4.
「私はすぐに調査会社を雇い、息子の居場所を調べさせました。1週間もたたないうちに北海道の札幌にいることがわかりました。息子は雪が好きでした。札幌は亡くなった母親と最後の家族旅行で訪れた場所でもありました。まだ幼かったので余り覚えていないはずですが、幸せな記憶の欠片が無意識に影響したのかもしれません。
私は悩みました。こうなってしまった以上、無理に連れ戻すことは無意味です。また逃げ出すだけでしょう。
大学に休学届けを出し、一年間待つことに決めました。調査会社にも定期的に報告をいれるよう指示をだしました。
もし一年後も息子の意志が変わらなければ、好きにさせよう、そう決めました。私は子供を自分の意のままにしようとしていたことを恥じていました。才能を潰そうとした愚かさを悔いていました。謝りたいと何度も思いました。でも人に頭を下げることに慣れていない私にはとても難しいことだったのです。
息子と離れて暮らす日々は無彩色の乾いた日々でした。あの子がどれだけ私に温かさや安らぎをくれていたか、今更ながらに思い知らされました
家出から1ヶ月ほど過ぎた頃、息子から電話がありました。仕事で出られなかった私は慌てて折り返しました。
「連絡ありがとう」
息子は言いました。私は努めて冷静に
「何か用か」と聞きました。
「どうしてるのかなと思って。それだけ」
「そうか」
「色々とごめんね」
ぐっと喉が詰まりました。謝るべきはこの私なのです。悪かった、家に戻ってこい、お前の好きなように生きればいい、そのためのバックアップは何でもしてやる、いや、お前はそんなことは望んでいない、わかってる、余計なことはしない、ただお前を一人の人間として尊重する、だから戻ってこい
けれど言葉にはなりませんでした。想いを言葉にするのは、時にとても難しい。
だまりこむ私に
「また電話するよ、話せて良かった」
のんびりした声で息子は言いました。まるで何もなかったかのように。家出した屈託も反発も、そこにはありませんでした。電話が切れそうな気配に私は慌てました。
「必ず」
「え?」
「必ず連絡しなさい」
「うん、もちろん」
「最低でも週に一度はしなさい」
「ちょっと多いかな」
「では10日に一度」
息子が笑いました。
「二週間に一度でいい?」
「わかった」
電話を切ったあと、私は調査会社に息子の監視をやめるように連絡を入れました。息子は決して約束を破らない性格ですし、コソコソするのはフェアじゃないと感じたのです。
それから二週間に一度、息子は律儀に電話を寄こしました。食べ物や天気などの当たり障りのない話ばかりでしたが、私には大切な時間でした。息子は私が居場所を知っているとは思っていないので「ここは東京より寒いんだよ」と何故か自慢げに言うんです。きっと札幌での暮らしはあの子にあっていたのでしょう。声はいつも明るくて張りがありました。
11月の終わり頃、息子は「雪が毎日降る」と嬉しそうに言いました。
「札幌にでもいるのか?」ととぼけて尋ねると、「そうだよ」とあっさり認めました。
「とてもいいところだよ。子供の頃に来た時はただ楽しいばかりだったけど、実際に住んでみて、しみじみそう思う」
「そうか」
「食べ物が何でもおいしいしね。それに札幌自体は都会だけど、少し行けばすぐに豊かな自然がある。電車に乗ると海が見えるんだ。海は空の色を映すから、雪が降ると空も海も寒々とした灰色に染まる。雪が海に溶けていくほど、灰色の持つ温度が下がって、もっと寒くなる気がする。でもその寒さが心地いいんだ。だから休みの日に雪が降るとね、電車に乗って小樽に行って、海鮮丼を食べる」
「楽しそうだな」
「楽しいよ。時間ができたら遊びにおいでよ」
すぐにでも飛びつきたい誘いでした。ですが、残念ながら当時の私は、重要な仕事を抱えていて身動きできない状況でした。
「仕事が忙しいから無理だ」
「暇になったらおいでよ」
「考えておく」
「いつ頃、暇になりそう?」
「わからない」
息子は少し考えた後、
「年末年始はそっちに帰ってもいいかな?」と聞きました。
私は嬉しさを抑えて、なるべく平坦な声で「好きにしなさい」と答えました。
「札幌はすごくいいところだけど、父さんがいないんだよね」
息子の言葉に不覚にも私は目頭をおさえました。
息子が私を必要としてくれている、そのことがただ嬉しかったのです。いつかは息子も新しい家庭を持つでしょう。そしたら私との間の絆も薄れていく。当然のことです。でもまだ今は、あの子には私だけ、私にもあの子だけ、二人きりの家族なのです。そんな貴重な時間をなぜ離れて暮らすことになったのかと、自分の愚かさが恨めしくもありました。
二週間後、息子からは連絡がありませんでした。師走だし何かと忙しいのだろうと思いました。私自身も年末年始の休みを少しでも息子と一緒に過ごせるように仕事を詰めていましたので、余り気にしませんでした。
けれど次の二週間が過ぎても連絡はありませんでした。嫌な予感がしました。私は初めて自分から電話をかけました。電波の届かないところにいる、とアナウンスが流れました。12月28日のことでした。
ちょうど仕事が一段落していたので私はその夜、札幌行きの飛行機に乗り、以前、調査会社に調べさせた住所へ向かいました。古くて小さなマンションの三階に息子は住んでいるはずでした。けれど、何度インターフォンを鳴らしても反応がありません。私はマンションの外から部屋を確認しましたが灯かりは消えていました。時刻は夜の9時過ぎ、眠るには早く、出かけている可能性もある時刻でした。私は待ちました。けれど部屋の灯かりは朝までつかず、息子も帰りませんでした」
話し終えると、城木さんはゆっくり視線をあげた。曇り空が彼の目に映りこむ。白っぽく曇った空は、彼の髪とヒゲの色によく似ていた。遠く思い出の中を漂う彼が、曇り空に吸い込まれ溶け込んでしまいそうな気がした。
「それっきりです」
城木さんはつぶやいた。
「後日、息子が借りていたマンションの管理会社に連絡をとり部屋を調べました。でも息子がどこに行ったのかはわかるような手掛かりは何もありませんでした。だから、どうかあなたのアビリティで答えをだしてほしい」
「私のアビリティでは、息子さんがどこにいるかは分かりません。わかるのは今も生きているか……亡くなっているかだけ」
「えぇ。それが知りたいのです。これ以上中途半端な状態でいることは耐えられそうにありません」
私たちの間に沈黙がおりる。離れた場所で様子を見ていた荒鐘が戻ってきた。
「お話は終わりましたか?」
「えぇ」城木さんはステッキに体重をかけながら立ち上がった。「荒鐘くんには感謝しかありません。この庭にいれてくれたことも、三鬼さんにあわせてくれたことも、二人で話をさせてくれたことも。この恩はいつか必ず返します」
「とんでもない。城木さんのお役に立てれば何よりです」
去り際、城木さんは私を振り返りじっと見た。
「あなたと話せてとても楽しかった。あの子はちょうどあなた位の年齢だったし、それに少し、雰囲気が似ているんです」
ステッキに頼りつつ足をひきずるようにして城木さんが歩き出す。大きな体が不器用に揺れている。手を貸そうと後を追おうとしたら荒鐘が私の前に立った。そして城木さんに聞こえないように小声で言った。
「さっさと部屋に戻って仕事にかかれ。11時までに終わらせろ」
「11時?明日の?」
「今日の夜だ」荒鐘は言った。「最速で最高の結果をだせ。失敗は許さん」