『総合』と『探究』の違い(進展しない)
『未帆総合・未帆探究』、『亮平総合・亮平探究』、『澪総合・澪探究』の三教科において、もっとも重きを置かれるのは探究分野である。『進展しない』ほど物語の中枢が肥大化してくると、気にも留めなかった一言がキャラクターの深層と強く結びつくことがその主要な理由だ。即興で作った機械に作業をさせるのと、独りで羽ばたきだした登場人物が自らの意志(厳密に言えば筆者の手のひらの上であるが、ここでは区分する)で一騒動起こすのとでは、動機の強固さも前提条件の流れ込みも段違いになる。最も、作り込みが甘い澪(筆者注:反省しています)は度々例外扱いされるのだが。
近年はお国がやたらめったら『探究』を科目名に付け足したがる。その是非はともかく、『探究』を変換すると『物事を深堀りすること』だ。その分範囲は狭くなりやすいのが欠点なのだが、殊小説においてはそのデメリットが打ち消される。
次の(つまらない)会話文を例にしてみよう。
「……未帆、おはy……。……個人のテリトリーに侵入するの、十八番だな……」
「それは私が聞きたい! どうして、亮平は私に覆いかぶさって心地よさそうに寝てたのかなぁ?」
亮平は男、未帆は女である。多様化が叫ばれて著しいご時世なので、一目で把握されたとは思うが明記はしておく。
小説は、どうしても一場面をスナップショットしたものが文字として表れる。一枚一枚、主人公からカラー写真が撮られ、ストーリーとして繋ぎ合わせられていく。金箔のように薄く広く展開されることはない。
会話文を『総合』の範囲で処理しようとすると、結論が薄っぺらくなってしまう。書かれてある事実をそのまま並べただけでは、国語のテストの不出来な間違い選択肢にも劣るだろう。何せ、読み取れる事実は雀の涙なのだから。
とりあえず、先の会話文から事実だけを抽出してみる。
・亮平が未帆へ朝の挨拶
・亮平が現在の状況についての疑問(未帆由来)
・事実:亮平は未帆に覆いかぶさっている
・未帆が亮平の推測を否定、反論
ただでさえ味気ない文章が骨だけになってしまった。布団にくるまっても凍えそうな骨組みである。
ここから繰り出される『総合』における結論は、『亮平と未帆は親密な関係にある』ことだけ。勝手にシミュレータを稼働されて二人を婚約に持ち込むことは出来ない。何をしようにも、証拠不十分で不起訴が行きつく墓場だ。
お待ちかねの探究の出番がやって来た。まず、前提条件を追加する。
・亮平と未帆は寮の相部屋である
・亮平と未帆は高校生同士で、付き合っている
これだけで、『未帆、おはy……』の部分だけでもかなりの情報が予想できるだろう。『未帆が隣にいることが日常になっている』、『亮平と未帆の間の友情・愛情は深い』など……。演繹法ではないので誤りも含むことがあるが、貧弱な武器しか持てない『総合』よりもはるかに豊かな想像ができる。『総合』がカッターなら、『探究』は高圧ジェットだ。
……『総合』と『探究』の例えが上手く出来ていない気もするが、まあ結局は『探究では総合が塵に見えるレベルの考察が可能』、ということである。
どこかにある『探究』の記事を一度踏んでもらえば何をしているのかは一目瞭然なので、ぜひそちらも参照してもらえると有難い。分岐した小枝の成分分析をしている、という比喩が正しいのだろうか。