11.
「私は彼女の父親と一緒に、彼女が住んでいた北海道のマンションを訪ねました。部屋には日常が保存されていました。住んでいる人間だけが突然消えた抜け殻の部屋です。私たちは手がかりを探しました。けれど何も見つかりませんでした。
捜索願いはだしましたが、傍から見ればありふれた失踪の一つで真剣な捜査が見込めないことは、警察官だからこそ、よくわかっていました。彼女の父親は調査会社を雇いました。彼女が家出した時にも雇ったところです。私も彼女を探すために時間の自由の利く仕事に転職しました。
長く大変な道のりでした。彼女は写真を撮られるのがあまり好きじゃありませんでした。ちゃんとした写真がなかったのです。似顔絵も作りましたが私と彼女の父親で、全く違う印象のものができあがってしまいました。人探しに写真がないのは致命的でした」
紙谷さんはだまりこんだ。私は続きを待ったが、紙谷さんはなかなか口を開かなかった。とうとうこらえきれず
「彼女は見つかった?」とたずねた。
「はい」紙谷さんは虚ろな顔で答えた。「行方不明になった3年後、暗橋市の人気のない海岸に捨てられていました。言葉にできない程、無惨な姿で」
紙谷さんの悲しみが伝わってくる。このベンチで城木さんと話した時に感じた悲しみと同質のものだった。彼はいくつかの嘘をついたかもしれない。でもその悲しみは偽りではなかった。
いつの間にか空の墨色は薄まっていた。夜明けが近い。
なぜ紙谷さんは私にこんな話をしてくれるのだろう。どこまで踏み込んでいいのだろうか。
私は、ようやく気付いた。なぜ城木さんが写真の彼を拷問するほど憎み、危険をおかしてでも生死を確認せずにいられなかったのか。
「あの写真の男性が……彼女を殺したんですね」
少しの沈黙のあと、はい、と紙谷さんはうなずいた。
「あいつが彼女を拉致監禁して、拷問して殺しました」
拉致監禁と拷問。だから城木さんは同じように彼を殺した。
写真の中でほほえんでいた彼。
静かで柔らかな笑み。
……人は微笑みながら悪党でいられる。
「警察に通報は?」
「証拠がありませんでした」
「なら、どうして彼が犯人だとわかったの?」
「あいつが私に語って聞かせたからです」紙谷さんは言った。「どうやって彼女を誘いだし、監禁して、いたぶったかを詳細に」
私は驚いて言葉を失う。
「……なぜ彼は紙谷さんにそんな話を?」
「彼女の父親が……無意味ですね、こんな言い方。もうやめます。あいつは城木さんが雇った調査員でした。彼女が家出をした時に調査を依頼されたことがきっかけで、あいつは彼女を知り、どうしようもなくひかれたのだそうです。暗闇が光を求めるように、泥が清水を汚すように自然なことだったとあいつは笑いながら言いました、あいつは……あいつは……」
紙谷さんの唇が震える。
「行方不明の彼女の捜索に協力をする振りをしながら、裏で彼女を虐待し続けた。私たちは全く気づかなかった。むしろ信頼していた。でも、ある日、あいつは言った。“彼女を迎えに行ってください。彼女は北海道の海であなたたちを待っています”と。あいつは私のデジタルブックを操作して地図アプリでその場所を検索して、目の前につきつけてきた。それから楽しそうに語りはじめた。彼女との出会い、彼女にしたこと、彼女の最後について。ホテルのベッドの上で私は身動き一つできず、あいつの話を聞いていた。ほんの少し前まで仲間であり恋人だと信じていた男にドラッグを盛られて、視界は揺れて、意識は朦朧として、指一本さえ動かせないまま話を聞いていた。親が子供におとぎ話をきかせるような優しい声が、恐ろしい物語を紡いでいた。いつの間にか意識が途切れ、目覚めた時、あいつはいなかった。全て夢だったら良かった。でも彼女は海辺にいた、あいつが教えた場所にちゃんといた。服も面影も尊厳も剥ぎ取られ、人間だとわからないほどひどい姿で」
一息に語り、紙谷さんはうなだれ顔を覆った。朝焼けが木々の向こうで燃えていた。夜の闇がほどけかけていた。
紙谷さんはゆっくり顔を上げた。いつもの毅然とした表情だったが目が赤かった。
「あいつは調査会社を辞め行方をくらませました。でも一年後、私たちはあいつを見つけました。彼女がいなくなってから丸四年が経っていました。準備はできていました。あいつが彼女について語った通りのやり方で拉致監禁して、拷問しました。でも先日、隙をつかれ逃げられました。自然公園にもぐりこんだことは確認できましたが、見つけられませんでした。ケガを負っていたし弱っていたので、死ぬだろうと思っていました。でも確かめずにはいられなかったのです。だからあなたのアビリティを頼りました」
紙谷さんが私の手を見た。
「食べないんですか?」
タマゴサンドのことのようだ。私は自分がタマゴサンドを手に持っていることをすっかり忘れていた。
「あ……まだ朝早いしお腹が空いていなくて」
「そうですか」
紙谷さんの表情が残念そうに曇った。
「やっぱり食べようかな」
似たようなやり取りを城木さんとしたことを思い出しながら、ラップをはがす。いただきます、とつぶやき一口かじる。玉子の甘さ、ブラックペッパーの香り、パンの柔らかさ。いつもの味だった。
「おいしいですか?」
「えぇ」
紙谷さんが微笑む。
「やっぱりあなたは彼女に似ています」
「そう……ですか?」
彼女は素晴らしい女性だったみたいだから、似ているというのは申し訳ない気がした。
「こんな話を聞かされて食欲がわくはずがありません。でもあなたは私を気遣ってタマゴサンドを食べてくれる。彼女もそんな風に自分より他人を優先してしまうところがありました」
「お人好しは誉め言葉じゃないって友達によく言われます」
リグルのことを思い浮かべながら苦笑する。
「気を付けるべきではありますね。つけこんでくる人間がいますから」
それもよく注意されます、と言いそうになってやめる。地下室で暮らす私に、『よく注意してくれる友達』がいるのはおかしい。
私はタマゴサンドをもう一口頬張り、
「紙谷さんも一緒に食べませんか」と誘う。
紙谷さんは少し迷った後、タマゴサンドを一つ食べた。食べながら「どうぞ」とドリンクのボトルをくれた。ホットコーヒーだった。ボトルは何本かあって紙谷さんも飲んだ。紙谷さんはミルクと砂糖を3つずついれた。湯気がふわりとたちのぼり、紙谷さんの細い顎を撫でた。
紙谷さんと庭で一緒に過ごすという願いが叶い、楽しいような切ないような気分だった。願いが叶うのはいいことだ。でもそれは願いの終わりでもある。
「……なぜ私に色々なことを話してくれたんですか?」
「あなたにだけは知っておいてほしい、という私たちのエゴです」
「エゴ?」
「彼女によく似たあなたに話すことで罪悪感を薄めたかったのかもしれません」
「私と彼女はそんなに似てる?」
紙谷さんは少し考える。
「顔立ち自体はあまり似てません。雰囲気が近いんです。あと鼻の形や頬のカーブは似てます」
冗談かと思ったが紙谷さんは至って真面目に「だから横顔はとても似てます」と言ってジャケットの内ポケットから写真を取りだした。
「彼女です」
「これは……」
写真だった。飲み物の入ったグラス、どこかの店、穏やかに微笑む男。……彼女を殺した男。
とまどう私に
「これが彼女です」
紙谷さんは男の後ろに立つ女性を指差した。




