第14話 エリオスVSマルコ
◇◇
エリオスは、決闘の宣告を受けながらも心中では不思議と静かだった。
この数日間、彼は意図的に様々な場所に顔を出し、この世界と「アルベルト」であった頃の世界との違いを一つひとつ整理してきた。
まず庶民の暮らしぶり。
衣食住の水準は大きく変わらない。市井の人々は日の出とともに働き、日の入りとともに休む。市場では野菜や肉が並び、子どもたちは通りで遊んでいる。貴族階級のあり方も変わらない。上に立つ者が下を治め、領地を守り、税を取る。それはアルベルトの知る世界と何ら変わりはなかった。
宗教についても同様だ。
人々は神々を敬い、日々の糧と庇護を祈る。信仰の形や祈りの言葉に違いはあれど、根本にある「神を畏れ、すがる」という姿勢は同じだった。
では何が違うのか。
魔法だ。
アルベルトの世界では、魔法は人々の生活を支える不可欠の技術であり、修練によって誰もが一定の素養を得られるものだった。
だがこの世界では、魔法はすでに「古代の伝承」とされ、失われた技として語られるに過ぎない。
その代わりとなっているのが、鉱山から採掘される「魔晶石」と呼ばれる鉱石だった。
その内部には微弱ながら純粋な魔力が封じ込められており、加工によって様々な用途に転用されている。
たとえば、街の大通りに等間隔で設置された街灯。
魔晶石を仕込んだ灯具は、夜になると自然に光を放ち、油や火を使わずとも闇を払っていた。
また、役所や兵舎に設置されている通信具。
これも魔晶石を媒介として声を伝える仕組みで、遠く離れた拠点同士を結び、伝令の手間を大幅に減じている。
さらに、一部の鍛冶師は魔晶石を武具に組み込み、斬撃を鋭くしたり防御を強化したりする用途に活かしていた。
……だが、魔晶石の力を引き出せるのは道具を通じてのみ。
人間がそれを「直接」操ることはできない。
ただし、例外もある。
ごく一握りの者たちが魔晶石に近いエネルギーを「自らの身体から」発現することができた。
それが、騎士たちのまとう「ファイラ」と呼ばれる力である。
◇◇
エリオス・リオンハートとマルコ・クロースの決闘は、ヴァレンシュタイン領でもっとも巨大な闘技場で開催されることになった。さらにマルコの要望により、領民にも観戦を許したため、石造りの観客席は埋め尽くされた。
「ふはは! 俺のファイラを見せてやる!!」
高笑いするマルコ。彼の全身が青い炎のようなものに包まれる。
驚きと興奮に、観衆たちの間から大歓声があがった。
「ファイラの量だけで言えば、俺はこの国一番だ!」
ファイラはオーラのようなもので、身体を強化したり、反応速度を上げたり、刃を鈍らせぬ集中力を保ったりする、と騎士団副団長のリアナから教わった。
バフ効果の一種、といってよい。
しかし。
エリオスにとって、それは取るに足らぬものに映っていた。
アルベルトの世界では、魔法を学ぶ前の幼少期、十歳にも満たない子供たちがまず「魔力を発現させ、それを肉体強化に転じる」訓練をするのが常識だったのだ。
それと比べれば、この世界の騎士たちが誇るファイラは――修練途上の子供の遊戯に等しい。
「……なるほど」
エリオスは目を伏せ、口元にかすかな笑みを浮かべた。
この世界においては脅威とされる力も、彼にとっては恐るるに足らない。
全身に帯びたファイラを剣だけにまとわせると、マルコは口の端をつり上げた。
「変な意地を張らなくてよいんだぞ。大人しく降参すれば、鼻と耳を削ぐくらいで許してやろう」
既に勝利を手中に収めたかのような口調だった。
それに対し、エリオスは静かに笑みを返す。
だがその瞳には一片の揺らぎもなく、ただ無言でゆるやかに首を横に振った。
マルコはピクリと眉を動かす。
直後、セレナの凛とした号令が空気を切り裂いた。
「はじめよ!」
一瞬の静寂。
次の瞬間、マルコが足を踏み込み、青き炎を帯びた剣を大上段から振り下ろした。
「後悔するなよ!」
鋼と空気とが悲鳴を上げる。
それはまさに一撃必殺――受け止めれば剣ごと粉砕され、直撃すれば鎧ごと肉体を断ち割られるだろう。
観衆の誰もがそう確信した。
だが、エリオスの姿はすでにそこにはなかった。
振り下ろされた剣は地を裂き、砂煙を巻き上げる。
エリオスは寸前で身をひねり、かすめるように回避していたのだ。
「ちっ!」
マルコの剣先がエリオスの鎧をかすめる。
ファイラをまとった刃が一瞬にして鉄を焦がし、黒い煤が浮かび上がった。
それを見下ろしたエリオスは小さくつぶやいた。
「なるほど……単なる光、というわけではないのだな」
その余裕に、マルコの眉が歪む。
「舐めるな!」
青き炎がさらに勢いを増し、剣閃が続けざまに奔る。
左へ、右へ、下から、上から――まるで息継ぎを許さぬ嵐のような連撃だった。
一撃一撃が致命を孕み、振り下ろされるたびに空気が裂け、観衆の頬を熱風がかすめる。
しかし。
エリオスは一歩、また一歩と最小限の動きでかわし続けていた。
頭上をかすめる刃が、背後の地面に深い溝を刻む。
胴を狙った突きが、衣の裾を破り、布片が炎に炙られて舞い散る。
けれど、決して当たらない。
その動きには慌てふためく様子はなく、むしろ冷徹な観察眼が宿っていた。
まるでマルコの剣が生み出す炎の軌跡や威力、その性質を一つひとつ吟味し、記録しているかのように――。
「……っ!」
息を荒げるのはマルコの方だった。
いくら振るっても、いくら畳みかけても、敵の鎧に焦げ跡を刻むのが精一杯。
確かに当たっているはずなのに、致命の手応えは一向に訪れない。
観衆の間にざわめきが広がる。
「なぜだ……」
「当たっていないのか……?」
「いや、かわされている……!」
マルコの剣が煌めくたびに歓声とも悲鳴ともつかぬ声が上がる。
だがその度に、煙のようにかわし続けるエリオスの姿に、人々は次第に息を呑んでいった。
激しい連撃の応酬のあと、息を荒く吐きながらマルコは問いかけた。
「……なぜだ、なぜ攻撃してこない!」
観衆の視線がエリオスへと集まる。
だがその男は微動だにせず、息一つ乱さぬまま淡々と答えた。
「すぐに決着がついたら、皆もつまらんだろう?」
挑発にも似たその返答に、マルコの顔がかっと紅潮した。
「なめるなぁっ!」
マルコが渾身の力を込め、必殺の剣技――【蒼炎断】を繰り出す。
青き炎をまとった刃が、雷鳴のような轟音を伴って振り下ろされる。
その瞬間、エリオスの表情がわずかに変わった。初めて、剣を受ける態勢を見せたのだ。
「……勝った!」
マルコは確信した。
エリオスの剣にはいまだファイラの光がない。受け止められるはずがない!
なぜなら受け止めた瞬間に、エリオスの剣は粉々に砕けちるのは目に見えているからだ。同時にエリオスの体も二つに裂かれるだろう。
しかしこれは決闘だ。
仮に相手が命を落としても罪に問われない。
「しねぇぇぇ!!」
しかし、エリオスは表情を動かさない。代わりに唇をわずかに動かした。
低く、静かな詠唱がその場に響く。
「守護神アイギスよ。我が願いに答え、あらゆる攻めからこの身を守る盾を顕せ。《神盾結界》」
次の瞬間、両者の剣が激突した。
轟音。
眩い閃光。
そして爆風が渦巻き、砂塵と煙が訓練場を覆い尽くす。
観衆は息を呑んだ。
「やられたか……」
「さすがに無理だろう……」
誰もがエリオスの敗北を確信し、彼の安否を案じた。
だが、煙が晴れたとき、人々の表情は一様に驚愕へと変わった。
そこに立っていたのは無傷のエリオス。
その手にある剣も欠けひとつなく輝いている。
対して、マルコの剣は――無惨にも真っ二つに折れていた。
「……ば、馬鹿な……」
エリオスは冷たい声で吐き捨てた。
「この程度か。つまらぬ」
その言葉と同時に、彼は容赦なく脚を振り抜いた。
「ぐふっ!」
マルコの身体は弾丸のように吹き飛び、地面を転がり砂塵を巻き上げる。
必死に立ち上がろうとする彼の前へ、エリオスは悠然と歩み寄った。
そして剣の切っ先が彼の顔すれすれに突き付けられる。
「くくく……俺の負けだ。しかし運が良かったな」
マルコは引きつった笑みを浮かべ、しどろもどろに言い訳を並べた。
「俺の剣がもろくなっていたおかげで……貴様は勝てたのだから」
だがエリオスは剣を下げない。
その口元に、不気味な笑みが浮かんだ。
「何を言っているのだ? まだ勝負はついていないぞ」
「……な、なに……?」
マルコの目が恐怖に見開かれる。
「ま、待て……俺のま――」
最後まで言い切る暇はなかった。
エリオスの剣が閃光のように走る。
一閃、また一閃。
目にも止まらぬ速さで、マルコの顔を斬り刻んだ。
鼻が削がれ、耳が切り落とされる。
だがどれも致命には至らない。
ただ凄まじい激痛だけが彼を襲い、顔は血で真紅に染まった。
「ぎゃああああああああああ!」
地獄の悲鳴が闘技場を震わせる。
のたうち回る彼の姿に、観衆の中には吐き気を催し、その場で胃の内容物を吐き出す者すら現れた。
惨劇。
その言葉こそがふさわしい光景だった。
やがて、セレナが震える声を抑えながら宣言した。
「……勝者、エリオス・リオンハート」
場内が騒然とするなか、エリオスは剣を収め、ただ一礼だけしてその場を立ち去った。
出口へ向かう途中、青ざめた顔で立ち尽くすオズワルドとすれ違う。
その耳元に、低く鋭い声が落とされた。
「代償は払ってもらいますよ」
オズワルドの背筋に、氷の刃のような戦慄が走った。




