私はなろう小説家である
今回は、森見 登美彦先生リスペクトでお送りいたします。
私はなろう小説家である。
この肩書を得てから何年の月日がたったのかについては覚えていない。
決して最初に投稿した作品の投稿日時を調べるのが面倒だという訳ではない。また、私がなろうで活動していることは、家族親戚友人同僚一同誰一人として知るところではないという事実が、この肩書における社会的地位を表しているのではないかと、日々自問するのではあるが答えが出る話でもないのだ。
ともかく、誰が何と言おうと私はなろう小説家である。
さて、なろうに限らず創作活動をしている者はある怪物と戦はねばならない。
その怪物の名は「ネタ切れ」。おっと、笑うなかれ。我々にとってこれほどの強敵はいないのだ。そして御多分に漏れず私もこの怪物と日々戦っているのである。
この怪物の闘いの日々の中、多くの創作者が一つの答えへとたどり着く。
そうだ。古典をやろう。
こう書くと私がいかにも高尚な文学の話をしているかに聞こえるのだが、そんなことは無い。これは極めて下世話な話しである。なぜならば古典というものは既に物語が完成しており、私がストーリー展開などという正解のない迷宮をさまようことを防いでくれ、なおかつ二次創作をしたとしても昔の話故に、著作権の侵害などという恐ろしい罪状で、運営様からBANされるような類のお咎めがどこからも降りかかることもないのである。
素晴らしい。
話のネタは既に仕込んである上に、知名度により読者への説明も不必要。著作権も数百年前に切れている。後は私の独断と偏見で味付けをすればよいだけなのである。なんと安楽な道であろうか。これならばネタ切れという悲しい事実と向き合わなくても良い。即ち古典への回帰とは堂々たる逃げなのである。逃げる時ほど胸を張って。これが私が勝手に創設した我が家の家訓でもある。
古典万歳。
この素晴らしきアイデアを胸に私は近所の古書店へと向かい、良いネタになりそうな古典をあさり一つの結論を得た。
よし。アーサー王伝説にしよう。
アーサー王伝説であれば知名度、ファンタジー成分、お話の完成度について申し分ないではないか。なろうは自由に作品が投稿できるが、言うても主戦場はファンタジー部門である。なろう文化にも即した題材に違いない。そして私の目の前にはたまたまアーサー王伝説を扱った書籍があるではないか。これは即ち小説家の神が、私にアーサー王伝説をかけて告げているに違いないのだ。
確信に満ち満ちた私は早速その本を購入した。
大した人気や需要がある訳でもなかろうに、古書店側の強気の値段設定に若干の不満を覚えたが、これでネタが一つできるのであれば安い買い物であろう。
さあ、これで怪物との戦いに一つの勝利を得る事が出来る。私がそう考えたとしても、さして非難されることは無いのである。しかしである。事はそう単純な話では無かったのだ。家へとたどり着いた私はさして広くもない自室で頭を抱えた。
誤解を恐れずにはっきりと言おう。アーサー王伝説は支離滅裂である。
むろん私も長い年月を経た古典に、現代的合理主義を求めるほど愚かではない。
アーサーがNTRの末に生まれてきたとか、配下と妻が不倫関係に陥ったとか、自分の姉とそのごにょごにょになろうが、問題にはしない。むしろそれらをどう味付けするかが腕の見せ所とすら言える。しかしだ。それよりももっと手前で駄目なのだ。この作品を一つの物語に出来なかったのである。
むろん私の能力不足がその第一の要因であることは認めよう。だがそれにしても無茶苦茶過ぎしませんかと私は叫びたいのだ。罪のないこの書籍を返品し、最近近所で旨いと評判の豚骨醤油背油マシマシラーメンへと変身させるべきかについて真剣に考えねばならないのではないか。そのような気分に苛まれるのだ。
駄目な理由について説明しよう。
アーサー王伝説はその出発が民間伝承であるために、作者などという存在はいない。長い年月と多くの語り部たちによって紡がれた、ずいぶんと気の長い叙事詩である。我が国の源氏物語とは根本が違い、ある意味でアーサー王伝説はオリジナル不在の、アーサー王伝説という名の二次創作物の集合体とすら言える。
この様な作品がどうなるかは、もうお分かりであろう。時代や作者の違う一つ一つの話が互いに相克し合い、矛盾の見本市と化すのだ。
魔法使いのマーリンという一例を出そう。
彼はアーサー王の父に仕えていた魔法使いである。その設定が長い年月を経て某指輪のガンダルフや某ポッターのダンブルドアへと、変質していったのかのではないかと思わせるほどに魔法使いである。
このマーリンが大変な食わせ者であった。
アーサーはNTRの末に生まれたと言ったがその元凶はこの男である。ある領主の妻に横恋慕した王を手助けし、彼を領主の姿へと変身させ妻のベットへと送り込む。その後領主を討ち取りその妻と結婚。生まれたのがアーサーである。
ここまでであれば私も飲み込める。身勝手な横恋慕の末に戦争を起こし旦那や罪もない領民を殺害の末に女を手に入れる。その生きざまは外道の一言ではあるが、クズなのアーサーの父であってマーリンではない。マーリンは臣下の立場から手助けしたのだと弁護することも可能かもしれないではないか。しかし駄目なのだ。
マーリンは王との約束により生れたアーサーを引き取る。この子供はいずれブリテンを統べる王となる運命を予見したからこその行動だという。ああ、なるほど。立派な王者にするべく自分で教育したいのだなと、普通は思うであろう。しかし甘い。この魔法使いの不可解さは、預かったアーサーを騎士エクトルに預け養育させたことである。
貴様が育てるのではないのか。
夜中に響き渡ったであろう、私の純粋無垢な叫びが隣人の耳に届かないことを願うばかりである。
まあいい。騎士エクトルを見込んでの事であろう。きっと彼がブリテンの王に相応しい教育を施すに違いないのだ。
私のこの予測はまたもや裏切られる。
子供の素性を知らされていない騎士エクトルは、自分の子供として育てたのだ。それはそうなるだろう。だが、それではただの騎士の息子ではないか。英才教育をしないのであれば、なにゆえに父母の元から引き離したのだ。両親のもとで育てればよいではないか。王家である親元の方がよほど教育環境は充実しているであろう。何故に預かったのか説明を求む。それともあえて英才教育を施さないという教育方針なのか。
私の中でモヤモヤが高まっていくのであった。
この段階で私はお茶の出ない団子早食い競争に参加している気分になっているのだが、とどめと言うべき事件はここからである。
この先の展開は皆さんもご存じあろう。
アーサーの父である王が亡くなり跡継ぎがいなかったため次の王を選定しようという運びとなった。
そこで登場するのが選定の剣"カリバーン"。何という美しい響きか。私の魂に宿る中学二年生も大はしゃぎである。これがかのエクスカリバーと同じ剣でもあると言われているが、ここでは別の剣という事にしておこう。
この剣を抜いた人物こそが次の王となるとマーリンは宣言し、多くの騎士たちが王の座を射止めるべくカリバーンを引っこ抜こうとするのだ。無論資格のない彼らに剣を抜くことは出来ぬ。誰も剣を抜く事が出来なかったために、騎士たちはトーナメントを開催し、その優勝者に王としての資格を与えようという運びとなった。
ちょっと待てい。
マーリン。貴様はアーサーが前王の息子と知っておろうが。何故にアーサーをこの場所に連れてこない。皆の前で剣を抜いて見せない。そもそも、宮廷付きの魔法使いであった貴様がアーサーが前王の息子であると宣言すれば終わりの話ではないのか。その剣は何のために用意したのだ。百歩譲ってパフォーマンスの為だったことにしてもアーサー本人がいないのであれば、何の意味もない催しではないか。貴様は何がしたいのだ。
私はあれこれとマーリンの心境について推察に推察を重ね一つの結論を得た。
マーリンは痴呆症である。彼はアーサーの預け先を忘れてしまった、うっかりさんなのである。
この後もなかなかに酷い。
何も知らないアーサーはトーナメントに参加する兄に頼まれ剣を取りに宿へと戻る。しかし、宿屋が締まっており中に入れず途方に暮れたところで、石に刺さったカリバーンを見つける。
アーサーは兄の剣の代わりにこの剣を持っていこうと考えカリバーンを抜き取り兄への元へと運ぶ。
その後、なんやかんやあってアーサーは王として即位するという流れである。
何が酷いかお判りであろうか。
アーサーの行いはどう見ても窃盗である。追加するのであれば兄貴のパシリでもある。
法的にはカリバーンを抜いても窃盗にはならないかもしれないが、これは特殊な事情によりそうなっているのであって、事情を知らないアーサーにとっては窃盗である。もう一度繰り返すがアーサーは剣を抜けば王になれることを知らないのだ。
なんか知らんが石に剣が刺さっていたので、持ち主の了解を得ぬまま兄の前へと持って行った。アーサーの視点を単純化するのであればこうである。コソ泥以外の何者でもないではないか。
そこで私は腕組みをして考える。
アーサーがこのような行為に及んだ理由はなんであろうか。
一つはアーサー自身が窃盗に対して抵抗感が無い気質の人物であるといこと。もう一つはさらに酷い。窃盗に及んでも兄の言いつけを守らなければならない家庭環境下で成長した悲しき少年であった。この二点に絞られるのではないか。
前者であればアーサーは順法精神に欠ける人物であり、後者であれば騎士エクトルの家庭環境は劣悪である。すなわちアーサー養育を騎士エクトルに委ねたマーリンの目は節穴という事であろう。
どちらにしてもブリテンを救う英雄の前日譚にしては意気の上がらぬこと甚だしい。これをどう解釈すればいいのか私は数日悩んだ。
三日目の夕日が沈み朝日が昇る前に私は結論を出す。
マーリンには戦力外通告。出禁である。これにてマーリン問題は一応の解決を見た。出てこないのであれば、どうということは無いのである。
次にアーサーである。彼を出さない訳にはいかぬ。しかしながら彼が自分勝手なコソ泥になるのは避けたい。となれば兄の言いつけにより仕方なく行った犯行という事で、情状酌量の余地からの執行猶予3年を目指すべきであろう。
兄が悪い家庭環境が悪い、だから仕方なかったのだ。要するにギリギリアウトを目指すのである。しかし、こんな作品を誰が読みたいのであろうか。少なくとも私はそっ閉じである。
苦悩する私になろうの神が微笑みかけた。
そうだ。兄貴を姉貴に変えればいいじゃない。
名案。名案である。
兄貴のパシリと姉貴のパシリでは同じパシリでも後者の方が微笑ましさが増す。のではなかろうか。兄貴の場合はどうしても暴力を伴う虐待を想起させるが、姉貴の場合は「はぁ、やれやれ」で、流せはしまいか。そう、やれやれ系である。やれやれは"なろう"の文化の一つでもある。よしよしこれで押し切れ。
こうして私は一本の短編を書き上げた。
タイトルを「アーサー王の姉ちゃん」という。
自画自賛を恐れず言うがなかなかの出来栄えである。少なくとも原作の絶望的支離滅裂さから、一つの物語へと書き上げた自信がある。だが現実は無常であった。私の苦心の作品はあまり読まれることなく"なろう"の海へと埋没したのである。
評価が低いのはまだ理解できる。しかし、読まれないのはどういう事か。軽めのタイトルがいけないのか。ファンタジー部門への投稿がいけなかったのか。それともそもそもとしてアーサー王伝説への興味が低いのか。カクヨムに至っては閲覧数が2である。2って。私の過去作の中でもぶっちぎりのワーストである。私は足搔いた。投稿部門をファンタジーから歴史へと変えてみたりもした。しかし結果は変わらず低調なままである。
まぁよい。そんなこともあろう。
しかし、改めて私なりにアーサー王伝説と向き合ってみたが、物語というのは案外支離滅裂でも構わないらしい。そうで無ければアーサー王の伝説がこうも長い間、多くの人々から愛されたりはしない。
要するに、小説とは面白ければそれでよいのである。
終わり
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お気が向けば短編の方も読んでやってくださいまし。