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第2話 君主としての心得

 路地裏は昼でも薄暗く、湿った石壁が肌寒さをまとっていた。

 フェリオは片手をポケットに突っ込み、もう片方で顎をしゃくって言った。


「昨晩のこと、覚えてるか?」

「……酒の味しか覚えてないな」


 エリオスは眉をひそめ、こめかみの鈍い痛みを指で押さえた。


「お前、喧嘩売られてな。で、買っちまったんだよ」


「それでこの腹と背中の痛みか」


「そうそう。しかも原因がまたバカだ。サラにちょっかいかけてた奴を、お前が止めた。で、そいつが切れて……」


「普通の酔っぱらいじゃなかったってわけだな?」


「……赤の狼団の一味だった」


 横で聞いていたマリアが、呆れ顔で腕を組む。


「はぁ……それでか。あんただって赤の狼団の一味じゃないの」


「俺は幼馴染との友情を大事にするタイプなんだよ」


 フェリオは口元だけで笑った。


「で?」エリオスは腕を組み返す。「それが“まずい”理由は?」


「奴らの狙いは、お前。サラは単なる囮だった」


「ほう……。つまり貴族の子息に手を出させて、本家から金をせびるつもりだった、ということか」


「ああ、まあな。今ごろ連中の“やることリスト”に載ってるぜ。……だから俺が仲立ちしてやるから、頭下げに行ったほうがいい」


「冗談じゃない!」


 マリアがフェリオの胸を指で突く。


「赤の狼団は盗賊まがいの連中で、人攫いから密売までやってるって話よ! あいつらに関わったら終わりよ!」


 エリオスはふと、別の角度から問いかけた。


「……で、なんでリオンハート家の騎士団は奴らを放置してる?」


 フェリオは一瞬黙り、鼻で笑った。


「何も知らねぇんだな。赤の狼団はクロース男爵家の庇護下だ。実質、マルコ・クロースの私兵みたいなもんだ」


「マルコ・クロース?」


「オズワルド・クロース男爵の嫡男で、色男で有名なやつさ。ルチアさんのことをえらく気に入っていてな。リオンハート領で赤の狼団が起こす騒ぎの裏にはマルコが糸を引いているって噂だ」


「ならばなおさら赤の狼団を始末せねばならないではないか」


「そんなことでもしてみろ。リオンハート家は終わりだ」


 マリアも悔しそうに頷く。


「クロース家のせいで、この領はずっと貧しいままよ……でも、水源のことがあるから、リオンハート家は頭が上がらない」


「水源?」


 エリオスは短く問い返す。


「ええ、リオンハート領内には水源がないの。あるのはせいぜい小さな井戸くらい。だからクロース領から水道を引いているのよ」


「莫大な水道料を払わされてるらしいぜ。しかも、赤の狼団が騒ぎを起こすたびに、街の修復や人々への補償がかさむ。その費用をクロース家から借金してまかなっているらしい。その辺のところはエリオス、お前の方が詳しいはずだろ」


「ふむ……」


 フェリオは首を横に振った。


「まあ、その話は今は関係ねえ」


 エリオスは彼の目をじっと見つめた。危険を冒してでも友を助けたいという優しさが感じられる。


「フェリオ。お前は信じるに値する男のようだな」


「はあ? 今さら何言ってやがる」


 にわかに顔を赤らめたフェリオを、ニタニタとマリアが見ている。

 一方のエリオスは、胸の奥でかすかな戦の匂いを感じた。

 ……と、その時だった。

 路地裏の湿った空気を切り裂くように、甲高い女性の悲鳴が響いた。


「やめて! お願い、やめてぇ!」


 エリオスは反射的に顔を上げ、足を踏み出す。


「行くぞ!」と短く告げ、フェリオとマリアを置き去りにして路地を駆け抜けた。


「ちょっと! エリオス様!」

「やめろって!」


 マリアとフェリオの制止も聞かず、エリオスが大通りに飛び出すと、そこには人だかりができていた。

 人垣の隙間から覗いた光景に、エリオスの眉が険しくなる。

 若い女が泣き崩れ、その目の前で、夫と思しき男が数人の男に殴る蹴るの暴行を受けていた。

 拳が顔面に、靴先が腹に、容赦なく叩きつけられるたび、男の呻き声が掠れていく。


「何があった?」


 エリオスは近くの老人に問う。


「さあな……ほんの小さなことで因縁つけられたらしい。金目のもんを出せってよ。それが駄目なら……若い嫁をよこせってさ」


 老人は吐き捨てるように言った。


「旦那が拒否したら、あのざまだ」


 暴行している男たちの腕には、共通してオオカミのタトゥー。


「あれは赤の狼団の証だ」


 いつの間にか隣に並んだフェリオがささやく。


「やめろ……やめてくれ……」


 倒れ込んだ男がかすれた声で懇願するが、蹴りは止まらない。

 騒ぎを聞きつけた街の自警団が現れた。

 その後ろには鎧をまとった騎士団の姿もあった。しかし、彼らは一瞥するだけで何もせず、視線をそらして通り過ぎようとする。

 その中には、今朝中庭で見かけた騎士のひとりもいた。

 エリオスは、人垣の中にいる騎士の男に向き直った。


「どちらが悪い?」


「そりゃ……」


 男は言いよどむ。


「どちらだ?」


 エリオスの声には冷えた刃のような圧があった。

 押し負けたように、男は小声で答える。


「……赤の狼団の一味ですよ。見りゃ分かるでしょ」


「そうか。ならばなぜ腰に差した剣を抜かぬのか」


「あんたバカか? そんなことしてみろ。俺だけじゃなくて家族までどんな酷い目にあうか……。それに下手をすりゃリオンハート家にも迷惑がかかる」


「つまり報復が怖くて、弱いものが挫かれるのを傍観している、というわけだな」


「てめえ、大人しく答えていれば調子に乗りやがって! あんまり騎士団をなめてると、てめえも痛い目にあわせるぞ!」


 と、そこにマリアが割って入ってくる。


「エリオス様! なにをやってるんですか!? 早くこんなところ立ち去りましょう!」


 エリオスという名を聞いて騎士の男の目が丸くなる。しかしすぐさま、嘲笑に変わった。


「ははは! ぼんくら坊っちゃんがいきがってるだけか。大人しく部屋に帰って、今日こそはお父上に迷惑をかけないようにするんだな」


 エリオスの目に、淡く光る決意が宿る。


「いくら貴様の剣がなまくらであろうと、罪なき領民が傷つけられていれば、それを抜いて領民を守るのが騎士の務めだ。よく見ておけ、手本を見せてやる」


「待って、エリオス様!」


 マリアが腕をつかむが、エリオスは振り払うように歩を進める。

 人垣が自然と割れ、彼の前に赤の狼団の男たちの背が現れた。

 エリオスは大股で、その真ん中へと踏み込んでいった。


◇◇


 人垣の奥へ踏み込みながら、エリオスの脳裏に遠い記憶がよみがえる。


 アルベルトであった頃。

 己は君主として、信賞必罰を心得ていた。

 領内で揉め事があれば、必ず双方の言い分に耳を傾け、自分の耳で直接聞き取った。

 状況を細部まで把握し、第三者の意見も交えたうえで、最終的な裁きを下すのは常に自分。

 そして、罰する時は徹底的に罰した。

 恐怖で二度と同じことを起こす気が失せるほどに。

 それが領民を守る唯一の方法であり、秩序を保つ君主の務めだった。


 その感覚が、今も変わらず胸の奥底で息づいている。


「なんだてめえは?」


 現実のざらついた声が、回想を断ち切った。

赤の狼団の一人が、獲物を見つけた獣のような目でエリオスを睨む。


「おい見ろよ、こいつ……飲んだくれの出来損ない令息だぜ!」


 その声が群れの中で響き、嘲笑が湧き起こる。

 だが、エリオスの表情は微動だにしない。


「まず、そこの男に話を聞こう」


 暴行されていた夫を抱き起こし、何があったのかを問う。

 震える唇から、途切れ途切れに経緯が語られる。次にエリオスは、赤の狼団の男たちに視線を向けた。


「お前たちの言い分は?」


「はっ、こっちはただちょっと、話してただけだ」


 飄々とした声だが、目は泳いでいる。

 エリオスは視線を巡らせ、人垣の向こうに向かって声を張り上げた。


「ここにいる皆に問う! どちらが悪い?」


 しかし、沈黙。

 目を伏せ、足元の石畳を見つめる者ばかり。

 赤の狼団の報復を恐れ、誰も本当のことを口にしようとしない。

 重い沈黙が落ちた、そのとき。


「私、全部見てたわ」


 澄んだ声が、その沈黙を裂いた。

 人垣が割れ、銀色の鎧に身を包んだ女性が一歩前に出る。

 騎士団副団長、リアナ・クロフォード。

 その隣には、腕を組んだまま無言で事態を見守る団長、ガレスの姿もあった。

 リアナは真っ直ぐに言う。


「悪いのは、暴行しているそこの者たち」


 思いがけない証言に、赤の狼団の面々がざわつく。

 一方で、ガレスは「どう収めるつもりか、見ものだな」という表情で一歩も動かない。


 エリオスは、ゆっくりと息を吸い、声を低く響かせた。


「裁きを下す」


 その場の空気が凍りつく。


「罰を受けるのは――暴行を働いた赤の狼団の者ども。そして、量刑は……死罪」


 数人が息を呑み、誰かが小さく悲鳴をあげた。言うまでもなく、命知らずで世間知らずのぼんくら子息に待ち受けているであろう、酷いしっぺ返しを予想してのことだ。


「せめてもの慈悲だ」


 エリオスは腰の剣に手をかける。


「この場で俺が、その首をはねてやろう。もしこの剣から逃げ延びることができたなら、その命は許してやる」


 彼の視線は一切揺れず、赤の狼団の男たちを真っ直ぐ射抜いていた。


「がはは! こいつは面白え! 赤の狼団にたてついたこと、あの世で後悔するんだな!」


 エリオスは剣の柄を握りしめながら、ふと過去の自分を思い出していた。


 アルベルトだった頃。

 世界を征服する君主を目指すならば、常に戦場では誰よりも強くなくてはならない。

 そう信じて疑わなかった。

 だからこそ、誰よりも貪欲に学んだ。

 剣技、体術、魔法、武器の扱い。

 それぞれ、大陸一の達人を師匠として仰ぎ、実戦形式で叩き込まれた。

 学んだことはすぐに実戦した。戦場そのもので。

 何度も血を流し、死線を越えて、体に刻み込むように覚えていった。


(あの頃の感覚は消えていない。やれる)


 つまり、あらゆる剣技も体術も、エリオスに転生した今でも使えるということだ。

 怠惰な生活せいか、体の動きは鈍い。だが、相手はごろつき。今のままでじゅうぶんだ。


 カチャリ――


 腰の剣を抜いた瞬間、銀光が一閃。

 気づけば、赤の狼団の一人の首が床に転がっていた。


「て、てめえっ……!」


 逆上した仲間たちが、一斉に武器を構え、殺到する。


「リアナ、やめろ」


 加勢しようと前に出かけたリアナの肩を、ガレスが押さえる。

 その目は、珍しい獲物を観察する狩人のように、エリオスを見つめていた。


「やっちまえ!」


 赤の狼団の刃が、拳が、次々と迫る。

 だがエリオスは、ひらり、ひらりとそれらをかわす。

 まるで風が流れるような動きで、すれ違いざまに一刀。


「くそっ! 当たらねえ!」


 さらに、一閃。


「ぎゃあっ!」


 血が弧を描くたびに、敵が崩れ落ちていく。

 数呼吸の間に、全員が地に伏した。


「う、うそ……エリオス様……?」


 目を見開いたマリアが口元に手を当てている。

 その場が静まり返る。

 誰もが、目の前で起きたことを理解できずにいた。


 エリオスは剣を振り払い、声を張り上げた。


「我が領民を傷つける者は――たとえ神であろうと、何人たりともこのエリオス・リオンハートが許さぬ!」


 広場に、重く響く声。


「理不尽な仕打ちを受けたときは、遠慮なく申し出よ。恐れるな――貴様らには、この俺がついている!」


 その言葉は、周囲の空気を震わせ、沈黙の中に確かな熱を残した。



挿絵(By みてみん)


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