7.
寝返りをうって、ため息をつく。午前3時。疲れているのに頭が冴えて眠れない。
紙谷さんが帰った後、リグルも後を追うようにどこかに行ってしまった。一人きりの部屋で、静けさが重力となりのしかかってくる。
もう一度ため息をつく。その時、床を走る小さな足音が聞こえて、次の瞬間『ただいま』とリグルがベッドに飛び乗ってきた。
「遅いよ」
つい声が不満げになる。帰ってきてくれて嬉しいのに、すねた気持ちが勝ってしまう。
『ごめん、情報収集してたんだ。長時間のアビリティ作業で疲れて寝てるだろうって思ってたんけど。もしかしてずっと起きてた?』
「色々考えちゃって」
『何について考えてるわけ?』
「城木さんの息子が亡くなっていたこととか。あと紙谷さんを怒らせちゃって」
『紙谷さん、恐ろしい顔してたよね』
「リグル、あの時起きてたの?」
『彼女、鋭そうだからね。カイナがぼくを気にしたら何か勘づかれそうだから寝たふりしといてあげたんだよ』
狸寝入りをなぜか恩着せがましく言う。
「一生懸命考えてるけど、何で紙谷さんを怒らせたかわからない」
『紙谷さんは、別にカイナに怒っていたんじゃないと思うけどね』
「慰めてくれてるの?」
『そんなことしない。ぼくはカイナの味方だけど、甘やかすことはしない』
「あっそ」
『それに、あの顔は怒ってるっていうより、憎しみが抑えられないって風に見えたけど』
「憎しみ?誰に?」
『彼』
「彼って」
『もちろん写真の彼だよ。写真を渡そうとした時もとっさに避けてたよね。忌み嫌ってるって感じだった』
私は驚く。
「でも城木さんは彼女の恩人なんでしょ?どうして恩人の子供を憎むの?」
『んー、あと何日かすればはっきりするんじゃない?』
「何でそんなことがわかるの?」
『ぼくはカイナより色々と知っているからね』リグルは得意げに言った。
「なんだかずるいね」
『しかもカイナより頭が良くて想像力がある』
「それは悪口」
『仕方ないな、ぼくが知ってることを少しだけ教えてあげるよ。その代わりさっさと寝るんだよ』
私はうなずいた。
『ぼくはついさっき警備部をのぞいてみた。こんな時間なのに紙谷さんと荒鐘が残っていた。紙谷さんのデスクにはあの写真が置いてあった。もう一回見せろ、と荒鐘は横柄な態度でそれを取り上げ、紙谷さんは眉をひそめた。荒鐘は忌々しげに言った。“勝手に家を出て、いなくなったから何なんだ?どいつもこいつも、甘ったれて飼いならされた顔しやがって。安全なカゴの中でぬくぬく育った鳥が、空に逃げて死んだって自業自得だろ。城木さんもいい加減、学習すべきだ”』
「ひどい」
『そう?偏った自己責任論だし言い方はきついけど、考え方の一つだよ』
「残された側は、そんな風に思えない」
リグルは肩をすくめた。
『カイナみたいな人は大変だね、みんな好きで、みんなかわいそうってタイプだから』
「私のことはいい。続きは?」
『荒鐘はさらに言った。“だが、こっちとしては城木さんのお節介のおかげでコネクションを作れた、せいぜい利用してやろうぜ”』
リグルの荒鐘の声真似はよく似ていた。意地の悪い言い方に不快感を覚えて顔をしかめてしまう。
『荒鐘は紙谷さんに同意を求めた。紙谷さんはいつも通りクールに“そうですね”と言って、荒鐘から写真を受けとって引き出しにしまった』
「荒鐘って家族がいないのかな」
『は?』
「だってお節介だなんて。自分の子供が行方不明になったら、成人してても心配で当然なのに」
『なるほどね、カイナはそう受けとるわけね』リグルはつぶやき『荒鐘に家族はいないよ。小さい頃に親が死んで、遠い親戚に引き取られたらしいけど、その家が結構荒れてて、苦労したらしい』
「何でそんなこと知ってるの?」
『遊理に聞いた。相変わらず情報通だよね』
うつむく私にリグルは言った。
『また、かわいそうとか思ってる?同情なんかされても荒鐘は喜ばないよ。むしろ、アビリティ保有者に同情されたら怒り狂うんじゃない?』
「そうだね」私はため息をつき、もう一つの気になったことについてリグルに尋ねる。
「お偉いさんって城木さんのことだよね。紙谷さんは城木さんを利用するなんて話に本当に同意したの?」
『紙谷さんは相づちうっただけだよ。声はクールだったけど目はギラギラ光っていた。さっきカイナに見せたのと同じ憎しみに満ちた目だったよ。荒鐘は気づいてなかったけど』
私は少しほっとする。
『ところで、今の話でもっと気になるところない?』
え、と私は首を傾げる。
「特にないけど」
『色々と変な会話なのに?“城木さんはいい加減、学習すべき”ってどういう意味?』
「それは……城木さんは元々警察で、行方不明者は亡くなっていることが多いって知ってるのに、って意味じゃないかな」
『毎年、行方不明者の8割以上は見つかってるし、死亡確認されるの5%前後なんだよ』
「そうなの?」
『人間、簡単には消えられないんだよ。8割に希望をたくして城木さんが息子を探すのは、別におかしいことじゃない。荒鐘も、それくらいは知ってるんじゃないかな』
私が首を傾げて考えていると
『ま、いいよ、この件は。それよりさ、ぼく見たんだ』とリグルはニヤリと笑った。
『写真をね。じっくりと、ちゃんと隅々まで』
私はリグルが何を言いたいのかわからない。
『しかもね、紙谷さんが写真をしまった時、引き出しには、もう一枚、同じ写真が入っていたんだ』
「何枚か予備があったんじゃない?」
別に不思議なことではないのに、リグルは意味ありげな顔をしている。
『紙谷さんは引き出しの中の写真を見て目を細めた。ギラッとした怒りが消えて、とても悲しそうな目になった。そんなに長い時間じゃなかったけど、ぼくは、そっちの写真も観察することができた。で、気づいた』
「何に?」
『荒鐘がバカだってことに』
リグルは何かの答えにたどり着いた時の得意気な顔をしていた。こういう時のリグルは、私の思考力を鍛えるという名目で、何を聞いてもはぐらかす。だから、私は何も聞かない。ふぅん、と気のない相槌をうつと、
『近いうちにきっと荒鐘は痛い目にあうよ、楽しみだね』と予言めいたことを言った。
「楽しみじゃないけど」
『あれ?さっき荒鐘のことひどいって言ってなかった?』
「それとこれとは別でしょ」
『あんなに嫌な奴なのに?』
私は庭であった時の荒鐘のことを思い出す。
アビリティ保有者に対する差別意識、利己的な言動と裏表のある態度。何かしらの歪みを抱えた人間だと思った。でも私は荒鐘を嫌いにはなれないし憎めない。余り恵まれなかった子供時代だったと聞いて同情しているのだろうか。いや、違う。私がただ人間というものが好きで、憎んだり嫌ったりができないからだ。
だまりこむ私にリグルは警告する。
『あいつはアビリティ保有者を人間だと思ってない。心を許しちゃだめだよ、利用されるんじゃなくて、城木さんや紙谷さんたちみたいに利用してやるんだ』
「利用って」
『人間関係の基本だよ。荒鐘は紙谷さんと城木さんを利用して人脈をつくる。紙谷さんは荒鐘と城木さんを利用して念願の研究室に異動する。城木さんは荒鐘と紙谷さんを利用して知りたいことを知る』
私は不思議な気持ちになった。紙谷さんの真っすぐな背中と、城木さんの憂いを含んだ表情は“利用”という言葉に遠い気がしたからだ。
『でもここには、いくつかの嘘がある。写真は二年前のものじゃないし、キャンバスの画面はバラバラに分解した。カイナのアビリティの法則が嘘を暴いたからだ』
嘘。これも城木さんと紙谷さんには遠い言葉のように思えた。でもあの写真が二年前のものだと語ったのは城木さんだ。でも私のアビリティの結果を見ると、少なくとも5年以上は経っている。つまり城木さんは嘘をついていることになる。
紙谷さんはどうだろう。憎しみに燃えた目を思い出す。何を、誰を、それほど憎んでいるのだろう。
『さぁ、よく考えるんだ、カイナ。荒鐘と紙谷さんのどこかチグハグな会話、紙谷さんの憎しみ、引き出しにはあったもう一枚の写真』
リグルは両腕を広げ、芝居がかった口調で言った。
『誰が嘘つきで、どんな嘘をつき、なぜ嘘をついているのか?』