第11話 惜別
教会にいたのはシスターでもなく神父でもなく、一人の男性だった。
彼は高貴な血筋を感じさせる装いをしていた。深紅と黒のコントラストが美しいジャケットは、胸元には精巧な金の刺繍が施されている。金糸で縁取られた襟元は、王の紋章を象徴するかのように輝いていた。
真っ赤な髪は艶やかな上に、顔つきも非常に整っている。全体的な見た目からして、間違いなく貴族だろう。
「何か御用でしょうか? シスターと神父は席を外していますが、私でよければ承りましょう」
「えっと……リアに関してなんですが、体調不良で本日出勤するのは厳しく。お休みをいただいてもよろしいでしょうか」
「なんと。リアさんが、ですか?」
俺がそう伝えると、彼は少し大げさに反応をした。どうやら、リアのことを知っているようだな。
「おっと。すみません。自己紹介が遅れました。私は、ナリス=セドウィン。この地域を統括している辺境伯です。以後、お見知りおきを」
「ユーリです。冒険者をしています」
セドウィンは俺に握手を求めて来たので、俺はもそれに応じる。原作では見ない顔だが、とても愛想のいい人だと俺は思った。
ただ逆にそれが何か引っかかるような気もするが。
「ユーリさん。では、リアさんの件は私の方からお伝えてしておきますね」
「はい。ありがとうございます」
俺はこれで用も終わったので、屋敷に戻ろうとするが──彼はまだ話を続けてきた。
「──あなたはリアさんとはどのような関係なのでしょうか?」
セドウィンはステングラス越しの神聖な光に照らされながら、そう尋ねてきた。その姿は、まるで後光が差しているようだった。
「護衛ですね。何やら、最近物騒らしいので」
「あぁ。グリフィンの件ですか」
「はい」
「なるほど。よく分かりました。リアさんは非常に優秀で、私もいろいろと気にかけているので。お大事に、と彼女にお伝えください」
「はい。では、自分はこれで失礼いたします」
俺は貴族相手なので、いつもよりも深く頭を下げてから教会を後にするのだった。
屋敷に戻ると、リアはまだ眠っていた。俺はキッチンへ向かって、スープを作ることにした。ただ以前のように具沢山ではなく、少量の野菜を中心にする。俺は出来立てのスープを持って、リアの部屋へと向かう。
「すぅ……すぅ……」
リアはまだ寝ていたが、流石に食事は取った方がいい。俺はゆっくりと彼女の体を揺らして、起床を促す。
「う、うぅん……」
「リア。体調はどうだ?」
「まだちょっと、ぼーっとするかも」
「スープを持ってきた。少しだけでも胃に何か入れておいた方がいい」
俺はリアの背中を支え、上半身だけ起こすようにサポートをする。リアの目はとろんとしていて、まだ熱があることが窺える。ただ、症状からするに何か重い病気ではなさそうだった。
俺はスープをスプーンで掬って、リアの口元へと運ぶ。
「口、開けられるか?」
「うん。あーん」
俺はゆっくりと彼女の口へスープを流し込み、状態を確認する。
「どうだ? 大丈夫か?」
「ぐすっ……」
すると急にリアは涙を流し始めた。もしかして、不味かったのか……? 味は一応確認したが……。
「ど、どうした? マズかったか?」
「ううん。美味しいよ。本当に、とっても」
「そうか……」
それ以上追及することはしなかった。俺は察してしまった。そうだよな。こんな大きな屋敷で一人で暮らしていて、寂しくないわけがない。看病される経験も、今までなかったのだろう。
「すぅ……すぅ……」
無事に食事を終えたリアは再び眠りに落ちていった。俺はそっと彼女の綺麗な銀色の髪を撫でる。
そうだな。でももう……俺も行かないといけない。別れの時は──もうすぐそこまで迫って来ていた。
†
翌日早朝。俺はリアの部屋へと向かうと、彼女はカーテンを開いて朝日を帯びていた。
彼女の銀色の髪が朝日を反射し、とても美しく輝いていた。
「リア。元気になったのか?」
「あ、ユーリ。うん。一日休んだら、すっかりと良くなったわ」
「そうか。きっと魔力の使いすぎだったんだろうな」
「そうみたいね」
俺は一応、彼女の額に手を当てて熱がないか確認をする。以前は驚いていたが、今はそれをすんなりと受け入れてくれる。
「熱はなさそうだな」
「うん。ユーリ。本当にありがとう」
「どういたしまして。さ、朝食にしようか」
「うん!」
そして食堂で食事を取る俺たちだが──俺はついに、彼女に伝えることにした。
「リア」
「どうかした、ユーリ? 今日も美味しいわよ」
「俺は──明日にはこの屋敷を出ていくよ」
「え……」
からん、とリアの手からスプーンがこぼれ落ちる。この静寂の中に、スプーンが落下した音だけが無機質に響く。リアはまるで時が止まったかのように、静止していた。
「前にも伝えたが、俺にはやるべきことがある。そのために俺は行かなければならない」
「……」
リアは顔を俯かせる。俺だって、リアと過ごす日々は好きだった。彼女とは人としての波長が合うのか、自然と振る舞うことができた。
でも俺は知っている。この世界ではこの先、大規模な戦争が起こってしまう。それを止めるためにも俺は行動しないといけないから。
「ね、ねぇ」
「なんだ?」
しばらく沈黙した後、リアはゆっくりと口を開いた。
「仮の話だけど、あくまで仮定にはなるんだけど」
「あぁ」
「このままここに残るつもりはない? ほら、この屋敷も自由に使っていいしさ! あ。もちろん、今まではユーリに頼りっぱなしだったけど、私もちゃんと家事とか頑張るし! ね? どうかな……?」
不安そうに俺のことを見つめてくるが、もう俺の答えは決まっていた。
俺はゆっくりと首を横に振る。
「俺には使命があるんだ」
「使命?」
「あぁ。その使命を果たすために、俺は行かないといけない」
「それは絶対にしないといけないの……?」
「そうだ。自分の人生とは──自らの手で切り拓くべきだからな」
あえて抽象的な表現を使うが、俺はリアに対して自分の覚悟だけはしっかりと伝える。大丈夫。きっとまた会う機会はあるさ。リアはいずれ、テオのパーティーに加わることになる。そこで活躍して、王国を勝利に導いてくれる。
「うん……分かった。そうよね。ユーリにだって、自分の人生があるもんね。こんなところで立ち止まっていられないよね」
「すまない。俺もリアと過ごす日々は楽しかった」
「うん。私も楽しかったよ」
「今日の晩は少し豪勢な食事にしよう。一緒に作ってみないか?」
「うん……! 楽しみにしてるね!」
リアは満面の笑みを浮かべるが、それは無理をしていることはすぐに分かった。心苦しいが、こればかりはどうしようもない。
でも仮に、俺がこの世界で生存できることができたら、その時はまたこうしてリアと過ごすのもいいかもしれないな。
それからリアは教会に行った。彼女は最後まで気丈に振る舞い、俺に心配をかけさせないようにしていた。
夜の帳が下りた。俺は日中はダンジョンで自分の能力の調整をして、少しだけ早めに帰宅していた。そしてリアの帰りを待っていたのだが……。
「今日は遅いな」
時計の機械的な音が響く。いつも帰ってくる時間にリアは戻ってこない。ただ、この世界にも残業はあるものだからな。仕方がないだろう。
しかし、いつまで経ってもリアが帰ってくることはなかった──。




