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8.

 息が白い。とても静かだ。季節外れの海辺には、ぼくたち以外、誰もいなかった。

 くすんだ空と海と浜辺がつながり、その浜辺できみは穏やかな表情で寝転がり空を見ている。

 白いカケラが無数に降り続ける。

 なぜだろう。部屋にいる時よりも広々としたこの場所にいるほうが、二人きりだと感じる。

 少し遠かったけれど来てよかった。

 波音の隙間を縫って高く澄んだメロディが聞こえる。

 ぼくはきみのそばにしゃがみこむ。

 柔らかく優しい、言葉を持たない歌をきみが口ずさんでいた。

 美しい途切れ途切れの旋律を追いかけていると、二人の思い出がよみがえる。

 初めてきみを見たのは、あの小さな居酒屋だった。

 きみは一生懸命働いていた。酔っぱらいにもひるまず、態度の悪い客にも丁寧で、笑顔を絶やさなかった。きみは美人じゃない。でもなぜか目を奪われた。「ビールです」と言うきみの声に心臓が震えた。多分、運命だった。

 過去の誰かと比べるのは馬鹿げてる。でもぼくにとってきみは特別だ。危険だとわかっていたのに、近づかずにいられなかった。こんなことは初めてだった。

 きみの歌が終わる。

「……さん」

 ときみが呼ぶ。

 ぼくはうなずく。寒々とした空を映すきみの目をのぞきこむ。

「迎えに来てもらうから、大丈夫だよ」

 頬に触れると冷え切っていた。愛しさがこみ上げてきて、帰るのがどうしようもなく辛かった。


 目が覚める。いつもの研究室の天井だ。胸の上にリグルがいて、首を傾げて私を見ている。

『うなされていたよ』

「変な夢を見て」

『へぇどんな?』

「夢の中の私は静かで穏やかな気持でいるのに、それを見ている私も同時にいて。怖くてたまらなかった」

 私はリグルに手を伸ばす。柔らかな毛並みにホッとする。リグルが私の手にもたれかかる。

『何が怖かったの?』

 耳に波音と歌がよみがえる。でも夢の中身は逃げ去ってしまった。

「忘れちゃったみたい」

『嫌な夢だったんでしょ?忘れられて良かったね』

 リグルの言う通り、覚えていたくない、そういう種類の夢だった。

「寝る前にリグルが嘘つきは誰かなんて、聞くから」

『ぼくのせい?』

「そうだよ」

『怖い嘘つきが夢にでてきたの?』

「……わからない」

『もう少し寝たら?』

「ねぇリグル、今日はどこにも行かないで」

 目が覚めた時にリグルにそばにいて欲しかった。

 仕方ないなぁ、そう言いながらリグルが私の指先を小さな体で抱きしめる。

『どこにも行かないよ』

 安心して私はもう一度目を閉じる。


 奇妙な夢を見てから5日後の朝、遊理が部屋に来た。

 遊理は私の担当研究員だ。

 ソファに座り「今日はリグルさんはいるんですか?」と尋ねる。

「リグルは出かけているけど」

「あ、そうですか」

 遊理はこの第三研究室でたった一人、リグルの存在を知っていて姿を見ることもできる。でもいつでも見えるわけではない。条件がいくつかあって、今日は見えない状態の日のようだ。

「コーヒー飲む?」

「すみません、お願いします」

 遊理は疲れた仕草でソファにもたれる。

 私たちは向かい合いコーヒーを飲む。遊理の茶色い柔らかな髪は乱れ、目は赤く、シャツもよれていた。いつも身だしなみに気を使う遊理がこうなるのは……

「仕事、忙しいの?」

 研究室に泊まり込んでいる時だ。

「無茶苦茶ですよ」遊理はため息をついた。

「荒鐘副室長が関わった過去の案件を全部見直さなきゃいけなくなって、たまったもんじゃないですよ」

「荒鐘の?」

「はい。資料の確認とアビリティ保有者に聞き取りを行ってるんです。あの人、うちに来てまだ一年位だから良かったですけど、それでもしんどいです。アビリティ保有者のほとんどは全然協力的じゃないし」

「なぜ荒鐘の案件を?」

「リグルさんから聞いてないんですか?」

 首を振る。

「リグルさんって本当ひねくれてるっていうか意地悪っていうか。三鬼さんも無関係じゃないんだから教えとくべきなのに」

 遊理は恨みがましそうに言った後、真剣な顔になる。

「先日、荒鐘副室長が研究室に招き入れた人物が大問題を起こしたんです。政治家の城木 道太郎、知ってますよね?」

 城木。政治家だとは知らなかった。でも私の知る城木は、あの優しく寂しい目をした城木さんしかいない。私の返事を待たず、遊理はさらに驚くことを言った。

「彼、おととい指名手配されたんです」

「指名手配?なぜ?」

 遊理はデジタルブックを広げてテーブルに置いた。「説明するよりこれを読んでもらった方が早いですね。調査部がまとめた事件の概略です」

 文字の合間に何枚かの写真が添付されていた。見覚えのある顔に息をのむ。


 [暗橋自然公園、変死体発見事件、概略


 10月26日午前7時過ぎ、北海道暗橋市のはずれにある暗橋自然公園で遺体が発見された。遺体の全身には無数の傷があり、痩せ衰え、服は破れて半裸だった。

 遊歩道から離れた茂みの影で遺体は隠れるように丸まっていた。遺体の損傷がひどく、発見した公園管理員は当初人間だとわからなかったと証言した。

 道庁が運営するこの自然公園は広く、自殺者や遭難者の発生は珍しくない。また野生動物も豊富にいる。そのため被害者は何らかの事情があり公園に入り込み、遭難のうえ凍死、体の傷は野生動物によるもの、という見方がなされていた。実際にいくつかの傷はキツネや野鳥に死後つけられたものだった。

 だが詳細な検死の結果、動物による傷はわずかで、ほとんどの傷は何らかの人工物、刃物や鈍器によるものだと判明した。切り傷や痣が多数あり、すべてのケガを合わせるとその数は300を超えた。

 身長175センチ、発見時の体重は41.3キロ、胃の中は空っぽだった。筋肉は衰え、両手首、両手足に縛られた跡があった。状況からして、彼は長期間にわたり監禁され、拷問を受けていたことが推測された。

 また着衣を分析したところ、二種類の血液が発見された。DNA鑑定により一つは被害者のものと判明、もう一つについてはデータベースで照合したところ、国会議員の城木 道太郎のものと判明した(※1)。

 ※1 城木は“未来を守る会”の理事として活動しておりDNA保存法案にも賛成の立場をとっていた。その際自ら、任意でDNA登録を行っており今回確認することができた。


 国会事務局によれば、城木は10月25日以降、体調不良のため自宅療養の届け出がなされていた。

 警察は10月27日の午後2時、東京都品川区の城木の自宅を訪問したが不在だった。同時に不動産登記簿から、城木が北海道暗橋市に別荘を所有していることを確認した。暗橋自然公園から徒歩20分の場所で、10月28日朝9時に訪問するも、こちらも不在だった。

 以降、自宅と別荘の張り込みを行うが城木の姿は確認されず警察は家宅捜索に踏み切った。

 暗橋市の別荘地下室で、拷問道具と大量の血痕を発見。血痕のほとんどは被害者のものだったが、一部、城木のものも確認された。被害者に抵抗され傷を負ったことが予想される。拷問道具には城木の指紋、およびDNAが付着。警察は彼を容疑者として緊急指名手配を行った]


 記事を読み終え、顔を上げた私に遊理が説明する。

「要するに城木が、何を血迷ったかこの男性を監禁して拷問してたけど、途中で抵抗されて逃げられたらしいって話です。でも男性は弱っていて自然公園で力尽きて死んでしまった」

 被害者と書かれた写真が3点並んでいた。正面と横顔が二枚。正面の写真に思わず指で触れる。顔がデジタルブック上に拡大化される。

「遺体の顔はめった切り状態だったので、警察の復元ソフトを使った顔写真だそうです」

 あの写真よりもっと大人びている。でも間違いない。城木が、自分の息子だと語った人だ。

 だが遊理の話しぶりからして、この男性が城木の息子ということはありえない。でも、じゃぁ……

「この人は……誰?」

「彼は調査会社の人間です。何年か前に退職しているので正確には“元”みたいですが」

 調査会社。頭の中で何かがつながりそうでつながらない。記憶と思考の糸がもつれる。その奥に何か大事な秘密が隠れている気がする。私はそれをほどきたくて遊理に聞く。

「城木さんが犯人なのは間違いないの?」

「ぼくは素人ですから何とも。でも状況的に他に考えようがないでしょうね」

「優しそうな人だった。そんなことするようには見えなかった」

「“人は微笑みながら悪党でいられる”」

「誰の名言?」

 遊理は名言や格言好きで話の折々に引用する。

「シェイクスピアのハムレットです」

 リグルなら他の名言で返したり解説をするところだけど私にはできない。ただ城木さんが“微笑む悪党”だというのはしっくりこなかった。

「だけど、ひっかかることがあるんですよね」

「どんなこと?」

「警察が何か隠してます」

 コーヒーを一口飲み、少し間をおいてから遊理は語った。

「さっきお見せした事件の概略を調査部が入手する際、警察の上層部が直々に宮池室長に秘密保持の徹底を要求してきました」

 あれ、とひっかかる。

「宮池さんって異動になったって」

「よくご存じで」

「リグルに聞いたの」

「今回の荒鐘の不祥事があって急遽引き戻されたんです。いなくなった途端にこの有様ですから。荒鐘と組んで宮池室長の異動を画策した本部の人間は震えているでしょうね」

「秘密保持の徹底依頼って珍しいことなの?」

「研究室は、そもそも警察とは相互秘密保持契約を結んでいます。必要に応じて情報共有もしますし、依頼があればアビリティ保有者が捜査協力することもあるので。なのに、そこを室長にわざわざ念押しするなんて神経質すぎます」

 確かに少しおかしい気がした。

「それに、警察にはうちと連携をとる担当官がいます。その人、おしゃべりで普段は聞いていないことまで教えてくれるタイプなんです。ところが今回に限っては事務的なやりとりのみで、こっちが色々聞こうとしたら慌てたように電話を切られました」

「指名手配までしているのに何を隠すの?」

「そこなんですよ。城木は元警察官僚ですし、彼の犯罪自体を隠ぺい工作しようとするならわかりやすい話なんです。でも今回、その点に関しては警察は公平でオープンです。ごまかしようがない証拠がたくさんあるからなんでしょうけど。で、改めて事件概略を読み込みました。それで気づいたんですが」

 遊理はデジタルブックを指さした。

「これ、被害者について具体的なことが全く書かれていないんです。どこの誰か、名前も、居住地も、年齢も、何もないんです」

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