表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/45

第19話 グラディア砦にて

「砦を落とすためには、正攻法ではなく、懐を揺さぶるべきです」


 エリオスは机の上に置かれた地図へと手を伸ばし、国境沿いの砦を指し示した。


「元赤の狼団副団長、ルチア。彼女を工作に使います」


 ガレスは眉間に深い皺を寄せた。


「……工作、ですか。あの女を再び表舞台に立たせるおつもりとは。いかに才覚があろうと、元は盗賊団の頭領格。決して潔白とは申せませぬ」


 ギルバードも重苦しい面持ちで頷く。


「そうだな、エリオス。砦など重要拠点を、そんな者に任せて本当に大丈夫なのか?」


 しかしエリオスは一切の迷いを見せなかった。


「セレナ辺境伯の書状があります。それを携えて交渉に臨めば、表向きの正統性は整う。そして……」


 彼はゆっくりと息をつき、はっきりと言葉を重ねる。


「彼女の胆力を、俺は信じています」


 ガレスは目を細め、しばしエリオスを見つめた。忠誠厚い騎士の胸に、理路整然とした若き主君の言葉がじわじわと沁み入る。


 すかさずリアナが笑みを浮かべて言った。


「私も賛成。あのルチアって女、なかなか肝が据わってますからね。やると決めたらやり抜くタイプだし、なにより――エリオス様がそう仰るなら間違いない」


「……ふむ」


 ギルバードは大きく息を吐き、背もたれに身を預けた。


「そこまで言うなら任せよう。エリオス、おまえの考えを信じる」


「ありがとうございます」


 エリオスは丁寧に頭を下げ、すぐさま席を立った。


「では、一刻を争います。これにて失礼いたします」


 会議室を出ると、扉の前にはルチアの姿があった。壁にもたれ、腕を組みながらも、わずかに頬を赤らめている。


「……信頼してくれて……ありがと」


 ぼそりとつぶやくような声。

 エリオスは返事の代わりに、彼女をじっと見つめた。赤の狼団時代を思わせる軽装の出で立ち。


「やっぱり、その服装のほうが似合っているな」


 口元に笑みを浮かべる。

 ルチアもすぐに軽口で返した。


「ふん、口がうまいんだから。そんなこと言ったって、舞い上がったりしないわよ」


 そう言いつつも、彼女の耳朶は赤みを増していた。

 二人は言葉少なに歩をそろえ、そのまま屋敷を後にした。


◇◇


 険しい山々に囲まれたグラディア砦は、谷間に張り付くように建てられていた。堅牢な石壁と見張り台はあるものの、城塞都市のような規模ではない。エリオスの見立て通り、砦は決して大きくはなかった。


 山のふもと、岩陰に身を潜める四人――エリオス、ルチア、カイル、アイザック。


「え、えっと……兵の数は……五十には届いていないと思います」


 カイルは恐る恐る口を開く。視線は砦から逸らさないが、その声にはわずかな震えがあった。


「ただ……皆、整然としていて……隙がないように見えます。とても、油断しているようには……」


「その通りだ」


 アイザックが唸るように応じる。


「守備兵長はロルフ・ハーゲン。元は前国王直属軍の小隊長で、王国随一の弓の名手と謳われた男だ。六十を過ぎて除隊したが、オズワルドに雇われてからは、この砦を預かっている。赴任後は周囲の山賊を徹底的に掃討したと聞く。……義理堅く、頑固なまでに任務を貫く性格だ」


 そう言って、ちらりとルチアを見る。


「ゆえに、色仕掛けなど通じますまいぞ」


「はぁ? あたしにジジイ相手の趣味なんかないっての」


 ルチアは肩をすくめ、にやりと笑う。


「それに、そんな安っぽい手で転ぶような人間なら、こんな辺境の砦にしがみついてないでしょ。……まあ、口先くらいは頑張ってみせるけどさ」


「……頼もしい」


 エリオスは小さく頷いた。視線は砦を射抜くように向けられている。


「アイザック。おまえがリオンハート家に鞍替えしたことは、ここには伝わっていない可能性が高い。事前の手はず通り、オズワルドからの使者に扮して砦に入るんだ」


「かしこまりました」


「だが、もし事がうまく運ばなければ、のろしを上げろ。合図が見えた瞬間に、こちらも動く」


「はっ」


 アイザックが背筋を正し、クロース家の旗を掲げる。


「よし、行くか」


 ルチアは軽く腰に手を当て、ひょいと歩き出した。


「カイル、お留守番しっかりね。あんた、心配性だから見張り役にはちょうどいいわ」


「は、はい……気をつけてください」


 カイルはぎこちなく頭を下げる。


 ルチアとアイザックは城門前へと歩み寄った。見張り兵が鋭い視線を向けてきたが、アイザックが旗を高々と掲げると空気が変わる。


「殿下からの使者か……通せ!」


 重々しい鉄の門が軋みを上げて開き、二人は砦の中へと迎え入れられた。

 ロルフの部屋に通されたルチアとアイザック。

そこにいたのは、白髪と白い髭をたくわえた痩身の老人だった。余計な脂肪は一切なく、骨ばった指と射抜くような眼光が、弓の名手として鳴らした過去を物語っている。


「……貴様ら、オズワルド卿からの伝令ではあるまいな」


 ロルフの声は低く、刺すように鋭い。


「いや、もしや……リオンハートの犬か?」


「お、俺たちは――」


 アイザックが口を開こうとした瞬間、


「ご紹介にあずかりましょう」


 その声が遮った。

 堂々と名乗りを上げたのはルチアだった。

先ほどまでの砕けた口調は一変し、凛とした響きが部屋を支配する。


「私はリオンハート家の使者、ルチア・ヴァイス。セレナ・ヴァレンシュタイン辺境伯閣下より預かりし御文を、これより読み上げます」


 威厳ある姿に、アイザックは思わず口を半開きにして彼女を見つめた。

 ルチアは懐から巻紙を取り出し、恭しく広げる。


「国王陛下の名において、オズワルド・クロース男爵は爵位を剥奪され、領地を没収された。よってリオンハート家が本砦を接収する。兵は大人しく降伏し、砦を明け渡されよ」


 読み終えたルチアが視線を上げる。

 しかしロルフは眉ひとつ動かさず、ただ頑として首を横に振った。


「主君オズワルド卿の命にあらずば、我が身はてこでも動かぬ」


 その頑なな態度に、アイザックは思わず奥歯を噛みしめる。だが、ルチアはかえって余裕の笑みを浮かべていた。


「……ならば、聞いていただきましょう」


 彼女は一歩前へ進み、言葉を重ねる。


「オズワルド卿は間もなく王命に逆らい、挙兵します。いずれ辺境伯セレナの号令のもと、諸侯が挙兵し、連合軍が結成されるでしょう。オズワルド卿が勝てるはずもありません」


「……」


 ロルフは無言。


「ではお尋ねします。国賊となったオズワルド卿に、いったいどのような義理があるのです? 貴殿はグランディア王国に忠誠を誓った身。オズワルド卿を助けているのも、国王陛下の勅命で彼に爵位が与えられたからではありませんか」


 ロルフの頬がかすかに震えた。苦悶するように低くうめき声を漏らす。


「オズワルド卿は……リオンハートに嵌められただけ。何があっても主君を信じるのが忠臣の務めじゃ」


 ルチアは最後の一手を投じた。


「では、賭けをいたしましょう」


「……賭け?」


「ええ、オズワルド卿は本当に逆賊なのか、それとも単に嵌められただけなのか」


「なに……!?」


「オズワルド卿が敗れ、ここに逃げ延びてきたとき――もし彼に邪心なく、純粋に貴殿を頼ったのであれば、私の負け。この首を差し出しましょう。ですが、もしラミレス公国に国を売り飛ばすような真似をしようとしたなら……その手で、オズワルド卿の首を刎ね、我が主君、エリオス・リオンハート卿の前に跪いていただきましょう」


 その声は力強く、威厳に満ちていた。

 そしてさらに一歩踏み込み、己を差し出すように告げる。


「もし貴殿に主君を疑う心なくば、この賭けに乗るはず。乗らねば疑心あり、と、ここにいる全員に捉えられてもおかしくありませんよ!」


 部屋の空気が張り詰める。

 やがてロルフは深く息を吐き、低く言い放った。


「……この女を牢へ連れて行け」


 兵たちが動く。鎖の音が鳴り、ルチアは振り返ってアイザックを見やった。

 その瞳には恐れも曇りもない。むしろ清冽なまでの光を宿していた。


「エリオス様に伝えて。……早く来なかったら、許さないんだからねって」


「る、ルチア殿……!」


 アイザックの喉はひどく乾いていた。それでも彼女の信頼に満ちた笑顔に、思わず言葉を失った。


 牢へと連れられていくルチア。

 その背中は不思議と誇らしく、揺るぎないものに見えた。


 数日後。エリオスの予想通り、リオンハート家からの使者は、屋敷前にずらりと並べられたオズワルド・クロースの兵によって追い返された。

 翌日、セレナ・ヴァレンシュタイン辺境伯は、オズワルド・クロースを逆賊と断罪し、領内の貴族……グリフォード伯爵、ハロルド子爵、ギルバード子爵に挙兵を命じた。3貴族は領主自ら兵を率いて、クロース領とヴァレンシュタイン領の間に広がるリュミエール平原に布陣。一方、オズワルド・クロースも息子のマルコとともに兵を率いて、連合軍を迎え撃つかまえを見せたのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ