨て、オズワルド自身はわずかな護衛とともに方々の態で北方へ逃げ伸びていった。

 その姿は泥にまみれ、往時の威風は見る影もなかった。


 夕陽に照らされた平原に、セレナ・ヴァレンシュタインの高らかな声が響く。


「勝鬨をあげよ!」


 無数の兵たちが剣と槍を掲げ、勝鬨を放った。

 その声は波となり、赤く染まる平原を震わせていった――。


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