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【一般】現代恋愛短編集

双子姉妹の入れ替わり大騒動。姉に陥れられ悪女と呼ばれている妹を助けたら速攻でデレちゃいました

作者: マノイ

 妖精がいる。

 本気でそう思った。


 可愛らしい顔立ちなのはもちろんのこと、小顔で小柄でサラサラヘアー。

 軽く抱き締めるだけで折れてしまいそうなほどに儚く、か細い背中から美しい羽が生えているのを夢想させる。

 どことなく憂いを帯びた表情が妖精のイメージとは少し違うけれど、それもまた庇護欲を掻き立てる。


 その女の子が花壇に水やりをしている姿がまるで花に集まる妖精のようで一目で見惚れてしまった。


「というわけでスゲェ可愛かったんだよ!」


 などと昨日の夕方の出会いについて僕は教室で友人達に熱弁していた。


『マジか、何組の子?』

『そこは告るところだろうが』


 と言った普通の返事を期待していたのに、彼らは渋い顔をして僕の話を聞いている。


槙人まきと、その子は花壇に水をやってたんだよな」

「うん」

「青いヘアピンをつけてなかったか?」

「うん、つけてたよ」

「じゃあその子は止めた方が良い」

「なんで?」


 恋愛関連のちょっとした馬鹿話にでもなればと切り出したのに、思いの外真剣に受け取られて少し困惑気味。

 もしかしてあの子は有名人だったのだろうか。


「槙人が見たのは多分一年の松原まつばら流華るかだ。あいつは悪い噂が多いんだよ」

「うっそでしょ。あんな虫も殺せ無さそうな子が?」


 まさかの悪い意味での有名人だった。

 人は見かけによらないとは言うけれど、あの子が悪人だって?

 無い無い、絶対に無い。


 僕はその人が良い人か悪い人か見分ける特技がある。

 その結果は絶対ではないけれど、彼女に関しては間違いなく悪い人ではないと断言出来る。


「どうせ根も葉もない噂でしょ」

「それが違うんだな。少なくともその噂のいくつかは事実だぜ」

「どういうこと?」


 聞いてみたらとんでも無い話が出てくること出てくること。


 いわく、高い物を大量にねだられた直後にこっぴどく振られた。

 いわく、裏路地に連れていかれて知り合いらしき不良にボコボコにされた。

 いわく、カルト宗教に勧誘された。

 いわく、ホテルに入りシャワーを浴びている隙に金を盗られて逃げられた。

 いわく、何もしてないのに叫んで襲われたと嘘をつかれた。


 あの可憐で清楚な妖精さんがするとは思えない悪行の数々。

 しかも被害者の一人がうちのクラスにいるというのだ。


「マジであの女は止めとけ。性格が悪く成績も赤点だらけで男を陥れるのが趣味の地雷女だ。絶対に関わるな」


 僕らの話を聞いていた被害者クンが涙ながらに忠告してくれた。

 余程酷い目にあったのだろう。


「惚れるなら姉の方にしておけ」

「姉?」

「そう、松原まつばら流里るりさん。彼女こそ本物の妖精さ。見た目はもちろんだが性格も抜群に良い。大人しくて清楚で頭脳明晰で優しくて、クソ妹とは真逆の存在だぜ」


 ふ~ん、お姉さんも可愛いんだ。

 でもそう言われてもあまり興味が湧かないかな。


「でも妹さんの見た目には敵わないでしょ」


 いくら姉妹とはいえ、あの可愛らしさと同等以上とは思えないからだ。


「それがそうでも無いんだ。クソ妹が気に入ったなら、お姉さんの方も間違いなく気に入るはずだぜ」

「なんで?」


「彼女達は双子でそっくりだからな」


――――――――


「あの子が男を弄ぶ悪女ねぇ」


 花壇に水を与える妖精さんを遠くから見つめながら、友人達に忠告された内容を思い出す。

 何度見てもそんな悪い事をするような子には到底見えない。

 僕の人を見る目が通じない相手なのだろうか。


「こうして見る分には問題無いよね」


 関わってはダメだとしても、見てはいけない理由は無い。

 あの美しさは見ているだけで目の保養になるのだ。

 だから妖精さんを見るために、放課後になると彼女が水やりをする時間を狙ってわざと花壇の近くを通って帰った。


「あら、あなた」


 今日もまた彼女をチラ見しながらゆっくりと歩いていたら、目の前から声をかけられた。

 ヤバイ、見ているのがバレたかも。


 ってこの人は!?


「流華のことが気になるのかしら」


 チラ見していた人物と瓜二つ。

 背丈も体つきも髪の長さも顔立ちも、見た目は完璧に同じに見える。

 唯一違うのがヘアピンの色が赤ということか。


 本物の妖精と噂される姉の流里さんなのかな。

 確かにそっくりだ。

 いくら双子とはいえ、ここまで同じだなんて異常だと思えるくらいに。


 でもこの人って……


「くすくす、よければ話をしてあげて」

「え?」


 流里さんは僕の返事を待たずに強引に手を引っ張って流華さんの元へと連れて行こうとする。


「流華」

「!?」


 流華さんは僕らの姿を見ると目を見開いて驚き、何故か憂いが更に深くなったように見えた。

 悲しんでいるような、諦めているような、まるで何かに絶望しているかのようなそんな表情。

 一体何があれば年頃の女の子がこんな表情になると言うのだ。


「こちらの先輩が流華に興味があるそうですよ。お話してあげたらどうかしら」

「…………はい」


 そこは妹に悪い虫がつかないように僕を追い返すのが普通じゃないの!?

 それにそんなこと言われても何を話せば良いのか分からないよ。

 自慢じゃないけれど、僕はこれまで女の子と仲良く会話したことなんか皆無だからね。


「…………」

「…………」


 ほらぁ、無言になっちゃったじゃん。

 流里さんはそんな僕らを見てニコニコするだけで助け舟を出してくれないし。


 ええい、こうなったらヤケクソだ。

 とりあえず会話のきっかけになりそうなことを聞こう。


「えと、お花好きなんですか?」

「…………はい」

「…………」

「…………」


 しゅーりょー。

 こんなことなら女の子と話をする練習でもしておけばよかった。


「水やりしているのは園芸部だからですか?」

「…………はい」

「この花ってコスモスですよね」

「…………はい」

「綺麗に咲いてますね」

「…………はい」


 これは酷い。

 会話が一方通行でまったく弾まない。


 僕の会話レベルが低すぎるのは当然として、流華さんにとって僕は得体のしれない上級生だからこうなるのも当然か。

 ひとまずこの場はお茶を濁して逃げ出して、再度策を練って挑みたい。


 もう二度と会わないという選択肢はない。

 彼女が本当にみんなが言うような悪い人なのか、そして憂いの理由が何なのかが気になるからだ。


「ねぇ流華。次のお休みにこちらの先輩と遊びに行ったらどうかしら」

「お姉さん!?」

「…………はい」

「いいの!?」


 誰がどう見ても相性が悪そうな会話だったのに、流里さんは何故か僕と流華さんのデートをセッティングする。

 しかも流華さん断らないし。


 何かが変だ。

 まるで流華さんは流里さんの言葉を断れない・・・・ような。


 表情を変えずに淡々と返事をする流華さんと、ニコニコ笑顔を崩さない流里さん。

 こうして僕は見た目そっくりの双子姉妹と関わることになったのだった。


――――――――


 デート当日。


 僕は最大限のおめかしをして駅前の時計塔広場で流華さんがやってくるのを待っていた。

 連絡先は交換済みで、彼女からもう家を出たと連絡が来たのでもうすぐ会えるだろう。


 何を話せば良いのだろうか、楽しんでもらえるだろうか、そもそもなんでいきなりデートするという話になってしまったのだろうか。


 色々と考え込んでいた僕の背に声がかけられた。


「お待たせしました」


 白地で花柄のワンピースに小さなストローハットに青い・・ヘアピン。

 大人っぽさと子供っぽさが混在する年相応の出で立ちがその人・・・に良く似合っている。

 薄く化粧を施していることで持ち前の可愛らしさに加えて美しさも強調され、どこぞのお嬢様かといった雰囲気だ。


「良く似合ってますね」

「ありがとうございます。槙人先輩も格好良いですよ」

「ありがとう」


 可愛らしい姿を見られたことは嬉しいし、格好良いと褒められたこともまた嬉しい。

 でも僕は全く別のことが気になってそれどころではなかった。


「さぁ槙人先輩、行きましょう」

「…………」

「槙人先輩?」

「…………」

「どうしました?」


 どうしたもこうしたもないよ。

 だって全く意味が分からないもん。




「なんで流里さんが来たんですか?」

「え?」




 僕は流華さんとデートをする予定だったはずだ。

 それなのに何故か来たのは流里さんだった。

 だから僕は困惑していた。


「くすくす、お姉ちゃんと似ているから勘違いしたのかな。私は流華ですよ」

「違うよ、君は流里さんだよ」

「…………」


 花壇で会った時とは違い流暢に話をするからとか、憂いが感じられないからとか、そんな理由ではない。

 彼女は間違いなくあの日会った流里さんだと僕には分かる。


「槙人先輩酷いです。そんなこと言うなんて……」


 彼女の顔が曇り、今にも泣き出しそうになるが騙されはしない。

 それが演技だと僕には簡単に見破れる。


「あなたが何を言おうが、僕にはあなたが流里さんであるとはっきりと分かります」

「酷い、酷いわ!」


 とうとう泣き出した。

 両手を顔で覆って真似しているだけだろうけれど。


 『こんな可愛らしい子を泣かせるなんて』みたいな視線を周囲の人達から浴びているけれど、今はそんなことはどうでも良い。


 だってそれどころじゃないでしょ。

 

 流華さんは男を弄ぶ悪女だと噂されていた。

 でも今日のデートには流華さんのフリをした流里さんがやってきた。


 もしこれまでも同じパターンだったのなら、全てがひっくり返ってしまうのだから。


「泣いたってダメですよ。なんなら一緒に警察に行きましょうか」

「え?」


 流石に警察という言葉は効いたようだ。

 顔から手を離したのに全く濡れていないのを指摘してやりたいよ。


「入れ替わろうとして僕を騙したなら『詐欺』ですよね」

「そんなこと言っても相手にしてもらえないわ。迷惑をかけるだけよ」

「確かに普通なら単なるいたずらとして処理されるでしょう」


 でも恐らくそうはならない。


「でも僕は流華さんの悪い噂を沢山聞いてます。中には犯罪紛いのものも多くありました。それが本当は流里さんがやったことだとしたら警察は無視するでしょうか」

「…………」


 流里さんは反論も泣き真似をすることもなく俯いてしまった。

 本当にこの人が流華さんだったのならばずっと抵抗し続けるはずだ。

 この沈黙こそが彼女が流里さんであり、入れ替わっていたという証拠になる。


 でもこの入れ替わりがいつもそうだったのか、今回だけだったのかは僕には分からない。

 彼女はそこをついてきた。


「槙人先輩を騙してしまいごめんなさい」

「やっぱりあなたは流里さんだったんだね」

「はい。でも信じて下さい。決してあなたに悪い事をしようとしたわけじゃないんです!」

「どういうこと?」


 彼女は入れ替わりについて僕に釈明をはじめた。


「槙人先輩が仰る通りに妹の悪い噂が流れています。そして残念ながらその中には本当のことがあります」

「…………」

「私は妹に改心して欲しかった。だって大切な妹ですもの。ですが私達家族がどれだけ言っても妹は聞いてくれませんでした」

「…………」

「先日槙人先輩を見かけた時にとても優しそうな人だなと感じました。もしこのような方が妹の傍に居てくだされば、いずれ普通の女の子に戻るのではと期待して強引に会わせてしまったのです」

「…………」

「でも妹はやっぱり男性を陥れることを止めようとはしませんでした。今日だって槙人先輩にどのような酷い事をしてやろうかってわらってたんです」

「…………」

「だから槙人先輩を傷つけないように私が来て、巻き込んでしまったせめてもの罪滅ぼしで妹のフリをしてデートを楽しんで頂こうと思ったのです」

「…………」

「槙人先輩を騙し、本当に申し訳ありませんでした」


 長々と感情をこめて流里さんは想いを僕に伝えてくれた。

 迷惑をかけそうになってしまった僕への罪悪感で入れ替わったのだと。


 なるほど、良く出来た話だ。

 確かにこの内容ならば、清楚で可憐で優しい姉と悪女な妹という構図は変わらない。


 それが本当であるならば、だ。


「そうだったんだ。正直に話してくれてありがとう」


 今の僕にはまだこの話の真偽を証明させる手段は無いから、ひとまず話に乗っておくことにした。

 今日はこれだけで十分だ。

 最も重要なことを聞き出すことが出来たのだから。


「それじゃあ今日は解散にしようか」

「はい。重ね重ねご迷惑をおかけしました」


 きっと流里さんはピンチを乗り越えて安堵しているだろう。

 それともしてやったりと心の中でほくそ笑んでいるだろうか。


 残念ながら僕には流里さんの釈明が全くの嘘であると分かっている。


 僕にはその人が良い人なのか悪い人なのかがはっきりと分かるから。


 流里さんは間違いなく悪人だ。

 それも吐き気を催す程に醜悪なクズの雰囲気がプンプン漂っている。


 そして流華さんからはそれを全く感じられない。


 だから僕は絶対に二人を見間違えることは無く、流里さんの釈明を信じていないのだ。


――――――――


 流華さんの噂。

 流里さんの悪意。

 流華さんの憂い。


 僕はこれらから流華さんが流里さんにより酷い目に合わされているのではと判断した。

 見た目がそっくりなことを利用して入れ替わり、妹のフリをして悪女として振舞う。

 流華さんは何らかの理由で流里さんに逆らえず、悲しみの学校生活を送らざるを得ない。


 こんなのはあんまりだ。

 流華さんを助けたい。


 でも今はまだ流里さんの入れ替わりを証明することが出来ない。

 だからまずは情報をもっと仕入れることにした。


「ねぇ流華さんの噂についてもっと教えて?」

「なんだよ槙人、まだ諦めてなかったのか。やめとけって」

「良いから教えてよ」

「まぁ良いけどさ」


 自分より醜い女子達を見下している。

 男は金蔓とストレス発散の対象としか見ていない。

 先生に体を売って単位を得ようとしている。

 稼いだ金でイケメンに抱かれている。

 機嫌を損ねると強引にクスリを打たれる。


 出てくるのは耳を塞ぎたくなるような醜聞ばかり。

 このような噂を耳にしながら学校に通うなんてどれほどの苦痛なのだろうか。


 くそ、早く助けてあげないと。


 しかし不思議なのはデート以外の醜聞も多いというところだ。

 しかも『言われた』『見た』などの具体的なものもある。


 まるで流華さんの悪行が本当に目撃されているかのようだ。


「そんなに気になるなら一年の教室に見に行ったらどうだ」

「え?」

「実は槙人と同じで噂を信じない奴も何人かいてな。そいつら本人に確認して来るってヤツの教室に行って本性に気付いたんだ」

「なるほど、そうしてみるよ」


 早速僕はその日の昼休みに流華さんの教室へと向かった。

 すると辿り着く前だというのに廊下まで聞こえる程の言い争いが聞こえて来た。


「松原、金返せ!」

「なんのことか分からない」

「てめぇしらばっくれる気か!」

「だから知らないって言ってるでしょ。うるさい」

「こっの……!」


 どうやら男子生徒と流華さんと思しき人物が口論しているようだ。


「大体あんたいっつもやらしい目つきで見て来て気持ち悪いのよ。さっさと死ねば?」

「それはてめぇが誘ってくるから!」

「うわ、きも~い。誰があんたなんか。自意識過剰なのよ。鏡見たら?」

「こいつ……!」

「何よ顔真っ赤にしちゃって。どうせ手なんか出せないヘタレな癖に」

「ぜってぇ……後悔させてやる……!」

「出来るものならやってみれば。どうせ無理だろうけどね。私、いつも人通りの少ないところを一人で帰ってるからやろうと思えば何でも出来るわよ」

「…………!」


 うわ、あぶな。

 教室から飛び出してきた男子にぶつかるところだった。


 しかし今の挑発は流石にヤバいんじゃないか。

 さっきの男子かなりブチ切れてたから本当にやるかもしれないぞ。


 それにしてもさっきのは本当に流華さんの発言だったのだろうか。

 違和感しかない。


 僕は教室の中を覗き、流華さんの姿を探した。


「マジかよ」


 思わず驚きが口に出てしまったじゃないか。

 流華さんの教室に居たのは流里さんだった。


 まさか学校でも入れ替わっていたのか!?


 クラスメイト達は彼女が流華さんだと思い込んでいるようで不快な視線を投げつけている。

 全く入れ替わりに気付いていないようだ。

 青いヘアピンで誤魔化しているのか。


 そうか、そういうことだったんだ。

 学校でも入れ替わって悪女として振舞うことで、流華さんの評判を落としていたんだ。

 だから具体的な悪い噂が広まっていたのか。


 何故こんな酷いことが出来るんだ。


「!?」


 あ、流里さんが僕のことに気が付いた。

 慌ててこっちにやってくる。


「槙人先輩、どうしたんですか。私に会いに来たんですか?」

「君って流華さんじゃな……」

「みんなが見てるから恥ずかしいです。二人っきりでお話ししましょう」


 致命的なことを周囲の生徒に聞かれたくなかったのだろう。

 彼女は話を遮り、強引に僕の腕を引き、使われていない空き教室まで移動させられた。


「まさか学校でも入れ替わっていたなんてね」

「そうよ、悪い?」


 入れ替わりがバレて諦めたのか、本性を隠すのもやめたようだ。


「悪いに決まってるだろう。あんな風に流華さんを貶める真似をするなんて」

「私は何も悪くないわよ。悪いのは流華ってことになる・・・・・んだから」

「なんだって!?」


 今の流里さんはもう清楚でも妖精でも無い。

 醜悪な笑みを浮かべる彼女は紛れもない悪女であり悪魔のようだ。


「自分が何をやっているのか分かっているのか? さっきの話だって……流華さんが襲われるかもしれないんだぞ!」

「そうね」

「そうねって……」

「レイプされちゃえば良いんじゃない?」

「なっ……!」


 何を言ってるんだこの人は。

 そんな恐ろしい事を、どうしてそんなに楽し気に言えるんだよ!


「むしろ早くヤれっての。あれだけ何度も襲いなさいって言ってるのに、誰も手を出さないんだから。ホント、この学校の男子はヘタレばかり」


 これまで流里さんから漠然と感じていた悪の感情。

 それを隠さなくなったことで、今の僕には彼女から暗い闇が噴出しているように見える。


 これまで僕は多くの『悪い人』を見たことがある。

 でもここまで酷い人間を見たのは初めてだ。


「そこまでして流華さんを貶めたいのか」

「ええ、そうよ」

「何故……いや、なんでもない」


 きっと他人には言えない姉妹の問題があるのだろう。

 それはもしかしたら流華さんにとって知られたくないことかもしれない。

 だから僕は聞きかけたけれど踏みとどまった。


「ふ~ん、あなたは本当に優しい人なのね。反吐が出るわ」

「…………」


 だが彼女は僕の配慮をコケにして苛立ちながらその理由を答えた。

 

「別に大した理由は無いわ。なんとなくムカつくから、それだけよ」

「え?」

「あははは、なぁに。壮大な理由があるとでも思ったの。好きな人を奪われたとか、大切な人を傷つけられたとか、親を殺しちゃったとか。バッカみたい。漫画の読み過ぎよ。このキモオタが」

「…………」


 ああ、そうか。

 こいつは理由無く他者を害することが出来る人間。

 これまで見て来たクズ共と同類だったんだ。


 流華さんと同じ可愛らしい見た目に騙され、本質を見落としていた。

 悪人であると分かっていても、ここまででは無いだろうと思い込んでしまっていた。

 こんなにも分かりやすいクズオーラを放っていたというのに。


「僕は流華さんを守る」


 流華さんはこいつに壊される。

 もしかしたら、既に全壊に近い状況かもしれない。

 一刻も早く救出しなければ取り返しのつかないことになってしまう。


「いいわよ」


 しかし流里さんは僕の敵対宣言を軽く受け流した。


「出来るものならね」


 怖い。

 狂った人間に敵意を向けられるということはこんなにも恐ろしい物だったのか。

 今までは他所から見ているだけだったから分からなかった。

 流華さんはずっとこんなおぞましい悪意に晒され続けていたのか。


「どうせ誰も信じないもの」


 確かにこの学校での彼女達の扱いは天と地の差だ。

 そうなるように流里さんが仕組み、もうその形は完成してしまっている。


 流里さんが本当は悪女で流華さんが清楚だと言っても誰も信じないだろう。

 むしろ流華さんが僕にそう言わせて流里さんの評判を落そうと画策しているなんて思われてもおかしくない。


「両親でさえも、ね」

「なん……だって……」


 親でさえも二人の見分けがつかないなんてそんな馬鹿な。

 いや、しかし流里さんの自信は本物だ。

 間違いなく家でも入れ替わり流華さんを悪者に仕立てている。


「でも覚悟しなさい。あなたが敵対する気なら流華にもっと酷い事をするわ」

「ぐっ……」

「まったく、どうして入れ替わりがバレたのかしら。それを教えてくれたら流華への嫌がらせを少しは抑えてあげても良いわよ」

「脅す気か」

「脅しなんて人聞きが悪い。ただ、あなたが喜ぶであろうことを提案してあげてるだけよ。ほら、私って優しくて清楚だから」


 悪いがそんな脅しに屈する気はない。

 何を言ってもどうせ流華さんへ酷いことをするのをやめる気はないのだろうから。


「残念ながら僕にしか分からない感覚的なものだから教えようが無いよ」

「あらそう、残念ね。それじゃあせいぜい頑張りなさい槙人セ・ン・パ・イ」


 最後に僕を軽く煽り、流里さんは空き教室を出て行った。

 その姿は堂々としており、僕に何も出来やしないと思っているのが丸分かりだ。


 どうやら彼女は大きな勘違いしている。


「流里さん。君はもう詰んでいるんだよ」


 僕はスマホを取り出して、父さんに電話をかけた。


――――――――


 放課後になると、僕はすぐに流華さんに会いに一年生の教室に走った。

 だが流里さんの教室にも流華さんの教室にも居ない。


「流華さん、何処だ、何処にいるんだ」


 入れ替わったまま帰宅したら口論していた男子生徒に襲われるのは流里さんだ。

 だから学校を出る前に元に戻り、流華さんが襲われるようにするはず。


 幸いにも二人の鞄はまだ教室にあったから帰ってはいないだろう。

 帰る前になんとしても流華さんを見つけて引き留めないと。 


「流華さん、流華さん、流華さん!」


 学校中を走り回ったけれど、何処にも見当たらない。

 花壇にもおらず、水を与えられていないコスモスが元気無さそうに見える。


「ごめんね、もう少しだけ我慢して」


 僕の作戦が成功すれば、帰りに水やりする余裕くらいはあるはずだ。


「やっぱり女子トイレとかかな」


 人目を気にせずに入れ替わるならこれ以上適した場所は無いだろう。

 だがもちろん僕が中を探すわけには行かない。


 出てくるのを外で待つ方法もあるが、そもそもどこのトイレを使っているのか分からない。

 結局僕に出来るのは校内を走り回り探すことだけだ。


「くそ、何処にもいない」


 入れ替わりを戻すだけならもう終わっているはず。

 それなのになんで何処にもいないんだ。


 良く考えろ。


 流里さんの狙いは流華さんを男子に襲わせること。

 だとすると少しでも成功率が高くなるようにと考えるはずだ。


 人通りの少ないところを一人で帰らせるのがその手段の一つ。

 そして更に成功率を高めるにはどうすべきか。


「人が少ない時間帯に帰らせるとか?」


 例えば夕暮れ時とか。


 だとすると流華さんはどこかで時間を潰すように命じられているはず。

 花壇の水やりが真っ先に思いつくけれど、そこは何度も確認したけれど居なかった。

 そこ以外で校内で時間潰しが出来る場所と言えば。


「図書室か?」


 図書室も確認はした。

 でもその時は読書スペースしか確認していなかった。


 念のため隅々まで探そう。


「いた」


 奥の方の誰も人が来ない不人気コーナーで、流華さんは本を立ち読みしていた。

 もしかしたら目立つなと言われていたのかもしれない。


 ヘアピンの色は青。

 どうやら元に戻っているようだ。


「流……」


 僕は流華さんに近づき、小声で話しかけようとして止めた。

 あの悪女ならば、盗聴していてもおかしくないと思ったからだ。


 特に今日は流華さんが襲われる日。

 その様子を聞きたいと考えてもおかしくはない。


 だから僕は彼女の肩を優しくトントンと叩いた。


「!?」


 彼女は驚き僕を見上げた。

 お互い声を出さないようにと、僕は口に人さ指を当てた。

 そしてポケットからメモ帳を取り出して筆談することにした。


『君は入れ替わってない本物の流華さんだね』

「!?」


 その反応はこれまでの驚きとは全く違った。

 目を見開き、口を半開きにし、全身が小刻みにプルプルと震え、動揺している様子が目に見て取れた。


『僕は流里さんの行いを知っている』


 彼女は胸を抑え、呼吸もままならないといった様子になる。


 入れ替わりがバレたら今度は何をされるか分からない。

 そう感じているのかな。


 早く安心させてあげたい。

 だから一番大切なことを先に伝えることにした。




『僕は君を助けたい』




 ふっと彼女の震えが止まった。

 驚いている様子に変わりは無いけれど、徐々に呼吸の乱れは治まり、胸を抑えていた手を外し、ゆっくりと僕の方を再度見上げた。


 小さくプルンとした唇が微かに動く。


 ど

 う

 し

 て


 どう答えるのが正解だろうか。


 困っている人を助けるのは当然のこと。

 君に同情したんだ。

 流里さんが悪い事をしているのを放置出来ない。


 どれもしっくりこない。

 ここは素直な気持ちを伝えるべきだと僕の中の童貞君が必死に訴えかける。


 童貞君の言う事だから信用出来ないけれど……ええい、ここは勝負だ。




『君に一目惚れしたから』




 ヤバイ、顔が真っ赤だ。

 こんな時に動揺したらダメだろ。

 ここで男らしく堂々としてられない自分が情けない。


 でもしょうがないじゃないか。

 女の子に縁のない人生を送っていた僕が告白まがいの事をしてるんだから。


 などと情けなく狼狽えてしまったことで僕の言葉に真実味を感じられたのだろう。

 流華さんは僕の手からメモ帳を受け取って返事をくれた。


『ありがとう。でもごめんなさい』


 はい、失恋きました。


 いいもーん。

 分かってたもーん。

 シクシク。


 今は好きな女の子を守ることの方が重要だから気にしないもん。

 うわああああん。


『あなたに迷惑をかけるから』


 ひっぐ、ひっぐ、あれ、これってもしかしてワンチャンある?

 僕のことを気にかけてくれただけなのか。


『君からの迷惑ならむしろかけてほしい』

「!?」


 くっさー!

 僕ったら何言っちゃってるの、書いちゃってるの。


 ほら、流華さんだってドン引き……してない?

 むしろ頬を赤らめて動揺してる?


 え、マジで脈あり?


 じゃなくて、今はそんなラブコメやってる余裕ないでしょ!


『僕を信じて欲しい』


 そう伝えてから流華さんにイヤホンを差し出した。

 彼女は不思議に思いながらもそれを耳に装着し、僕はスマホである音声を再生する。


『槙人先輩を騙してしまいごめんなさい』

『やっぱりあなたは流里さんだったんだね』

『はい。でも信じて下さい。決してあなたに悪い事をしようとしたわけじゃないんです!』


 デートの日の僕と流里さんの会話。

 それを録音していたんだ。


 それだけではない。


『まさか学校でも入れ替わっていたなんてね』

『そうよ、悪い?』


 今日の昼休みの会話も全て録音してあった。

 これこそが流里さんを追い詰めるための貴重な一手。

 これを流華さんに聞いてもらうことで、僕が本当に流里さんの悪事に気付いている事と、入れ替わりを見破れることを伝えたのだ。


 全てを聞き終えた流華さんは、信じられないといった顔で僕をまじまじと見つめている。

 照れるから少しお手柔らかに、などと目を逸らしたいけれどここは退くところではない。


『僕を信じて欲しい』


 もう一度、先程と同じ文章を書いて流華さんに見てもらった。

 流華さんは悩み始める。

 きっとその悩みの中には僕への気遣いが入っているのだろう。


 こんなにも苦しい状況なのに僕の事を考えてくれる。

 本当に流華さんは優しい人だ。

 ますます好きになったよ。


 流華さんに好きになって貰えるように僕も頑張らなくっちゃ。


 この時、強い決意を抱いていたのは僕だけでは無かった。

 流華さんは僕をまっすぐ見つめ、メモ帳を差し出した。


『助けて』


 任せて!


――――――――


「そう言われても俺にはどうしようも出来ないぞ」


 流華さんを助けるために僕がとった手段はシンプルなものだ。


 先生に相談する。


 僕のクラスの担任は生徒指導の先生で、生徒のために親身になって接してくれる人気の先生だ。

 流華さんを探す前に先生に重要な相談があると伝え、生徒指導室で待ってもらっていた。

 そして今、流華さんと一緒に先生に全てを打ち明けた。


 ちなみに流華さんは予想通りに小型の通信機を持たされていたのでそれは没収してある。

 今ごろ流里さんは不審に思っているだろう。

 もう後には退けない。


「いたずらにしては度が過ぎているが、学校として動くのはちょっとなぁ」


 だが先生は僕らの相談に乗り気では無さそうだ。

 録音した音声を全て聞かせたけれど、あまりにも荒唐無稽な話ですぐには信じられないのだろう。


 先生の芳しくない反応に流華さんが不安げに僕の制服の裾をきゅっと握った。


「(大丈夫だよ)」


 その手に優しく触れて安心させてあげる。


 先生の反応は想定内。


 流華さんを助けるための本当の武器は、この音声では無いのだから。


「いいえ先生、これは学校として動かなければまずい話だと思います」

「なんでだ?」


 その理由は、流里さんがあまりにもやりすぎたこと。




「もし授業中も入れ替わっていたとしたらどうでしょうか」




 入れ替わると言われたら普通は休み時間や休日におふざけでやるとしか考えないだろう。

 授業はまともに受けるはず。

 それが一般的な感性なのだから当然だ。


「なんだと!」


 案の定、先生も食いついて来た。

 流石に見過ごせないということだろうけれど、僕は続けて爆弾を投下する。


「そしてテストも入れ替えて受けていたとしたらどうでしょうか」

「なにぃ!?」


 授業程度ならば厳重注意で済むかもしれないが、テストとなると話は別だろう。

 間違いなく停学レベルの行為だ。

 学校として本気で調査しなければならないだろう。


 先生の目の色が変わっているのがその証拠だ。


「し、しかしそんな馬鹿なことが。いくらなんでも……」


 とはいえ簡単には認めてはくれないか。

 もちろんこれも想定通りだ。


「簡単に証明できますよ」

「何?」

「二人にテストを受けさせれば良いんです。試しに流華さんに何か問題を出してください」

「ちょ、ちょっと待て」


 世間的には流里さんが優秀で流華さんは落ちこぼれという話になっている。

 毎回赤点の流華さんが問題を軽々と解く姿を見れば入れ替えがあったと納得できるはずだ。


 先生は数学の先生を呼び、流華さんにいくつかの問題を出した。

 流華さんはそれをスラスラと解いて行く。

 問題を解き進めるにつれて先生方の顔が青ざめていくのがちょっと面白かった。


「こんな馬鹿なことが……」

「まだ信じられないのなら流里さんにもテストを受けさせてみてください。間違いなく酷い結果になりますから」

「うむむ」


 頭が良い人が悪い成績を装うことは可能だけれど、その逆は出来ない。

 勉強をせずに流華さんに全てを押し付けたことが原因で破滅するんだ。


 さて、あとはダメ押しなんだけど、これは気が進まない。

 僕はチラりと流華さんの方を見た。


「(こくり)」


 ごめんね流華さん。

 君を助けたいなんて言っておきながら、こんな結末しか用意出来なくて。


 でも君が覚悟を決めたのなら、ううん、覚悟せざるを得ない程の地獄を味わっていると言うのなら、僕も腹を括ろう。


『流華さん。先に一つ聞かなければならないことがあるんだ』

『何でしょうか?』

『もしかしたら流華さんも退学になるかもしれないんだけど……』

『そのくらい平気です。遠慮なくやってください』


 ここに来る前に流華さんに確認済みだったのに、ここぞというところで日和ってしまった。

 だから僕はダメなんだよ。


 徹底的に流里さんを潰して、二度と流華さんに手を出させないようにするのが最も大事なんだ。


「先生、実はもう一つ言うべきことがあるんです」

「まだあるのか!」


 もうやめてくれって感じだけど、やめませ~ん。

 先生頼りにしてるんだから頑張ってよね。


「流華さん、もし違ってたらそう言ってね」

「うん」


 テスト入れ替わりまでは二人の行動から察することが出来たけれど、今から口にすることは確証がなく妄想と切り捨てられてもおかしくないことだ。


「僕はこの入れ替わりが中学でも行われていたと思っています」

「うん、そう」


 やっぱりそうだったのか。

 もしかしたら小学校の頃からそうだった可能性もあるな。


 でも今重要なのはいつから入れ替わりが行われていたかではない。

 中学の頃には入れ替わりがあったことが重要なのだ。


「ということは、中学の成績や内申点も入れ替わっている可能性があります」


 可能性と言ったけれどほぼ確定だろうね。


「だとすると受験はどうしたのでしょうか」

「おい!それはマジで洒落にならねーぞ!」

「そうです。本当に大問題なんです。受験ですら入れ替わっていただなんて」


 いわゆる替え玉受験だ。

 ニュースとして報道されるレベルの問題である。


「でもこれは確信が無くて……流華さん、受験も入れ替わってたの?」

「うん、変わってた」

「ぬおお……」


 あの流里さんならやりかねないとは思っていた。

 でもそうだとすると二つほど腑に落ちない点があるんだ。


「どうして流華さんは受かったんだろう」


 勉強が出来ない流里さんが流華さんとして受験した。

 となると流華さんは不合格になってもおかしくない。


 その疑問の答えは、これまた酷いものだった。


「お姉ちゃんカンニングしてたから」

「マジかー」

「うううう」


 先生頭抱えちゃったよ。

 リアルでやる人初めて見たかも。


「『堂々と見たのに全然バレないんだもん。せっかく流華にカンニングの罪を着せてやろうと思ったのに』って言ってました」

「清々しい程のクズだね」

「うん、そう」


 元々落ちるつもりだったのか。

 それなら色々と納得だけど、念のためもう一つの疑問についても聞いておくか。


「でもさ、カンニングがバレなくても普通に不合格になる可能性もあったんだろ。そうしたらどうするつもりだったんだろう」

「そこは迷ってたみたいです。滑り止めの受験も入れ替わって受けてわざと落ちて私を高校に行かせないようにするつもりか、合格させて入れ替わって二つの高校を行き来して楽しむか。どっちにしろ普段のテストだけは私に受けさせるつもりだったみたいですけど」


 あまりにも現実離れし過ぎて怒りすら覚えないわ。

 何があればこんな外道な行いが出来るんだ。


「はぁ……僕からは以上です」

「以上ですってお前、とんでもないことを言いやがって」

「でも先生ならなんとかしてくれるでしょ」

「そう思ってくれるのは嬉しいが、全部真実だったら退学は免れないぞ」

「「分かってます」」


 大事なのは流里さんがどれだけ悪いことをやったのかを明らかにすることだ。

 流華さんの両親が『何かの間違いに違いない』などと甘いことを言えなくなる程に。

 退学後もこれまでと同じ生活を続けようとするものなら、間違いなく流里さんは流華さんをより強引な手段で潰そうとするだろう。


 二人は引き離さなければならない。

 そう思わせるために、退学になってでも流里さんの悪行を全て明らかにする必要がある。


「これからどうするか先生達で話し合うよ。お前達は今日の所は帰りなさい」

「その前にもう一つお願いがあります」

「おいおい、勘弁してくれよ」

「ごめんなさい、でもこれはとても大事な事なんです」


 この『事件』を『事件』として学校側に存在を認めてもらうために。


「僕は先生の事を信頼してますが、学校となると別です」

「なにぃ?」

「先生がどれだけ僕達の事を想って下さっても、学校の方針には逆らえないと思うんです。実際、その手のニュースは嫌という程見てきましたから」

「…………」


 全校集会などで姿を見た校長先生や教頭先生は、悪人とまでは言えないけれど決して良い人でもないというのが僕のサーチの結果だ。

 上から都合の悪い事を隠すように指示されたら従ってしまう可能性がある。


 学校を信用していない発言に、流石の生徒想いの先生も良い顔をしなかった。

 でも例え先生に嫌われてでもやると決めたんだ。


「だからこれをどうぞ」

「スマホ?」


 僕はスマホで父さんに電話をかけてから先生に手渡した。


「僕の父さんに繋がってます」

「お前の父親って確か……」




「はい、弁護士です」


――――――――


 先生に相談した後、父さんと母さんが学校まで来てくれた。

 父さんは学校に残り先生達と大人のお話し中。

 僕は母さんと一緒に家に帰って来た。


 そしてもう一人。


「お邪魔……します」

「どうぞどうぞ」


 流華さんも僕の家にやってきた。

 もちろん流華さんのご両親に許可を取ってある。


 もしも今日流華さんが自宅に帰ったならば流里さんに何をされるか分からない。

 流里さんは通信機が不通になっていることに不審を抱いているはずだ。

 何があったのかを流華さんに問い詰め何が起きているのか気付いたら逆上して流華さんに攻撃するのは目に見えている。


 だから絶対に家に帰すわけには行かなかった。

 ううん、もう二度と二人を会わせるつもりは無い。


 なんて真面目なことを考えていなければ耐えられなかった。


 だって好きな女の子がうちに泊まるんだよ。

 あの可憐な妖精さんと同じ屋根の下。

 健全な男子高校生なら興奮するでしょ!


「槙人先輩?」

「え、あ、うん。よろしくね」

「はい、よろしくお願いします?」


 何がよろしくだよ馬鹿野郎。


 自然体で接するんだ。

 さっきまで出来てたじゃないか。


「ハイハイ、ヘタレな槙人は放って置いて流華ちゃんはこっちね」

「母さん!」

「槙人先輩は格好良いです」

「!?」


 ちょっ、それは反則だって!


 ヤバイ、嬉しすぎてにやけちゃう。

 気持ち悪いって思われちゃう。

 ポーカーフェイスになるんだ!


「あらまぁ、愛されてるわねぇ」

「はい、愛してます」

「ちょっと流華さん!?」


 突然のデレに耐えられないんですけど。

 そんなそぶり一度も見せてなかったのに。

 そもそも、まともに話をしたこと無いんだよ。


「うふふ、この様子なら孫が出来るのも早いかもしれないわね」

「がんばる」


 そうかこれは夢だ。

 夢に違いない。


 だって女の子が僕にデレデレなんてあまりにも都合が良すぎるもん。

 なんて良い夢だ。

 ずっと見ていたいな、あはは。


「槙人の隣の部屋が空いているからそっちを使ってね」


 僕の隣の部屋で流華さんが寝るだと!?

 いかんいかん、何を考えているんだ。

 流華さんは大変な思いをしてるっていうのに、気を引き締めないと。


「こんな立派な部屋をお借りしてよろしいのでしょうか」

「気にしないで。本人の許可はとってあるから」

「本人?」


 そこは僕の姉さんの部屋だ。

 今は大学生で一人暮らしをしているから、その部屋はほぼ空になっている。


 許可というのは、姉さんが帰省している時に使っているベッドなどの使用許可のことだろう。


「流華ちゃん、荷物を置いたらお風呂に入ってね」

「あ、はい。ありがとうございます」


 お・ふ・ろ!

 妖精さんが僕の家のお風呂に全裸でお風呂に僕の家の全裸のお風呂で僕がその後で入る!?!?!?


 もうダメだ。

 ごめんよ流華さん。

 僕は冷静になるためにしばらく部屋に閉じこもるよ。


 …………ふぅ。


 これでもう大丈夫だろう。

 今度こそ冷静に。


「あの、お母様、服が……」

「あらやだ。可愛い!」

「ぐはぁ!」


 なんで姉さんの服を着せてるのさ!


 背丈が全然違うからぶかぶかで超可愛い。

 しかも湯上りだから少し火照って色っぽいし、またドキドキしてきちゃったよ。


「良かったわね。槙人が気に入ったみたいよ」

「なら良いです」


 な ら 良 い で す。


 どういうことですか。

 童貞君は勘違いしやすい生き物なんですよ。

 そんなこと言われたらもっと好きになっちゃうじゃないですかー!


 なんて浮かれているのは半分わざとだ。

 母さんも分かっていてわざとふざけているのだろう。


 一人にしてしまったら流華さんはこれからのことを考えて不安になってしまうだろうから。

 例え誤魔化しであっても、今だけは楽しい時間を過ごしてもらいたい。


「はぐはぐ」


 美味しそうにご飯を食べる流華さんを見ながら、僕はそれだけを強く願った。


――――――――


 その日の晩、流華さんが眠くなるまで母さんと三人でたっぷりと他愛も無い話をした。

 弄られたしデレられて僕は大変だったけれど、それもまた楽しかった。


 ごめんね父さん、今ごろそっちは大変なことになってそうなのに、当事者の僕らがこんなにまったりしてて。


 そんなことを言ったら『面倒なことは俺に任せて子供は子供らしく遊んでなさい』なんて格好良いこと言われちゃうんだろうけどね。


「ふぁあ」


 流華さんが可愛らしい欠伸をしたので、僕らはもう寝ることにした。


「槙人先輩、おやすみなさい」

「おやすみ、流華さん」


 イイ。

 すごくイイ!

 こんな風に好きな人とおやすみの挨拶が出来るなんて幸せ過ぎる!


 はぁ、どうしよう。

 眠れる気がしないや。

 この壁の向こうで流華さんが寝ていると思うと、ドキドキが止まらない。


 明日も大変そうだからしっかり眠らないとダメなのに。


 ベッドで横になっても悶々としてしまいどうにも寝付けない。

 流華さんへの恋心と、これからの事への不安。

 更には自分は本当に正しい事をしたのだろうかという疑問など、様々な思いが脳裏を駆け巡り逆に目が冴えてしまう。

 

 これで本当に良かったのだろうか。

 流華さんを退学に追い込むことになってしまったのに、胸を張って良くやったと言えるのだろうか。

 僕は自分勝手に正義を振りかざして皆を困らせただけなのではないだろうか。


 どうしてだろうか。

 夜の闇に包まれていると良くないことを考えてしまう。


 コンコン


 あれ、今何か音が鳴ったような。


 コンコン


 気のせいじゃない。

 かなり控えめに僕の部屋の扉がノックされた。


「あの、まだ起きてますか?」


 流華さんの声だ。


「うん、起きてるよ」


 一体どうしたのかな。


「その、お願いがあります」

「お願い?」


 流華さんのお願いなら何だって叶えちゃうよ。


「…………一緒に寝たいです」


 ふぁああああああああああああああああ!


 え、待って。

 脳が状況についていけない。


 流華さんが、僕と、一緒に、寝る?

 あはは、そうか、僕はもう寝てたんだ。

 これは夢だ、そうに違いない。


「ダメ……ですか?」

「どうぞ」


 この状況で断れる男子はこの世に絶対にいないだろう。


「お邪魔、します」


 そっと音を立てずに流華さんが入って来た。

 お互い暗闇にもう目が慣れているのだろう。

 電気をつけなくても相手の姿形が分かった。


 流華さんは枕を抱えて恐る恐るこっちにやってくる。


 どうすれば良いのかな。

 流華さんが寝るスペースを空けなきゃダメだよね。


 僕はベッドの端に寄り、掛け布団をめくった。


「よろしくお願いします」


 ポフ、と流華さんが僕の横に寝そべった。

 それだけで甘い良い香りがして、どうにかなりそうだった。


「…………」

「…………」


 僕達はお互い向かい合ったまま、無言でピクリとも動かない。

 流華さんとの間には僅かな隙間があるけれど、少しでも手を動かしたら触れてしまいそうで怖い。

 でも同時に触れてみたいという欲望もムクムクと湧き上がる。


 流華さんも同じような葛藤をしているのだろうか。

 というか、そもそもなんで僕と一緒に寝たがったのだろうか。


 その疑問に答えるかのように、流華さんは僕の方に体を寄せる。


 ひえっ、あ、温か


「槙人先輩、ごめんなさい」


 その言葉に、えっちぃ気持ちは消え去った。 


「どうして謝るの?」

「先輩を巻き込んでしまったから」

「本当に気にしなくて良いんだよ」


 それは図書室でも言われた言葉だ。

 本当は辛くてたまらないはずなのに、僕の事を心配してくれる。

 流華さんの優しさに胸が温かくなる。


「でも」


 でも僕は勘違いしていた。

 流華さんの気持ちを全く分かっていなかったのだ。


「先輩は私が退学になることを悔やんでますよね」

「…………」


 悔やんでいる、か。

 それが正しい表現なのかは分からない。


 でも、もっとうまくやれたんじゃないかって思うんだ。

 流華さんがもっとハッピーになれる方法があったんじゃないかって。


「先輩は勘違いしています」

「え?」

「私は今、最高に幸せなんです」

「最高に?」


 退学になるというのに。

 パーフェクトなハッピーエンドでは無いというのに。


 それなのに何故最高なのか。


「お姉ちゃんから解放された上に学校を辞められるなんて、信じられないくらい最高なんです」


 なんで。

 どうして退学が幸せなんだ。


「先輩、私がみんなからどう思われているのか知ってますよね?」

「あ!」


 そうか、流華さんは悪女として噂されている。

 針のむしろのような状況で友達どころか味方さえもいない。

 それどころか男子生徒に犯される可能性すらある。


 そんな高校に通い続けたいとは思えないだろう。


「お姉ちゃんがやったことをみんなが知っても、変わらないでしょうし」


 そうだ。

 人の心は簡単ではない。


 脅されていたことに目を瞑り、入れ替わったところだけを指摘して相変わらず流華さんを悪者にする人がいるかもしれない。

 入れ替わっていたことを頑なに信じない人もいるかもしれない。


 だって人は自分の過ちを認めたくないから。

 間違った相手にマイナスの感情を向けていたなど受け入れたくはないだろう。


 だからきっとこの先も流華さんの居場所は見つからないままだ。

 それならいっそのこと高校を辞めてしまった方が幸せだというのは納得できる。


「だから先輩が気に病む必要はないんです。私を助けてくれたヒーローが悩む必要なんて無いんです」


 ウジウジと悩み続ける情けない僕は、助けた相手に励まされる僕は、決してヒーローなんかじゃない。

 でも流華さんがそうあって欲しいと願うのなら、僕はそういう男になりたい。いや、なるんだ。


「流華さんは強いね」

「これでも修羅場を沢山潜って来てますから」

「あはは、冗談にならないよ」

「先輩が冗談にしてくれたんですよ」


 流華さんは僕を励ますために勇気を出してベッドに潜り込んで来たのか。

 この妖精さんは優しすぎるよ。


「ねぇ先輩。先輩がもっと気に病まないように、何があったのかを聞いて欲しいんです」

「どういうこと?」

「家族に対する想いも知って頂けたら、今の状況が最高なんだってもっと納得できると思うので」

「分かった。それじゃあ教えて」

「はい」


 語られたのは流華さんのこれまでの苦難の道のり。


 なんと入れ替わりは小学校の低学年の頃にはすでに行われていたというのだ。


「自分で言うのは少し恥ずかしいのですが、お姉ちゃんは私が真面目なのが嫌だったみたいなんです」

「真面目?」

「はい、『良い子ぶるんじゃないわよ』って口癖のように言ってましたから」


 不真面目な姉と、真面目な妹。

 親がどちらを可愛がるかなど明らかだった。


「あの日の事は今でも鮮明に覚えてます。お姉ちゃんがキッチンでふざけてお父さんのお気に入りのコーヒーカップを割ってしまったのを、私はリビングで見ていました」


 そして父親は流里さんを叱った。

 ふざけて大怪我をしてしまったかもしれないので、かなり語気が荒かったらしい。


「『聞いているのか、流里』お父さんがそう言った時に、お姉ちゃんは『私は流華だよ』って言ったのです」


 それこそが悪夢の始まりだった。

 最初は信じなかった父親も、流里さんが繰り返し自分は流華だと言い続けると、自信が無くなった様子になったのだ。

 

 その時、流里さんは気付いてしまった。

 両親は自分達を完璧に見分けられていないのだと。


 それ以降、味を占めた流里さんは流華さんを名乗って悪さをし続けた。

 当然、最初の頃は流華さんも反論していたが、流里さんは流華さんがいない時を狙ってひたすら悪さを続けていた。

 その結果、両親は姉が真面目で妹は不真面目と思うようになってしまった。


「いつの間にかお父さんもお母さんも私が本当の流華だって言っても信じてくれなくなった」


 真面目で愛されていた流華が両親から疎まれ、不真面目な自分がこれでもかと愛されている。

 流里さんはそれがあまりにも愉快で、徹底的に流華さんを貶めてわらうようになった。


「『言う事を聞かなかったらあんたのフリしてもっと悪いことしてやるから』そう言われて、もうどうしようも無かった。学校でも入れ替わりを強要されて、友達も全部失って、代わりに勉強させられてテストを受けさせられて、一体何のために生きているのか分からなかった」


 どれだけ真面目であっても、どれだけ人に優しくしても、それは全て姉への評価となってしまう。

 自分に向けられるのは非難や中傷の視線ばかり。


 家でも、学校でも、流華に居場所は無かった。


「私、殺されるかもしれなかったんですよ。こうして五体満足に生きているのが不思議なくらい」


 それは子供の頃の無邪気な悪意によるもの。


 醤油を一気飲みしなさい、コンセントの穴にピンセットを突っ込みなさい、ゴキブリを食べなさい。


 殺す気は無かったのだろう。

 流華さんが死んでしまったら入れ替わりの旨味を得られなくなるのだから。

 ただ流華さんをいたぶりたかっただけ。

 しかし無知であるがゆえにやってはならないことを命じてしまった。

 流華さんが命を落とす危険性を知っていて必死に説得して拒否したから回避出来たものの、もし流華さんでも判断が出来ない危険なことを命じられていたら、今ごろは病院のベッドの上か墓の中だった。


「なんで私はお姉ちゃんの妹として生まれてしまったんだろう。なんで私はお姉ちゃんと瓜二つなんだろう。他の双子はみんな違いがあるのに、どうして私達だけがこんなにもそっくりなんだろう。何度そう思ったか分からない」


 暗闇の中、流華さんは独白を続ける。

 僕は震える彼女の肩を抱き寄せ、温もりを与えた。


「何度死のうと思ったか分からない。何度この顔をぐちゃぐちゃに傷つけようと思ったか分からない。男の子にレイプさせたいなら早くやってよって思ったこともある。私の人生はもう終わってるんだって諦めてた!」


 惰性でただ生きていただけだったかもしれない。

 心の底から人生を諦めていたかもしれない。


「でも終わって無かった」


 それでも人生には何が起きるか分からない。

 あの日、僕が流華さんに見惚れたことで彼女の絶望の未来は変わったんだ。


「槙人先輩が助けてくれました。槙人先輩が私の人生を変えてくれました」


 流華さんの細い腕が僕の背に回され、軽く抱き寄せられる。

 体が密着し、全身に彼女の柔らかな感触が伝わってくる。


「…………」

「…………」


 僕はやっぱりダメな男だ。


 流華さんの壮絶な過去を知り、慰めの言葉一つ与えてやれないのだから。

 かける言葉がどうしても見つからない。


 彼女はまだ小さく震えている。

 僕はそれが収まるまで優しく肩を抱き続けた。




 そうしてどれだけの時間が経っただろうか。

 流華さんの震えは治まった。


 そうなると今度は別の空気が僕らを包み込む。


 だって密着して抱き合ってるんだよ。

 これまでは真面目な話をしていたから気にしないように努めていたけれど、それが終わるとなると今の体勢が気になって仕方がない。


 好きな女の子とベッドの上で抱き合っている。


 正直に言って手を出したい。

 このまま押し倒したい。

 滅茶苦茶に愛したい。


 でもあんな辛い話の後でそんなことをするなんてダメに決まってるだろう。

 それにそもそも僕は流華さんと会うのはこれで二度目なんだぞ。

 一回目は無かったようなものだし、実質出会った初日みたいなもの。


 それなのに何でこんなことになってるの。

 今更ながら意味分からないんですけど。


「センパイ、して、いいんですよ」


 だからなんでそうなるのさ!

 そんなこと言われたら我慢できないよ。


 僕は流華さんを強く抱き締め、そして告げた。




「僕は君を抱かないよ」

「え?」




 この選択が正しいのか、女性経験のない僕には分からない。

 出会って即エッチなんてあり得ないと思うけれど、それは童貞の思い込みであり陽キャなら普通のことかもしれない。

 抱いてから始まる恋だってきっとあるし、今は雰囲気が良いのでそれが正解なのかもしれない。

 ここまで据え膳を用意されて食わないのはチキンだと誰からも罵られるだろう。


 それでも僕は流華さんを抱かない。

 流華さんがうちに来ることが分かった時に、そう決めたんだ。


「僕は流華さんと普通に恋をしたいから」


 仲良くなって、想いを深め、キスをして、抱き締めて、そして最高のムードの中で初めてを経験する。

 そんな童貞のありがちな夢見る恋をしたかった。


 これまで普通でない生活を強いられていた流華さん相手だからこそ、普通にゆっくりと恋心を育みたかった。

 だから今日のことはラブコメの一シーンとして終わらせるんだ。


「先輩は本当にヘタレですね」

「う゛……」

「くすくす、冗談です。私も先輩と普通の恋がしたいです」


 学校を退学したって、きっと出来るはずだ。

 僕らがそう願い続ける限りは、きっと。


――――――――


 翌日の放課後、僕らは学校の応接室に集まっていた。


 部屋の中にいるのは、僕、父さん、校長先生、教頭先生、僕の担任の先生、流里さんと流華さんの担任の先生、流里さんと流華さんのご両親、そして流里さんだ。


 ちなみに流華さんは別の部屋で待機中だ。

 流里さんと会わせないようにとの配慮がなされている。


「本日はお忙しい中お集まりいただきありがとうございます」


 校長先生が話を切り出した。

 この集まりの趣旨を校長先生が話している間、僕は流里さんの様子を見ていた。


 彼女は歯を食いしばり膝の上に置いた手を強く握って何かに耐えるかのように小刻みに震えている。

 この場を乗り切る言い訳を考えているのだろうか。


 ご両親は見るからにおろおろしていて、どうにも頼りない。

 この人達が娘をしっかりと見分けられればこんなことにはならなかったのにと、少しばかり苛立ちを覚えてしまった。

 流華さんが何も言ってないのに僕が怒るなんて筋違いだ。

 頭では分かっているのだけれど、どうしてもそう思ってしまうのは僕がまだ子供だからなのかな。


 唯一の救いは、ご両親が悪い人では無さそうなことくらいか。


「以上になります。流里さん、何かありますか」

「…………」


 校長先生が話を振っても流里さんは何も言おうとしない。

 テストの成績という分かりやすい証拠があるのだ、言い逃れは出来ないだろう。


「流里……あぁ……流里……」

「くっ……なんということだ」


 どうやらご両親も流里さんのやったことを理解してくれたようだ。

 ここで『私達は娘を信じます!』なんて無茶苦茶を言わないでくれて助かったよ。

 双子の見分けがつかない以外は、極一般的な感性の持ち主だったのだろう。


「本件に関してはまだ本校として扱いを決めかねているところですが、お二人を退学にすることは免れないでしょう。今のうちに準備をしておいてください」


 流里さんはここでようやく明確な反応を見せた。

 あの醜悪な笑みを浮かべたのだ。


「流里さん?」

「流華も退学なのね」

「はい、お二人とも不正規の方法で受験されたのですからそうなります」


 あ~あ、あんなに笑っちゃって。

 流華さんが退学を喜んでいると知ったらどんな顔するのだろうか。

 そのくらい言ってもバチは当たらないよね。


 そう思っていたら、もっととんでもないざまぁが待っていた。


「そうですね、今後の流華さんの扱いについても説明しておきます」


 この話は僕も知らない。

 昨晩お父さんや先生達の間で決めた事なのだろう。

 流華さんの扱いって言っても退学になる以上、他に何かあるとは思えないんだけれど何だろう。


「流華さんも不正な方法で受験したことは変わりありませんが、今回の入れ替わりを考慮すると本来は品行方正で成績優秀な生徒ということになります」


 そう、それこそが流華さんの本当の姿だ。


「また、本件の事情を検討しましたところ、流華さんは自らの意思で入れ替わりを行ったわけではなく脅迫に近い形でやむを得ず実施したと思われます」


 そう、脅迫に近いとぼかしているが、紛れもなくこれは脅迫だ。


「本校としても優秀な流華さんの将来を潰す形にするのは本意ではございません」


 あれ、この流れってもしかしてもしかする?


「ですので、特例として本人とご両親が希望されれば二年次に編入を認めることを考えております」


 流華さんが高校に復帰できるかもしれない!

 マジか!


 思わずお父さんの方を見たらウィンクした。

 まさかこんなことを認めさせるなんて。


 でもそうか。

 これは学校としてアリなんだ。


 弁護士であるお父さんにバレた以上、替え玉事件を世間に隠し続けるのは難しい。

 となると学校としては事件の存在を認めた上でなるべく世間から非難されないような形におさめたい。


 そもそも今回の双子の入れ替えを見破るのは困難だ。

 だって実の親ですら分からなかったのだから。

 記者が事件について調べても見分けがつかないという証言しか出てこないだろうし、今の時代なら誰かが中学の卒業アルバムなどの写真をSNSに投稿して拡散されて見分けが困難であると周知されるだろう。

 替え玉対策が不十分だとの批判は残るかもしれないが、世間的にはこの双子なら間違えても仕方ないという風潮になりそうだ。


 その上で、姉に虐げられていた優秀な妹の未来を潰さないようにと温情を与えることで世間から好感を引き出せる。


 厳正に処罰するけれども温情も与えることで世間に好印象を与え、むしろ学校の株が上がる可能性すらある。

 父さんは学校が本腰を入れて動く旨味を提案して流華さんにとって良い方向に話を進ませたんだ。


 さっすが父さん!


「何よそれ!」


 ついに流里さんの余裕の笑みが崩れ、激昂して立ち上がった。


「流里!」

「やめるんだ、流里!」


 両親が彼女の肩を掴んで座らせようとするが、それを力任せに振り払う。


「ふざけないで!どうして流華だけそうなるのよ!あいつだって同罪じゃない!」


 あ~あ、ついにみんなの前で本性を表してしまったか。

 これでもうみんなも流里さんの悪行を信じざるを得なくなっちゃったね。


「どうして? どうしてなの? どうしてみんなあんなつまんないクソ女のことばかり褒めるの! 私とあいつの何が違うって言うの!? 顔も体つきも何もかも一緒じゃない!」


 それは違うよ。

 流里さんと流華さんは顔や体つきしか・・一緒じゃないんだ。


 それ以外は天と地ほどの差がある。


「こんなの絶対に認めない! 破滅するならあいつも一緒よ! だって私達は何もかも同じ双子なんだから! そうならないなら私が殺してやる!」


 ま~た同じミスしてる。

 この会話も録音しているに決まってるじゃないか。


 今のは明らかに殺意のある殺害予告だよ。

 これだけで犯罪として扱われるかは分からないけれど、印象は最悪でもう味方は居ないだろう。


「お願いします」


 校長先生の合図で先生達が流里さんを何処かにつれていく。


「放せ! 何処にいるの流華! 絶対に許さない! 放せ! あいつを殺しに行くんだ! 放せええええ!」


 僕が最後に見た流里さんは妖精とは程遠い、狂った猛獣のような有様だった。


――――――――


「流華さん大丈夫?」


 流里さんが部屋を出た後、僕は応接室の隣の部屋に移動した。

 これからは大人同士の話し合いの時間だというのもあるが、単純に流華さんの様子が気になったからだ。


 彼女は隣の部屋でずっと僕らの会話を聞いていた。

 流里さんの暴言で心を痛めているかもしれない。


「心配してくれてありがとうございます。大丈夫です」


 一瞬、気持ちを偽っているのではと思いかけたがそれは違うとすぐに思い直した。

 流華さんから聞いた昔話から察するに、あの程度の事は言われ慣れてそうだったから。


「それにしてもびっくりしたよね。まさか編入できるかもしれないなんて」


 もちろんその道のりは簡単では無いだろう。


 これから長い時間をかけて事実関係の調査をして入れ替わりの事実をより詳細に明らかにする必要があるからだ。

 特に流里さんの行いの中にはクラスメイトからの金品盗難などの犯罪行為もあるから、少なくともそれらが流華さんの行いで無い事は証明されなければならない。

 でも流里さんは流華さんに罪を着せるために確証のあること以外は嘘をつくだろうし、それが嘘であると証明するのもまた難しい。

 誰もが入れ替わりの事実に気が付いていなかったのだから、聞き込みしても正確な事実は分からないからだ。


 捜査は間違いなく難航する。


「でも編入しない方が良いのかな」


 流華さんは言っていた。

 自分は同級生から良く思われていないから退学して良かったと。


 それならば編入は嬉しくない事なのかもしれない。


「考えてみる」


 彼女はすぐに断らなかった。


「時間が空いたらみんなの気持ちも変わるかもしれないですし」


 入れ替わりの事実を受け入れるための準備期間。

 それがあれば全員とは言わなくても普通に接してくれる人が出てくるかもしれない。

 元々の流華さんは心優しい清楚な女の子だから友達だって出来るかもしれない。


「それに先輩と一緒に学校に行ってみたいから……」


 そんないじらしいこと言われたら抱きしめたくなっちゃうじゃないか。

 ゆっくりと恋心を育むって誓ったのに攻めすぎだよ。

 この部屋に見張りの先生がいてくれて本当に良かった。


「そういえば先輩、私ってこれからどうなるのでしょうか」


 姉妹揃って退学になるとして、会わせるわけにはいかないから二人が同じ家に帰ることは無い。

 流里さんが暴走して襲ってくる可能性を考えると、外出が難しい更生施設に押し込むことになるのかな。

 流里さんのこれまでの行動次第では少年院の可能性もあるか。


 どちらにしろ不真面目な流里さんにとってそこは地獄だろうな。


「どうなんだろう。僕は何も聞いてないや」


 いずれ両親の元に帰れるかもしれないけれど、対面の可能性がある以上は流里さんの扱いが決まるまでは難しいだろう。

 それまではどこで暮らすことになるのだろうか。

 父さんどうするつもりなんだろう。


「うちで預かることにしたぞ」

「父さん!?」


 隣の部屋から父さんがやってきた。

 休憩なのかなってそんなことはどうでも良くて。


「どういうことなの?」

「どういうことも何も、言った通りだ。流華さんが良ければ、しばらくはうちで暮らしてもらいたい。もちろんご両親には了解をとってある」


 そんな、まさか、それって、流華さんと同棲するってこと!?

 ふぁああああああああああああああああ!


「流華さんはそれで良い?」

「はい、しばらくと言わず永久就職したいです」

「流華さああああん!」

「はっはっはっ、そりゃあ良い!」


 どうやらこれから騒がしい毎日になりそうだ。

 でもそれはきっとこの上なく幸せな日々になるのだろう。


「槙人先輩、末永くよろしくお願いしますね」


 初めて見る妖精さんの可愛らしい笑顔がそれを物語っていた。

補足

・主人公がスマホでいつも録音したりメモ帳を携帯しているのは弁護士の父親の指導の賜物です。不審なことがあったらすぐに記録する癖をつけるようにと(この説明を入れ忘れた)

・一年生で習う残りの授業の内容は主人公が流華ちゃんに教えることになります。編入試験で必要です(綺麗に締めちゃったから入れ逃した)


※ 続き、後日談、長編化のご希望を感想で頂きましたので検討します

※ ただし、全くの予想外なので時間がかかるか無かったことになるかもしません

※ 気長に待って頂けると嬉しいです


よろしければ評価して頂けると嬉しいです

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― 新着の感想 ―
[良い点] 綺麗な物語だった。 これは一話完結の短編だからこそスッキリするお話なのかもしれない。
[良い点] マノイさんの作品大好き!!です、すっかりファンになってしまいました。星5ですよ。
[一言] 長編での投稿もしてほしい!
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