第12話 Episode Lia 2
私は物心ついた時から、親なんていなかった。ただ路地裏で生活をしているだけが、私の全てだった。生きるのに精一杯で、私は自分の未来のことなんて考えていなかった。
「おらっ、どけよ!」
「ガキが調子に乗るんじゃねよ!」
「う……っ! うぅ……」
二人組の男性にぶつかってしまい、私はただ蹴り続けられていた。でも、これが私の世界の普通だった。痛いけど、痛みはいつか慣れる。そして痛む体を引きずりながらも、私は今日も生きるために歩みを進める。
幸いなことに、ゴミ拾いなどをすればお金はなんとか集めることができた。他にも子供ができそうな仕事をたくさんした。振り返ってみると、この時に犯罪に巻き込まれてもおかしくはなかった。けど、こればかりは運が良かった。
そして私は──ついに自分のスキルが覚醒することになる。
深々と降り続ける冷たい雨。私はいつもの路地裏で雨をしのぎながら、小さくなっていた。雨の日はあまり歩き回らないようにしていた。風邪なんて引いてしまえば、自分の命が危ないことは分かっていたから。雷が鳴るたびに怖くてビクッと体を震わせるが、我慢するしかなかった。
この時の私の唯一の娯楽は──拾ったボロボロの絵本を読むことだった。読み書きは満足にできないけど、この子ども向けの絵本は内容も簡単でなんとか読むことができていた。
内容としては非常にありきたり。冷遇されていた女の子が白馬の王子に助けられる、というものだった。
私にもいつか……こんな人が現れるのかな。そんなことを思っていると、目の前に誰かが立っていることに気がついた。傘を私の方へと傾け、雨を遮ってくれる。
「あなた、一人なの?」
「はい……」
「ご両親は?」
「いないです……」
「そう」
修道服を着ている彼女はシスターだ。知識としては知っていたが、どうせ私は見捨てられたまま。今までも同情してくれた人はいたけど、少し食べ物をくれるだけ。それだけでも十分で私はそれ以上のものを求めない。
も期待するのはそれだけで、虚しいって分かっているから。幼い私はこの絶望に慣れきってしまっていた。
「あなた……スキルが使えるの?」
「え? スキル?」
スキル。それは異能の一つであり、特別な人間にしか発現しない。私は自分が能力持ちだなんて、夢にも思っていなかった。けど、この時の私は僅かに魔力が漏れ出していて、寵愛というスキルが発動していたらしい。
「鑑定しましょう。あなたは神に愛された存在かもしれないわ」
「神に愛された……?」
そして彼女に手を引かれて、私は教会へと向かった。教会の内部はとても綺麗で、ステンドグラスがキラキラと輝いていた。それにこの空気感もとても神聖で、幼いながらにもここは特別な場所だと分かった。ただ同時に、私なんていていい場所じゃないとも思った。
「神父様。彼女に鑑定をお願いできますか?」
「えぇ。もちろんですよ」
そして私はスキルの鑑定というものを受けた。すると神父の人は目を大きく見開いて、驚きの声を発する。
「これはまさか……寵愛のようです……」
「寵愛!? 本当ですか!?」
「えぇ。間違い無いでしょう。彼女は正真正銘、神に愛された存在です」
二人はそう話をしているけど、私はいまいちピンときていなかった。寵愛ってなんだろう? その後、私はシスターから自分のスキルについて説明を受けた。
「あなたのお名前は?」
「……リア」
「リアちゃん。よく聞いてね」
「うん」
彼女は膝を床につけて、私と視線を合わせて話をしてくれる。
「あなたには特別なスキルがあるわ」
「特別なスキル……?」
「えぇ。寵愛と呼ばれるもので、歴代の聖女が宿しているスキルよ」
「聖女?」
「あなたは聖女になる資格があるかも知れない、ってことよ。リアちゃん。行く場所がないのなら、聖女を目指してみない? あなたは神に愛された存在。きっと、立派な聖女になることができるわ」
私が聖女になることができる? 幼い私でもその特別さは理解している。聖女は人々を導く特別な存在。そんな人に私がなることができるの? もちろん、彼女の提案を私は受け入れた。
それから私は教会で過ごすようになった。私は聖女候補ということになって、なんでも与えられた。本もたくさん読めるし、生活に不自由はないし、仕事をしなくても美味しいご飯を食べることができる。
それに寵愛というスキルのおかげで、嫉妬とかもなかった。みんな私のことを好きでいてくれる。初めはとても嬉しかった。このスキルは神からの祝福。だからこそ、私は立派な聖女にならなといけない、と自分に言い聞かせた。
「リア様。今日もお綺麗ですね」
「リア様。お加減はいかがでしょうか?」
「本日のお祈りもリア様にお願いしてもよろしいでしょうか?」
私よりもずっと年上の人たちが、まるで私のことを神のように扱ってくる。
私はみんなに愛されている。けれどそれは、時間が経つにつれてどうしても私には虚構にしか思えない。こんな気持ちを抱くのは贅沢だって分かってる。でも、そんな理性でこの渇きが癒されることはない。
「えぇ。もちろんですよ」
にこりと微笑を浮かべ、私は聖女らしい振る舞いをするようになっていた。
人に愛される私、そしてそんな自分を演じる日々。一体自分はどこにいるんだろう。なんのために私は生きているんだろう。毎晩ベッドでそのことを考えて、眠りに落ちる。
「……私、結局一人ぼっちなんだ」
早朝。私は教会内にある祭壇の前でボソッと呟く。
悪意も何もない人生。
恵まれているだろう。感謝すべきだろう。私の人生には祝福しかないのだから。でも、本当の私はみんなが思うような誠実な存在じゃない。清らかでもないし、清純無垢でもない。いい加減で、面倒くさがりだし、本当は聖女なんて柄じゃない。
ただ寵愛というフィルターがかかっているだけ。
みんなが見ている私と、私が見ている私には大きな乖離がある。
人は私を神聖視して、誰も私の人生には決して踏み込んでこない。両親もいなく、捨て子の自分が何不自由なく生活できているのはこのスキルのおかげ。
だから感謝しないといけない。そう。感謝をしないと……。
でもね。やっぱり、寂しいよ。私もみんなみたいに友達が欲しかった。対等な目線で話すことのできる人が欲しかった。教会内で私は友達なんていなかった。周りの同い年の子たちも、私のことをリア様と呼ぶ。私は特別な存在だから、決して穢してはいけないと言われているらしい。
別に本当の私を見つけて、なんて大層なことは思っていない。
ただ、私はみんなと同じように笑って、同じように他愛のない話ができる友達が欲しかっただけ。
寵愛。このスキルは年月が経つ度に私を孤独にしていく。
私にとって寵愛はもはや、祝福でしかなかった。
教会で過ごしてから十年が経過した。私は淡々と仕事をこなして行き、ついにとある村に派遣されることになった。
そこでも私はやっぱり、聖女様として崇められる。大きな屋敷も与えられ、不自由なことはない。ない……けれど、やっぱり寂しさが埋まることは決してなかった。
そんな時、私はユーリと出会った。彼は私の人生の中で、初めて普通に話せる人だった。だって、寵愛が効かないなんて、初めてのことだったから。
興味本位で彼を護衛として雇って、日々を過ごすようになった。初めて素の自分で接することができたし、何よりもユーリは私にとても優しかった。心の奥底に小さな灯が宿っていることに気がついていたけど、この気持ちは消さないといけない。
もう……期待することはやめたんだから。これは夢。私が人生の束の間で見ることができた、幸せな夢。そして夢はいつか醒めるものだと私は知っている。
「俺には使命があるんだ」
「使命?」
「あぁ。その使命を果たすために、俺は行かないといけない」
「それは絶対にしないといけないの……?」
「そうだ。自分の人生とは──自らの手で切り拓くべきだからな」
ユーリはとても真剣な顔つきでそう言った。そっか。ユーリは自分で自分の人生を進んでいるんだ。私みたいに流されている人とは違う。
うん。そうだよね。ユーリは私なんかとは違う。だから、彼のこれからの人生にどうか祝福がありますように。神なんて信じてないけど、この時は初めて神に祈った。
「うん……分かった。そうよね。ユーリにだって、自分の人生があるもんね。こんなところで立ち止まっていられないよね」
「すまない。俺もリアと過ごす日々は悪くはなかった」
「うん。私も楽しかったよ」
「今日の晩は少し豪勢な食事にしよう。一緒に作ってみないか?」
「うん……! 楽しみにしてるね!」
私はなんとか泣き出さないように振る舞って、屋敷を後にした。教会へ向かう途中、ちょっとだけ涙か溢れたけど、切り替えないと。
そして教会でいつものように仕事をこなす。今はユーリとの別れを考えたくはないから、集中して仕事をすることができた。
そのせいで今日は少しだけ遅くなってしまった。いけない。ユーリが待ってるから早く帰らないと。今日は彼との最後の夜だから。
そう思っていると私は声をかけられる。
「リアさん」
「セドウィン様。いらしていたのですね」
「えぇ。体調を崩していたとか」
「はい。ご心配をおかけしてしまい、申し訳ありません」
私は彼に対して深く頭を下げる。するとニコリと優しい笑みを浮かべる。
「いえいえ。本題なのですが、少しだけお時間よろしいでしょうか」
「はい。構いませんよ」
「では、少し場所を変えましょうか」
「分かりました」
私はなんの疑いもなく、彼の後へついていく。ただ……彼が進んでいくのは、なぜか教会の地下だった。
祭壇の裏側に地下への入り口があって、ここは緊急避難場所として使われていたりする。
螺旋状になっている石階段を降りていき、私たちは教会の地下空間へとやって来た。
地下の空気はひんやりとしていて、静寂に満ちているけど、どこか不気味さもある。
地下室の中央には、年代物の木製の祭壇がひっそりと置かれ、その周囲には古びたキャンドルスタンドがいくつも並べられている。キャンドルの火が揺れるたびに影が壁に踊り、不気味で神聖な雰囲気を作り出していた。
「何か大切なお話でしょうか?」
「えぇ。とても大切なお話ですよ」
わざわざこんな人気のないところに移動するのだから、きっと人には聞かれてはいけない話なんだろう。
「単刀直入に言います。私と手を組みませんか?」
「手を組む……?」
「えぇ。私に協力してくだされば、あなたの聖女の地位を確約します」
「協力というと?」
いつもの穏やかな雰囲気ではなく、彼の目は鋭いものになっていた。
「あなたのスキル、寵愛は非常に使い勝手のいいものです。その気になれば、世界を支配できるほどのもの。貴族たちの争いにおいて、寵愛があれば交渉はそれだけで有利に動く。どうですか? 見返りは十分なほどに用意いたしますよ」
「申し訳ありませんが、私はそのようなものに興味はありません」
なるほど。私の力を利用して、貴族社会で成り上がりたいということか。でも残念ながら、そんなものに興味はない。私は毅然として態度で断りを入れて、直ぐに階段を上がろうとするが──
「あぁ。残念ですよ。あなたはもっと利口だと思っていたのですが」
「──え?」
気がつけば右手に縄のようなものがついていた。それは魔力で生み出されたもので、私は乱暴に彼に壁に押し付けられてしまう。
「う……っ!」
「あなたの返事はイエスのみです。それと、あのグリフィンの襲撃は私によるものです。この指輪は魔物も操作できる。断られた時のために、こちらも色々と準備はしていたのですよ」
彼は右手の人差し指にはめている指輪を見せつけてくる。それは今、禍々しい魔力を解き放っていた。
「ちょっとしたデモンストレーションでしたが……まぁ討伐されるのは予想外でしたが。ただ、あなたの頼りの冒険者もここには気がつかないでしょうね。助けは絶対に来ませんよ」
壁に磔のような状態で吊るされてしまい、身動きが取れない。けど、私には寵愛がある。魔力を最大限に込めて、出力を上げようとするが──
「ぐ……うっ……!!」
彼は寵愛が効いていないのか、私の首を手で締め上げてくる。呼吸が苦しくなって、意識が朦朧としてくる。
「残念ですが、あなたのスキルは効きません。この指輪は闇属性の魔力特性があり、あなたのスキルを打ち消すことができるのです。高い金を払って用意した甲斐がありましたね」
「なっ……!」
まさか、そんなものがあるなんて。そもそも、闇属性の魔道具なんて一般的に流通しているものではない。違法な魔道具なのは明らかだった。
「本当に心苦しいです。私はリアさんのことは決して嫌いではありません。とても利口で聡明、そして何よりも世間のことをよく分かっている。あなたの本性は知っていますよ? 教会の体制にも辟易としているんでしょう? ならば、私と一緒に世界を変えましょう」
「い、いや……だっ……!」
私はなんとか言葉を発する。私は別に自分のスキルで他人を操りたいなんて思っていない。それにその先に待っている未来は、他者を虐げるだけの世界。そんなもの、私は興味がない。
「ふむ。残念ですが、少し《《教育》》といきましょうか」
彼はジャケットを広げると、その内側には──一本のナイフがあった。あまりにも禍々しい見た目で、異様な魔力が込められていた。
「拷問をすれば誰もが言いなりになる。世界は所詮は暴力。ただ私は聡明なので、暴力は最終手段にしていますがね。まずは言葉によるコミュニケーションから、そして次は暴力。非常に論理的でしょう?」
「う……うぅ……」
恐怖で体が震えてくる。なんでだろう。なんで、こうなるんだろう。寵愛というスキルはどこまでいっても、呪いでしかない。でも……そっか。私は今まで、なんの苦労もせず、このスキルのおかげで何不自由ない生活をしてきた。
これはきっとその報いなのかもしれない。
そう思って彼の凶刃に備えようとするが──突然、彼は横に弾き飛ばされていった。
一人の男性の背中。それはあの時──グリフィンに襲われた時と同じものだった。そう。私の目の前に立っていたのは、ユーリだった。
「──リア。大丈夫か?」
ユーリだ。ユーリが来てくれた……っ! 初めはその事実に胸を躍らせたが、私はふと疑問に思う。きっとこのまま、彼が助けてくれる。私はいつだって、ただじっとしていればいい。流されていれば、勝手にいいように進んでいく。
でも、でもさ。そんな人生でいいのかな。ずっと受け身のままでいいのかな?
その時、私はユーリの言葉を思い出す。
『自分の人生とは──自らの手で切り拓くべきだからな』
ドクン、と心臓が跳ねる。
その時私は、自分の心に燻っていた灯が大きくなっていくのを感じた──。




