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インターミッション:覚醒

タイトルの主人公がようやく登場です。

 清潔な空気に満たされた白い部屋だった。

 規則正しく聞こえる電子音以外に音はなく、徹底して衛生的に保たれていて、誰もが病室だとすぐに分かるだろう。

 窓一つない病室の奥に人が一人、すっぽりと収まる大きさの金属製の筒が三基並んでいた。医療用のメディカルポッドだ。

 電子音を除いて保たれていた静寂が、メディカルポッドの蓋が開く音によって破られた。


 白い冷気がメディカルポッドから零れ出て、小さな滝のように床へと流れ落ちて行く。床を這った冷気が、黒い靴にぶつかって分かれた。

 三十代後半から四十歳ほどの男がメディカルポッドの傍らから、中身を見下ろしていた。白いモノの混じる黒髪をオールバックにした、精悍な顔立ちの男だった。

 皺ひとつない仕立てのよい灰色のスーツと男の風格とが相まって、尋常ではない雰囲気を醸し出している。


 雨のように降り注ぐ銃火の下を駆け抜け、むせ返るような硝煙の臭いが血肉に沁み込んでいる。戦場を知る者なら、誰もがこの男が兵士だと本能的に看破するだろう。それも、歴戦の兵士だと。

 男らしく太い眉の下で鋼を思わせる強い意志を宿した黒い瞳が、メディカルポッドの中で横たわる人影を映した。

 ダリアにボスと呼ばれ、傭兵部隊ガーデンの指揮官であり、オーナーでもある男だ。


「目は醒めたか?」


 メディカルポッドの中に居たのは、零れる冷気にも負けない白い人影だった。

 白く、痛々しく、今にも消えてしまいそうな儚さと脆さ、そして背徳的な美しさを併せ持っている。

 皮膚の下に血が通っているのか疑わしい病的に白い肌。その身に施された生体強化手術の影響で、色素の抜けきった白い髪。


 手足は肉が削げ落ち骨の形が露になるほど細い。枯れた木の枝と大差ない有様だ。

 震える瞼がゆっくりと時間をかけて開かれて、手術の影響で赤く変色した瞳が男を映す。

 痩せ細った人影は少女だった。十代半ば、少なくとも二十歳には届いていないだろう。少女の色の無い唇がかすかに震える。なにかを言おうとして、言葉にならなかったのだ。


「意識ははっきりしているようだな。俺はダイドウ・アメツチ。お前を闇医者から買った男だ。お前の経歴は抹消されていたが、なにかの理由で大金と引き換えに生体強化手術を受け、兵器の生体部品となった。それは憶えているか?」


 ダイドウと名乗った男の言葉を聞いて、少女は自分の記憶を振り返ったが、すぐにそれを止めた。なにも思い出せなかったのだ。どこで生まれて、どう育ったのか。どんな名前で呼ばれていたのかさえ、思い出せない。

 ひたすらに空虚な記憶しかない。『自分』という『個』を成り立たせる為の基盤が、少女の中にはなかったのだ。少女の様子を見てダイドウはおおよそを察したようだった。少女のようなケースをいくつも知っている、そんな反応だ。


 おそらく闇医者から少女のような身の上の人間を、いや、人権を捨て去り、部品となった者達を何度も購入してきたに違いない。

 ダリアの代わりに買い求めたこの少女は、馴染みの闇医者が官憲に嗅ぎつけられそうだから、と在庫処分を兼ねて安売りした商品だった。


「お前には俺の仕事を手伝ってもらう。危険の多い仕事だが、その分、見返りは大きい。今、お前には金の使い道は思い浮かばないかもしれないが、金を積めば戸籍を用意できる世の中だ。いずれお前が何かを欲した時、金があれば役に立つ」


 ダイドウの語る言葉に、少女は見えているのかも怪しい瞳を向け続けていた。

 どれだけ言葉の意味を理解しているのかも疑わしい様子にも、ダイドウは気にした素振りはない。こんな反応も彼にとっては慣れたものなのだろう。買ったばかりの頃のダリアやライラックも似たようなものだったに違いない。


「とりあえずお前に仮初でも必要なのは名前だ。お前の製造……いや、管理番号で呼び続けては邪推を招く。お前の名前はS-TP-108ではなくアイリスだ。いずれ本当の名前を思い出すかもしれないが、俺と仕事をしている間はアイリスで通せ」


 アイリス。傭兵部隊ガーデンに所属する傭兵パイロットとしての名前だ。それが花の名前であると少女は気づいたかどうか。少女の瞼が力尽きたように閉じ始めた。


「アイリス、ゆっくりと眠れ。次に目を醒ましたらリハビリを始める。お前には多くの仕事をこなしてもらわなければならない。休める時に休むのもお前の仕事だ」


 ほんの少しだけダイドウの言葉尻が柔らかくなったのを、アイリスは落ち行く意識の中で聞いた。

 ダイドウの言う通り、アイリスが次に目を醒ましてからリハビリが始まった。しばらくは、自力で水も飲めないアイリスの身体を回復させることに専念しなければならない。


 長期間、コールドスリープ装置の中で保管されていたアイリスの身体は衰弱しきっており、身体に繋いだチューブから栄養剤を送り続けて、身体の芯から立て直すところから始めなければならなかった。

 そうして点滴漬けからようやく自力で液体を飲めるようになり、栄養剤の種類と配合を変えて、更に流動食をなんとか食べられるようになった頃から、ようやく身体を動かす段階に入る。


 この間、ダイドウはアイリスのリハビリに必ず付き合っていた。医療ロボットの助けを借りながら、まるで身内に対するかのように献身的にアイリスを支えていた。

 アイリスの面倒を見る以外にも多忙な筈のダイドウだったが、商品の手入れは自らの目と手で行う主義なのか、リハビリに時間を費やすのを惜しむ素振りは一度も見せなかった。


 手ずからアイリスの包帯を巻きなおし、着替えを手伝い、点滴を変えるのも、食事を与えるのも嫌な顔一つしない。手際の良さはダイドウが確かな知識と経験の持ち主だと分かるものだった。

 手の中に落ちてきた傷ついた小鳥の世話を、甲斐甲斐しく焼いている、そんなリハビリ風景であった。


 アイリスに施術された生体強化手術は、細胞単位で肉体を強化するものだ。

 ナノマシンこそ注入しているが、人工臓器や人工骨格、マイクロデバイスを脳内に埋め込むなどの機械式強化手術とは異なる。

 氷漬けだった身体は充分な休息と栄養、そして刺激を与えられると常人ではありえない回復速度を発揮し、骨にわずかな肉と皮が貼りついているような身体は少しずつ、年相応の体つきを取り戻しつつあった。


 アイリスの回復速度と苦痛を伴うリハビリを厭わない姿勢は、アイリスのような境遇の人間を数多く見てきたダイドウからしても珍しい部類に入る。

 生体強化手術は術式の新旧もさることながら、手術を受ける素体の素養も大きく影響するのが短所であり、長所でもあった。

 そうしてアイリスが自力で体を起こし、食事も摂れるようになったころに、ダイドウから名前に続く新たな贈り物が用意された。


 メディカルポッドからベッドのある病室へと移されてから数日、アイリスの手に、ダイドウから贈られた黒いチョーカーがあった。病室へ移る少し前に呼吸器も排泄補助装置も外している。

 レースのカーテンを通して、柔らかな光が差し込むうららかな午後のことである。

 淡い緑色の病院着姿のアイリスは、ベッドの上で上半身を起こし、隣に立つダイドウに赤い視線を送った。白い髪が背に掛かるくらいに伸びていた。

 アイリスの無言の問いかけにもダイドウは慣れた様子だ。ベッドの傍らの机に置かれたデバイスの投影する立体映像の花が、黄色いユリからパンジーに変わっていた。


「それを首に巻けば、ソイツがお前の代わりに喋る。発声器官の代替というわけだ。お前の声帯が機能を取り戻すまで、しばらくかかる。それまで意思疎通に支障を抱えたままには出来ないからな」


 着けてみろ、と促すダイドウに従い、アイリスはチョーカーを首に巻いた。

 まだ上手く動かせない指でも、チョーカーはパチンと小気味いい音を立ててアイリスのか細い首に巻き付く。

 ダイドウの片手だけで簡単に握り締められる白い首に、チョーカーの黒は不吉なほどよく映えた。雪原に落ちた黒い影をダイドウは連想した。チョーカーに起動した合図である赤い光が灯る。


「あ……ああ、あ……ああ」


 アイリスの唇は閉じたままだが、チョーカーから少女の声がした。声、というよりも呻き声だ。声だけを聞くと苦しみの中でなんとか絞り出したような響きだが、アイリス本人としては喉の調子を確かめる感覚で、チョーカー越しに音を発した程度である。

 ピクリとも動かないアイリスの表情と相まって、どんな気持ちで声を発しているのかまるで分らないが、ダイドウに気にする素振りはない。アイリスが表情を動かせるほど、回復していないと知っているのも大きい。


「……だい、どう。だいどう」


「そうだ。俺の名前だな。俺はダイドウ、そしてお前はアイリス。アイリスだ」


「あいりす、あいりす、わたしはあいりす」


「お前が自分を買い直すまでの名前だがな。それとチョーカーの音声はお前の肉声を再現したものだ。いずれチョーカーが必要なくなる時が来るだろうが、その時には違和感のない声で話せるようになるだろう」


「だいどう、ありがとう」


「……礼など言うな。お前に回復して貰わない事には、俺の仕事に差し障る。必要だからしていることだ。そろそろリハビリも次の段階に入る。どんどんときつくなるが、お前には相応の金を使った。簡単に投げ出すことは許さんぞ」


 アイリスは言葉ではなく、小さな首で頷いて答えると、どういうわけか唇を尖らせた。行動の意味が分からず、ダイドウの眉間の皺が更に深くなる。


「かんしゃのきっす。ちゅっ」


 ちゅっちゅっ、とチョーカーが合成音声を発するのに合わせて、アイリスのようやく赤みのさしてきた唇が動いた。これは多くの強化人間を見てきたダイドウをして、初めての反応だったから、すぐに言葉が出て来なかった。

 ダイドウはダリアやライラックでもそう見た覚えのない困惑の表情を浮かべて、溜息を吐く。これまでダイドウの見てきた強化人間は、生体パーツとして運用する為に人格や記憶に手を加えられていたものだが、ここまでユニークな個体は初めてだった。


「どうやらお前は変わり種らしい。次からはシミュレーターの訓練に入る。GSについて、そこのタブレットで軽く予習しておけ。手術の影響で脳にGSの操作方法や必要な情報は刷り込まれている筈だが、念の為にな」


 ダイドウは机の上に置かれた板状のタブレットを示してから、部屋を後にした。これまでの経験にない反応をしてくるアイリスの購入を、後悔していたのかどうか。

 ダイドウが去った後、机の上に投影されている花は部屋の主と同じ名前の花に変わっていた。

アイリスに感情があるかどうか、まだまだ怪しいところ。

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