13.
『で?何で?』
同期を終えたリグルの丸い黒い目が責めるように私を見ていた。
『何で紙谷さんと一緒に行かなかったの?』
「わからない」
紙谷さんの足手まといになりたくなかったとか、恐かったとか、いくつも理由は思い浮かぶけど、どれも本当なのに本当じゃない気がした。
『あとさ、何でこんな大事な話、ぼくにだまってたの?』
紙谷さんが研究室を去って三日が経っていた。
「別に深い意味はないよ」
『ぼくが一緒にいればなぁ。しくじったよ。だけど、まさか紙谷さんがこんなこと言ってくれるなんて思わなかった』
「これに懲りて、夜遊びを控えたらいいんじゃない?」
冗談のつもりで言ったのだが、リグルは私をきっとにらんだ。膝の上から勢いよく飛び降りて、窓前の棚の上へと移動してしまった。いつもの定位置にペタリと座る。
『外に逃げられるチャンスなんか、きっともう一生ないよ』
「そうだね」
『外には本物の窓や、空があるんだよ。タマゴサンドだって食べ放題、どこにだって行き放題』
「逃亡生活だからそういうわけにはいかないんじゃない」
『きみは心配性の弱虫だ』
「当たってる」
リグルはまた深いため息をついた。私はリグルの怒りの矛先をそらしたくて質問する。
「リグルは今回の件、いつからおかしいと思ってたの?」
『最初から』
不機嫌にリグルは言った。
「最初からって」
『カイナに同期して城木さんとの会話を聞いた時からだよ。まず、写真について城木さんは二年前のものだと説明した。カイナは二年前の写真ならアビリティを使うのに問題ないと言ったのに、いつまでなら大丈夫かと城木さんは重ねて聞いた。6年前の写真だし加工してるし、色々と不安だったんだろうね』
「そんな話したっけ?」
『してたよ。後さ“あの子はちょうどあなた位の年齢だった”って城木さんは過去形を使った。生きてる望みにすがる親なら、使わない表現だ。それからステッキ』
「ステッキ?」
『腰を痛めてるって言ってた癖に、左足をひきずっていた。何のための嘘なんだろうって思った』
私は城木さんがステッキをついて去っていく姿を思い出す。確かに腰をかばうのではなく、足を痛めてるような歩き方だった。
『写真の男には城木さんの血がついてたっていうから、逃げられた時に抵抗されてケガでもしたんだろうね。刃物でできた傷だったらうかつに病院にも行けないし、当然、周りにも言えない』
リグルは自分の左足を持ち上げて軽くたたいた。
『でも決定的だったのは、荒鐘と紙谷さんの真夜中の奇妙な会話だよ』
「どこがおかしかったの」
『まだ分かんないの?』
「うん」
『行方不明の子供を探す件について、“城木さんもいい加減、学習すべきだ”と荒鐘は言った。学習すべきって?城木さんは過去に同様の経験をしてるってこと』
「あ」
『さらに荒鐘は“城木さんのお節介のおかげでコネクションができた”と言ってる。あの時、カイナは“城木さんが自分の子供にお節介をやいてる”って意味だと思ってたけど違う。城木さんが過去に同様の経験をしてるってことは、今現在、別な誰かの子供が行方不明になってるってことだ。“城木さんは、別な誰かにお節介をやいて研究室に依頼を持ち込み、結果、荒鐘はその別な誰かとコネクションを築くことができた”そう解釈する方が自然でしょ。イコールあの写真の彼は城木さんの子供じゃないってこと。
だけど城木さんが、お節介を焼いただけにしては色々とおかしいんだ。カイナに語った昔話は何なんだろうとか、紙谷さんが写真を忌々し気に扱って、クールな目を憎しみでギラギラさせてたこととかね。でももし、写真の彼が城木さんの子供の行方不明に関わった人間だとしたら理屈が通る。まさか監禁して拷問していたとは思わなかったけどさ』
そう言うと、リグルはぷいっと顔を窓の方へそらした。窓の外はまた公園から森に変化していた。コローの描く幻想的な森のように木々は煙り、雪が降っていた。
しばらくの沈黙のあと『遊理に聞いたんだけど』とリグルが言った。
『荒鐘は責任とって自主退職。紙谷さんと城木さんは、まだ見つかっていないらしいよ』
「そう」
『多分、海外じゃないかって。二人ともプロだから見つからないだろうって警察もあきらめ気味みたい。そもそも捕まえる気なさそうな気もするけどね』
「うん」
『だけど、人のことさんざん利用して、うまくやったよね』
「利用したなんて」
『言っとくけど紙谷さんたちのことじゃないよ』
「誰の話?」
『宮池室長に決まってるじゃん』リグルは言った。『城木さんと紙谷さんとカイナを利用して、荒鐘を排除したんだから』
「どういうこと?」
『城木さんは研究室に依頼をしたかった、宮池室長は自分を追いだした荒鐘を排除して返り咲きたかった』
頭がついていかない。
『この間言ったように、利用しあうっていうのは基本的人間関係だからね』
「どういうこと?」
『遊理に調べてもらったんだけど、宮池室長と城木さんは昔からの知り合いなんだ。同じ大学の出身でそこそこ親しかったらしいよ』
「そうなんだ」
『だけど今回の城木さんの件について、宮池さんは全くノータッチ。異動したとは言え元室長だからね。コネとしては十分使えるのに。荒鐘のせいでカイナのいる第三研究室に依頼ができなくても、シリアルキラーの生死を確認するだけなら、ほかの研究室でも十分だったはずだ。なのになぜか一般職員の紙屋さんが荒鐘に城木さんを紹介した。そして室長代理になって調子に乗っていた荒鐘は、いくつものルール違反を犯した。傲慢さと下心を見透かされて操られるみたいにね」
「宮池室長は……城木さんと紙谷さんがやったことを知っていたの?」
『さぁ。どこまで知っていたかはわからない。でも、何かしらのイリーガルな要素に感づいていた可能性はあるよ。たとえば城木さんが研究室に依頼を持ち込もうとしていることを知って、手助けを申し出たら断られたとかさ。城木さんも可愛い後輩に関わるのが危険だと匂わせるくらいはしたかもしれない。だったら、と、宮池さんは、卑怯で野心にあふれた荒鐘の存在を仄めかしたかもしれない』
「荒鐘ははめられたってこと?」
『本人、気づいてないだろうけどさ』
今回、荒鐘のしたことは明らかなルール違反だったのかもしれない。でもよくある事務処理的な不備だと遊理は言っていた。研究室を辞めなければいけないほどの罪だったのだろうか。
「少し気の毒だね」
『そう?荒鐘のやつ、感じ悪かったし。自業自得じゃない?それにあいつが室長になっていたら、とんでもないことになっていたと思うよ』
リグルは冷たく言い放つ。
「でも」と言いかけると
『カイナには関係ない話でしょ、それに同情なんかしたって無意味だって何度いったらわかるのさ』と遮られた。
リグルはまだ怒っているようだ。私は立ち上がり、リグルのそばに行く。そっとリグルの頭に触れる。
『なに?』
「いつもありがとう」
『は?』
「いつも私のことを一番に考えてくれるから」
短い沈黙の後、
『最近、ずっと雪が降っているね』
とリグルが窓の外を指さした。
『いつになったら止みそう?』
丸い黒い目が私を心配そうに見上げる。
「もう少しかかるかもね」
『ふぅん。まぁ、でも雪ってきれいだよね、悪くないよ』
少し機嫌がよくなったリグルと私は窓の外を眺める。ぐらりと景色が揺れて動き出す。
『わ、なに、これ』リグルが歓声をあげる。『移動してる、こんなの初めてだよね』
深い森を抜けて視界がひろがる。灰色の空、灰色の海、灰色の雪。荒涼としながら、広く、自由で、美しい。
ふと、この景色を城木さんと紙谷さんも見ている、そんな予感がした。




