第4話 聖女の素顔
「あ」
と、俺は声を漏らしてしまう。
ま、まずい……互いに存在を認識してしまった……。
一方のリアは視線が合ったときは驚いていたが、彼女はすぐに表情を切り替えた。
「あら? どうかなさいましたか?」
リアはこれでもかと満面の笑みを俺に向けてくる。顔はまるで精巧な人形のように整っているし、修道服の上からでも分かるほどに膨らんでいる大きな胸。それに何より、彼女は体全体のバランスが整っている。
おおよそ、魅力的な女性の全てが体現されているかのようだった。
ん? 待てよ。俺は急に何を考えているんだ?
ふと、俺は正気に戻って察する。
リアはスキル寵愛の出力を尋常ではないほど上げていたのだ。普通の人間であれば、簡単に丸め込まれそうだが──俺には邪悪がある。
俺は出力を抑えているが、それでも完全にこのスキルの効果をかき消すことはできない。そのおかげで正気に戻ることができた。
「リア。すまないが、見てしまった」
「見てしまった? 何をでしょうか?」
さらにリアの輝きが増していく。比喩ではなく、本当に後光が差しているかのような光景。その眩しさであっても、俺には効かない。
「その、態度が少しだけ違ったような……」
俺は少しだけ言葉を濁してそう言うが──
「いいえ。そんなことはありませんよ?」
「……」
ニコニコと笑っている。とても美しい表情で。ただし、目は決して笑っていない。その目には確かに、焦りのようなものがある気がした。
こうなってしまえば、もう後戻りはできない。俺は素直に彼女に伝えることにした。
「知っていると思うが、俺のスキル邪悪によってリアのスキルは俺には効かない。出力を上げたとしてもな」
「……ちっ。何よ。最大出力まで上げたのに、本当に厄介なスキルね」
「……」
すごい変わりようだった。一見すれば美女なのに、その態度はなんと言うべきなのか……まぁしかし、俺は別に彼女に失望したりはしていなかった。
むしろ、こちらの方が話しやすそうだと思うほどである。
「てか、手続き早くない?」
「このスキルの影響もあって、手早く終わった」
「なるほど。そこまで計算に入れておくべきだったわねぇ。はぁ……で、どうするの? うちくる? それとも帰る? 聖女の素顔がこんなものだと知って、がっかりしたでしょ?」
態度の変わったリアは吐き捨てるようにそう言った。どこか自棄にも見える様子だった。
「いや、別にがっかりはしていない」
「ふぅん。あ……!」
急に彼女は何かを思い出したかのように、言葉を発した。
「えーっと、ユーリは冒険者なのよね?」
「あぁ」
「それで邪悪というスキルを持っている。それは確か、人に恐怖心を与えるものよね?」
「だな」
「ちょうどいいわ。あなた、私の護衛をしない?」
「護衛? 何かあったのか?」
それにしても、急な展開になったな。
そして、俺は彼女に詳細を訊くことにした。
「実は……最近、誰かにつけられているような気がするの……」
「ストーカーの類か?」
「どうだろう。あのグリフィンの件もちょっと怪しいと思うし……」
「あれは人為的なものだったと?」
「証拠はないけど、そうね。あくまで直感だけど」
「ふむ……」
俺もまた顎に手を当てて考え込む。確かに、あの森にグリフィンが出現することはあまり考えられない。
グリフィンはそもそも人を積極的に襲うような魔物ではない。人里に生息せず、山奥やダンジョンの奥深くなどに普通はいるのだ。
言われてみると、確かに人為的なものなのかもしれないな。
「ほら、私って超絶美少女じゃない?」
「まぁ、否定はしない」
「この美貌を狙っているのかもしれないわ」
「なるほど」
その可能性も捨てきれないが……それにしてはやりすぎなような。
またこの一連のやり取りで、彼女の性格がさらによく分かったような気がした。
「人払いにはちょうどいいし、私はあなたのスキルが効かない。どう? 報酬はそれなりに用意するわ」
「そうだな……分かった。その依頼、受けることにしよう」
「やったっ!」
王国に向かうことも重要だが、リアを助けることも決して優先度が低いわけではない。彼女は今後、大きな戦力になる。来るべき日のために、準備は万全にしておくべきだからな。
「そういえば、あなたは見ない顔だから……どこかから来たのよね?」
「南の村からだな」
「宿はもう取ったのよね?」
「あぁ。さっき既に取っておいた」
「じゃあ、キャンセルしておいて」
「は?」
まさかの提案に思わずそのような声が出てしまう。
「護衛なんだから、私につきっきりじゃないと意味ないじゃない。元々私の屋敷に来る予定だったし、しばらくは泊まりなさい」
「いいのか? その……男女だと色々とあるかもしれないが」
「何? 私に何かしようっていうの?」
「いやそれだけはない。絶対にない。マジでない。それは神に誓ってもいい」
俺は強く、とても強く否定をした。
そんな関係になってしまえば、俺は死亡フラグ一直線になってしまう。もはやそれは自殺行為そのものだ。俺は絶対に、自分からそんな馬鹿な真似はしないと誓っているのだ。
「……そこまで否定されると、ちょっと癪だけど」
むぅ、と頬を膨らませてリアは不機嫌そうな様子になる。ここまで露骨に避けようとすると、流石に心象は良くないのか……。
く……バランス感覚が難しいな……。
「すまないが、俺にも事情があるんだ」
「あっそ。じゃあ、行きましょう。まずは宿屋ね」
「あぁ」
そう促され、俺は彼女の後についていくのだった。
俺はまず、宿屋に行ってキャンセルをした。邪悪の影響もあって、キャンセル手続きも手早く終わった。
「終わった?」
「あぁ」
「じゃ、行きましょうか。少しだけ歩くから」
「分かった」
教会から少しだけ離れたところに、大きな屋敷が建っていた。
屋敷の外観は、この場所で一層幻想的に浮かび上がっていた。白い石壁が年月を重ね、ところどころに苔が生えている。巨大な窓はアーチ型で、細い格子が格調高く施されている。
屋根は赤褐色の瓦で覆われ、鋭い尖塔がこの夜の世界に溶けているようだった。
思えば、俺はリアのことを知らない。彼女がなぜここにいて、この家に住んでいるのだろうか。
「ここよ」
「でかいな」
「えぇ。教会に手配してもらったの。私、聖女候補だから。ま、この村では聖女様で通ってるけど」
「聖女候補か。なるほど」
聖女候補とは、名前の通り聖女に抜擢される候補生である。なるほど。今のリアは、まだ聖女ではないということか。
聖女は世襲制ではなく、その時代にもっとも清純な女性が選ばれるが……。
俺はチラッとリアへと視線を向ける。
「何よ。その目」
「いや、リアが聖女かぁ……と思って」
「聖女なんてものは、それっぽいスキルがあればなれるのよ。役割に人格なんて関係ないわ」
「身もふたもない話だな」
「所詮、世の中なんてそんなものよ。大切なのは中身よりも──外側だから」
吐き捨ているように言ったリアの表情は、どこか寂しそうだった。
でも確かにそうか。役割に人格なんて関係ない、か。その言葉はなぜか、俺の心に少しだけ刺さった。
そして俺は室内へと案内される。
「おぉ……凄いな」
屋敷の中に足を踏み入れると、明かりが灯っていく。魔道具の類だろうが、自動で点灯するのは楽だな。
広間の天井は高く、中央には豪華なシャンデリアが吊るされている。そのクリスタルの粒が光を集めて、天井にきらきらとした反射を作り出している。
「あなたの部屋はこっちよ。使ってない部屋、たくさんあるから」
「ここに一人で住んでいるのか?」
「えぇ。そうよ」
廊下は長く、薄暗い灯りがぼんやりと灯っている。廊下を歩くたびに微かに軋む音がする。それなりに年季の入った屋敷なのだろうか。
壁は淡いクリーム色で、所々に古びた絵が飾られている。
空気はひんやりとしており、静けさの中に少しの不安を感じさせるような、独特の雰囲気が漂っている。
ここに一人で住んでいるのは──少し寂しそうだな……。
「私の部屋から一番遠い部屋よ。ここでしばらくは生活して。中にあるものはなんでも使っていいから」
「あぁ、感謝する」
「……ちなみに、深夜に襲ってきたら容赦しないから」
リアはじっと半眼で俺のことを睨みつけてくる。
「安心しろ。その点において、俺以上に信頼がある人間はいない」
「ふぅん。ま、仮に襲ってきたら蹴り上げてやるから」
こえぇよ。どこを蹴り上げるのかすぐに分かったが、想像するだけでも冷や汗をかきそうだ。
「じゃ、私は食堂で待ってるから。さっきの広間をまっすぐ進んだところにあるわ。じゃ、荷物を置いて準備ができたら来てちょうだい」
「分かった。色々とありがとう。助かるよ」
俺は微笑を浮かべて感謝を述べると、リアは目を大きく見開いて反射的に反応をする。
「べ、別にこれは雇用関係的なやつなんだから……っ! か、勘違いしないでよね……っ!」
そう言ってリアは去っていってしまった。なんというか、テンプレのようなツンデレ台詞を吐いていったな。
まぁ、俺に対してデレなんて存在しないと思うが。
そして俺はリアに案内された部屋に、入っていくのだった。