第17話 オズワルドへの沙汰
一閃。
闇を裂いた剣光に、突撃してきた黒ずくめの一人の首が宙を舞った。
「なッ――!?」
誰かの驚愕の声が上がるより速く、エリオスはすでに二人目の懐に踏み込んでいた。
柄を握る間もなく胸を貫かれ、血飛沫をあげて崩れ落ちる。
矢が放たれる。
しかし彼はほんの一歩身を傾けただけで、全てを空に逸らした。
返す刃で弓兵の腕ごと切り落とす。悲鳴が夜に溶けた。
「数で押せぇッ!」
指揮官らしき男が吠える。
だが、無駄だった。
五人、十人。
群れを成す影は次々と地に伏していく。
斬撃は流れるようで、一度として止まらない。
血と煙の渦の中、ただ一人、エリオスだけが揺るぎなく立っていた。
「化け物か……!」
誰かが絶望を吐き出した。
「違うな」
エリオスの声は低く、冷ややかだった。
「俺は――覇王だ」
最後の男の喉が裂け、静寂が戻る。
月光に照らされた石畳に、黒い影たちの屍が転がっていた。
剣を払う仕草ひとつ、無駄なく美しい。
エリオスの瞳だけが、なおも鋭く光を宿していた。
エリオスは死屍累々の正門を堂々と抜け、夜風に翻るマントをはためかせながら、真っすぐにオズワルドの滞在する宿へと向かった。
深夜の来訪に驚いた警備兵が制止の声を上げるも、一撃でねじ伏せられる。呻き声すら無視して、エリオスは歩みを止めず、そのまま宿の奥へ。
ノックなど不要だ。
扉を押し開けると、寝室の中にはすでに起きて待っていたかのようなオズワルドの姿があった。
酒瓶も杯もなく、酔いの影もない。ソファに深く腰かけていた彼は、エリオスの姿を目にした瞬間、驚愕を隠せなかったが、すぐに諦めたように深い息を吐いた。
「……待っていた人と違って残念そうですね?」
エリオスの声音は低く、挑発的だった。
「こんな深夜に何の用でしょう?」
オズワルドは目を細めた。
「招待した晩餐会に出席しなかったことを、わざわざ責めにきたのかね?」
エリオスは小さく鼻で笑った。
「いや、その代わりに寄越した連中を、すべてこの手で黙らせてしまったことを、詫びに来ただけです」
「……」
オズワルドの喉がわずかに動いた。だがすぐに、とぼけた声音を作り上げる。
「はて? 私は誰も送った覚えはないが? もし刺客が現れたというなら、それは赤の狼団の残党でしょうな。いやはや、困ったものだ」
「……そうか。認める気はないのだな」
エリオスの瞳が鋭く光る。
「認めるも何も、私は無実ですから」
オズワルドは肩をすくめる。
「そもそも、あなた方の監査でも、私の潔白は証明されたのでは?」
次の瞬間。
エリオスはすっと顔を近づけ、彼の耳元に囁いた。
「私は……襲ってきた奴らのうち、一人だけを“わざと”生かすのが好きなんです。なぜかおわかりか?」
オズワルドの目が大きく見開かれ、血の気が引いていく。
エリオスは冷笑を浮かべたまま、その顔を見下ろし、ゆっくりと背を向けた。
「辺境伯の使者から下る沙汰を……楽しみに待つといいでしょう」
重苦しい沈黙を残し、エリオスは夜の廊下へと歩み去った。
◇◇
かつてアルベルトであった頃――。
敵対する勢力を屈服させるにあたって、彼が幾度となく用いたのは力による殲滅ではなく、策略であった。
「敵を懐柔するにはどうするか?」
その答えは一つ。孤立させ、逃げ道を断ち、絶望に沈めること。
家族を人質に取られた者は、裏切れば愛する者が惨たらしい目に遭うと分かっているがゆえに、敵将の血にまみれた手であっても、藁をもすがる思いで握ってしまう。そしてその絶望の淵で与えられた希望を、生涯忘れることはない。感謝すら抱く。
だからこそ、孤立させる相手は選ぶ。
守るべき家族を持ち、なおかつ一定の立場にある者。あるいは天涯孤独で、今の主に義理もない者。そういった人間を見抜き、追い込み、孤立させ、そして救い上げる。
今回も同じだ。
オズワルドが放った刺客の中から、たった一人だけを生かした。エリオスが剣を抜いた瞬間、真っ先に逃げ出した男だ。名前はアイザック。
調べれば案の定、妻と幼い子供が街で暮らしていると分かった。彼らを丸ごとリオンハート領へ移住させ、安全を保証すると告げると、アイザックはあっさりと全てを吐いた。
「……予想通りだな」
エリオスは冷笑を浮かべ、自白書を作らせ、証人としてアイザックを伴ってヴァレンシュタイン領へ向かった。
◇◇
「これがすべてです、セレナ様」
エリオスは自白書を机に置き、静かに告げた。
セレナは一読すると、瞳を大きく見開いた。
「……ここまで、やっていたのか、オズワルド卿は」
「裏で盗賊団と手を組み、ラミレス公国に通じ、さらに監査団を葬ろうとした」
エリオスは淡々と告げる。
「辺境の秩序を根本から脅かす存在です」
「……これでは、もはや許す余地はないな」
セレナは瞳を伏せ、深く息を吐いた。
「ええ。生かせば、また災いとなるでしょう」
エリオスの声音は冷たくも揺るぎない。
「国王陛下に下知を仰ぐのが上策です」
セレナは短い沈黙の後、決然と顔を上げた。
「分かった。すぐに王都へ使者を送ろう。国賊として、裁きを受けてもらう」
エリオスは無言でうなずき、その場を下がった。
◇◇
王都への報告は迅速になされた。
「ラミレス公国との内通」「盗賊団との結託」「リオンハート家監査団への暗殺未遂」――罪状は山ほど並んだ。
セレナ・ヴァレンシュタインの進言は重く、王アルフォンス三世は即座に裁断を下した。
――オズワルド・クロース男爵、爵位および領地を剥奪。国賊として投獄。領地と財産の接収は、隣領リオンハート家に一任。
こうして王命は辺境に届き、オズワルド男爵の手元に沙汰が届いた一週間後、リオンハート家から正式な使者団がクロース家へ派遣されることになったのだった。
◇◇
王都から届いた封蝋付きの書面を前に、セレナ・ヴァレンシュタインは厳しい面持ちで椅子に腰を下ろしていた。
対面するエリオスは黙してその表情を見守る。
「……王命です」
セレナはゆっくりと口を開き、書面の内容を読み上げた。
オズワルド男爵の爵位剥奪、領地没収、国賊としての投獄――。
読み終えたセレナが紙を伏せると、エリオスはわずかに口角を上げ、低く告げた。
「セレナ様。ひとつお願いがございます」
「……なんだ?」
セレナの声は冷ややかだが、その瞳にはかすかな警戒が宿る。
「国王陛下からの沙汰の他に辺境伯殿のお名前で同じく仕置きを書き起こしていただきたい」
「……わたくしの名で?」
セレナは眉をひそめた。
「ご安心を。決して王命を否定する意図ではございません。ただ……地方に生きる者どもにとって、陛下の勅命はあまりに遠い。ですが、辺境伯殿の署名と印があれば――それは現実の鉄鎖のように響くのです」
セレナはしばし沈黙し、視線を鋭く細める。
「……なるほど。が、貴殿がそれを求める真意は他にもあるはず」
エリオスは笑みを深めたが、答えはしない。
「また一つ、お願いがございます」
「まだあるのか……ついでだ。申してみよ」
「はい。オズワルド男爵に王命を届ける使者を……私がヴァレンシュタイン領を発ってから三日後に出していただきたい」
室内に一瞬、張り詰めた空気が走った。
「三日……? その間に、貴殿は何を?」
「さて、何をいたしましょうか」
エリオスは肩をすくめ、あえて言葉を濁す。
セレナは机の上に組んだ指を強く握り込み、彼を射抜くような眼差しを向けた。
「……貴殿の策は、往々にして血の匂いがする。わたくしは辺境を守る立場。無闇な流血は望まぬ。そのことは分かっているな?」
「ご安心を、辺境伯殿」
エリオスは穏やかな声で答えた。
「私の歩く道は、無駄に血を流させるものではありません。ただ……人が人に膝を屈するためには、時に避けられぬ光景もある」
セレナの眼差しはなお鋭かったが、やがて小さく息を吐き、頷いた。
「……いいだろう。理由は問わず、貴殿の要求を呑もう。ただし、わたくしの名を用いる以上、結果に責任を持ってもらうぞ」
「もちろんです」
エリオスは深々と頭を下げた。
◇◇
エリオスはオズワルド領から伴ってきたアイザックとともにヴァレンシュタイン領を後にした。
なぜアイザックをエリオスは生かしたのか――理由は単純。彼は”鼻”がきく。分かりやすく言えば、危険を察知する能力に長けていると判断したからだ。
アイザックは”逃げのアイザック”と仲間内からは揶揄されていたそうだが、剣の腕は確からしい。家族を養うため、オズワルドの汚れ仕事を命じられるがままに担っていた。持ち前の危険察知能力を活かし、どんな任務も敵に見つかることはなかったそうだ。
馬上での道中、エリオスは彼に声をかける。
「まずは家族のもとへ戻れ。そして妻子を連れ、リオンハートの屋敷へ来るがいい。住まいも与える。……その代わり、これからは私の直属兵として仕えてもらう」
アイザックは驚きに目を見開いたが、すぐに深く頭を垂れた。
「……この命、拾っていただいただけでなく、家族までも。感謝してもしきれませぬ。必ずや、お仕えいたします」
「よろしい」
エリオスは満足げに頷いた。
アイザックは馬の腹を蹴り、家族の待つ街へと急いだ。
その背を見送りながら、エリオスは薄い笑みを浮かべる。
ひとつの駒が、盤上に置かれた。




