第23話 兄妹
「ふぅん。妹さんと買い物に行くんだ?」
「あ、あぁ」
スッとリアの目が細くなる。その目以外はニコニコと笑っているが、それがどこか不気味さを醸し出しているというか……。俺は微かな不安を覚えながらも、リアと会話を続ける。
「リアも一緒にくるか……?」
正解はこれだろ! と確信をもってそう言ったが、リアは首を横に振った。
「ううん。妹さんと買い物なんでしょ? 私が行ったら邪魔だから、遠慮しておくわ」
「邪魔ってほどじゃないが」
あ、あれ。もしかして外したか? リアのその解答は意外なものだった。なるほど……やはり、俺も女心を理解するのはまだまだってことか。
「ま、私のことは気にしないで。私も自分の用事とか済ませておくから。あ、もしかして夜ご飯とかも必要ない? それなら言っておいてね」
「そうだな。多分、イヴと外食する流れになると思う」
「分かったわ。じゃ、明日はお互いにおやすみってことで」
「あぁ」
思ったよりすんなり引いてくれて俺はホッとしていた。そうだよな。俺が考えすぎなんだよな。一瞬だけ不機嫌になったような気もしたが、気のせいだな。全く、自分の死亡フラグのせいで女性関係にはセンシティブになってしまっている。リアにも失礼だし、ちゃんと改めよう。
そうしてリアは自分の部屋へと戻っていき、俺は明日のために早めに就寝するのだった。
翌日。いつものように朝早く目が覚めてしまう。今日はイヴと二人で買い物に向かう予定だ。といっても、時間は昼なのでまだまだ時間はある。俺はコーヒーを自分で用意して、ノートを広げていた。
そのノートには自分の考察が書かれている。今までの記録、そしてこれからどうするべきか。その二つが主に書かれている。現状、王都で帝国の暗部が動いているという確信はない。こちらも調べてはいるが、なかなか尻尾を掴ませてはくれない。
そこは流石というべきか、それとも俺の考えすぎなのか。ただ、杞憂であればそれでいい。入念に準備をしておくことに悪いことはないからな。あとは……イヴのことだが、やはり恐怖心があるのか。イヴは戦うことを怖がっている。けれど、自分には才能があるからといって冒険者を続けている。
確かにイヴは冒険者に向いているし、才能も努力も十分すぎるほどだ。ただし、心の問題はどうしようもない。それは本人が立ち向かうしかないからだ。その辺りのケアも俺ができたらいいと思っているが……と、色々と考えていると既に集合時刻の一時間前になっていた。
俺はすぐに準備をすると、外へ出ていくのだった。
「今日もいい天気だ」
王都の中央通りは、いつもと変わらぬ賑わいを見せているが、ふとした瞬間、季節の変わり目が顔を覗かせる。衛兵のひとりが兜を外し、手甲で額の汗をぬぐっていた。
石壁に射す光が白くまぶしい。その影の輪郭に猫が溶け込むようにスヤスヤと眠っている。風はまだ優しいが、どこか乾いた音をしている。旗のはためく音が、耳に心地よく響いてくる。そうか。もうすぐ夏がやってくるな……そう感じる王都の情景だった。
俺は集合時間の三十分前に集合場所の噴水にやって来ていた。ここは待ち合わせをする人が多く、俺が以外にも同じような人がいる。ただ──そこにはもう既に、イヴが待っていた。
「お兄様。こんにちは」
「あぁ。早いな」
「いえ。今来たところです」
「本当か?」
「はい」
「……」
いや、絶対に今じゃないだろと俺は確信を持っていた。そんなイヴの服装はいつもの冒険者用の装備とは違ってとても新鮮だ。
上半身は透け感のある絹のブラウスで色は淡いペールブルー。季節感のある冷色系を意識しているのが窺える。腰から流れるスカートは、裾に蝶の刺繍が施された薄布が幾重にも重なっている。加えて、アクセサリーは銀製の耳飾りと左の手首にはブレスレットもしている。
イヴの容姿と相まって、絶世の美女がそこに立っていた。
「今日も綺麗だな。その服、よく似合ってるよ」
「う……っ!?」
素直に褒めると、イヴは急に声を上げて顔を俯かせる。
「どうした?」
「い、いえ。なんでもありません。この服装は私のセンスではなく、お母様に選んでもらいました」
「お母様……あぁ。なるほど」
イヴの母親とは面識があった。屋敷で暮らしている時、メイドの一人として雇われていたからな。といっても、色々とあって出て行ってしまったが。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
俺とイヴは王都の喧騒の中を進んでいく。今日は休日ということもあって、非常に賑わっていた。左右では露天が開いていて、店主たちが声を上げて呼びかけをしている。その際、イヴはとある店の前でピタッと立ち止まった。
「む……!」
「どうした?」
「東の国の甘味だそうです。魚の形をしているのに、甘いとは不思議です」
「あぁ……たい焼きか」
「知っているのですか?」
「まぁな。イヴはきっと気に入ると思うぞ」
「では、購入しましょう。もうお昼なので、甘いものを食べないと元気が出ませんから。えぇ」
デザートの前では非常に饒舌になるのは、相変わらずって感じか。そんなところも俺は可愛いと思った。妹と過ごすのも、いいものだな。
「俺が買うよ」
「え……しかし」
「いいから。俺は兄貴なんだ。妹に払わせるわけにはいかないだろ」
「……分かりました。ここはお兄様にお任せいたします」
「あぁ」
俺は二人分の鯛焼きを購入。あんことクリームがあったので、俺はあんこでイヴにはその両方を買った。両方ともキラキラとした目で見つめていたからな。俺は買ったものをイヴに手渡す。
「ありがとうございます」
「近くに公園があるから、そこで座って食べようか」
「はい」
いつものように淡々と応じているが、その目は手元にある鯛焼きを凝視していた。相変わらず、甘いものには目がないようだな。
俺たちは近くにある小さな公園のベンチに隣り合って腰掛けて、子どもたちが遊んでいる姿を視界に入れながら早速口をつける。
「む……! 美味しい! 絶妙な甘みとサクサクとした生地。生地はそれほど甘くなく、具材をメインにしている感じですね。甘さがぶつかり合うのを控えているようですね。まぁ、私はそれでもいいですけど。これはお気に入りリストに追加です」
イヴは今までに見たことのないテンションで、饒舌にたい焼きについて語っていた。
「なんだそのリストは」
「私の脳内にある甘いものリストです。この鯛焼きというものは、トップティアに入りました」
「なるほどな」
イヴはそれから黙々と鯛焼きを食べていった。彼女は二個あったのに、俺が一個を食べ終わるのとほぼ同時だった。その時、俺はイヴの口元に食べ残しがあることに気がつく。
「食べ残しがあるぞ」
「えっ……」
「ほら。全く、そんなに急いで食べる必要はないだろう」
俺はそれを手で取って自分の口に含んだ。するとイヴは顔をかあと赤くして、俯いてしまう。
「ん? 大丈夫か? 顔が赤いぞ」
「なんでもないです。ちょっと暑いだけです」
「あぁ。確かに。もう夏を感じるなぁ」
「ですね」
俺たちは少しの間だけ、ぼーっと目の前の光景を見つめていた。すると、イヴがボソッと呟く。
「お兄様は──」
その声色はどこか冷たいものだった。
「どうして、私に優しくしてくれるのですか?」
少し間を置いてから俺は口を開いた。
「そうだな……まぁ、俺たちの家は色々とあるだろ?」
俺はイヴの質問に対して真剣に答える。その話は俺からもいつかはすべきだと思っていたから。
「……そうですね」
「屋敷にいた時、俺はイヴとどう接していいか分からなかった。でも、俺もイヴももうあそこを出た。しがらみはまだあるかもしれないが、俺は家族は大切だと思っているよ。それがたとえ、半分しか血の繋がっていない妹だとしても。俺は兄で、イヴは妹。その事実に変わりはないからな」
これは本心だった。過去、俺はイヴとの接し方が分からなかった。その時は前世の記憶を取り戻していないので、なおさら。そして再びイヴと会った時、俺は思った。とても寂しい目をしていると。今からでも、家族として振る舞うことは悪くはないだろう。もちろん俺が生きるためという目的もあるが、それ以上に俺はイヴのことが心配だった。
そしてイヴもまた俺の素直な気持ちに呼応して、その心情を伝えてくれる。
「そう……ですか。私も昔はお兄様とどう接していいか分かりませんでした。いえ、それは今でも変わりません。私はその……分かってると思いますが、人とお話をするのが得意ではありません。感情もあまり顔に出ません。お兄様は私と一緒にいて不快な思いをしているのでは、と思っていました」
「不快? そんなわけないだろ」
そうか。イヴもイヴで色々と悩んでいたんだな。そのことを俺は初めて知ることになったし、素直に伝えてくれて嬉しかった。
「そうですね。やはり、言葉にしないと互いの気持ちなんてものはわかりませんね。改めてそれを痛感しました」
「そうだな。言葉にしないと伝わらないことはたくさんあるな」
「はい。今後はその……頑張ってお兄様と仲良くしたいです。まだお話はうまくできませんが、それでも私のお兄様でいてくれますか?」
イヴは少し緊張した様子で、俺のことをじっと見つめてくる。その問いに対しての答えなんて決まっている。
「もちろん。俺もイヴともっと仲良くなりたいさ」
「ありがとうございます。お兄様」
今まで交わることなく、すれ違っていた人生。しかし、せっかくこうしてまた会ったんだ。妹と仲良くしたいと思うのは、ごく自然な感情だった。
「さ、行こうか。イヴ」
俺はイヴに手を差し出す。すると彼女は少しだけ驚いた様子を見せたが、微かに笑みを浮かべて俺の手を握ってくれた。とても冷たくて薄い手。それでも、そこには確かにイヴの暖かさがあった。
今まではずっと無表情だったイヴだが、俺は初めて彼女の笑う表情を見た。それはぎこちないものだったが、とても綺麗で魅力的だと思った。
「はい。お兄様」
まだまだ今日は始まったばかりである。俺たちは手を繋いで、再び繁華街へと戻っていこうとするが──その際、視線を一瞬だけ感じて俺はすぐに振り返る。
「お兄様? どうしましたか?」
「いや……なんでもない。さ、行こうか」
「はい」
俺たちはそして、再び喧騒の中に進んでいくのだった。




