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5.

 地下の自分の部屋に戻ると、窓の外は雪の降る森に変わっていた。コローが描いたヴィル・ダブレーの森によく似た景色だった。曇り空を背景に影のような木々が生い茂る。枝先には軽やかな雪がまとわりつき、銀灰色のにじみの代わりに幻想を添えていた。

 環境ウィンドウの窓は時々私のイメージを映し出す。城木さんとの会話に影響されたのは明らかだった。

『雪って、まだちょっと早くない?』

 窓際の棚の上に座り足をぶらぶらさせながら、リグルが言った。

「色々あって」

『残念だったね』

「何が?」

『まだ、12時40分なのに戻ってこなきゃいけなくて、サンドイッチも一切れしか食べられてない。しかも荒鐘とかいう嫌な奴に脅されるみたいに至急の仕事をさせられる。何が“失敗は許さない”だよね、偉そうに』

「庭に来てたの?」

『うん、まぁね』

「どこにいたの?」

『えっと、木の影あたりに隠れていたんだよ』

 歯切れの悪さにはっとして私はリグルをにらむ。

「また勝手に同期したんだ」

『まさか。してないよ』

「だって“失敗は許さない”って荒鐘はすごく小さな声で言ったんだよ。木の影にいたら聞こえるはずがない」

『あー、うん、そうだね……ごめん』

 リグルは、私の見たもの、聞いたものを把握する力を持っている。私たちはこれを“同期”と呼んでいる。でも不公平なことに、リグルは私に同期できても、私はリグルに同期できない。だからリグルが私に同期する時は、許可を取ったうえで行う約束をしている。でもリグルは時々勝手に約束を破る。

『カイナ、最近、鋭くなったよね。前だったら絶対に同期されても気付かなったのに』

「もしかして試したの?」

『そういうつもりじゃなかったんだけど。怒ってる?ごめんよ、許して』

 小さな茶色い手を祈るように組み合わせて、潤んだ目で私を見上げる。自分が許されることを前提にした形式的な哀願だ。でも仕方ない。リグルはもっと巧妙に嘘をつくことだってできる。わざわざ私にヒントを与えたのは、ばれてもいいと思っているからだ。庭にいたのか同期したのか、私には区別する方法がないのだから。正直でいるかどうかはリグルの良心一つにかかっている。そう考えると、結局、許す以外の選択肢はない。それに……

「どうして約束を破ったの?」

 リグルが約束を破る時にはそれなりの理由がある。

『実はさ』リグルはひょいと棚の上に立ち上がり、舞台俳優のように意味ありげな笑みを浮かべた。

『目が覚めて暇だったから研究所内をぶらぶらしていたら変な噂を耳にしたんだ』

「噂?」

『荒鐘のやつ、室長の宮池さんをはめて異動させたらしいよ。で、自分が室長代理におさまったんだって』

 私は驚く。

「はめた?どうして?」

『副室長が室長をはめる理由なんて決まってるよ。自分が室長になりたいからでしょ』

「だけど、そんなこと簡単にできるの」

『色々とやり方はあるんじゃない。例えば事件を捏造して責任を取らせるとか、裏から手をまわして他の研究室に飛ばすとか』

「宮池さんには、あったことがないな」

『半年前に異動してきたばかりらしいね。荒鐘のほうがこの第三研究室でのキャリアは長いみたい。そのうち顔を見てやろうって思っていたけど、室長室と副室長室は建物の最上階にあって、面倒だから行ったことなかったんだ。彼らエリート様は滅多に下には降りてこないしね。荒鐘を見たのだって今日が初めてだった』

「私も初めて会った」

『荒鐘より宮池さんって人のほうが、大分ましそうだよ。知ってた?素行のいいアビリティ保有者に庭の散歩を許可する制度を作ったのは宮池さんなんだって。宮池さんはアビリティ保有者に対してはかなり穏健派ってことだよ。荒鐘は……今日の態度でわかるよね?アビリティ保有者のこと、人間扱いしていない』

 城木さんに紹介された時、荒鐘が私を「これ」と物のように呼んだことを思い出す。

『で、どうするの?』

「どうするって」

『今日の依頼、やるの?』

 うなずくと、

『荒鐘のやつ、城木って人に取り入りたくて仕方ないって感じだったよね。どっかの偉い人なんだろうけど』

「そうみたいだね」

『いっそのこと、わざと失敗したら?荒鐘に手柄をとらせる必要ないでしょ?』

 悪魔みたいなささやきに首を振る。

「それはできない」

 私はキャンバスをイーゼルにたてかけ、城木さんから預かった写真を隣の棚の上に置く。

『あの城木っておじさんに同情してるんだね』

 リグルが写真の前まで歩いてきて、上から下まで眺める。

「同情っていけないこと?」

『お金と一緒だよ、使い方次第』

「リグル、私、もうやるって決めてるの。止めても無駄だから」

『止めたりなんかしないよ。色々と面白そうだからね』

「面白い?なにが?」

『んー、後で教えてあげるよ。アビリティに支障がでても困るし』

 リグルはひらりと棚から飛び降りた。

『ぼくはちょっと散歩してくるよ、じゃぁまた後で』

 そう言って足取り軽くドアをすり抜けて出ていった。


 しんと静まり返った部屋で私は写真に右手をかざす。集中がピークに達して、写真の中の物、人、色、形が私の中に流れ込んでくる。左手をキャンバスへかざす。内部に入り込んだものがキャンバスへ移動する。キャンバスは写真の色をベースにしてうっすらと色づく。

 この作業を何十回、あるいは写真によっては何百回も繰り返す。部分的に色を重ねることもある。そうやってキャンバスには、写真と全く同じ情景がコピーされる。

 でも、今回はいつもと何かが違った。最初の色がキャンバスに映された時、居心地の悪さを感じた。自分の中を通り抜ける何かに小さな棘が隠されているような、でもどこに棘があるのか、本当に棘があるのかも確かじゃない、それほどかすかな違和感だった。私は作業を続けて、そのうち棘の存在を感じなくなった。慣れてしまったのかもしれない。

 8時過ぎに作業を終えた。荒鐘に指示された11時にどうにか間に合いそうだった。

 キャンバスには写真と全く同じ景色が拡大コピーされたように描かれていた。等身大に近いサイズになった城木さんの息子の微笑みは優しく穏やかだった。二年前、20才だった彼は年齢に似合わない落ち着いた雰囲気を漂わせている。

 少しの間、彼と見つめ合う。この微笑みがどうか消えませんように。祈りながらベッドに入った。


 アビリティを使った後、眠りから覚めて目を開くのは勇気がいる。キャンバスがどうなっているか見るのが怖い。

 私はゆっくりとまぶたを持ち上げ、体を起こす。覚悟を決めて、窓際のイーゼルに置かれたキャンバスを見る。

 息を飲む。

 ベッドから降りてキャンバスに近づく。これはどういうことだろう。

『ほら、面白くなってきたじゃん』

 いつの間にか戻ってきたリグルが棚の上にいた。私は写真とキャンバスを見比べる。写真の中の様々なものたちが、キャンバス上では細かく分解されてバラバラに並べ直されていた。グラスの淵が天井から吊り下がり、テーブルの茶色と、壁の模様があちこちに散らばっている。色彩は褪せ、画質が落ちて歪んだり点描化している箇所もある。

『ピカソのゲルニカみたいだ』

 確かにキュビズム的だった。どこか悲惨さを帯びているのは、人の頭や腕や腰が無造作にばらまかれているからだ。多分、これは城木の息子の後ろにいた店員の人だろう。でも、問題はそこじゃない。

「いない」私は悲しい気持ちでつぶやいた。

『いないね』とリグルが言った。

 城木さんの息子は、どこにもいない。バラバラにもなっていない。隅から隅まで眺めても、髪の毛一本、指一本さえ、キャンバスの中に存在しない。

『死んでるってことだね』無造作にリグルが言った。

 写真に存在していた生物が、キャンバスから消えた時。その生物はこの世に存在しない。それが私のアビリティだ。

 つまり城木さんの息子は死んでいる。キャンバスの結果は明らかにそれを示している。

 でも……

 おかしい。

 何かがひっかかる。気づかない振りをした棘がよみがえり心を刺した。

「ねぇ、リグル」私は言った。「どうしてこんなことになっているの?」

 これまで何枚もの写真を扱ってきた。そこには色々な変化があった。でもこんな風に画面が崩れるのは初めてだった。

『確かなのはさ』

「うん?」

『あのおじさんが嘘つきってことだよ』

 意味が分からなかった。

「なに言ってるの?」

『あの城木っておじさんにだまされたんだよ。カイナも荒鐘もね』

「だまされたって」

『カイナだってわかってるはずだよ。この写真は二年前の写真なんかじゃない。少なくとも五年以上経ってる』

 私は反論できずにだまりこむ。

 リグルの言う通りだった。撮影してから三年以上経った写真だとキャンバスに写し取る時、画質が落ちて歪みが生じる。それは年月が経つ程、悪化していく。これまでの経験で言えば、この画質の荒らさは5年以上7年未満というところだろう。

「でもこんな風に画面が崩れたことはなかったのに」

 どれほど古くても、写真の中の物や人がバラバラになったり逆さまになることはなかった。

『ぼくなりに仮説はあるけどね』

「どんな?」

『まだ教えなーい』

 いつもの意地悪がはじまった。どうせ聞いても答えてくれない。眠気覚ましにコーヒーを作るために私はキッチンへ向かった。

 コーヒーを持ってキッチンから戻るとリグルはソファの上ですやすや眠っていた。いつもの生意気さが信じられないあどけなさだ。

 私はコーヒーを飲みながら城木さんとの時間を思い出す。

 どこまでが嘘だったんだろう。私は、彼に大切な人を見失ってしまった喪失感や虚ろさを確かに感じた。全てが演技だったのだろうか。わからない。

 時計は10時50分を指していた。いつの間にか窓の雪は止んでいた。コーヒーを一口飲む。荒鐘が来る前にざわつく心を落ち着かせたかった。

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