インターミッション:あいりすはどこのこ?
衛星ダテマの都市ルナアークの港湾ドックの一つに、ウルメが停泊した後、アイリスはウルメの医務室に居た。
体に不具合が出たわけではなく、定期的な検診と戦闘後の状態確認を合わせて行っている。旧式の強化人間かつ長期間のコールドスリープを経たアイリスの肉体と精神は、いつ、どんな不具合を訴えるか注視しなければならない。
各種の検査を終えて、アイリスは車椅子の上で担当医師のツララから結果を聞かされていた。
艶めく黒髪をショートにした四十代の女医、それがツララだ。いかにも切れ者という印象を受ける切れ長の青い瞳、彫りが深くすっと伸びた鼻梁に流麗に伸びた手足にしなやかな肢体を持ち、A.M.S.のロゴの入った白衣に袖を通している。
アイリスがダイドウに購入されてから今日にいたるまで、アイリスの心身のメンテナンスを行ってきた専門家だ。またアイリス以前にダイドウが購入してきた強化人間達の多くを、診てきた人物でもある。
「脳波、脈拍、血圧にどれも正常値の範囲内。アイリス、あなたはすこぶる頑丈に出来ているわね。これまで診てきた子達と比較しても、頭一つ跳びぬけている」
アイリスに語り掛けるツララの声音は、怜悧な見た目にはそぐわない柔らかさがある。それが分かっているからか、首のチョーカーが代理するアイリスの声音も、少しまろやかだ。
「ありがと、つららせんせい」
「これまで摂取してきた栄養も、高効率で吸収して順調に肉体が回復しているし、車椅子から卒業するのは予想よりも早くなりそう。良いことだわ」
ツララの言う通り、目覚めたばかりの頃、痩せこけて骨と皮ばかりだったアイリスの見た目は、今はやや細めという程度だ。
「やったぁ。あいりすはげんきのこ」
むふーと音を立てて息を吐く、アイリスにツララは目を細める。
アイリスが強化人間のセオリーから外れる精神構造の主だと、ダイドウだけでなくこのツララも感じている。そして、どうやらツララはアイリスの特異性を好意的に捉えているようだ。
「ええ。しばらくルナアークに留まって、傭兵仕事に精を出すことになるでしょうから、遠からず機能回復手術の費用が溜まるはずよ。そうしたらアイリスもいくらか機能を取り戻せる。発声機能や味覚に嗅覚なんかをね」
「きのう……でも、わたしは、いまのわたししかしらないから、なにをなくしたのかもわからない。とりもどすといわれても、あんまりわかんない」
本来、あるべき機能を失った実感がないというアイリスの告白に、ツララは痛まし気な表情を一瞬だけ浮かべた。
これまで診てきた強化人間の多くは、そんな考えですら浮かばないほど、脳を弄られた者が珍しくなかったが、情緒が残されていても痛ましさはあるのだから、つくづく強化人間という存在は救いがない。
「機能を取り戻したらどうなるのか、分からないのが怖い?」
ツララの問いかけにアイリスは自らの心の声に耳を傾けるかのように、胸に手を当てて少しの間、眼を瞑った。
「こわいのかはわからない。でも、やくにたてなくなるのはいや。わたしのせいのうがおちるのなら、きのうをかいふくするひつようはない」
「そう。例えアイリスの能力が落ちたとしても、ダイドウは見捨てたりはしない。それはもうアイリスにも分かるでしょう? それでも嫌?」
「だいどうが、わたしをみすてないのは、わかる。でも、わたしはかわれたぶんのおかねくらいは、やくにたたないといけないとおもう」
「思う、ね。アイリスが自分の心をそこまで言葉にできるのなら、立派なものだわ。とりあえず、体調に問題はなし。部屋に戻って、ゆっくりと休んでらっしゃい。次の仕事をダイドウが見繕うまで、そう長くはないでしょうけど」
「はい。それじゃあね、つららせんせい」
アイリスを乗せた車椅子が医務室を出てから、十分ほどでダイドウが顔を見せた。相変わらずの厳めしい表情だが、無事に仕事が終わり、アイリスも傷一つなかったことから、少しだけ眉間の皺が浅いのを、ツララは長い付き合いから察していた。
「お疲れ様。補給と滞在の手配くらいは終わった?」
「ああ。依頼の選別はこれからだが、アイリスの体調はどうだ? 問題はないはずだが……」
「ええ、まるで問題はないわ。戦闘での疲弊はほとんどなし。肉体も精神も異変は見受けられない。むしろ栄養状態の改善で、日を追うごとに健康になっているくらい。常人離れした肉体の回復力も強化手術の影響なのだけど、それ以上の回復力だわ。手術前からアイリスの肉体機能が優れていた可能性もあるけどね」
ダイドウはアイリスを購入した闇医者から聞かされた、アイリスの来歴について思い返した。店じまいの時期だとぼやいていた闇医者は、ダイドウでも把握しきれない人脈の持ち主でこれまで大いに助けられていた。
「奴の手元にアイリスが来た時、すでに何人もの手を渡っていて、アイリスが受けた手術の形式を含め、アイリス自身の経歴もなにも分からなかったという話だ。アイリスから、どこでどんな手術を受けたのか、読み取れなかったか?」
「少なくとも半世紀以上前に流行った術式をベースにしているけれど、人工の骨格、臓器、血液との交換を行っていないわ。生まれ持った肉体を投薬や暗示、ナノマシン投与によって強化する方式ね。手術後に大きな損傷を負った形跡もないし、長期間のコールドスリープによる衰弱がなければ、もっと早く仕事をこなせていたわよ」
アイリスの回復力もそうだが、GSの操縦技術、そして機体との親和性もダイドウの知るこれまでの強化人間達よりも高いレベルにある。
これまで最新の術式を受けた強化人間とは遭遇していないが、ともすれば対等に渡り合えるのではと思わせるポテンシャルが、アイリスにはあった。
「元々、パイロットとしての資質に恵まれていたアイリスが、強化手術によって更にその素質を伸ばした結果が、今のあいつか」
「施術前のアイリスのデータがないから、正確な検証が出来ない以上、気にしてもなんの解決にもならないわ。それにしても半世紀以上前の強化人間となると、どうしてもあの伝説を思い出すわね」
ツララの言う伝説に思い当たり、ダイドウの眉間の皺が深くなった。直接的に関わった事件ではないが、ダイドウのような仕事に身を置いている人間にとっては、眉唾物ながら決して無視できない事件だった。
「レニ星系が壊滅する切っ掛けになった元凶の強化人間か。レニの悪夢、星系の破壊者、史上最悪の強化人間……散々な二つ名で知られているが、消息は不明だったな」
「当時のレニ星系では複数の星間国家とスペースコロニー群の思惑が入り乱れて、今のファーエデンとザギオンに勝るとも劣らない戦乱に陥っていたわ。どこも汎人類共栄連邦から独立した勢力だったから、連邦政府も極力は干渉しない姿勢だったしね」
地球を起源とする人類が太陽系外へと進出し、新たな居住惑星を開拓し、宇宙空間にスペースコロニーという人工都市を築いたころ、統一政体だった汎人類共栄連邦からの独立を求める声が上がり始めた。
汎人類共栄連邦は各地の独立運動に対し、公正な条件下での独立を認める寛容な姿勢を打ち出し、今日に至るまで複数の独立国家が誕生している。レニ星系もそうした独立国家の乱立する星系だった。
「その中で軍事独裁政権を敷いていたスペースコロニー群が、新型GSと強化人間を使い、生き残りを図った。事の発端は本当にその程度の理由だったが、上手く行き過ぎた」
ダイドウの脳裏では戦乱が終結した後の荒廃しきったレニ星系の様子だ。たった一機のGSと強化人間で星系のパワーバランスが崩れるなど、どこの夢物語だと鼻で笑われるような事件が、実際に起きたのである。
「星系内の各勢力の要請に応じて援軍として派遣された強化人間が、達成不可能とされた任務さえ次々とやり遂げた結果、レニ星系のパワーバランスは完全に崩壊。人類間での使用が禁じられていた大量破壊兵器の乱用、強化人間の粗製乱造に無思慮な新型兵器の開発が行われる始末」
ツララはそう呟きながら、当時、荒廃したレニ星系の救命行為に従事した医師達の記録に目を通した経験があり、そこに刻まれた悲惨さと愚かしさを克明に思い出していた。
かじ取りを間違えれば他の勢力にあっさりと潰される──その程度だった軍事政権は、ダイドウの言った通り上手く行き過ぎた為に、消耗しきった他の勢力から目を付けられて、地獄への道連れとばかりに集中攻撃を受ける。
そうして徹底的な破壊と殺戮の嵐に襲われて、国家としては完全に消滅している。
強化人間の製造技術が飛躍的に発達し、多数の犠牲者が生まれてしまったのも、この時期の前後である。
ダイドウはアイリスの忘れられた経歴が、そのレニ星系崩壊に関わっているかもしれない可能性を否定しきれず、苦いものを吐き出すように口を開く。
「消息不明となったレニの悪夢が、もしかしたらアイリスかもしれない可能性か。完全に否定でも出来なければ、肯定も出来ん話だ。だが、どちらにせよ、今のアイリスにとって過去は関係がない。連邦政府も今更、レニの悪夢を追ってはいないのだからな」
「それはまあ、そうなのよね。それこそアイリスが記憶を取り戻したとしても、まったく別人の可能性だってあるわけだし、私達がここで話してもただの杞憂で終わる可能性の方が高いか。ふふ、悪かったわね、ダイドウ。無駄な話に付き合わせてしまったかしら」
「いや、アイリスを気にかけてのことだろう。それなら無駄ではない」
「ふう、ダイドウ、あなたはやっぱり……」
旧式化した強化人間を積極的に雇用して運用する、その手法は成果を挙げているが、問題の一つはやはり目の前の雇用主の気性が、強化人間を使い潰す方針と相性が良くない点だろう。
ツララに限らずA.M.S.の社員でも、ダイドウの気質を理解している者は総じて同じ評価を下していたが、誰もダイドウ本人には告げずにいた。
*
惑星エビナスにとっての月にあたる衛星ダテマの都市ルナアークは、巨大なクレーターを利用した巨大都市である。面積の大部分は地下に広げた都市部が占めて、半透明の保護ドームに覆われた表層には、港湾施設が多く存在する造りだ。
ルナアークまでの護衛を目的とした依頼を受けたのには、他にもルナアークにA.M.S.の支社があるのも理由の一つだった。
港湾ドックを出立したウルメでそのまま表層にあるA.M.S.ルナアーク支社へ向かい、そこを拠点としてルナアークにおける傭兵稼業を行ってゆく。
ルナアーク支社には複数の船舶を収容できる港湾ブロックの他、バトルポッドとスケアクロウ以外のGSもあり、依頼の内容次第ではイーリス以外の機体にも乗り換えられるように、準備が整えられている。
アイリスにとって一番のお気に入りの機体はイーリスだが、レッカの使っていたファーガンや戦ったことのあるオロンの他、初めて実機を見る機体が複数あり、今後、戦場で戦う可能性と実際の乗り心地に、興味をそそられている様子だった。
ルナアーク支社は施設の規模と比較して、オートメイション化が進められて、人員は極端に少ない。可能な限り人の目と耳と口を減らし、情報の流出などを防ぐ為の措置であろう。
そして専用の個室に案内されたアイリスが待機を命じられてから数時間後、アイリスはクレールとツララによって着替えさせられていた。
パイロットスーツ以外にはA.M.S.の制服である灰色のジャケットとズボン姿が、アイリスのデフォルトだが、今ばかりは違った。
首周りにドレープの効いた白のブラウスに赤いリボンタイ、深い緑色のプリーツスカート、足元には清楚な白いソックスにエナメル素材の黒い靴。特徴的な白髪はお団子に丸められて、鍔の広い帽子の中に収まっている。
車椅子の上にちょこんと座っている姿は、可愛らしく着飾ったお人形さんのようで、されるがままに着替えさせられたアイリスは、なにがなんだか分かっていない表情だ。
アイリスに用意された私室は備え付けのベッドにデスク、情報端末、あらかじめ用意されていた観葉植物など、生活空間としての機能がほとんどない殺風景なものだ。
ただし、今はベッドの上にアイリスが着替えさせられた諸々の服が置かれていて、そこだけ鮮やかな色彩が主張をしている。
アイリスは車椅子に乗ってこそいるものの、短時間の歩行なら可能な程度に回復していたのと、ルナアークが0.7Gに設定されていたのが功を奏し、着替えそのものはそれほど苦労しなかったが……
アイリスは自分を散々着せ替え人形にして遊んだくせに、自分達は見慣れたツナギと白衣姿の二人を、心持ちじっと睨む。
「どうしてわたしはきがえさせられたの?」
百八十センチ以上あるツララが、にこりと笑みを浮かべてシンプルな答えを告げた。
「それはアイリスがこれからダイドウのエスコートでルナアークに出かけるからよ」
「なぜ?」
「だってこれからルナアークを拠点とするのだもの。その目で現地調査をするのは必要でしょ。基本的に市内での依頼は来ないでしょうけれど、万が一を考えれば肌で知っておくのは大事。だからよ」
仕事に絡めて説得すれば、おおよそアイリスは納得するとツララは充分に知っていた。
「それならなっとくは……できる」
アイリスはなんとか飲み込んでいるという表情だが、不満はまだ燻っている様子だ。相変わらずの無表情なのだが、そんな心の変化を読み取れるくらいには、ツララはこの手の強化人間の症状と接してきた経験がある。
ツララに続いて、アイリスを押し切るチャンスだと判断したクレールも物知り顔で口を開き、言葉の銃弾を撃ち始める。
「社長はルナアークのことを知っていますし、万が一の時の為に市街の気を付けるべきポイントなんかを、現地を見回りながら教えてもらうのが効率的じゃないですか」
「うーん。ごーりてきなかんがえだけど、なんだかそれいがいのかんがえもありそう」
「ええ。アイリスさんにはよく休んでほしいですし、戦うこと以外のことも知って欲しいですからね」
「わたしはたたかうことだけできればいいんだよ?」
アイリスの疑いが一つもなく、心底からそうだと考えている言葉に、クレールは痛ましさを堪えるように微笑んだ。
「アイリスさんがそうだと結論付けるにしても、戦い以外を知ってからでもいいんじゃないかと思うわけです。戦い以外も知っている。その上で戦えればそれでいいと結論を出したのなら、とやかくは言いません。だって、それはアイリスさんが自分で判断して決めたんですから」
「だいどうも、つららせんせいも、くれーるも、わたしにじぶんでかんがえさせようとしているきがする。わたしにたたかえとめいれいするだけでいいのに」
やれやれと言わんばかりに小さな肩を竦めるアイリスに、ツララもクレールも苦笑のような、何とも言えない表情を浮かべるのだった。
失ったアイリスの記憶、アイリスの過去がなんなのか。ダイドウとツララの会話に出てきた厄ネタなのか、思わせぶりなだけで全くの的外れなのか? すべてはおいおいにて。




