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「…そうですか…。」
私はサリネに事情をあらかた説明した。
「…結果的には執政総監は亡くなり、陸軍総監も今のうちに何とかできます。となると陛下が実権をとってもらうのが最善策ですかね。」
サリネの言う通り、今はオールさんが実権を回復する好機だ。そうすれば講和も楽に進むだろうし、現状もいくぶんかマシになることが期待できる。
…後はオールさんが作戦に成功して無事に帰ってくることを祈るばかりだ。
「ルナさんは早くガルドラさんの方へ向かった方がいいと思います。こちらは協会の人員で後は何とかできるので。
…あちらを説得するのにどのくらい時間がかかるかも分かりませんし。」
「…そうだね。」
まあ、それが最善だろう。あまりできることが無くなってしまったし、とりあえずこっちでやるべきことはあらかた達成できたはずだ。
「…今って鉄道ってどのくらい動いている?」
私はサリネに尋ねる。
「…一般の乗車は完全に停止されていますね…。」
するとサリネは申し訳なさそうに答える。
「歩くしかないか…。まあ、とりあえず向かうよ。
ありがとうね。サリネ。」
「こちらこそありがとうございます。」
私は崩れ去った執政府を背に、再び魔獣区域へと向かい始めた。
★ ★ ★ ★ ★
執政特別区を抜けた辺りで私は歩を止める。
「はぁ…、ちょっと疲れたかなぁ。」
私は地面に座り、足を伸ばす。座った瞬間、緊張がグッと抜け、体が一気に重くなる。
正直かなり疲弊していたのだ。急いだ方がいいのはわかっているのだが、体がそれを拒む。
サリネが今も立って次のアクションをしているなら、私もそう休むわけにはいかない。…だけれども…
「随分とお疲れのようだな。」
私が座っていた前に現れたのは、リドルアだった。
「…久しぶり。」
「…久しぶりだな。また会うとは思ってもみなかった。」
すると、リドルアは私に缶コーヒーを差し出す。
「少し落ち着こう。…どうやら気持ちがはやっているようだが、お前の体はそれに追いつけない。
とりあえず飲むといい。」
私は言われた通り、缶コーヒーを1杯口に入れる。少し冷めているが、まだ十分温かくて飲みやすい。
「…。」
「…。」
沈黙が少し続いた。
「…お前はやっぱり単純だったな。」
「あー、そうですか。」
「…前も言っただろう?単純は『馬鹿』を意味するわけじゃない。
一つのことに一直線に、全てを注ぎ込める…、それは馬鹿とはほど遠い。
馬鹿な奴は考えを持たない、目的を持たない。正しいものと正しいものを見極めようとしない。悪人に騙される奴は大勢いるだろうがそいつらが全員揃って馬鹿なんじゃない。相手が策を仕掛けているのではないかと立ち止まった奴もいる。そこで相手が更なる巧妙な手口を使ってきたのなら、それは相手が賢いだけだ。
…お前はそんな人間…テモじゃないだろう?」
「…そんな深い意味がある言い方には聞こえなかったけれど。どーせ茶化しに寄ってきたんでしょ。」
私がそういうと、遠くから銃声が聞こえた。
「今、俺にお前に油を売る余裕があると思うか?」
今度は爆発音が聞こえた。
「…まあ、そうか。用事は?」
「…ああ、そうだな。サクトは知っているよな?」
「先生のこと?」
まあ、「元」教員になったらしいけど。
「ああ。お前も見ただろう?あいつの研究を。」
「毒ガスのこと?」
「あれは魔獣ににのみ効果のある毒ガスだ。…今はサクトがクビになって2週間になるぐらいだが、あいつの仕事は最終段階の確認作業だった。そのデータは抜け目なく送られており、既に軍部では使用可能な兵器として認可されていた。
…それが先ほど使用許可が出されたそうだ。」
「…!」
もちろんこんなもの、ただばら撒くだけで敵が倒れていくという、ほぼ勝ち確定のような代物だ。和解が遠のくのはもちろんのこと、止めなければ魔獣を大量に殺すことになる。
「…時間がない…。」
想像以上に余裕はないようだ。思っていた方向とは別のものだったが、目的から遠ざかっていることに間違いはない。
「だが、急いては事をし損じる。お前が今立ち上がっても、すぐに転ぶだけだ。
そんな有様で生かせるわけにはいかない。ついてこい。」
リドルアは私を案内する。私たちは執政特別区へと戻り、裁判所のそばを通り過ぎた。すると因縁の建物が見えてくる。
「総研…。」
国立総合研究所。思い出すだけでも虫唾が走る、私にとっては悪い意味で思い出の場所。まさかまた訪れるとは思っても見なかった。
「入るぞ。」
何気に正面から入ったのは初めてだ。リドルアは正面の自動ドアから入ると、迷わず3階のある実験室へと向かう。
地上階は白を基調としたデザインで、無駄なくスムーズに移動できる構造になっている。道も覚えやすい。
「ここだ。」
リドルアはカードキーでドアを開け、中に入る。私もそれに続いて入ると、そこの机には薬品が大量に並べられていた。
「こいつを飲んでもらう。」
リドルアは液体が詰められた小瓶の1本を手に取った。中の液体はさらりとした液体だが、色は緑色で、魔流が液内で循環している。
「…これは?」
「ポーションだ。飲むと体全体の疲労を即時に回復し、怪我などの自然治癒を急速に早める。
まだ世の中には出回っていないがな。」
リドルアはそう言う。言葉だけ聞けばまさに夢の商品と言えるだろう。
「…もしかして、飲むと副作用がある代物だったり…?」
「安全性についても臨床試験を済ませている。ただ、製造が非常に困難だから、市場に出回っていないだけだ。期間で言うと…、1週間で1本作れるかどうか、ぐらいだ。
だから特に危険性はない。」
「…。」
私は小瓶の液体をじっと見る。…色があまり見ない色なので少し怖い。
「…飲むよ。」
私は瓶の蓋を開け、ポーションを飲む。…思っていたより飲みやすい。苦味も少ない。そのまま飲み干すと、すぐに体に変化が起こったことが感じられた。
体が軽い。疲労が一気にとれて、体を地面の方に押し付けていた重みがふっと抜ける。体のところどころにあった傷も急速に回復し、何事もなかったかのような状態に戻った。
「…調子はどうだ?」
リドルアが尋ねる。
「すごくいいよ。まるで何事もなかったかのよう。」
「なら大丈夫だな。
加えてポーション3本をお前に託す。大事に使え。」
リドルアはポーション3本を私に渡そうとする。
「でもこれ貴重なんだよね?そんなには貰わなくても大丈夫だよ。」
私はそう言った。しかしリドルアは
「…念の為だ。この戦争が終わればこちらの利益になるから、何も気にしなくていい。」
と言った。
「…終わらなかったら?」
「…代金を頂くぞ。」
…リドルアの目は、期待を寄せる目だった。失敗すると考えている様子は無い。
「…そこまで言われたらしょうがないね。
…終わらせるよ。この戦争を。」
私はリドルアに固く約束をする気持ちでポーションを受け取った。しかし
「…期待している。」
リドルアはただそう答えただけだった。




