かくれんぼ
それを知ったのは、本当に偶然のできごとだった。
その日は珍しく私のほうが帰宅したのが早くって。
彼を驚かせようと思って、クローゼットの中に隠れて待ち伏せていたのだ。
薄暗いクローゼットの中で待つこと、しばらく。
彼が帰ってきた音がして、私はどれだけ驚くだろうかと、わくわくしていた。
けれど、その胸の高鳴りは、すぐさま居心地の悪い動悸へと変貌する。
彼は、返り血まみれで帰ってきたのだ。
私の知る限り、彼は一般的な会社員だったはずだ。喧嘩に巻き込まれた? だけど、返り血まみれになるほど喧嘩が強いなんて聞いたことがない。いやそうじゃない。その返り血の量は、喧嘩程度で浴びるものではないというのが、一番の問題点なのだ。
瞬時に脳裏に過るのは、裏社会という言葉。
ヤクザ? 殺し屋? スパイ?
そんなのフィクションの中でしか存在しないものだと思っていた。少なくとも、私の人生には関わりのないものだとばかり思っていた。
混乱する頭で、考える。
私はこれからどうしたら良いのだろうか、と。
幸い、彼は返り血まみれの服をゴミ袋に放り込むと、すぐさまシャワーを浴びに行ってくれた。
私は取るものもとりあえず、静かにクローゼットから飛び出した。
逃げるのなら、今だ。
私は、臆病者だ。
臆病で、脆弱で――なにより卑怯者だ。
彼の裏の顔を知った上で一緒に居ることなんて、絶対にできない。
そう思い、彼を切り捨てることにしたのだ。
ああ、どうしてそんな物騒な世界に身を置いているのだろう。他のことなら笑って流せていただろうに。よりにもよって、人の生死に関わるようなことをしていたなんて、私には抱えきれない。
「みぃつけた。かくれんぼは終わりだよ」
だが、私の逃走は呆気なく終わりを迎える。
彼はびしょ濡れのまま、バスルームから出てきて、私の手を掴んだのだ。
ぎゅうっと。
痛くなるほど、強く、強く、掴んだ。
「今日の夕飯さ、ハンバーグを作ろうと思うんだ。手伝ってくれるだろ?」
彼は、恐らくは人を殺してきたあとだろうに、肉料理を作ろうと提案してきた。
怖い。
怖い。
怖くて、身体が言うことを聞いてくれない。
私の身体は、無様に震えるばかりだ。
「あれ、暖房もまだつけてなかったんだ?」
彼は私の手を引いて、部屋の中へと連れて行く。
空いた手で電気を点け、暖房を点け。
そうして、くるりと翻ると、私を抱き締めた。
「俺のことを全部知っても非難してこなかったのは、君が初めてだ。すごく、嬉しい」
違う、と言いたい。
けれど震える身体は声さえ奪っていってしまう。
「大丈夫、君のことは俺の命に代えても、必ず守るよ」
そう言って、彼は私を拘束する腕の力を強めた。
「大好き」
私は、かくれんぼにも鬼ごっこにも敗北してしまった。
このあとどうなってしまうのかなんて、鬼しか知らない。
終
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