第10話 分岐点
俺たちは二人で並んで歩みを進めていく。この村はもちろん、王国のような都会ではない。人口も多くはなく、まさに田舎という感じである。
けれど、俺はどちらかというと生活をするのであれば、田舎くらいがちょうど良かった。そして俺たちは近隣にある小川に向かっていた。それにしても今日は心地いい天候だった。
春の陽気が感じられる日。温かな光がやわらかく降り注ぎ、空は澄んだ青さを見せている。小鳥たちのさえずりが穏やかな風とともに耳に届く。
「今日はいい天気ねぇ」
「だな」
どうやらリアも同じことを思っているようだった。
「でも、釣りって私でもできるの?」
「海に出て大物を釣るってなると話は別だが、小川で魚を釣るくらいなら子どもできる」
「なるほど。それは楽しみね!」
「あぁ」
リアは満面の笑みを浮かべる。正直なところ、リアと過ごす日々は嫌いじゃない。互いに距離感は遠すぎず、近すぎず。ちょうどいい距離感で俺たちは生活を送ることができていた。
「さて、ついたな」
無事に小川に到着。俺は持ってきている鞄の中から釣り用具を取り出していく。といっても、持ってきたのは餌だけ。屋敷の裏に虫がいたので、それを箱に詰めてきた。
俺たちが今回持ってきている釣竿は精巧なものではなく、削られた木に糸と釣り針がついている簡素なものだ。大物を釣るには心もとないが、この程度の小川なら大丈夫だろう。
「う……なんかうねうねしてる……」
「苦手か?」
「ちょっと……うん」
「じゃあ、餌は俺がつけよう」
「ありがと」
俺は自分とリアの釣竿に餌をつけて、川に釣り針を垂らす。あとは魚がかかるのを待つだけだ。
「ねぇ。ユーリって冒険者でしょ?」
「そうだな」
「ランクはどれくらいなの?」
まだ魚がかかる様子はないので、俺たちは雑談をする。
「Fランクだが」
「嘘。だって、あのグリフィンを倒したじゃない」
「それは……」
ここから誤魔化そうにも、彼女は何か確認を持って言葉を紡いでいるように感じた。下手に誤魔化すのは悪手か……と思っていたが、彼女はそれ以上の追及はしてこなかった。
「正直ね、私一人でずっと寂しかった。ユーリと生活をして少しだけしか経ってないけど、楽しかった。でもきっと、ユーリには何か目的があるんでしょう? とても大切な」
「そうだな。あぁ。俺はいずれこの村を出ていく。ある使命のために」
「うん。ユーリはきっともっと凄い人になると思う。あなたはやっぱり、只者じゃないと思うし。だから、残りの期間もよろしくね?」
「あぁ」
そうだな。俺も同じ気持ちだった。仮に自分の使命がなければ、このままずっとリアと二人で穏やかに過ごす未来もあったのかもしれない。しかし、それは残念ながら叶うことはない。
俺は生き残るためにも行動し続けないといけないから。
「あっ! なんか手応えが……っ!」
リアの方に魚がヒットしたようだ。彼女は驚いてぐっと後ろに思い切り体重を預けようとするが、俺はそれを支える。
「あまり強い力で引くなよ。ゆっくり、ゆっくりだ」
「ゆっくり……ゆっくりね」
慎重に力をコントロールしてリアは釣り竿を引いていく。
「今だ! 思い切り引き上げろ!」
「うん!」
それからタイミングを見てリアが思い切り釣り竿を引き上げると、そこには一匹の魚が食らいついていた。俺はそれを釣り針から外して、魚の種類を確認する。
「これはホシウオだな」
「ホシウオ?」
「あぁ。体に星の模様がいくつかあるだろ? 一般的な魚で塩で焼くとマジで美味い。冒険者達にも人気の食材だ」
「へぇ。そうなのね」
「しかし、俺が先に釣ると思っていたが、やるな」
「ふふん。ま、ビギナーズラックってやつよ!」
リアは自慢げにその大きな胸を張って見せつけてくる。よほど嬉しかったんだろうな。
それから俺たちは何匹かの魚を釣って、この場で調理することにした。
火を起こしたいが、俺は火属性の魔法を使うことはできない。原始的に木の棒を擦って火おこしもできるが──一応、リアに訊いてみることにした。
「リア。火属性魔法は使えるか?」
「えぇ。基本属性は一通り使えるわよ」
「流石だな。じゃ、ちょっと火を起こしたいんだが」
聖女リアは魔法使いの中でも天才中の天才である。基本属性と呼ばれる、火、水、氷、雷属性を使える。さらに回復魔法も使える上に──彼女には《《固有魔法》》と呼ばれる特別な魔法もある。
「火」
リアの魔法によって火が起こって、俺はそれで早速魚を焼く。丁寧に串刺しにして、持ってきた塩を軽くかけてしっかりと火入れをしていく。
「ユーリがこんなに料理できるのって、冒険者だから?」
「そうだな。冒険者は現地調達して、その場で料理するスキルも求められる」
「へぇ。そうなのね」
そう話をしていると、無事に魚が焼きあがった。
「ほい。少し熱いから気をつけろよ」
「うん。は、はふ……確かに熱い」
リアはモグモグと魚を食べるが、口に入れた瞬間に目を輝かせた。
「ん! 美味しい! 塩だけなのに!」
俺もリアに続いて焼き魚を口にする。うん。やっぱり、塩だけでも十分に美味いな。
「リア。頬についてるぞ」
「え、うそ」
「そんなに急いで食べる必要はない」
「だって、ユーリの料理って本当に美味しいんだもん」
「それはまぁ、嬉しいが」
「私もいつかユーリくらいお料理できるようになって、旦那さんに喜んでもらいたいなぁ」
「あ、あぁ……そうなるといいな……」
「うん!」
なるほど。原作にはなかったが、やはりリアは結婚願望が強いのか……。自分には関係ないと思いつつ、一抹の不安は覚えてしまう。
そして、そろそろ帰るかと思っていると、リアが俺の肩をトントンと叩いてくる。
「ねぇ、ユーリ」
「どうした?」
「ユーリって強いじゃない。だから、ちょっと私に戦い方を教えてくれない? 腹ごなしにもちょうどいいし」
「戦い方?」
「えぇ。自分でもある程度自衛できる方がいいでしょ?」
「それは……確かにそうだな」
その提案を聞いて俺はちょうどいいと思った。リアは最終戦でテオと合流するが、俺が先に基本的な戦闘方法を教えた方がいいのでは? 彼女が強くなるに越したことはないからな。
うん! これは確かにナイスアイデアなのでは? リアに魔法の才能があるのは分かっているしな!
「リアは魔法メインだろ?」
「えぇ。そうね。だけど、スキルは身体強化とかも使えるわよ」
「え……そうなのか?」
「えぇ」
「……」
あれ。そうだっけか。確かにリアの基本ステータスに身体強化のようなスキルはなかったと思うが……。まぁいいか。スキルも使える越したことはないからな。
「魔法の基本構成は知っているよな?」
「えぇ。もちろん。基礎フレーム、形状指定、出力制御、持続時間、補助要素でしょ」
「その通りだ。戦闘において大切なのはできるだけこのプロセスを組み上げることだ。何も強力な魔法を出す必要はない」
「そうなの? 強い魔法の方が良さそうだけど」
リアは不思議そうに首を傾げた。
「前衛とかがいるならいいが、一人で戦闘になるとそうもいかない。それに後方支援だとしても強力な魔法を組み上げるのは隙が多い。俺は威力は弱いが、手数の多い魔法を素早く使えるようにした方がいいと思う」
「へぇ。そうなのね。とても勉強になるわ」
「リアは確か、転移が使えるだろ?」
「え……なんで知ってるの?」
あ。まずい。これは原作を知っているからこその情報だった。彼女の固有魔法は転移。原作終盤では本当に使い勝手のいい魔法で、俺も重宝した記憶がある。
ただ今はなんとか誤魔化さないと……。
「えっと、まあ俺ぐらいになるとそれも分かるのさ!」
「なるほど! やっぱりユーリは凄いのね!」
「あ、あぁ……」
う。テキトーな感じになったが、何とか誤魔化せたか……?
それから、リアは真剣に俺の話を聞いてくれた。実際にゲームの中においても強力な魔法は覚えることができるが、あまり使うことはない。魔法とスキルの混在した戦闘はスピードが速く、それに対応する必要があるからだ。
「あとスキルは……これは魔法のように理論的なところは少ないんだよなぁ。実戦あるのみというか。ちょっと組み手でもしてみるか?」
「え……! ちょっと楽しそう!」
「身体強化をして、思い切り俺の掌を殴ってみろ」
「うん!」
すぅ、と息を吸ってリアは身体強化をする。淀みない魔力の流れを見せ、彼女は一瞬で身体強化のスキルを発動すると俺の手に拳を叩き込んできた。
「は……っ!!」
ドン! と爆音を立ててリアの拳が俺の掌にぶつかる。俺ももちろん身体強化をしていたが、俺の防御よりも彼女の攻撃力の方が上だった。
俺は掌に受けた莫大な衝撃に引き摺られるようにして、後方に吹き飛んでいってしまう。
「は──?」
受け身を取った俺は呆然とリアを見つめる。な、なんだ今の威力は……明らかに普通じゃなかったぞ……。
「大丈夫、ユーリ!? ごめんなさい! ちょっと強すぎたかしら……?」
「いや。俺の見積りが甘かった。リア、すごい拳だった。本当に今まで戦闘経験はないんだよな?」
「うん。ないけど」
「……」
これはまさに原石とも呼ぶべき才能。もしかして、リアには隠しステータスのようなものが存在したのか? ともかくこれだけの才能ならきっとテオのパーティーに加入するとき、非常に心強い味方になるだろう。
俺はそれから夢中になってリアに戦闘のイロハを教えた。原作の知識を惜しみなく出して、自分の戦闘方法を言語化していく。
「戦闘において大切なのは常に冷静であることだ。感情の昂りで一時的に魔力の出力は上がるが、それも一瞬。それに戦闘中に必殺の魔法を組み上げることは難しい。常に駆け引きの中で、相手の動きを予想して戦う必要がある」
「ふむふむ。駆け引きね」
「あぁ。魔法やスキルを使う相手の特性をしっかりと把握して、次に取る行動を常に予測するんだ。駆け引きは戦闘において一番重要になってくる」
リアは顎に手を当てながら、首肯をして理解を示してくれる。
「相手の能力と自分の能力。それらを的確に把握して、有効な攻撃を相手に叩き込むって感じ? ブラフとかも必要になってくるわよね? しっかりと読み合いをする必要があるのね」
「そうだ。魔法とスキル。それらをどう組み合わせて戦うのか。複合的な要素を考えて戦う必要があるな」
「なるほど。奥が深いのねぇ……」
そんな話をしていると、気がつけば日が暮れていた。俺もそうだが、リアも戦いというものに興味があったのかしっかりと聞いてくれた。それに彼女は理解力も相当高かった。駆け引きという概念もちゃんと理解してくれたようだ。
そして俺は最後に、彼女にこう伝えた。
「色々と理屈的な部分は教えたが、最後に大切なのは勇気だと俺は思う。どれだけ才能があっても、どれだけ努力しても──勇敢でなければ意味を成さない。勇敢さを持って進み続ける。結局はこれが原点だと俺は思うよ」
「勇敢さ……」
これは俺がこのゲームの中で学んだことだった。主人公のテオだけじゃない。この世界の登場人物たちはみんな、勇敢さをもって戦っていた。だからこそ、俺はこのゲームが本当に心から好きだった。
その気持ちがリアに少しでも伝わるといいと俺は思った。
そして俺たちは日も暮れたので、屋敷へと帰ることにした。
「リア。だいぶ疲れたんじゃないか?」
「うん。そうね……久しぶりにちゃんと体を動かした気がするわ」
「俺がもうやめようと言っても、続けてたからな」
「う。だって、思ったよりも体を動かすのって、楽しかったんだもん。でもその……また教えてくれる?」
「もちろん」
流石にこれ以上は良くないと思って俺は止めたが、リアは大丈夫だからと言って俺に教えを求めてきた。それもあってこの数時間だけでもかなり強くなったような気がする。
いや、それにしても本当にリアの才能には驚かされるばかりだった。俺が原作で知っているポテンシャルを間違いなく上回っている。
きっとこれなら、テオと合流した時に大きな力になってくれるだろう。
そんな時。リアはボソッと言葉を零した。
「ずっと……ずっと、こんな日が続けばいいのに」
ボソリと呟くその声は、俺にギリギリ届くか届かないか程度の声量だった。
「……」
俺は敢えてそれに反応することはなかった。俺もその気持ちはあるが、それでも俺は──前に進まないといけないから。
†
休日を終えた翌日。俺はやるべきことを全て終えたと思っている。リアに戦い方は十分に教えたし、きっとこれからは一人でやっていけるだろう。リアの才能はピカイチだ。魔法使いとしてだけではなく、もしかしたら魔法もスキルも扱うことのできる相当の実力者になるかもしれない。
それだけの才能を俺は彼女から感じ取っていた。
「ん? まだ起きてないのか」
起床してから食堂に来るが誰もいない。今日はリアの食事当番の日なのに、キッチンからも何も音は聞こえてこない。
「何かあったのか……?」
まさか、何かあったのか……!?
そう思って俺は慌ててリアの部屋へと向かう。まずはノックをしてみるが、反応がない。戸締りはしっかりとしていたが、何者かが侵入でもしたのか?
ともかく、俺は急いで扉を開けると──そこにはまだ寝ているリアがいた。
なんだ。俺の杞憂だったか。そう思っていたが、彼女は何やら呻き声を漏らしていた。
「リア。大丈夫か?」
「う……うん。今日は私が当番の日よね……お、起きないと……」
リアの顔はかなり赤くなっており、見た目だけでも発熱していることが窺える。俺は自分の手を彼女の額に当ててみるが、明かに熱い。かなりの高熱だな。
「リア。熱がある。昨日少し無理をさせてしまったか、本当にすまない」
「ううん。ユーリはちゃんと止めてくれたのに……私が無理したから……ごめんね。それに、早く仕事に行かないと……」
無理やり起きあがろうとするリアを再びベッドに寝るように促す。
「今日はしっかりと休んでくれ。今のリアは寝ることが仕事だ。教会には俺が伝えておくよ」
「ありがとう……ユーリ」
「さ、もう少し寝てくれ」
「うん………」
しっかりと布団をかぶせ、リアはそのまますぐに眠りに落ちていった。風邪か……薬となると王国まで行く必要があるが──今の所、症状としてはただの風邪のようだ。きっと、昨日無理をして魔力を使いすぎたんだろうな。
しばらく様子を見てみるか。
そう思って俺はまず、リアが今日は休むことを教会に伝えに行く。今の俺は邪悪の効果を完全に無効化することができる。
教会に向かっても問題はないだろう。
「えっと……普通に入ってよさそうか?」
俺は少しだけ周りの様子を窺いながら、教会の中へと入っていく。
教会に足を踏み入れると、静寂が広がっていた。高い天井に、荘厳な石造りの壁がその空間を包み込んでいる。天井には精緻なステンドグラスがはめ込まれており、光がそれを通り抜けると光の模様が床に落ちて、まるで神聖な光が降り注いでいるかのようだ。
ただ視線の先には一人──赤い髪をした男性の姿があった。その装いから察するに教会の人間ではなく、貴族であるのは明らかだった。
神聖なこの空間の中央に佇んでいる彼の姿は、まるで一枚の絵画のようにとても美しいものだった。
「──おはようございます。何かご用でしょうか?」
彼は俺の存在に気がつくと、ニコリと微笑を浮かべて挨拶をしてくるが……俺は何故かそれに底知れない不気味さを感じた。




