第11話 辺境領総会
◇◇
パーティーは滞りなく幕を閉じた。
笑顔を絶やさず、社交辞令を繰り返すだけで終わる夜会など、セレナにとっては慣れたものだ。だが、本当に悩ましいのは、その翌日に控えた「辺境総会」であった。
西北部を治めるボフミル・グリフォード伯爵と、西南部のアルトゥル・ハルデン子爵。
とくに野心家で、セレナよりも30以上も歳が離れているグリフォード伯爵は、王都の最有力貴族に取り入ることに執心しており、辺境領の権力争いには興味がないハルデン子爵は、そのグリフォード伯爵の金魚のフンのような存在だ。
よって、自ら事を荒立てることはまずない。彼らが総会で出す議案といえば、年ごとの徴税や治安報告といった、当たり障りのないものに終始するだろう。
問題は東部。
東北部のクロース男爵家と、東南部のリオンハート子爵家である。
階位でいえば、クロース家は子爵家の下。
しかし、経済力と軍事力においては、今やクロース家がリオンハート家を大きく凌駕していた。
とりわけ、水源の問題は深刻だった。
主要な水脈を押さえるクロース家がその気になれば、リオンハート領は一季節とて生き残れぬほど依存している。実際、法外な利用税を課していたのもクロース家であり、リオンハート家が生きるも死ぬもクロース家の沙汰次第という状況だった。
さらに、領主オズワルド・クロース男爵の野望は留まるところを知らない。
国境警備での功績、そして辺境経済への貢献を口実に、彼は伯爵位を王に求めている。もし下賜されれば、リオンハート家を完全に圧迫し、やがては服従を乞わせるに違いない。
そして、より厄介な企みがあった。
嫡男マルコと自分――セレナとの婚姻である。
仮に縁談が成立すれば、辺境領全体の実権はクロース家が握る。名目上の辺境伯はセレナであっても、実際にはオズワルドの思惑通りに事が運ばれるだろう。
グリフォード伯もハルデン子爵も、この件については賛成も反対もしない。
つまり、クロース家が強引に議題を持ち込めば、事実上止める者はいないのだ。
そして、ついにその時が来た。
「大事な議案がある。ゆえに息子のマルコの発言をお許しいただきたい」
そう、オズワルド自らが直訴してきたのだ。
表立って断ることはできない。
彼の功績も、影響力も、王家の耳に届いている。拒絶すれば、辺境伯セレナの立場は弱体化する一方であった。
結果、彼女はその要求を呑まざるを得なかった。
(はて……どうしたものか)
政務室の机に突っ伏しそうになりながら、セレナは溜息を漏らした。
そんな折であった。
一通の手紙が届けられたのは。
封蝋には、リオンハート家の紋章。
差出人はその嫡男、エリオス・リオンハート。
その文面は、彼女の胸を高鳴らせ、そして同時に波乱を予感させるものであった。
――クロース男爵の件で申し上げたき儀があるゆえ、私が総会に出席し、発言することをお許しいただきたい。
震える指先で手紙を握りしめ、セレナは目を閉じた。
果たして、この若き子爵家の嫡男に賭けるべきか……それとも。
◇◇
重苦しい沈黙が支配する総会の間。
中央の席に座るセレナは、じりじりと蝋燭の火に炙られるような思いでいた。
オズワルドの横には、嫡男のマルコ。
相も変わらず容姿端麗で、場の空気を自分のものにしている。
セレナはこの際、はっきりと自分の気持ちを整理した。
(やはりこの男の傲慢な態度は鼻持ちならない。婚姻相手にこだわりはないが、この男とだけは絶対に嫌だ)
一方で、リオンハート家の当主ギルバードの隣には、エリオスの姿はない。
期待していた心のどこかが裏切られたようで、セレナは小さくため息をついた。
総会は、まず西部の領主たちの発言から始まった。
予想通りの展開で、徴税や道路補修、商隊の護衛といった、当たり障りのない議案ばかり。
彼らは事なかれ主義を貫き、早々に発言を切り上げる。
次に、発言の順は東部へと移った。
本来なら子爵位を持つリオンハート家のギルバードが口を開くはずだったが……。
その前に、オズワルド・クロースがすっと立ち上がった。
「皆々様。私から、ぜひ申し上げたいことがございます」
饒舌に、自身の功績を並べ立てる。
国境警備の功労、商業の発展、王都への貢献……そのどれもが誇張され、耳障りのよい自賛にすぎない。
セレナは辟易としながらも、表情だけは静謐に保った。
だが、その瞬間。
蛇のような鋭い目つきが、こちらに向けられた。
オズワルドの口元に薄ら笑いが浮かぶ。
セレナの背筋に、悪寒が走った。
「近頃、ラミレス公国が国境に兵を集め、辺境領を脅かそうとしている……」
――嘘だ。
セレナは即座に悟った。
オズワルドとラミレスの領主が蜜月の仲にあることは、すでに掴んでいる。
白々しい虚言の裏には、必ず狙いがある。
その思惑は、すぐに明らかとなった。
「今こそ、この辺境領の危機を、我ら五人全員で乗り越えねばなりません!」
オズワルドは声を張り上げた。
「ついては、リオンハート子爵殿への水の利用料を三割引き上げ、その分を国境警備の費用にあてることを提案いたします!」
場の空気が一変する。
「なっ……!」
ギルバードが立ち上がり、顔を紅潮させた。
「うちの領民を干上がらせる気か!」
だがオズワルドは冷ややかに笑う。
「領民? 赤の狼団から領民を守ることすら放棄しているギルバード殿に、領民のことを口にする資格がありましょうか?」
「そ、それは……!」
「風の噂では、領民が苦しんでいるのは、すべて貴殿の治め方が悪いからだと聞きますが」
オズワルドの声は会場を支配した。
「もし払えぬというならば、私が貴殿に代わって、リオンハート領を治めて差し上げましょう。それとも、辺境領の危機を前に、自らの劣らなさを棚に上げて責任を放棄なさるおつもりか?」
ぎろりと周囲を見回し、オズワルドは続けた。
「それこそ、貴殿には貴族としての誇りも、領主としての資格もない! そう思われませんか、皆々様!」
場は一瞬、凍りついた。
セレナは険しい眼差しで西部の二貴族を睨んだ。
だが、彼らはその視線を避け、パラパラと拍手を始めた。
……もはやオズワルドに弱みを握られているのか、あるいは金で買われているのか。
セレナの胸に冷たいものが広がった。
勝ち誇ったようにギルバードを見下ろすオズワルド。
さらに言葉を重ねる。
「罪なき領民を救いたくば……私の足元にひざまずき、こう懇願なさるがよい」
声を低め、嘲りを含ませる。
「どうか私に代わってリオンハート領を治めてください、と」
ギルバードは顔を歪め、唇を噛みしめた。
「さもなくば――」
オズワルドの声は高らかに響き渡る。
「三割上乗せした水の利用料を、きっちりと払っていただくことですな!」
重苦しい沈黙が続く。
場の視線は、ギルバード一人に注がれていた。
玉のような汗が、彼の額をつたい落ちる。
肩が震え、拳は震え、やがてその耐えは限界を迎えた。
「……っ」
ギルバードはゆっくりと立ち上がった。
まるで死地に赴くかのような足取りで、オズワルドのもとへ進み出る。
そして、腰をかがめようとした、その瞬間。
「はっはっはっ!」
オズワルドが大笑いしながら、ギルバードの手を掴んだ。
「冗談ですよ、さすがに私も悪魔ではありません」
にこやかに言葉を放つ。
「水の利用料は据え置きといたしましょう。どうぞご安心を」
「……!」
はっと顔を上げるギルバード。
その瞳に安堵が広がり、場の空気もまた、ほっとした吐息に包まれた。
しかし、その緩んだ空気を、オズワルドはすぐさま切り裂いた。
「とはいえ、ラミレス公国の脅威に変わりはございません」
再び声を張る。
「ゆえに、我がクロース家が全負担を引き受け、この辺境領をお守りしましょう。しかし……このままでは兵どもの中から『なぜ自分たちだけが苦労を背負うのか』と、不満が噴出するのは必定」
ざわめく会場。
セレナの胸に、冷や汗が伝った。
オズワルドはゆっくりと、セレナに向き直った。
「そこで――セレナ様」
蛇のように細い目が笑う。
「我々が一致団結する証として……恐れながら、セレナ様とここにいる我が息子マルコとの婚約を、この場で大々的に発表しようではありませんか!」
「……っ!」
セレナの目が大きく見開かれた。
(リオンハート家への非難は、すべてブラフ。本命は、やはりこれ、ということか)
心臓が早鐘を打つ。
冷静を装いながらも、セレナの内心は焦りに揺れていた。
四面楚歌。
西の二貴族はすでに買収され、ギルバードは追い込まれ、反論の余地を奪われた。
四人全員の賛成が得られれば、セレナには逃げ道がない。
もしこの場で賛同が集まり、王のもとへ意見が届けられれば。
婚姻は既成事実と化す。
セレナの意思など、どこにも介在しない。
「……っ」
平然を装い、笑みを崩さぬように努める。
だが内心は――膝を抱えて、その場を逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
(もう、どうしようもないのか……)
心が折れかけた、その時。
――ガンッ!
大扉が勢いよく開かれた。
豪奢な会場に、一陣の風が吹き込む。
「遅れて参りました!」
堂々とした声が響き渡る。
その声に、セレナの胸が大きく震えた。
現れたのは――エリオス・リオンハートだった。




